6 / 9
番外編
番外編 執事の秘密
しおりを挟む
私はグレイシー家の執事で、ジェイドと申します。
十代からお世話になり、十年ほどここで働いております。
ご当主のミラン様と弟のシオン様、そしてミラン様の養子に入られたユーリ様に仕えております。
使用人は極端に絞られているので、少ない人数で日々の仕事をまわすのはなかなか大変なものです。私は本来の業務以外にも、バケツとモップを持って走り回ることもありますし、力仕事から厨房に入って料理を担当することもあります。メイン料理からスイーツまで私に作れないものはありません。
今朝もコックが休みなので、朝食の調理は私の担当です。
一番最初に食堂に来られたシオン様は、無言で朝食をお召し上がりになりました。
次はミラン様が少し眠そうにあくびをしながら、朝食をお召し上がりになりました。
この辺りから私はソワソワしてまいります。
食器を片付けながら、食堂のドアが開けられる音に全神経を集中します。
ガチャリと音がしてパッと顔を上げると、入ってきたのはメイドのアリンでした。
「ジェイドさん。あからさまですよ。申し訳ございませんー。入ってきたのが私で!」
「…………なんの話ですか?水差しならそこへ置いておいてください」
メイドのアリンは可愛らしい容姿で一見幼く見えますが、実はこの屋敷で一番の古株、私よりも長く働いておりまして、年齢不詳、調べようにも先代からの雇用なので資料がなく謎の女性です。
「私、先ほどミラン様に申し付けられて、ユーリ様を起こしてきました」
洗っていた食器を落としそうになって、私は慌てて掴みました。こんなことで動揺してしまうとは執事失格です。
平静を装って眼鏡を指で押し上げました。
「………そうですか。時間になってもこちらに来なければ、私が起こすように言われておりますが……そうですか……もう……」
「ふふふっ、冗談です。ジェイドさんの楽しみを奪うわけないじゃないですかぁ」
「っ………!」
あっそろそろ時間ですねと言いながら、ニヤニヤした顔でアリンは食堂から楽しそうに出ていきました。
やはり、なかなか油断ならない女性です。
ちゃっかり時計を確認して、私は食堂を後にしました。
三人はそれぞれ個別のお部屋をお持ちですが、今日はご自身のお部屋でお休みになっているはずです。
ユーリ、ここへ来た当初は同じ使用人の立場で、私の部下のようなものだったので、そう呼んでいましたが、今は様を付けて呼ばせていただいています。
ご本人はなかなか慣れないらしく、今でもそうお呼びすると少し気まずそうな顔になられるのですが、それを見るのがまた私の楽しみなのです。
お部屋をノックしても返事はありません。今日もぐっすりお眠りのようです。
「失礼します」
ドアを開けて部屋に入ると、甘い花のような香りがします。私はそっと鼻を鳴らしてその匂いを堪能します。
香水を使用しているわけでもないのに、なぜこんなに甘い匂いをされているのかは不明です。これは私の役得ですので、アリンには決して任せません。
「んっ…………」
時間を忘れてしまうほどクンクンしていたせいか、人の気配を感じたのかユーリ様がもぞもぞと寝返りをうちました。
おっと、いけません。また今日も仕事を忘れるところでした。
「ユーリ様、朝でございます。そろそろ起きてください」
「んっん……、もう……ちょっと」
そっと声をおかけすると、小さく反応がありました。布団をはがされないように、ぎゅっと握っている手が可愛らしすぎて鼻血が出そうになります。
ユーリ様が初めてこちらに来た日。最初はモサモサしたひょろっとした青年で、正直なところ、お二人には相応しくないように思えました。
しかし、アリンに髪を切られてサッパリした姿で部屋から出てきた時、私は衝撃を受けました。
それは子供時代、父に連れられて見に行った歌劇で、舞台で歌い踊っていたあの憧れのスターが目の前にいるかのように思えたからです。
当時私は父に頼み込んで、何度も足しげく通いました。
私はあのスター女優の大ファンでした。悲劇があり彼女はこの世から去りました。後から判明したのですが、なんと彼は彼女の息子だったのです。
紆余曲折ありユーリ様は、ミラン様とシオン様に気に入られて、このグレイシー家に正式な一員となりました。
それ以来、ユーリ様と過ごすことが、私の仕事の最大の楽しみになっているのは、誰にも秘密です。
もちろん、使用人の一線を越えることなど……ありえません。私はあくまで執事、ご主人様の大切なものを、壊すようなことは決していたしません!
