運命の愛を紡いで

朝顔

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番外編

番外編 執事の秘密

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 私はグレイシー家の執事で、ジェイドと申します。
 十代からお世話になり、十年ほどここで働いております。
 ご当主のミラン様と弟のシオン様、そしてミラン様の養子に入られたユーリ様に仕えております。

 使用人は極端に絞られているので、少ない人数で日々の仕事をまわすのはなかなか大変なものです。私は本来の業務以外にも、バケツとモップを持って走り回ることもありますし、力仕事から厨房に入って料理を担当することもあります。メイン料理からスイーツまで私に作れないものはありません。

 今朝もコックが休みなので、朝食の調理は私の担当です。
 一番最初に食堂に来られたシオン様は、無言で朝食をお召し上がりになりました。
 次はミラン様が少し眠そうにあくびをしながら、朝食をお召し上がりになりました。

 この辺りから私はソワソワしてまいります。
 食器を片付けながら、食堂のドアが開けられる音に全神経を集中します。

 ガチャリと音がしてパッと顔を上げると、入ってきたのはメイドのアリンでした。

「ジェイドさん。あからさまですよ。申し訳ございませんー。入ってきたのが私で!」

「…………なんの話ですか?水差しならそこへ置いておいてください」

 メイドのアリンは可愛らしい容姿で一見幼く見えますが、実はこの屋敷で一番の古株、私よりも長く働いておりまして、年齢不詳、調べようにも先代からの雇用なので資料がなく謎の女性です。

「私、先ほどミラン様に申し付けられて、ユーリ様を起こしてきました」

 洗っていた食器を落としそうになって、私は慌てて掴みました。こんなことで動揺してしまうとは執事失格です。
 平静を装って眼鏡を指で押し上げました。

「………そうですか。時間になってもこちらに来なければ、私が起こすように言われておりますが……そうですか……もう……」

「ふふふっ、冗談です。ジェイドさんの楽しみを奪うわけないじゃないですかぁ」

「っ………!」

 あっそろそろ時間ですねと言いながら、ニヤニヤした顔でアリンは食堂から楽しそうに出ていきました。
 やはり、なかなか油断ならない女性です。

 ちゃっかり時計を確認して、私は食堂を後にしました。
 三人はそれぞれ個別のお部屋をお持ちですが、今日はご自身のお部屋でお休みになっているはずです。

 ユーリ、ここへ来た当初は同じ使用人の立場で、私の部下のようなものだったので、そう呼んでいましたが、今は様を付けて呼ばせていただいています。
 ご本人はなかなか慣れないらしく、今でもそうお呼びすると少し気まずそうな顔になられるのですが、それを見るのがまた私の楽しみなのです。

 お部屋をノックしても返事はありません。今日もぐっすりお眠りのようです。

「失礼します」

 ドアを開けて部屋に入ると、甘い花のような香りがします。私はそっと鼻を鳴らしてその匂いを堪能します。
 香水を使用しているわけでもないのに、なぜこんなに甘い匂いをされているのかは不明です。これは私の役得ですので、アリンには決して任せません。

「んっ…………」

 時間を忘れてしまうほどクンクンしていたせいか、人の気配を感じたのかユーリ様がもぞもぞと寝返りをうちました。

 おっと、いけません。また今日も仕事を忘れるところでした。

「ユーリ様、朝でございます。そろそろ起きてください」

「んっん……、もう……ちょっと」

 そっと声をおかけすると、小さく反応がありました。布団をはがされないように、ぎゅっと握っている手が可愛らしすぎて鼻血が出そうになります。

 ユーリ様が初めてこちらに来た日。最初はモサモサしたひょろっとした青年で、正直なところ、お二人には相応しくないように思えました。
 しかし、アリンに髪を切られてサッパリした姿で部屋から出てきた時、私は衝撃を受けました。
 それは子供時代、父に連れられて見に行った歌劇で、舞台で歌い踊っていたあの憧れのスターが目の前にいるかのように思えたからです。
 当時私は父に頼み込んで、何度も足しげく通いました。
 私はあのスター女優の大ファンでした。悲劇があり彼女はこの世から去りました。後から判明したのですが、なんと彼は彼女の息子だったのです。

