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第1章 ヴァルト・クライン

第十話 騎士の罪

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 降誕祭から早数日。
 軽い魔物の襲撃があったぐらいで、平和な日々を過ごしていた。

 あれから、俺とマリナの関係は少しぎこちない。
 毎朝のトレーニング後の一服の時、マリナは俺から距離を取る。
 俺がスッと近寄れば、マリナはスッと離れる。
 それが少し面白くて、揶揄うつもりで何度も試したら思いっきりビンタされた。
 グーじゃないだけ優しい。

 仕事のことで話しかけると、マリナは普通に返答してくれる。
 だけどそれ以外の事だと早々と会話を切り、スタコラと去って行く。
 俺を嫌っているワケではないよだから、それが救いだ。
 まぁ、俺もずっとマリナに張り付くわけじゃないし、そもそも俺達は普通の人と違い難しい立場だ。俺もこの想いを打ち明けるつもりは、まだない。それが許される時が来たら、考える。

 だけど――。

「ちょっと寂しいよなぁ……」

 俺は巡回をしながら、最近マリナとあまり会話できていないことを嘆く。
 まさかマリナがこんな感じになるなんて思ってもみなかったのだ。
 マリナのことだ、きっと大人の余裕な感じで揶揄ってくると思っていた。
 実際はその逆で、どうもマリナはこう言うのに耐性が無いらしい。
 それもまた可愛い一面であり、新鮮味があって良いのだが。

「……ん?」

 その時、俺の内に眠る魔力が何かに反応した。
 今までこんな反応は無かった。

 いや――一つだけある。

「――――魔物!?」

 それが分かった時、屋敷から爆発が起こった。






 爆発が起こる少し前――。

「はぁ……」

「あら、珍しい……マリナが溜息だなんて」

「ぁ、失礼しました……」

 しまった、無意識に溜息が出てしまった。
 私はお嬢様の公務のお手伝いをしていた。
 お嬢様の公務は基本的に役人から送られてくる書類整理や、相談事の回答等。
 私はお嬢様が筆を走らせた書類を纏め、返送の用意をしている。
 その最中に私は溜息を吐いてしまったようだ。
 お嬢様は公務と手を止め、私を見つめてくる。

「少し休憩しましょう」

「かしこまりました。では御茶を……」

「いえ、それよりもお話をしましょう」

「……」

 お嬢様は溜息の原因を聞き出すおつもりなのでしょう。

 くっ、このマリナ、何たる不覚。お嬢様にそんな隙を見せるだなんて。

「ズバリ、当ててあげましょう――ヴァルトね」

 ビクッ――。

「ふふっ、やっぱり。降誕祭からよね? ヴァルトが何かしたのかしら?」

 お嬢様がこうなったら決してかわせない。
 此処はもう素直に言うしかないようだ。

「した……と言えば、しました」

「まさか、キス!?」

「違います!」

 ダンッ!

 私は思わずデスクを叩いて立ち上がってしまう。

 ハッ、いけない。お嬢様に対して何と言うことを。落ち着きなさい、マリナ。貴女はクールで完璧なメイドよ。あんな軽薄男なんかに揺さぶられてたまるものですか。

「じゃあ、なに? 言ってみて」

「……ダンスを、しました」

「それって、降誕祭の?」

「いえ……降誕祭が終わった後に……その、屋敷の裏で……」

「……? 二人だけでダンスをしたってこと?」

「はい……」

「……え? それだけ?」

 お嬢様は首を傾げる。少し呆れも入っている。
 確かに、ただ二人でダンスをしただけではお嬢様の反応が正しいだろう。

 けれど、あの状況で、あ、あ、あんな事を言われたら、誰だって変な意識を持ってしまう。

『――お前を独り占めしたい』

「――ッ!?」


 思い出したらまた動揺が激しくなってきた。
 アレは一体どう意味なのだろうか。そのままの意味なのか、それとも何かの比喩なのか。
 私は一度だけそれとなくヴァルトに訊いてみた。
 だがこともあろうか、奴は「え、何か言ったっけ?」と誤魔化しやがった。
 無意識で出た言葉なのか、それとも詮索されたくないことなのか分からないが、だが確かに奴は私の耳元でそう囁いたのだ。

「くっ……!」

 ダンッ。

 仮に、仮定として、あの言葉の意味がそのままの通りで、あのダンスの状況を鑑みてだ。つまりそう言う意味なのだとしたら、私達はそんな事は許されない立場だ。
 私達の手は血で汚れている。大罪人、咎を受けるような存在だ。そんな存在が、人並みの幸せを求めてはいけないだろう。

 いや待て、何で奴とそういうことになるのが幸せなんだ? どうしてそうなる?