……ですが、頬っぺたをつつくくらいは許されていると思うのです。
手袋越しですが、ぷにぷにとした柔らかい頬を指でつつくと、ユーリ様はくすぐったそうに、ふふっと笑われました。
もう悶絶しそうです。
「ユーリ様、起きてください……」
「んっ……ジェイド……?」
「ええ。そうです」
目を擦りながら、ユーリ様はやっとお目覚めです。とろんとした目をしながら、むくりと起き上がりました。
「お着替え、お手伝いしますので……」
「い……自分で……やるから」
寝起きの指を必死に動かしてボタンを外そうとされていますが、力が入らずボタンの上で指が踊っております。
あぁ、もう本当に可愛い。
「ユーリ様、お二人ともとっくにお仕事へ行かれましたよ。私がお手伝いします」
「ん……ごめ……」
お二人の話をするとユーリ様はだいたい言うことを聞いてくれます。大変扱いやすくて助かります。
ボタンを一つ外す度に息が漏れそうになるのを我慢しながら最後まで外しました。
スルリと脱がすと白くて美しい肌が現れて、思わずため息が漏れそうになりました。
至るところに、赤い印がついております。お二人にたくさん愛されているようです。仲が良いことは屋敷の平和に繋がりますので大変よろしいことです。
ここは完璧な執事に徹して、さっと着替えをお手伝いしました。
「シオンから言われていた件だけど、資料は届いている?」
「ええ、すぐに取りかかれるように、机の上にまとめてあります」
「ありがとう、さすが優秀だね」
廊下を歩きながら、今日のお仕事の確認です。ユーリ様は、シオン様の会社で働いています。と言っても、出社することはほとんどなく、もっぱら家での書類仕事を任されている状態ですが、働けることをご本人はとても喜んで意欲的に動いていらっしゃいます。
「そういえば、今日の朝食は私が作りました」
さりげなくアピールすると、ユーリ様のお顔がぱっと晴れたように明るくなりました。
「本当に!?あっ、もちろんジダンのお料理も美味しいけど、ジェイドの作る朝食は最高なんだよねー!特にデザートが……」
「もちろん、今日もご用意しております。オレンジソースとたっぷりリキュールを使ったクレープシュゼットです」
ユーリ様が立ち止まって震えております。
ええ、もちろんなぜかは承知。それはユーリ様の大好物ですから、初めて食べられた時のお顔を忘れられません。
「うっ……嬉しい……。朝から食べられるなんて……」
「…………!!」
なんと、どうやらお腹を空かせていたらしいユーリ様は、想像力が豊かなようで、口の端からよだれを垂らしております。この美しい顔によだれのコントラスト見たら、どんな名画も劣ってしまうでしょう。
「ユーリ様、失礼します」
さりげなく口の端をハンカチで拭いてさしあげると、恥ずかしくなったのかユーリ様は真っ赤になりました。
「おっ……お腹が空いちゃって……!ほっ、ほら、早くいこう!」
ずんずんと歩き出したユーリ様の背中を微笑ましい気持ちで眺めた後、私はハンカチをそっと自分の口へ…………。
「ジェイドさん!」
名前を呼ばれたので、チラリと横を見ると、アリンが箒を持って立っていました。
「なんでしょう?」
「二階の掃除終わりましたけど」
「それは、ご苦労様です」
私はにこりと笑ってから歩き出しました。
しかし、しつこいアリンは背中に声をかけてきました。
「洗濯するものあるなら持っていくけど」
「ありません」
「鼻の下伸びているわよ、変態」
聞き捨てならない台詞にパッと振り返りましたが、アリンの姿はありませんでした。
全く油断ならない女性です。
食堂ではすでに用意しておいた食事をユーリ様が、美味しそうに食べていらっしゃいました。
私は特等席の真ん前に立たせていただきます。
「これこれ、カリカリのベーコンは歯ごたえがあってうまいし、卵も少しとろっとする感じが最高だよねー。あー美味しい!」
ほぼ無言で食事の感想など、一文字も言わないお二人とは大違いで、ユーリ様はいつも美味しい美味しいと言ってお召し上がります。
私の作るものは全てユーリ様のお好みに合わせているのですから、喜ばれるのは当然のこと。しかし、目をキラキラさせながら、フォークを運ぶその姿を隠れてうっとり眺めてしまいます。