 紆余曲折ありユーリ様は、ミラン様とシオン様に気に入られて、このグレイシー家に正式な一員となりました。

 それ以来、ユーリ様と過ごすことが、私の仕事の最大の楽しみになっているのは、誰にも秘密です。
 もちろん、使用人の一線を越えることなど……ありえません。私はあくまで執事、ご主人様の大切なものを、壊すようなことは決していたしません!

 ……ですが、頬っぺたをつつくくらいは許されていると思うのです。

 手袋越しですが、ぷにぷにとした柔らかい頬を指でつつくと、ユーリ様はくすぐったそうに、ふふっと笑われました。

 もう悶絶しそうです。

「ユーリ様、起きてください……」

「んっ……ジェイド……?」

「ええ。そうです」

 目を擦りながら、ユーリ様はやっとお目覚めです。とろんとした目をしながら、むくりと起き上がりました。

「お着替え、お手伝いしますので……」

「い……自分で……やるから」

 寝起きの指を必死に動かしてボタンを外そうとされていますが、力が入らずボタンの上で指が踊っております。
 あぁ、もう本当に可愛い。

「ユーリ様、お二人ともとっくにお仕事へ行かれましたよ。私がお手伝いします」

「ん……ごめ……」

 お二人の話をするとユーリ様はだいたい言うことを聞いてくれます。大変扱いやすくて助かります。
 ボタンを一つ外す度に息が漏れそうになるのを我慢しながら最後まで外しました。
 スルリと脱がすと白くて美しい肌が現れて、思わずため息が漏れそうになりました。
 至るところに、赤い印がついております。お二人にたくさん愛されているようです。仲が良いことは屋敷の平和に繋がりますので大変よろしいことです。

 ここは完璧な執事に徹して、さっと着替えをお手伝いしました。

「シオンから言われていた件だけど、資料は届いている?」

「ええ、すぐに取りかかれるように、机の上にまとめてあります」

「ありがとう、さすが優秀だね」

 廊下を歩きながら、今日のお仕事の確認です。ユーリ様は、シオン様の会社で働いています。と言っても、出社することはほとんどなく、もっぱら家での書類仕事を任されている状態ですが、働けることをご本人はとても喜んで意欲的に動いていらっしゃいます。

「そういえば、今日の朝食は私が作りました」

 さりげなくアピールすると、ユーリ様のお顔がぱっと晴れたように明るくなりました。

「本当に!?あっ、もちろんジダンのお料理も美味しいけど、ジェイドの作る朝食は最高なんだよねー!特にデザートが……」

「もちろん、今日もご用意しております。オレンジソースとたっぷりリキュールを使ったクレープシュゼットです」

 ユーリ様が立ち止まって震えております。
 ええ、もちろんなぜかは承知。それはユーリ様の大好物ですから、初めて食べられた時のお顔を忘れられません。

「うっ……嬉しい……。朝から食べられるなんて……」

「…………!!」

 なんと、どうやらお腹を空かせていたらしいユーリ様は、想像力が豊かなようで、口の端からよだれを垂らしております。この美しい顔によだれのコントラスト見たら、どんな名画も劣ってしまうでしょう。