「くぁ……!」

 ダンッ。

 くそっ! どうして私がこんなにも悩まなければならないんだ!? 元はと言えば全部ヴァルトの所為だ! ヴァルトが悪い! 私にあんな変な真似をしてきたアイツが悪い! だいたいどうして私なんだ? こんなメイドの部分を取り除けば乱暴でガサツで男勝りですぐ殺すとか言う女なんだぞ? 煙草だって吸う! あ、でもヴァルトも吸うし別に良いのか。

「って、良くない!」

 ダンッ!

「マリナ、落ち着いて。さっきから百面相しながらデスクを何度も叩いてるわよ」

「あっ、し、失礼致しました!」

「いいのいいの。まさかマリナのこんな姿が見られるなんて、ヴァルトには感謝かな」

「や、止めてください。あんな奴……」

「……ほんと、何があったの? ただダンスしただけじゃ、ないのよね?」

「……実は――」

 私はあの晩、何があったのかをお嬢様に包み隠さずお伝えした。
 するとお嬢様は目を輝かせて驚きに満ちた表情を浮かべる。

「え、それって……もはや告白じゃない……!」

「ち、違います。そのようなものではありません」

「でもダンスの最中に抱き締められながら、独り占めしたいって言われたんでしょう? それって、つまりそういうことでしょう?」

「っ……やはり、そう……なのでしょうか?」

「……嬉しくないの?」

「……」

 嬉しいか嬉しくないか、そう尋ねられたら困る。
 今までの人生でこんなことはただの一度も無かった。
 私の人生はいつも血に塗れていた。

 いや、違う……。
 血に塗れる前があった。
 まだ私がただの少女だった頃が、確かに存在していた。
 だけど、とある事件が切っ掛けで、私の人生は狂う。
 ただ一人の『姉』を殺され、復讐の為に技を磨いて血塗れになった。
 結局、復讐は果たせず、ボスに拾われて今に至る。
 そんな私が……誰かに求められることなんてなかった。
 どうしたらいいのか、分からない。
 エードリアン執事長にも、それは叩き込まれていない。

「……分かりません」

「……そう。じゃあ、一つ一つ確かめていきましょう。ヴァルトと一緒にいて、心がほっとしたりしない?」

「ほっと……? まぁ……落ち着く事はあります」

「楽しかったりする?」

「楽しい……? どうでしょう……気が楽ではあります」

「じゃあ……近くに寄ったり、くっ付いたりしたら、ドキドキする?」

「……」

 ヴァルトが近くに? くっ付く?

 私はその状況を想像した。ヴァルトが隣に立つ様を、あの晩のように私に触れる様を。それらを想像した途端、私の鼓動は早くなり、顔が熱くなる。
 思わず私は両手で顔を覆ってしまう。顔がもの凄く熱い。火傷しそうだ。

「どう?」

「……はい、します」

「マリナ……もう答えは出てるじゃない。ヴァルトの事が――」

「お嬢様、それ以上はいけません」

 いけない、お嬢様。それ以上は駄目。私は血に汚れた罪人。こうやってお嬢様にお仕えできることだけでも、本来ならば有り得ないこと。そんな私が誰かを……。それだけは許されない。私自身がそれをまだ許せない。