ユーリ様はすぐにプレートを綺麗にされました。私はデザートを用意するために厨房へ向かいます。
厨房はカウンター式になっていて、座っているユーリ様ともお話しすることができます。
デザートを待つユーリ様は、上機嫌で私に話しかけてきました。
「この前作ったクッキー、ミランもシオンも喜んでくれたよ。教えてくれてありがとう」
「いえ、そのくらいのことでしたら……」
お二人を心から愛していらっしゃるユーリ様は、忙しいお二人の疲れを癒すためにお菓子が作りたいと私に頼んできました。
クッキーの作り方を教えると、一人で何度もチャレンジして、お二人の顔の形をしたクッキーを作ってプレゼントされていました。
もちろん、お二人は大喜びで、今朝もこれは食べられないといって私にチラリと見せて自慢してきたほどです。
主人の後ろで唇を噛んでいたのはこれもまた秘密です。
「それでさ……」
いつの間にか、カウンターの前までユーリ様が来ていました。
なにか用事なのかと、その姿を無防備に見てしまいました。
「これ、ジェイドにも。教えてもらったし……いつもお世話になっているから……」
カウンターの上に、眼鏡をかけた男の形をしたクッキーが置かれました。
「こっ……こっ……これは!!」
私の熱が急速に高まり押し上げていくのを感じます。これはいけない……。
「似てない……かな。ジェイドだよ。いつもありがとう」
黒髪の天使が無邪気な笑顔で微笑みました。艶々の頬はピンク色で、アイスブルーの瞳は蠱惑的に細められて壮絶な色気を放ってきます。
私の鉄壁の防壁はいとも簡単に貫通されました。
「うううっ!!」
「どっ……、どうしたの?大丈夫?急に腹痛?」
「だ……大丈夫です。あっ……厨房へは入らないでください。今、危険なので……」
「火を使っているから?あ……うん。分かったけど……、誰か呼ぶ?」
「大丈夫です!ちょっとトイレへ……、すぐ戻りますので……」
ぽかんとするユーリ様を残して、火を止めてから、そそくさと厨房の勝手口から外へ出ました。
下着の中はひどい状態になっているので、着替えないといけません。
外から回り込んで部屋に入ることにしましょう。
まったく、職務中に粗相をしてしまうなんて、私も執事としてはまたまだ。
私にとってユーリ様は、手の届かないスターなのです。眺めていることに幸せを感じておりますので、あくまでその位置は死守しないといけないのです。
チラリと庭の奥を見て私はぶるりと震えました。
私だって命は惜しい。あの中へ入りたくはありませんから……。
あっ、これを知っていることも、秘密です。
□□□
十代からお世話になり、十年ほどここで働いております。
ご当主のミラン様と弟のシオン様、そしてミラン様の養子に入られたユーリ様に仕えております。
使用人は極端に絞られているので、少ない人数で日々の仕事をまわすのはなかなか大変なものです。私は本来の業務以外にも、バケツとモップを持って走り回ることもありますし、力仕事から厨房に入って料理を担当することもあります。メイン料理からスイーツまで私に作れないものはありません。
今朝もコックが休みなので、朝食の調理は私の担当です。
一番最初に食堂に来られたシオン様は、無言で朝食をお召し上がりになりました。
次はミラン様が少し眠そうにあくびをしながら、朝食をお召し上がりになりました。
この辺りから私はソワソワしてまいります。
食器を片付けながら、食堂のドアが開けられる音に全神経を集中します。
ガチャリと音がしてパッと顔を上げると、入ってきたのはメイドのアリンでした。
「ジェイドさん。あからさまですよ。申し訳ございませんー。入ってきたのが私で!」
「…………なんの話ですか?水差しならそこへ置いておいてください」
メイドのアリンは可愛らしい容姿で一見幼く見えますが、実はこの屋敷で一番の古株、私よりも長く働いておりまして、年齢不詳、調べようにも先代からの雇用なので資料がなく謎の女性です。
「私、先ほどミラン様に申し付けられて、ユーリ様を起こしてきました」
洗っていた食器を落としそうになって、私は慌てて掴みました。こんなことで動揺してしまうとは執事失格です。
平静を装って眼鏡を指で押し上げました。
