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第1章 ヴァルト・クライン

第七話 エードリアンの報告

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 私はエードリアン・エドマンズ。
 マーヴェリック家に代々お仕えする一族の末裔。
 普段はご当主様のお側で執事として動いているが、定期的にこのマーヴェリック邸に戻り、お嬢様のお世話と守護者達の統括を行っている。

 今日はご当主様への報告書作成のついでに、記録を付けることにした。

 私がマーヴェリック邸に戻る数日前、C級クラスの魔物が二体、敷地内に侵入。
 これをヴァルト、マリナの両名が撃退。
 ただし、ヴァルトの怠慢は目に余る。
 実力は申し分ないが、彼奴の性格には難がありすぎる。
 何故、ご当主様はあんな小童を選び、『力』を授けたのだろうか。
 ともあれ、撃退は問題無く完了した。

 次に魔物が現れたのは私が屋敷に戻る前日。
 B級クラスの魔物が一体現れ、これをヴァルト、マリナの両名が撃退。
 そして昨晩、我々に感知されず侵入した魔物により、当家の庭師ラドルフに取り憑いた。

 本来、魂に取り憑いた魔物を取り除くには、取り憑かれた人間を殺すしかない。
 だが、ヴァルトの『力』によりラドルフを殺すことなく、魔物の斬り離しを遂げた。
 ヴァルトの『力』は、退魔に秀でたものであり、確かに我々マーヴェリック家の切り札だ。

 しかし、その退魔の力は同時にヴァルトにとって諸刃の剣である。
 人間の身でありながら魔力を使用することは、己の身体に猛毒を流すことと同意義。
 加えて、『退魔』という点もヴァルトを苦しめている。

 ヴァルト、マリナ、アルベール、ラドルフの四名の身体は、完全な人間のソレではない。彼らは一度生死の境を彷徨い、ご当主様の『力』によって肉体を改造されている。謂わば、『人造悪魔』と言った所だ。

 『魔物』とは違う『悪魔』と呼ばれる魔界の上位種。
 ご当主様は『力』によって『悪魔』を人為的に造り出した。それが彼ら守護者だ。
 つまり、彼らは人間であって人間ではない。少なくとも、身体の半分は悪魔であるのだ。

 此処で話は戻り、ヴァルトの退魔の力についてだ。
 退魔の力は悪魔にも通用する。即ち、悪魔の身体を持つヴァルトにもその力は牙を剥く。
 退魔の力はマーヴェリック家にとって切り札、ヴァルトにとっては猛毒なのだ。

 何故、ヴァルトに退魔の力が発現したのかは不明だ。
 しかし、ご当主様は手に入れたのだ。
 お嬢様を救い出す、唯一と言って良い切り札を。

 さて、ラドルフに取り憑いた魔物だが、何と会話ができる知能を持っていた。
 私が奴の息の根を完全に止める直前、その魔物は私に向かってこう言った。

 ――魔界の王が、産まれるぞ。

 その言葉は、これからの戦いがより熾烈になっていくことを示していた。
 お嬢様の魔力は魔界の住人にとって力を高める最高の素材。
 何としてでもお嬢様をお守りしなければ。



 さて、近況の纏めは此処までにして、最近の屋敷内の雰囲気について語ろう。

 ヴァルトが来る前の当家には、今のような柔らかい雰囲気は無かった。
 あのお嬢様も、今のようにあまり笑顔をお見せにならなかった。
 唯一の肉親である父君の長期の不在、魔力による虚弱体質、魔力を狙って命を狙われる日々。
 精神的苦痛は想像を絶するものであろう。いつも暗い影をどこかに纏っていた。
 だが、ヴァルトが此処に来てからというもの、マーヴェリック邸に明かりが差した。
 ヴァルトの陽気な面、と言った所だろうか。私やマリナを畏れず、いつも巫山戯た言動を取る。その騒動が屋敷中に広まり、屋敷内の雰囲気は柔らかくなる。
 無論、ヴァルトは越えてはならない一線を決して越えない。それがまた憎たらしいが。

 そして、セラお嬢様との関係も良好だ。
 ヴァルトはお嬢様を敬ってはいるが、仲の良い兄妹のような関係に落ち着いている。
 お嬢様も、ヴァルトのように気さくな態度で接することを嬉しく思っている。
 あの砕けた態度、しかし騎士として守るべき規律は守るヴァルトに、お嬢様は心も救われているのだろう。

 不本意だが、本当に不本意だが、ヴァルトには感謝している。
 私のような『悪魔』では、お嬢様の身を守れても心はどうすることもできなかった。

 ラドルフも小童によって心を救われているだろう。
 あの小童から友達という言葉を聞いた際には、我が耳を疑ったものだ。
 クラウディアも……いや、クラウディアは違うか。
 彼女の事を話すのならば、ただ節度を守ってくれとしか言いようがない。
 私に男女の色香を訊かれても困る。
 アルベールは何も変わらない。

 それから、彼女が一番変わっただろう。
 マリナ・フェリス。当家のメイド長で、私を除けば一番長くご当主様にお仕えしている。
 最初の彼女の印象は、正しく抜き身の刃物そのもの。
 お嬢様と会わせる前に私が徹底的に教育しなければ、彼女の素行をお嬢様に晒してしまうところだった。
 今でこそ、お嬢様の前だけでなく、我々の前でも完璧なメイドを演じているが、昔はそうもいかなかった。お嬢様の前からいなくなると、すぐに本性を漏らしてしまう。
 彼女も、ヴァルトが来る前はどこか常に張り詰めた空気を纏っていた。
 誰にも心を開かないと言うべきか、誰にも自分を晒さず、一歩も二歩も後ろに下がったところで殻を被っていた。
 だがヴァルトが来てから、彼の気に当てられたのか、彼の前だけではその殻を脱いでいるように思える。
 ありのままの自分を表に出せることでストレスが解消されているのか、マリナの気力は以前よりも満ち満ちている。

 本人は気付いていないだろうがな。
 それに最近では、ほぼ毎日と言って良いほど、ヴァルトと煙草を嗜んでいるようではないか。
 以前は指定の場所で居合わせるだけだったが、最近ではマリナからも催促する様子を見せる。
 まさかとは思うが、彼女はヴァルトに対して特別な感情を抱いているのだろうか。

 いや、それは無いだろう。
 仮にそうだったとしても、マリナはそれを否定し捨て去るだろう。
 彼女は過去の己の業により、人並みの幸せを避けている節がある。
 己が幸せになることを許さない、許せないのだろう。
 そしてそれは、マリナだけではない。
 ヴァルトも、己が幸せになることを望んではいないのだろう。
 だからこそ、切り札になったとも言える。
 人間とは難儀なものだ。悪魔のように力だけを求め、力ある者に従う単純明快さが無い。
 だからこそ、人間には興味がそそられるのだがね。



 さて、最後にお嬢様の状態について書き記そう。
 お嬢様は人間に身でありながら、生まれながらにして魔力を保有している。その量は膨大であり、よくぞ人間のまま生存されている。
 通常、魔力は人間にとって劇薬に等しい。お嬢様が持つ魔力の量は、魔王クラスに近い。
 その魔力をお嬢様は自覚していない。仮に自覚したとしても人間故に扱うことは叶わない。魔力を体内に保有しているだけの稀有な存在だ。
 ただ、魔力を保有していることが原因か虚弱体質になってしまっている。魔力の効力によって、ウィルスによる病はすぐに治癒されるが、極端に体力が無い。長時間歩くこともできず、また食も細い。偏頭痛や貧血などもすぐに引き起こしてしまう。

 そして、これが一番の問題でもあるのだが、魔力はお嬢様の寿命を確実に縮め続けている。
 お嬢様は現在16歳、このままでは20歳の成人を迎えることなく、寿命が尽きてしまうだろう。
 加えて、お嬢様の魔力は魔物や悪魔に驚異的な力を授けることが分かっている。

 それこそ、魔界の王に至れる程の力を、だ。

 だから魔物らはお嬢様を狙う。お嬢様を喰らい、魔力を手に入れ、魔界の王に成ろうとしているのだ。
 夜に魔物が襲ってくるのは、魔物の魔力が強くなるのが夜だからだ。
 そして、お嬢様は夜になると強制的に眠るようになっている。それはご当主様がお嬢様に施した魔法的な呪いである。
 お嬢様が眠りに着くことで、夜になると強くなる魔力を鎮静化させているのだ。だから、朝が来るまで何をしても決して目覚めることはない。我々が毎晩、魔物と戦っていることは知る由も無い。

 ここで話は戻るが、ラドルフに取り憑いた魔物が吐いた言葉。
 魔界の王が生まれると言うのは、一種の宣戦布告。
 これからは上位種である魔物や悪魔もお嬢様を狙いに来ると言うことだ。
 お嬢様を守る為には、切り札であるヴァルトに更なる強さを持ってもらわなければならない。

 しかし、守るだけでは駄目なのだ。
 いずれはこの問題を解決しなければならない。
 その為に、ご当主様は世界中を駆け回っている。
 この問題を、お嬢様をお救いする為の方法を探しているのだ。
 私が持つ全ての知識を持ってしても、それを見つけるのは難しい。
 それでも、見つけなければならない。
 それが私とご当主様の『契約』なのだから。

 コンコンッ――。

「入れ」

「失礼します」

「……」

 私の執務室の扉をノックし、入ってきたのはマリナとヴァルトだ。
 私は日誌を書いている手を止め、前に立つ二人に視線を送る。

「マリナ、小童。私は明日からまたこの屋敷を空ける。今回は定期的に戻れるか怪しい」

「かしこまりました。お嬢様の護衛はお任せ下さい」

「……」

「小童よ、念の為に言っておくが……」

「分かってる、分かってるよ! だからそんな殺気を飛ばすな! 心臓に悪い……」

 まったく、どうしようもない奴だ。
 だが此奴の御陰でお嬢様は守られているのだから、不思議なものだ。
 私はヴァルトに釘を刺し、話を進める。

「もう既に話しているが、これからお嬢様を狙ってくる魔物は更に強力になるだろう。マリナ、お前が私の代わりに守護者を統括し、事に当たれ」

「お任せを」

「ヴァルト」

「へい……」

「――――」

「はい!」

 私が睨みを利かせると、ヴァルトは背筋を伸ばした。

「業腹だが、お前の力が必ず必要になる。その退魔の力を使い熟せるようにしておけ」

「……ああ、分かってる」

「よろしい。では、後の事は任せる。私はこれから明日の準備に取り掛かる」

 私がそう言うと、マリナとヴァルトは執務室から出て行った。
 私は少し休もうと思い、棚に置いてあるコーヒーミルで豆を挽き、特製のコーヒーを煎れた。
 中々どうして、このコーヒーという飲み物は私の心を掴んで離さない。
 これも私が人間に興味を持つ理由の一つだ。

 私はコーヒーを味わい、ご当主様に出す報告書の最後に一文を付け加えた。


 マーヴェリック家は日々、平和でございます。









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