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本編
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「俺と結婚すればいいじゃないですか。」
アルフが再三そう言うから、渋々受け入れた。なのに、なのに…。
最初にそう言いだしたのは夏の終わりごろだったように思う。
任務の最中に負った傷が思ったよりも深く、酷く、これ以上傭兵を続けることは難しいとボスに告げられた。
治療の度に、医療班の者たちが、労しいというような眼で見てくるのだから薄々気づいてはいた。
アルフとは、傷を負った任務で初めて一緒になった。獣人部隊からの助っ人として来た狼の獣人だった。
獣人は、その獣性により、体が大きく、筋肉も発達しており、傭兵に向く種族が多くみられる。
その中でも、狼は、優れた嗅覚や跳躍力、仲間を大切にする性格から傭兵としては優秀な者が多い。ボスが借りて来た獣人は、アルフを含め三人だった。
助っ人を要請し、イレギュラーなメンバーが入ることはよくあったし、気の合う者もいればいけ好かない者もいた。女傭兵のものめずらしさに、気安く扱う者もいたが、そういう手合いとは深く関わらないことにしていた。
アルフと最初に話したのは何時だっただろう。
任務が始まる前に自己紹介をしたんだったか、最初に砦に来た時に挨拶をしたんだったか。
まあとにかく、運命的な出会いをしたわけではない。
アルフは、自分より若く、まだまだ青い若造だった。なんというか、頼りなげで、すぐ熱くなるかと思えばその獣性を活かし仲間の危機を事も無げに救ってみせる。
よく話したのは、食事時だっただろうか。
傭兵をしているからといって、皆が皆、大食漢というわけではないのに、私のプレートを見ては、
「それでは足りないでしょう。」
と、食事を取りに行こうとする。必要ないと止めるのだが、結局持ってきてしまうので、最後には、食堂にアルフを見つけたときには追加分を見越して少なめにとっていたほどだ。
年下の癖に何を心配していたのだか、今でもわからない。というより、未だに私に嬉々として食事を取り分けるのだ。
まあ、そんなこんなで任務をこなしていき、そして最後の最後でへまをした。そして、私は、傭兵としての道を失ったのだ。
戦争孤児として、村全体で養ってもらい、独り立ちをするからと村に任務で立ち寄ったボスに仕事をもらえるように頼んだ。
小柄だが、脚が早く、状況判断に長けていると言われて、傭兵としての職を得た。
そう長くもなかった傭兵としての半生を終えることとなり、少なからず傷ついていた私に結婚の提案をしたのがアルフだった。
そうは言われても、傭兵仲間だっただけで、恋だの愛だのが間にあったわけではない。
傭兵ができなくなったからといって、男に養われなければ生きていけないわけではない。ましてや年若いアルフに頼る謂れはない。拒んだ。
それでもアルフは退かなかった。
「結婚しましょう。」
「俺の故郷で暮らしましょう。」
「傷が癒えればまた働いてもいい。」
「俺についてきてください。」
まあ、しつこかったのだ。秋になる頃には、アルフの端正な顔も、ピンと立った狼の耳がたまに動くのも、考えておくと言った時に少し揺れる尾も見飽きていて、その提案も悪くないかなと思った。
そして、世話になったボスと部隊に別れを告げ、アルフの故郷であるこの森に来たのだ。
森には、狼獣人をはじめとする獣人が多く暮らしていて、アルフの両親と、兄夫婦も生活していた。
すぐに生活には馴染んだように思う、アルフの両親は優しかったし、そんなに得意でなかった繕い物や料理も獣人ばかりが暮らす村では繊細な仕事だと喜ばれた。
良くも悪くもおおざっぱな者が多く、また、獣人の大きい手指は針仕事には向かないようだった。
秋だった季節は冬になり、村には冬が来た。
結婚するつもりで来た私は、まだ未婚だった。来年の夏まで結婚はしないとアルフが言い出したからだ。
なんとアルフは今年の春の終わりに成獣したばかりだったのだ。そういうことなら身を固めるのに慎重になるのも理解できる。私に異論はなかった。