「………そうですか。時間になってもこちらに来なければ、私が起こすように言われておりますが……そうですか……もう……」
「ふふふっ、冗談です。ジェイドさんの楽しみを奪うわけないじゃないですかぁ」
「っ………!」
あっそろそろ時間ですねと言いながら、ニヤニヤした顔でアリンは食堂から楽しそうに出ていきました。
やはり、なかなか油断ならない女性です。
ちゃっかり時計を確認して、私は食堂を後にしました。
三人はそれぞれ個別のお部屋をお持ちですが、今日はご自身のお部屋でお休みになっているはずです。
ユーリ、ここへ来た当初は同じ使用人の立場で、私の部下のようなものだったので、そう呼んでいましたが、今は様を付けて呼ばせていただいています。
ご本人はなかなか慣れないらしく、今でもそうお呼びすると少し気まずそうな顔になられるのですが、それを見るのがまた私の楽しみなのです。
お部屋をノックしても返事はありません。今日もぐっすりお眠りのようです。
「失礼します」
ドアを開けて部屋に入ると、甘い花のような香りがします。私はそっと鼻を鳴らしてその匂いを堪能します。
香水を使用しているわけでもないのに、なぜこんなに甘い匂いをされているのかは不明です。これは私の役得ですので、アリンには決して任せません。
「んっ…………」
時間を忘れてしまうほどクンクンしていたせいか、人の気配を感じたのかユーリ様がもぞもぞと寝返りをうちました。
おっと、いけません。また今日も仕事を忘れるところでした。
「ユーリ様、朝でございます。そろそろ起きてください」
「んっん……、もう……ちょっと」
そっと声をおかけすると、小さく反応がありました。布団をはがされないように、ぎゅっと握っている手が可愛らしすぎて鼻血が出そうになります。
ユーリ様が初めてこちらに来た日。最初はモサモサしたひょろっとした青年で、正直なところ、お二人には相応しくないように思えました。
しかし、アリンに髪を切られてサッパリした姿で部屋から出てきた時、私は衝撃を受けました。
それは子供時代、父に連れられて見に行った歌劇で、舞台で歌い踊っていたあの憧れのスターが目の前にいるかのように思えたからです。
当時私は父に頼み込んで、何度も足しげく通いました。
私はあのスター女優の大ファンでした。悲劇があり彼女はこの世から去りました。後から判明したのですが、なんと彼は彼女の息子だったのです。
紆余曲折ありユーリ様は、ミラン様とシオン様に気に入られて、このグレイシー家に正式な一員となりました。
それ以来、ユーリ様と過ごすことが、私の仕事の最大の楽しみになっているのは、誰にも秘密です。
もちろん、使用人の一線を越えることなど……ありえません。私はあくまで執事、ご主人様の大切なものを、壊すようなことは決していたしません!
……ですが、頬っぺたをつつくくらいは許されていると思うのです。
手袋越しですが、ぷにぷにとした柔らかい頬を指でつつくと、ユーリ様はくすぐったそうに、ふふっと笑われました。
もう悶絶しそうです。
「ユーリ様、起きてください……」
「んっ……ジェイド……?」
「ええ。そうです」
目を擦りながら、ユーリ様はやっとお目覚めです。とろんとした目をしながら、むくりと起き上がりました。
「お着替え、お手伝いしますので……」
「い……自分で……やるから」
寝起きの指を必死に動かしてボタンを外そうとされていますが、力が入らずボタンの上で指が踊っております。
あぁ、もう本当に可愛い。
「ユーリ様、お二人ともとっくにお仕事へ行かれましたよ。私がお手伝いします」
「ん……ごめ……」
お二人の話をするとユーリ様はだいたい言うことを聞いてくれます。大変扱いやすくて助かります。
ボタンを一つ外す度に息が漏れそうになるのを我慢しながら最後まで外しました。
スルリと脱がすと白くて美しい肌が現れて、思わずため息が漏れそうになりました。
至るところに、赤い印がついております。お二人にたくさん愛されているようです。仲が良いことは屋敷の平和に繋がりますので大変よろしいことです。
ここは完璧な執事に徹して、さっと着替えをお手伝いしました。
「シオンから言われていた件だけど、資料は届いている?」
「ええ、すぐに取りかかれるように、机の上にまとめてあります」
「ありがとう、さすが優秀だね」