「お嬢様、私は――」

 瞬間、私の第六感が危険を察知する。
 窓の外にナニかがいる。

「お嬢様!!」

 私はお嬢様に跳び付き、私の身体を盾にする。
 直後、部屋に爆発の衝撃が襲い掛かる。
 爆風に見舞われる前に、私は鋼糸を束ねて壁を作り、お嬢様を爆風から守る。
 部屋は瓦礫の山となるが、お嬢様に怪我は何一つ無い。
 けれど、お嬢様は驚きと恐怖に顔を歪めている。
 お嬢様をこんな目に遭わせる不届き者は誰だ。

「な、なに……!? いったい何が起きたの……!?」

「お嬢様! お下がりください!」

 お嬢様に私達守護者の事が知られてしまうが、今はそんなことを気にしていられない。
 お嬢様をお守りすべく、私は両手に鋼糸を出す
 窓があった場所には、黒ずくめの男が立っていた。






 屋敷の外――。

 俺は爆発が発生した場所へと大急ぎで向かう。
 まさか、魔物が昼間に行動を起こすなんて、今の今まで一度も無かった。昼間は魔力の活動が低下する。だから魔物は昼間は魔界から出ずに、魔力が活性化する夜に行動を開始する。
 先程の感じと言い、この爆発の直前に感じた魔力と言い、これは明らかに魔物の仕業だ。

 拙い……爆発が起きた場所はお嬢の執務室付近だ。マリナもいたはずだが、急いで向かわなければ。

 俺がその場に辿り着いた時、その場で目にした光景は、久しく忘れていた俺の怒りを思い出させるものだった。

 空中で黒ずくめの男が、マリナの首を片手で締め上げていた――。

 ドクンッ――。

 俺の魔力が、怒りで目覚める。

「キサマァァアッ!!」

 初めてだろう、予備動作無しで魔剣を発動したのは。
 蒼い魔力が迸り、魔剣を鞘から引き抜く。
 そして大地を蹴って跳び上がり、黒ずくめの男に向かって魔剣を振り下ろした。
 男はマリナを離し、俺の魔剣を避ける。
 離されたマリナを掴み、抱きかかえて壁が無くなった執務室に着地する。
 中は爆発で瓦礫同然になっており、そこにはお嬢が怯えながら隠れていた。

「ヴァ、ヴァルト!」

「っ、お嬢! 怪我は!?」

「ま、マリナが守って、ま、マリナは!?」

「ぅくっ……!?」

 マリナは生きていた。身体が痛むのか呻きながらも意識はしっかりしている。
 俺はマリナを寝かせ、二人を守るようにして背を向ける。
 眼前では、黒ずくめの男が宙に佇んで俺を見下ろしていた。

「テメェ……何者だ!?」

「嗚呼……嗚呼……嗚呼! やっと! やっとこの時が来た!」

 男は突然、喜ぶように叫び始めた。
 俺はそれを見て悍ましさを感じた。奴から感じるのは狂気に殺意、そして憎悪だった。
 男は灰色の髪を掻き毟り、赤い瞳を爛々と輝かせる。いきなり笑い始めたかと思いきや、スッと落ち着き、礼儀正しくお辞儀をする。

「お初にお目に掛かります、マーヴェリック家のご令嬢。私はファルシ。復讐に燃ゆる“悪魔”でございます」

「あく、ま……? 何を言って……?」

 俺はこの場からお嬢とマリナを逃がす算段を考える。
 奴が本当に悪魔なら、その実力は爺さんと同等かもしれない。悪魔は魔界に住まう上位種。魔物の上位種よりも更に上の存在。こうして対峙できているのは、奴がその気になっていないからかもしれない。

 ファルシと名乗った悪魔は、ニッコリとお嬢を見る。
 お嬢は怯えきった表情でマリナに縋り付く。

「マリナ……マリナ! さっさと起きろ! 起きてお嬢を此処から連れ出せ!」

「くっ……わか……ってる……!」

 マリナは何とか身体を起こし、お嬢の腕を引っ張ってこの場から移動しようとする。
 しかし、ファルシがそれを許さなかった。

「おっと、それはいけませんねぇ。私の目的の一つは、ご令嬢なのですから」

 パチン、とファルシが指を鳴らすと、執務室の出口が蒼い結界で塞がれる。

 野郎……今の一瞬で魔法を発動しやがった……!? クラウディアよりも魔法は上か!

 ファルシはケラケラと笑うと、スッと真顔になり、俺を睨み付ける。

「さて……久しぶりだな、“ジルフ・シュタイン”。私を覚えているか?」

「――――」

 俺は我が耳を疑った。

 ファルシが口にした名前は、嘗て傭兵だった男の名。その傭兵は金さえ支払えば何でもやったクズ野郎。老若男女構わず殺し、どこかでは戦争を引き起こす悪党、どこかでは戦争を終わらせる英雄。その最期は、雇い主に危険視され裏切られるという哀れな男。

「お前は覚えていないかもしれないが、私は覚えている。何せ、お前は私の目の前で、私の家族を殺したのだから」

「……なに……を……?」

「ああ……そうか、あの時の私は“人間”だったからな。分からなくて当然か。だが流石にこれは覚えているだろう? ちょうど10年前だ。10年前の“ガリア”での出来事」

 俺は息を呑んだ。

 そんな……まさか……まさか……うそだ……あの島の人間は……。

「ガリア……? それって……ガリア王国のこと?」

「そうです! ご令嬢! 10年前、一夜にして海の底に沈み、滅んでしまった王国ですよ!」

 ガリア王国。西に位置する小さな島国だった。貴重な資源であるレアメタルを大量に発掘できる多くの鉱山を有しており、それにより発展した国だった。
 当時、小さな戦争が彼方此方で起きていたのだが、レアメタルを欲した国々が王国に戦争をチラつかせて揺さ振りを掛けていた。平和をこよなく愛する王国は戦争を拒絶し、どの国にも加担しない姿勢を取っていた。
 しかしそれも時間の問題で、ガリア王国を巡って大きな戦争が起ころうとしていた。
 その直前、ガリア王国の鉱山全てが噴火を起こし、地殻変動で海に沈んでしまう。その際、全ての国民が犠牲になったのだ。

「表向き、ガリア王国は鉱山の噴火で海に沈んだとされていますが、実は違う! 鉱山が噴火する前に、国民は一人残らず金で雇われた傭兵の手によって殺されていたのですよ!」

「な、何を言ってるの……!?」

「おっと失礼、一人残らずではありませんでしたね。あの日、実は生き延びた人間がいたんですねぇ。その人間は愛する家族を殺した傭兵に復讐を誓い、悪魔となってその復讐を果たそうとしているのですから。そう! 今! まさに! 此処で! “お前”を見つけたァ!!」

 ファルシは憎しみの形相で俺を睨み付け、指を指した。

 俺は立っている場所が崩れ落ちたかのような感覚に見舞われる。視界がグラつく。呼吸も乱れる。身体が震える。汗が止めどなく流れる。

 そう、奴の言っていることは合っている。
 その傭兵はガリア王国のレアメタルを手に入れるべく王国に潜入し、王族を捕らえて脅迫するつもりだった。
 だが傭兵は何をとち狂ったのか、国民全員を斬り殺し、王族も殺し、戦争の要因となるレアメタルを起爆剤にして大噴火を発生させ、地殻変動を起こして海に沈ませた。
 世間では、突然の大噴火により島が沈んだとされているが、これが真実だ。
 どうしてその真実を俺が知っているのか。




 だって――――――その傭兵ってのが、“俺”だからだ。

「10年……長いようで短いその年月。私は悪魔となってこの日を望んでいたんだ……! お前をどう殺してやろうかぁ!?」

「っ、マリナ!! お嬢をまも――――」

 ザシュッ――――。

「――――え」

 俺の首が斬り裂かれた。

 血が噴き出る。

 ファルシはその場から一歩も動いていない。
 それどころか攻撃もしておらず、奴自身も驚いていた。

 俺は後ろを見た。

 マリナが、手を振り抜いていた。

 手から伸びる鋼糸には、俺の赤い血が付着していた。

 ファルシと同じ、憎しみが込められた金色の瞳で俺を睨んでいた。

「お前が……お前が……お前が姉さんを殺したのかァ!!」

 嗚呼……ジルフ・シュタインよ……お前はどれだけの罪を犯してたんだ……。

 俺の意識はそこで途切れた。




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