結婚は先延ばしになったが、村の住宅に二人で居を構えて一緒に暮らした。巷で流行りの同棲というやつだろう。
初夜まで純潔は守るといいながらも、軽い性的な交わりもあった。
二人で暮らし、お互いを知っていった。
アルフのモフモフとした尻尾のさわり心地は最高だったし、私が作った食事を絶賛する姿はなかなか心に響くものがあった。傭兵でない自分にも価値があるのではないかと思わせてくれたのはアルフとの何気ない日々だった。
そして春が来て、アルフは…。アルフは帰って来なくなった。
傭兵の任務で何週も留守にすることが増え、帰って来ても何かと理由をつけて兄夫婦の家に泊まろうとする。
結婚式の準備も何も進んでいない。
やはりこんな年増と結婚するのは嫌になったのだろうか。傭兵上がりで傷も目立つ。感情を表に出すのも不得手で可愛げがないとボスにもよく言われた。
そんなことを鬱々と考えながら、頼まれた針仕事をしていると村の鐘が三度鳴った。
三度の鐘は帰還の合図だ。外に働きに出ていたものが帰ってきたのだろう。
アルフが任務に出たのは5日程前だ。戻って来ているかもしれない。でも、兄夫婦のところに泊まりに行くのだろう。そう思い至ると、胸の奥がすーっと冷えた。
針を持ったままぼーっとしていると玄関の引き戸が開く音がして、顔を挙げた。
「ただいま。リーゼ。」
アルフだ。いつになくにこやかな顔をしている。
「あ、ああ。おかえり。」
無事でよかった。言う気はなかったが口を突いて出た言葉にアルフは目を見張って、そうですね。と答えた。
よく見れば毛並みは少しパサついているし、頬には泥汚れがついている。湯の準備をするからと立ち上がれば、荷を下ろしていたアルフが一緒に入りますか等と戯言を言い出す。
本当に機嫌がよさそうだと思いつつ、受け流せば少し耳が横に倒れたのが見えた。
この感じなら結婚についてきちんと話せるかもしれない。するにせよしないにせよ早くはっきりさせてしまいたかった。
そう思っていたのに、湯を使ったアルフは報告があるからと出かけて行き、夜は遅くなるから寝ていてくれと言われた。
久しぶりに会うことをうれしく思った自分が情けなくて、分かったとしか返せなかった。
男たちが留守にするからと、アルフの兄であるクレドの奥方のサリーナが夕食に誘ってくれた。アルフが留守にするときには、気を遣ってよく声をかけてくれる。サリーナは、クレドの子を宿してしばらく経っていた。訪ねる度にお腹が大きくなっているように感じる。
「ごめんなさいねー。誘ったくせにいろいろ任せちゃって。」
パタパタと夕餉の支度を手伝っていれば、そんな風に気を遣ってくれるセリーナのことを好ましく思っている。兎獣人特有のふわふわとした髪は女性らしく可愛いと思う。
アルフもこういう女性のほうが良いのではないだろうか…。
もやもやとした思いを断ち切るために、竈の薪の補充をかってでる。
家の裏手に出るためいくつかの隣家を通りすぎればふとアルフの声がした。
「はやく子どもが欲しいんだ。」
心臓が止まるかと思った。
「あんなに素晴らしい女性は他にいない。
相手は誰でもいいなんて言っていた頃の自分を殴りたいよ。」
朗らかな声で、兄のクレドに言い募るアレフの顔を覗き見れば、この上ないほど幸せそうだった。こんな顔は見たことがない。
ああそうか。今回の任務でアルフは運命の女性に出会ったのだ。そう考えると腑に落ちた。結婚を先延ばしにしている女との子が欲しいなどとあれほどまでに幸せそうに言う者がいるだろうか。
この生活が終わる。
そう思うと辺りの地面がへどろになったかのようにぐらぐらと揺らいで自分を飲み込んでいく心地がした。
そこから、どこをどう歩いたのか。気づけば少ない荷をまとめ、村を出ていた。ボスに会えばまた雇ってくれるだろうか。傭兵はできなくとも砦の掃除ぐらいならできるだろう。
村に来たばかりの頃の幸せな日々が次々に思い出されて、目の前が滲む。
アルフの敬語が少しずつ減って来るにしたがって、距離が縮まったように感じた。