廊下を歩きながら、今日のお仕事の確認です。ユーリ様は、シオン様の会社で働いています。と言っても、出社することはほとんどなく、もっぱら家での書類仕事を任されている状態ですが、働けることをご本人はとても喜んで意欲的に動いていらっしゃいます。
「そういえば、今日の朝食は私が作りました」
さりげなくアピールすると、ユーリ様のお顔がぱっと晴れたように明るくなりました。
「本当に!?あっ、もちろんジダンのお料理も美味しいけど、ジェイドの作る朝食は最高なんだよねー!特にデザートが……」
「もちろん、今日もご用意しております。オレンジソースとたっぷりリキュールを使ったクレープシュゼットです」
ユーリ様が立ち止まって震えております。
ええ、もちろんなぜかは承知。それはユーリ様の大好物ですから、初めて食べられた時のお顔を忘れられません。
「うっ……嬉しい……。朝から食べられるなんて……」
「…………!!」
なんと、どうやらお腹を空かせていたらしいユーリ様は、想像力が豊かなようで、口の端からよだれを垂らしております。この美しい顔によだれのコントラスト見たら、どんな名画も劣ってしまうでしょう。
「ユーリ様、失礼します」
さりげなく口の端をハンカチで拭いてさしあげると、恥ずかしくなったのかユーリ様は真っ赤になりました。
「おっ……お腹が空いちゃって……!ほっ、ほら、早くいこう!」
ずんずんと歩き出したユーリ様の背中を微笑ましい気持ちで眺めた後、私はハンカチをそっと自分の口へ…………。
「ジェイドさん!」
名前を呼ばれたので、チラリと横を見ると、アリンが箒を持って立っていました。
「なんでしょう?」
「二階の掃除終わりましたけど」
「それは、ご苦労様です」
私はにこりと笑ってから歩き出しました。
しかし、しつこいアリンは背中に声をかけてきました。
「洗濯するものあるなら持っていくけど」
「ありません」
「鼻の下伸びているわよ、変態」
聞き捨てならない台詞にパッと振り返りましたが、アリンの姿はありませんでした。
全く油断ならない女性です。
食堂ではすでに用意しておいた食事をユーリ様が、美味しそうに食べていらっしゃいました。
私は特等席の真ん前に立たせていただきます。
「これこれ、カリカリのベーコンは歯ごたえがあってうまいし、卵も少しとろっとする感じが最高だよねー。あー美味しい!」
ほぼ無言で食事の感想など、一文字も言わないお二人とは大違いで、ユーリ様はいつも美味しい美味しいと言ってお召し上がります。
私の作るものは全てユーリ様のお好みに合わせているのですから、喜ばれるのは当然のこと。しかし、目をキラキラさせながら、フォークを運ぶその姿を隠れてうっとり眺めてしまいます。
ユーリ様はすぐにプレートを綺麗にされました。私はデザートを用意するために厨房へ向かいます。
厨房はカウンター式になっていて、座っているユーリ様ともお話しすることができます。
デザートを待つユーリ様は、上機嫌で私に話しかけてきました。
「この前作ったクッキー、ミランもシオンも喜んでくれたよ。教えてくれてありがとう」
「いえ、そのくらいのことでしたら……」
お二人を心から愛していらっしゃるユーリ様は、忙しいお二人の疲れを癒すためにお菓子が作りたいと私に頼んできました。
クッキーの作り方を教えると、一人で何度もチャレンジして、お二人の顔の形をしたクッキーを作ってプレゼントされていました。
もちろん、お二人は大喜びで、今朝もこれは食べられないといって私にチラリと見せて自慢してきたほどです。
主人の後ろで唇を噛んでいたのはこれもまた秘密です。
「それでさ……」
いつの間にか、カウンターの前までユーリ様が来ていました。
なにか用事なのかと、その姿を無防備に見てしまいました。
「これ、ジェイドにも。教えてもらったし……いつもお世話になっているから……」
カウンターの上に、眼鏡をかけた男の形をしたクッキーが置かれました。
「こっ……こっ……これは!!」
私の熱が急速に高まり押し上げていくのを感じます。これはいけない……。
「似てない……かな。ジェイドだよ。いつもありがとう」
黒髪の天使が無邪気な笑顔で微笑みました。艶々の頬はピンク色で、アイスブルーの瞳は蠱惑的に細められて壮絶な色気を放ってきます。