「ユーリ様、失礼します」

 さりげなく口の端をハンカチで拭いてさしあげると、恥ずかしくなったのかユーリ様は真っ赤になりました。

「おっ……お腹が空いちゃって……!ほっ、ほら、早くいこう!」

 ずんずんと歩き出したユーリ様の背中を微笑ましい気持ちで眺めた後、私はハンカチをそっと自分の口へ…………。

「ジェイドさん!」

 名前を呼ばれたので、チラリと横を見ると、アリンが箒を持って立っていました。

「なんでしょう?」

「二階の掃除終わりましたけど」

「それは、ご苦労様です」

 私はにこりと笑ってから歩き出しました。
 しかし、しつこいアリンは背中に声をかけてきました。

「洗濯するものあるなら持っていくけど」

「ありません」

「鼻の下伸びているわよ、変態」

 聞き捨てならない台詞にパッと振り返りましたが、アリンの姿はありませんでした。
 全く油断ならない女性です。

 食堂ではすでに用意しておいた食事をユーリ様が、美味しそうに食べていらっしゃいました。

 私は特等席の真ん前に立たせていただきます。

「これこれ、カリカリのベーコンは歯ごたえがあってうまいし、卵も少しとろっとする感じが最高だよねー。あー美味しい!」

 ほぼ無言で食事の感想など、一文字も言わないお二人とは大違いで、ユーリ様はいつも美味しい美味しいと言ってお召し上がります。

 私の作るものは全てユーリ様のお好みに合わせているのですから、喜ばれるのは当然のこと。しかし、目をキラキラさせながら、フォークを運ぶその姿を隠れてうっとり眺めてしまいます。
 ユーリ様はすぐにプレートを綺麗にされました。私はデザートを用意するために厨房へ向かいます。
 厨房はカウンター式になっていて、座っているユーリ様ともお話しすることができます。
 デザートを待つユーリ様は、上機嫌で私に話しかけてきました。

「この前作ったクッキー、ミランもシオンも喜んでくれたよ。教えてくれてありがとう」

「いえ、そのくらいのことでしたら……」

 お二人を心から愛していらっしゃるユーリ様は、忙しいお二人の疲れを癒すためにお菓子が作りたいと私に頼んできました。

 クッキーの作り方を教えると、一人で何度もチャレンジして、お二人の顔の形をしたクッキーを作ってプレゼントされていました。
 もちろん、お二人は大喜びで、今朝もこれは食べられないといって私にチラリと見せて自慢してきたほどです。
 主人の後ろで唇を噛んでいたのはこれもまた秘密です。

「それでさ……」

 いつの間にか、カウンターの前までユーリ様が来ていました。
 なにか用事なのかと、その姿を無防備に見てしまいました。

「これ、ジェイドにも。教えてもらったし……いつもお世話になっているから……」

 カウンターの上に、眼鏡をかけた男の形をしたクッキーが置かれました。

「こっ……こっ……これは!!」

 私の熱が急速に高まり押し上げていくのを感じます。これはいけない……。

「似てない……かな。ジェイドだよ。いつもありがとう」

 黒髪の天使が無邪気な笑顔で微笑みました。艶々の頬はピンク色で、アイスブルーの瞳は蠱惑的に細められて壮絶な色気を放ってきます。

 私の鉄壁の防壁はいとも簡単に貫通されました。

「うううっ!!」

「どっ……、どうしたの?大丈夫?急に腹痛?」

「だ……大丈夫です。あっ……厨房へは入らないでください。今、危険なので……」

「火を使っているから?あ……うん。分かったけど……、誰か呼ぶ?」

「大丈夫です!ちょっとトイレへ……、すぐ戻りますので……」

 ぽかんとするユーリ様を残して、火を止めてから、そそくさと厨房の勝手口から外へ出ました。
 下着の中はひどい状態になっているので、着替えないといけません。
 外から回り込んで部屋に入ることにしましょう。
 まったく、職務中に粗相をしてしまうなんて、私も執事としてはまたまだ。

 私にとってユーリ様は、手の届かないスターなのです。眺めていることに幸せを感じておりますので、あくまでその位置は死守しないといけないのです。

 チラリと庭の奥を見て私はぶるりと震えました。
 私だって命は惜しい。あの中へ入りたくはありませんから……。

 あっ、これを知っていることも、秘密です。




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