初めて隣で眠った日は、何もしないからと尻尾であやすように撫でられた。緊張してまともに顔も見られず背を向けたのに、後ろから抱きしめられ、揺れる尾の重みに気を取られていればいつの間にか眠っていた。
寝起きが悪くいつも少し不機嫌そうなアルフが年相応に見えて可愛かった。
若造だと思っていたのに段々と落ち着いた大人の男に近づいていくアルフを隣で見ていた。
そうだ、アルフを愛していたのだ。
愛している。
だからこそ、他の女性を愛してしまったアルフを傍で見ていることなどできはしない。
怪我をしてからもう一年近く経つ。傷はいえていたはずなのに、村を出てから歩き通しでじくじくと膝が痛み出した。
膝が痛むと思えば、この胸の痛みが気にならないような気がして歩き続けた。それでも隣の村に着く頃には限界が来て、宿を取ることにした。
日が暮れてからだいぶ経っていだが、賑わう食堂の上の部屋を借りることができた。
汗を流し、砦までの行き方を考えていた。
私には、アルフを失った今、砦以外に帰る場所がなかった。
膝を冷やさなければ明日歩けないことに気づいて、ベッドから上体を起こしたが、またパタリと倒れ込んだ。気力が尽きかけていた。
ぼんやりと窓の外を見つめれば頬を涙が伝うのがわかった。
ああ、今度こそ私は無価値になったのだ。
「リーゼ…!!!」
ドタドタと宿の階段を登る音がしたかと思うと部屋のドアがけ破られた。壊れたドアノブが鈍い音を立てて転がる。
「アルフ…。」
それ以上言葉は出なかった。
ずんずんと近づいてくるアルフに手を引かれ起こされたかと思えば胸に抱きすくめられていた。
「――――よかったっ!!無事で!。」
何故こんなところへ一人で来たのか。足を痛めてはいないか。次々と矢継ぎ早に問いかけられるがぎゅうぎゅうと抱きしめられれば答えることもできない。
リーゼが回した手で背を叩けばようやくそのことに思い至ったようで腕が緩んだ。
「…砦に帰ることにした。」
ひゅっと息をのむ音がして再び腕の中へ戻される。
「どうして!!!行かせない!」
落ち着いてきた最近では聞くことのなかったアルフの上ずった情けないような声がリーゼを引き留める。
「子を持ちたいと…。聞いたのだ。クレドと話しているのを…。」
アルフはよく聞こうとリーゼを抱きしめるのをやめ、真剣に目を見つめていたが…、どうもよくわからない。つまりどういうことなのだ…?
「たしかに子どもは欲しいけど…。」
「だから身を引こうかと!!」
リーゼが言い募れば、アルフは顔色を変えた。
「もしかして、リーゼさん子どもができなかったりします?それなら俺めちゃくちゃ木津づけてしまったんじゃ!?そんな、それならそれで俺は!二人で暮らせればそれで!!」
アルフの剣幕に押されていたリーゼも困惑する。なぜ、私の話をしているのだ?
「いや、私は子ができないということはないと思う…。試したことがないから知らんが…。」
はたまたアルフもさらに困惑する。
「…ではなぜ砦に帰るのですか。」
「好いた者との子が欲しいのであろう?やはり、私との結婚は気の迷いだったのだ。私は身を退くために砦に帰るのだ。」
ぽつぽつとリーゼが説明するが、やはりアルフは訳がわからない。
とはいえ、なにか誤解があるようだと気づき気を落ち着ける。
「リーゼ。落ち着いて聞いてください。あなたが今日聞いたクレドとの話は、全てリーゼのことです。子が欲しいのもあなたとの間にです。」
曲解されないよう言葉を選んだ。
「砦には帰らないでください。ようやくあなたと結婚できるのに、俺を置いていくの…?」
年下という欠点を活かしたこういう聞き方が、強情なリーゼに効果的であることをこの一年ほどでアルフはよくわかっていた。
リーゼはといえば、流れていた涙も引っ込んでしまった。アルフは私と結婚したいらしい。
「なぜ…。」
口を突いて出た疑問にアルフはきちんと答えてくれた。
「あなたを愛しているからに決まってるでしょう。」
あいしている。
アイシテイル。
愛している?
一緒に暮らすようになってからもそんなこと言われたことがなかった。アルフが、私を、愛している?
「え…?」
間抜けなリーゼの表情に焦ったのはアルフだった。
狼族はそもそも、愛してるだなんだとは言わず行動で愛情を表す種族である。リーゼが人族で風習もなにもかも違うということは理解していたが全く実践できていなかったようだ。
「すまないリーゼ。伝わっているものだとばかり…。」
そう言われてもリーゼにも疑問が残る。
「結婚も先延ばしにしていたのに、なぜ子などという話になるのだ…。」
「それは、クレド兄のところに子が生まれるのがうらやましくて…。
でも、子どもはやっぱり結婚してからと思ってて…」
「しかし、留守にしてばかりで帰っても来ない…!」
「それは!成獣したばかりで金だって溜まっていないから…。」
「それでも、村に居る間ぐらい家に帰って来てもいいじゃないか!なにかとクレドの家に泊まって…。」
「それはクレド兄の言いつけだよ…。身重のセリーナさんを独りにしたくないからって…。俺とクレド兄は大抵交代で任務に出るから…。それに、その方が都合がよくて…。」
「…都合だと!?」
納得しかけたリーゼだがアルフの言い草に頭に血が上る。
「私だって!寂しかったのに…!!」
ああ、言ってしまった。決して言うまいと思っていたのに…。
目を見張っていたアルフの顔がだんだんと崩れてやに下がる。美形が台なしだ。
「そう。リーゼ、寂しかったの。」
「リーゼは仕方なく俺のところに来たんだと思ってたけど、もしかして俺愛されてる?」
先ほどまで最初に出会ったころのように、慌てたり、焦ったりしていたアルフはもういなかった。
最近の落ち着きを取り戻し、リーゼを翻弄する雄に戻ってしまった。こうなると弱いのはリーゼである。
もう開き直るしかない。
「そうだ!寂しかったのだ!なのにお前というやつは、家にも戻らず。結婚式の準備もせず!それが愛している者にとる態度か?」
アルフも言われてばかりではない。
「結婚式の準備はちゃんとしているよ。婿が村の神殿に運び入れて花嫁は当日まで見ない習わしなんだけど、説明してなかったみたいだね。ごめん。」
「さっき都合がいいって言ったのはね。リーゼが傍に居ると襲っちゃいそうになるからだよ?」
……初耳な事ばかりだ。
しかし、これには言い返せまい。
「愛してるというならなぜ結婚を遅らせるのだ!」
アルフは答えない。
きょとんとしている。
勝った。もうリーゼは何と戦っているかわからなかったがそう思った。
「狼族の結婚式は夏って決まりだけど?」
ああ、やはり負けた。結局はリーゼの無知だったのだ。物分かりの良いふりをして何も聞かなかったのが悪い。
アルフは一から十まで説明することにした。
狼族の結婚式は夏から秋に行われる。準備が整っていなかった去年は当然行えず、それでもアルフの希望で春の終わりにまではやめていたこと。初夜をとっておく云々はともかく、狼族の発情期は冬でリーゼに悪いと思いながらあれやこれやとしてもらっていたこと。
アルフがまだ若いので発情期が終わってもそういう欲求が残っており、春の間傍にいるのが辛いわ、我慢できない自分が情けないわでクレドの家の家長の留守を守っていたことを聞いた。
また、春の間が忙しくなることはわかっていて、冬に子づくりはしないと決めていたことも聞いた。なんでも、狼族の男は子育てに積極的であり、村の男衆で話合って誰が次の春に村に残るか決めるらしい。妊娠中から次の春まで残りたいがためにきちんと計画的に家族を増やすのだ。ちなみに無計画だとクレドのように身重の妻を残して長期に村を離れるはめになる。
そんなこんなを説明され、終わる頃には勘違いして飛び出した自分が恥ずかしく、リーゼは真っ赤になっていた。
そしてその夜のうちにアルフに抱きかかえられ、痛んでいた膝には氷をまかれ村に帰ったのだった。
薪を取りにいったまま帰って来ないリーゼを心配していたセリーナには少し泣かれてしまったし、妻にストレスをかけたと怒るクレドはアルフに拳骨を見舞っていた。
春の間暗い顔をしていたリーゼを見ていたセリーナはうるんだ瞳でよかったねと言ってくれた。収まるところに収まったのは、誰が見ても明らかだった。
そして夏が近づき、アルフとリーゼは結婚式を挙げた。誰にも声が聞こえないような村の端に新居を構えたアルフは、存分に待ち望んだ初夜を楽しみ、次の春には妻のために村に残ることになった。
これは、不器用な傭兵上がりの妻と、若すぎて強引に進めた挙句いろいろと詰めの甘かった狼族の青年の不器用なすれ違いのお話。
詰めの甘い青年が、妻を不安にさせることなんてないやり手のパパになるのはもう少し先のお話…
アルフが再三そう言うから、渋々受け入れた。なのに、なのに…。
最初にそう言いだしたのは夏の終わりごろだったように思う。
任務の最中に負った傷が思ったよりも深く、酷く、これ以上傭兵を続けることは難しいとボスに告げられた。
治療の度に、医療班の者たちが、労しいというような眼で見てくるのだから薄々気づいてはいた。
アルフとは、傷を負った任務で初めて一緒になった。獣人部隊からの助っ人として来た狼の獣人だった。
獣人は、その獣性により、体が大きく、筋肉も発達しており、傭兵に向く種族が多くみられる。
その中でも、狼は、優れた嗅覚や跳躍力、仲間を大切にする性格から傭兵としては優秀な者が多い。ボスが借りて来た獣人は、アルフを含め三人だった。
助っ人を要請し、イレギュラーなメンバーが入ることはよくあったし、気の合う者もいればいけ好かない者もいた。女傭兵のものめずらしさに、気安く扱う者もいたが、そういう手合いとは深く関わらないことにしていた。
アルフと最初に話したのは何時だっただろう。
任務が始まる前に自己紹介をしたんだったか、最初に砦に来た時に挨拶をしたんだったか。
まあとにかく、運命的な出会いをしたわけではない。
アルフは、自分より若く、まだまだ青い若造だった。なんというか、頼りなげで、すぐ熱くなるかと思えばその獣性を活かし仲間の危機を事も無げに救ってみせる。
よく話したのは、食事時だっただろうか。
傭兵をしているからといって、皆が皆、大食漢というわけではないのに、私のプレートを見ては、
「それでは足りないでしょう。」
と、食事を取りに行こうとする。必要ないと止めるのだが、結局持ってきてしまうので、最後には、食堂にアルフを見つけたときには追加分を見越して少なめにとっていたほどだ。
年下の癖に何を心配していたのだか、今でもわからない。というより、未だに私に嬉々として食事を取り分けるのだ。
まあ、そんなこんなで任務をこなしていき、そして最後の最後でへまをした。そして、私は、傭兵としての道を失ったのだ。
戦争孤児として、村全体で養ってもらい、独り立ちをするからと村に任務で立ち寄ったボスに仕事をもらえるように頼んだ。
小柄だが、脚が早く、状況判断に長けていると言われて、傭兵としての職を得た。
そう長くもなかった傭兵としての半生を終えることとなり、少なからず傷ついていた私に結婚の提案をしたのがアルフだった。
そうは言われても、傭兵仲間だっただけで、恋だの愛だのが間にあったわけではない。
傭兵ができなくなったからといって、男に養われなければ生きていけないわけではない。ましてや年若いアルフに頼る謂れはない。拒んだ。
それでもアルフは退かなかった。
「結婚しましょう。」
「俺の故郷で暮らしましょう。」
「傷が癒えればまた働いてもいい。」
「俺についてきてください。」
まあ、しつこかったのだ。秋になる頃には、アルフの端正な顔も、ピンと立った狼の耳がたまに動くのも、考えておくと言った時に少し揺れる尾も見飽きていて、その提案も悪くないかなと思った。
そして、世話になったボスと部隊に別れを告げ、アルフの故郷であるこの森に来たのだ。
森には、狼獣人をはじめとする獣人が多く暮らしていて、アルフの両親と、兄夫婦も生活していた。
すぐに生活には馴染んだように思う、アルフの両親は優しかったし、そんなに得意でなかった繕い物や料理も獣人ばかりが暮らす村では繊細な仕事だと喜ばれた。
良くも悪くもおおざっぱな者が多く、また、獣人の大きい手指は針仕事には向かないようだった。
秋だった季節は冬になり、村には冬が来た。
結婚するつもりで来た私は、まだ未婚だった。来年の夏まで結婚はしないとアルフが言い出したからだ。
なんとアルフは今年の春の終わりに成獣したばかりだったのだ。そういうことなら身を固めるのに慎重になるのも理解できる。私に異論はなかった。
結婚は先延ばしになったが、村の住宅に二人で居を構えて一緒に暮らした。巷で流行りの同棲というやつだろう。
初夜まで純潔は守るといいながらも、軽い性的な交わりもあった。
二人で暮らし、お互いを知っていった。
アルフのモフモフとした尻尾のさわり心地は最高だったし、私が作った食事を絶賛する姿はなかなか心に響くものがあった。傭兵でない自分にも価値があるのではないかと思わせてくれたのはアルフとの何気ない日々だった。
そして春が来て、アルフは…。アルフは帰って来なくなった。
傭兵の任務で何週も留守にすることが増え、帰って来ても何かと理由をつけて兄夫婦の家に泊まろうとする。
結婚式の準備も何も進んでいない。
やはりこんな年増と結婚するのは嫌になったのだろうか。傭兵上がりで傷も目立つ。感情を表に出すのも不得手で可愛げがないとボスにもよく言われた。
そんなことを鬱々と考えながら、頼まれた針仕事をしていると村の鐘が三度鳴った。
三度の鐘は帰還の合図だ。外に働きに出ていたものが帰ってきたのだろう。
アルフが任務に出たのは5日程前だ。戻って来ているかもしれない。でも、兄夫婦のところに泊まりに行くのだろう。そう思い至ると、胸の奥がすーっと冷えた。
針を持ったままぼーっとしていると玄関の引き戸が開く音がして、顔を挙げた。
「ただいま。リーゼ。」
アルフだ。いつになくにこやかな顔をしている。
「あ、ああ。おかえり。」
無事でよかった。言う気はなかったが口を突いて出た言葉にアルフは目を見張って、そうですね。と答えた。
よく見れば毛並みは少しパサついているし、頬には泥汚れがついている。湯の準備をするからと立ち上がれば、荷を下ろしていたアルフが一緒に入りますか等と戯言を言い出す。
本当に機嫌がよさそうだと思いつつ、受け流せば少し耳が横に倒れたのが見えた。
この感じなら結婚についてきちんと話せるかもしれない。するにせよしないにせよ早くはっきりさせてしまいたかった。
そう思っていたのに、湯を使ったアルフは報告があるからと出かけて行き、夜は遅くなるから寝ていてくれと言われた。
久しぶりに会うことをうれしく思った自分が情けなくて、分かったとしか返せなかった。
男たちが留守にするからと、アルフの兄であるクレドの奥方のサリーナが夕食に誘ってくれた。アルフが留守にするときには、気を遣ってよく声をかけてくれる。サリーナは、クレドの子を宿してしばらく経っていた。訪ねる度にお腹が大きくなっているように感じる。
「ごめんなさいねー。誘ったくせにいろいろ任せちゃって。」
パタパタと夕餉の支度を手伝っていれば、そんな風に気を遣ってくれるセリーナのことを好ましく思っている。兎獣人特有のふわふわとした髪は女性らしく可愛いと思う。
アルフもこういう女性のほうが良いのではないだろうか…。
もやもやとした思いを断ち切るために、竈の薪の補充をかってでる。
家の裏手に出るためいくつかの隣家を通りすぎればふとアルフの声がした。
「はやく子どもが欲しいんだ。」
心臓が止まるかと思った。
「あんなに素晴らしい女性は他にいない。
相手は誰でもいいなんて言っていた頃の自分を殴りたいよ。」
朗らかな声で、兄のクレドに言い募るアレフの顔を覗き見れば、この上ないほど幸せそうだった。こんな顔は見たことがない。
ああそうか。今回の任務でアルフは運命の女性に出会ったのだ。そう考えると腑に落ちた。結婚を先延ばしにしている女との子が欲しいなどとあれほどまでに幸せそうに言う者がいるだろうか。
この生活が終わる。
そう思うと辺りの地面がへどろになったかのようにぐらぐらと揺らいで自分を飲み込んでいく心地がした。
そこから、どこをどう歩いたのか。気づけば少ない荷をまとめ、村を出ていた。ボスに会えばまた雇ってくれるだろうか。傭兵はできなくとも砦の掃除ぐらいならできるだろう。
村に来たばかりの頃の幸せな日々が次々に思い出されて、目の前が滲む。
アルフの敬語が少しずつ減って来るにしたがって、距離が縮まったように感じた。
初めて隣で眠った日は、何もしないからと尻尾であやすように撫でられた。緊張してまともに顔も見られず背を向けたのに、後ろから抱きしめられ、揺れる尾の重みに気を取られていればいつの間にか眠っていた。
寝起きが悪くいつも少し不機嫌そうなアルフが年相応に見えて可愛かった。
若造だと思っていたのに段々と落ち着いた大人の男に近づいていくアルフを隣で見ていた。
そうだ、アルフを愛していたのだ。
愛している。
だからこそ、他の女性を愛してしまったアルフを傍で見ていることなどできはしない。
怪我をしてからもう一年近く経つ。傷はいえていたはずなのに、村を出てから歩き通しでじくじくと膝が痛み出した。
膝が痛むと思えば、この胸の痛みが気にならないような気がして歩き続けた。それでも隣の村に着く頃には限界が来て、宿を取ることにした。
日が暮れてからだいぶ経っていだが、賑わう食堂の上の部屋を借りることができた。
汗を流し、砦までの行き方を考えていた。
私には、アルフを失った今、砦以外に帰る場所がなかった。
膝を冷やさなければ明日歩けないことに気づいて、ベッドから上体を起こしたが、またパタリと倒れ込んだ。気力が尽きかけていた。
ぼんやりと窓の外を見つめれば頬を涙が伝うのがわかった。
ああ、今度こそ私は無価値になったのだ。
「リーゼ…!!!」
ドタドタと宿の階段を登る音がしたかと思うと部屋のドアがけ破られた。壊れたドアノブが鈍い音を立てて転がる。
「アルフ…。」
それ以上言葉は出なかった。
ずんずんと近づいてくるアルフに手を引かれ起こされたかと思えば胸に抱きすくめられていた。
「――――よかったっ!!無事で!。」
何故こんなところへ一人で来たのか。足を痛めてはいないか。次々と矢継ぎ早に問いかけられるがぎゅうぎゅうと抱きしめられれば答えることもできない。
リーゼが回した手で背を叩けばようやくそのことに思い至ったようで腕が緩んだ。
「…砦に帰ることにした。」
ひゅっと息をのむ音がして再び腕の中へ戻される。
「どうして!!!行かせない!」
落ち着いてきた最近では聞くことのなかったアルフの上ずった情けないような声がリーゼを引き留める。
「子を持ちたいと…。聞いたのだ。クレドと話しているのを…。」
アルフはよく聞こうとリーゼを抱きしめるのをやめ、真剣に目を見つめていたが…、どうもよくわからない。つまりどういうことなのだ…?
「たしかに子どもは欲しいけど…。」
「だから身を引こうかと!!」
リーゼが言い募れば、アルフは顔色を変えた。
「もしかして、リーゼさん子どもができなかったりします?それなら俺めちゃくちゃ木津づけてしまったんじゃ!?そんな、それならそれで俺は!二人で暮らせればそれで!!」
アルフの剣幕に押されていたリーゼも困惑する。なぜ、私の話をしているのだ?
「いや、私は子ができないということはないと思う…。試したことがないから知らんが…。」
はたまたアルフもさらに困惑する。
「…ではなぜ砦に帰るのですか。」
「好いた者との子が欲しいのであろう?やはり、私との結婚は気の迷いだったのだ。私は身を退くために砦に帰るのだ。」
ぽつぽつとリーゼが説明するが、やはりアルフは訳がわからない。
とはいえ、なにか誤解があるようだと気づき気を落ち着ける。
「リーゼ。落ち着いて聞いてください。あなたが今日聞いたクレドとの話は、全てリーゼのことです。子が欲しいのもあなたとの間にです。」
曲解されないよう言葉を選んだ。
「砦には帰らないでください。ようやくあなたと結婚できるのに、俺を置いていくの…?」
年下という欠点を活かしたこういう聞き方が、強情なリーゼに効果的であることをこの一年ほどでアルフはよくわかっていた。
リーゼはといえば、流れていた涙も引っ込んでしまった。アルフは私と結婚したいらしい。
「なぜ…。」
口を突いて出た疑問にアルフはきちんと答えてくれた。
「あなたを愛しているからに決まってるでしょう。」
あいしている。
アイシテイル。
愛している?
一緒に暮らすようになってからもそんなこと言われたことがなかった。アルフが、私を、愛している?
「え…?」
間抜けなリーゼの表情に焦ったのはアルフだった。
狼族はそもそも、愛してるだなんだとは言わず行動で愛情を表す種族である。リーゼが人族で風習もなにもかも違うということは理解していたが全く実践できていなかったようだ。
「すまないリーゼ。伝わっているものだとばかり…。」
そう言われてもリーゼにも疑問が残る。
「結婚も先延ばしにしていたのに、なぜ子などという話になるのだ…。」
「それは、クレド兄のところに子が生まれるのがうらやましくて…。
でも、子どもはやっぱり結婚してからと思ってて…」
「しかし、留守にしてばかりで帰っても来ない…!」
「それは!成獣したばかりで金だって溜まっていないから…。」
「それでも、村に居る間ぐらい家に帰って来てもいいじゃないか!なにかとクレドの家に泊まって…。」
「それはクレド兄の言いつけだよ…。身重のセリーナさんを独りにしたくないからって…。俺とクレド兄は大抵交代で任務に出るから…。それに、その方が都合がよくて…。」
「…都合だと!?」
納得しかけたリーゼだがアルフの言い草に頭に血が上る。
「私だって!寂しかったのに…!!」
ああ、言ってしまった。決して言うまいと思っていたのに…。
目を見張っていたアルフの顔がだんだんと崩れてやに下がる。美形が台なしだ。
「そう。リーゼ、寂しかったの。」
「リーゼは仕方なく俺のところに来たんだと思ってたけど、もしかして俺愛されてる?」
先ほどまで最初に出会ったころのように、慌てたり、焦ったりしていたアルフはもういなかった。
最近の落ち着きを取り戻し、リーゼを翻弄する雄に戻ってしまった。こうなると弱いのはリーゼである。
もう開き直るしかない。
「そうだ!寂しかったのだ!なのにお前というやつは、家にも戻らず。結婚式の準備もせず!それが愛している者にとる態度か?」
アルフも言われてばかりではない。
「結婚式の準備はちゃんとしているよ。婿が村の神殿に運び入れて花嫁は当日まで見ない習わしなんだけど、説明してなかったみたいだね。ごめん。」
「さっき都合がいいって言ったのはね。リーゼが傍に居ると襲っちゃいそうになるからだよ?」
……初耳な事ばかりだ。
しかし、これには言い返せまい。
「愛してるというならなぜ結婚を遅らせるのだ!」
アルフは答えない。
きょとんとしている。
勝った。もうリーゼは何と戦っているかわからなかったがそう思った。
「狼族の結婚式は夏って決まりだけど?」
ああ、やはり負けた。結局はリーゼの無知だったのだ。物分かりの良いふりをして何も聞かなかったのが悪い。
アルフは一から十まで説明することにした。
狼族の結婚式は夏から秋に行われる。準備が整っていなかった去年は当然行えず、それでもアルフの希望で春の終わりにまではやめていたこと。初夜をとっておく云々はともかく、狼族の発情期は冬でリーゼに悪いと思いながらあれやこれやとしてもらっていたこと。
アルフがまだ若いので発情期が終わってもそういう欲求が残っており、春の間傍にいるのが辛いわ、我慢できない自分が情けないわでクレドの家の家長の留守を守っていたことを聞いた。
また、春の間が忙しくなることはわかっていて、冬に子づくりはしないと決めていたことも聞いた。なんでも、狼族の男は子育てに積極的であり、村の男衆で話合って誰が次の春に村に残るか決めるらしい。妊娠中から次の春まで残りたいがためにきちんと計画的に家族を増やすのだ。ちなみに無計画だとクレドのように身重の妻を残して長期に村を離れるはめになる。
そんなこんなを説明され、終わる頃には勘違いして飛び出した自分が恥ずかしく、リーゼは真っ赤になっていた。
そしてその夜のうちにアルフに抱きかかえられ、痛んでいた膝には氷をまかれ村に帰ったのだった。
薪を取りにいったまま帰って来ないリーゼを心配していたセリーナには少し泣かれてしまったし、妻にストレスをかけたと怒るクレドはアルフに拳骨を見舞っていた。
春の間暗い顔をしていたリーゼを見ていたセリーナはうるんだ瞳でよかったねと言ってくれた。収まるところに収まったのは、誰が見ても明らかだった。
そして夏が近づき、アルフとリーゼは結婚式を挙げた。誰にも声が聞こえないような村の端に新居を構えたアルフは、存分に待ち望んだ初夜を楽しみ、次の春には妻のために村に残ることになった。
これは、不器用な傭兵上がりの妻と、若すぎて強引に進めた挙句いろいろと詰めの甘かった狼族の青年の不器用なすれ違いのお話。
詰めの甘い青年が、妻を不安にさせることなんてないやり手のパパになるのはもう少し先のお話…
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