私の鉄壁の防壁はいとも簡単に貫通されました。
「うううっ!!」
「どっ……、どうしたの?大丈夫?急に腹痛?」
「だ……大丈夫です。あっ……厨房へは入らないでください。今、危険なので……」
「火を使っているから?あ……うん。分かったけど……、誰か呼ぶ?」
「大丈夫です!ちょっとトイレへ……、すぐ戻りますので……」
ぽかんとするユーリ様を残して、火を止めてから、そそくさと厨房の勝手口から外へ出ました。
下着の中はひどい状態になっているので、着替えないといけません。
外から回り込んで部屋に入ることにしましょう。
まったく、職務中に粗相をしてしまうなんて、私も執事としてはまたまだ。
私にとってユーリ様は、手の届かないスターなのです。眺めていることに幸せを感じておりますので、あくまでその位置は死守しないといけないのです。
チラリと庭の奥を見て私はぶるりと震えました。
私だって命は惜しい。あの中へ入りたくはありませんから……。
あっ、これを知っていることも、秘密です。
□□□
10
お気に入りに追加
762
あなたにおすすめの小説
魔王討伐後に勇者の子を身篭ったので、逃げたけど結局勇者に捕まった。
柴傘
BL
勇者パーティーに属していた魔術師が勇者との子を身篭ったので逃走を図り失敗に終わるお話。
頭よわよわハッピーエンド、執着溺愛勇者×気弱臆病魔術師。
誰もが妊娠できる世界、勇者パーティーは皆仲良し。
さくっと読める短編です。
告白してきたヤツを寝取られたらイケメンαが本気で囲ってきて逃げられない
ネコフク
BL
【本編完結・番外編更新中】ある昼過ぎの大学の食堂で「瀬名すまない、別れてくれ」って言われ浮気相手らしき奴にプギャーされたけど、俺達付き合ってないよな?
それなのに接触してくるし、ある事で中学から寝取ってくる奴が虎視眈々と俺の周りのαを狙ってくるし・・・俺まだ誰とも付き合う気ないんですけど⁉
だからちょっと待って!付き合ってないから!「そんな噂も立たないくらい囲ってやる」って物理的に囲わないで!
父親の研究の被験者の為に誰とも付き合わないΩが7年待ち続けているαに囲われちゃう話。脇カプ有。
オメガバース。α×Ω
※この話の主人公は短編「番に囲われ逃げられない」と同じ高校出身で短編から2年後の話になりますが交わる事が無い話なのでこちらだけでお楽しみいただけます。
※大体2日に一度更新しています。たまに毎日。閑話は文字数が少ないのでその時は本編と一緒に投稿します。
※本編が完結したので11/6から番外編を2日に一度更新します。
新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
モブに転生したはずが、推しに熱烈に愛されています
奈織
BL
腐男子だった僕は、大好きだったBLゲームの世界に転生した。
生まれ変わったのは『王子ルートの悪役令嬢の取り巻き、の婚約者』
ゲームでは名前すら登場しない、明らかなモブである。
顔も地味な僕が主人公たちに関わることはないだろうと思ってたのに、なぜか推しだった公爵子息から熱烈に愛されてしまって…?
自分は地味モブだと思い込んでる上品お色気お兄さん(攻)×クーデレで隠れМな武闘派後輩(受)のお話。
※エロは後半です
※ムーンライトノベルにも掲載しています
龍は精霊の愛し子を愛でる
林 業
BL
竜人族の騎士団団長サンムーンは人の子を嫁にしている。
その子は精霊に愛されているが、人族からは嫌われた子供だった。
王族の養子として、騎士団長の嫁として今日も楽しく自由に生きていく。
【短編】無理矢理犯したくせに俺様なあいつは僕に甘い
cyan
BL
彼は男女関係なく取り巻きを従えたキラキラ系のイケメン。
僕はそんなキラキラなグループとは無縁で教室の隅で空気みたいな存在なのに、彼は僕を呼び出して無理矢理犯した。
その後、なぜか彼は僕に優しくしてくる。
そんなイケメンとフツメン(と本人は思い込んでいる)の純愛。
※凌辱シーンはサラッと流しています。
ムーンライトノベルズで公開していた作品ですが少し加筆しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる