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第1章 ヴァルト・クライン

第二話 マーヴェリック家の騎士とメイドの一服

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 マーヴェリック家の従者の朝は早い。日が昇り始めた頃には起床している。
 俺は早朝トレーニングから始まる。広大な敷地内を巡回がてら走り回る。敷地内にある坂道や森の中を息一つ乱さず走り、軽く汗を流す。

 いやほんと、庭に森があるとかどうなってんだマーヴェリック家。木の実だってあるし、泉には魚だって豊富に生息してる。最悪、マリナに食事抜きにされても此処で何とかなるな。

 敷地内を走り回った後は屋敷の裏で筋力トレーニングや剣の素振りを行う。今日は上半身を主に鍛えるメニューだ。俺は上半身裸になり、トレーニングを始める。
 この間は無心になって数を熟していく。この無心の時間が、俺は案外好きだ。よく鍛えている部分を意識しろとか言うが、俺は知らん。
 剣を振っていると、俺の視界の隅に人影が映り込む。素振りを止めて、その人影へ視線を向けた。

「ちゃんとやっているようね」

 マリナがそこには立っていた。彼女の手には水が入った桶とタオルがある。メイド服は着ておらず、マリナも早朝トレーニングを終えたばかりなのか、ぴっちりとした黑のインナー姿だ。

 えろい、実にえろい。だがそんな感情をマリナに知られてしまえば、俺は輪切りにされる。必死に感情を押し殺す。

「おう、おはようさん」

「はい、これ。さっさとその臭い汗を拭いて」

「……そんなに臭くないだろ」

 俺は地面に置かれた桶の水にタオルを浸し、そのタオルで身体の汗を拭う。火照った身体に冷たい水が心地良い。
 因みに、マリナがこうして水とタオルを持ってきてくれるのは、仕事や好意からではない。
 では何故か。それはマリナがとある事をする為だ。その、とある事はお嬢にも内緒の事だ。
 早速マリナは、ソレを始める。ポケットから細く白い紙の筒を取り出し、口に咥えた。
 それは煙草だ。マッチで煙草に火を点け、ふぅっと一服する。
 マリナは喫煙者である。吸う量は多くないが、朝は必ず此処で吸う。

「……」

「ふぅ~……何?」

 俺がマリナの一服している姿を見ているのが気になったのか、キッと睨んでくる。
 俺はタオルを首に掛け、俺もポケットから煙草を取り出す。
 何を言おう、俺も喫煙者である。この屋敷で煙草を嗜むのは俺とマリナ、パイプを含めるならアルベールの三人だけである。
 因みに、俺は葉巻のほうが好きだ。ゆっくり吸う時は葉巻で、それ以外では煙草を吸う。

「別に」

 俺は煙草を吸いながら、チラリとマリナの姿を見る。
 白銀の髪が太陽の光で輝き、彼女の美貌がより強調される。そこに煙草を吸う仕草が加わり、それがより一層彼女の魅力が強調される。
 マリナがこうして此処で俺と一緒に煙草を吸うようになったのは、俺がこの屋敷に来てから数日経ってからのことだ。あの時は生きた心地がしなかった。
 俺は初めて此処に来た時のことを思い出す。



 アレは五年前、お嬢が十一歳の時だ。俺はボスに拾われて、この屋敷へと連れて来られた。
 俺はその昔、一介の傭兵をやっていた。とある仕事で俺はヘマを踏み、死の淵を彷徨っていた。そこをボスに助けられたってワケだ。
 ボスは俺を拾い、俺に仕事を与えたくれた。それがお嬢の護衛だ。お嬢を命懸けで守ること。
 与えられた仕事に就くため、俺は用意された騎士服を着て、屋敷の大広間に入る。
 この日、俺は彼らと初めて顔を合わせる。大広間には、この屋敷に住む全員が揃っていた。
 執事、メイド、格好からしてコックと庭師、それから狼を連れた男。
 そして、彼らの中心にいるのが朱い髪に金色の瞳をしたお嬢様。

 彼女こそが、俺の守護対象、マーヴェリック家ご令嬢セラ・マーヴェリック。
 彼女は俺に向かって微笑んだ。

「初めまして。私はセラ・マーヴェリック。これからよろしくね」

「……お初にお目にかかります、セラお嬢様。私はヴァルト・クライン。貴女様を守る為、ご当主様から遣わされました。以後、私は貴女様の剣であり盾となって――」

「ああ、そういうのは良いから」

「は?」

 俺は似つかわしくない言葉遣いに振る舞いをして跪いてみたのだが、彼女は笑って俺の言葉を止めた。
 呆けている俺を余所に、彼女は隣に立っているメイドに指示を出した。

「マリナ、彼にこのお屋敷を案内してあげて」

「はい、セラお嬢様」

 俺はこの時、マリナの美しさに見惚れた。
 男なら誰しも彼女の美貌にやられるだろう。
 彼女は俺の前に歩み寄り、丁寧なお辞儀をする。

「マリナ・フェリスです。以後、この屋敷で分からないことがあれば、私にお尋ね下さい」

「……ああ、分かった」

 俺はマリナに案内されながら屋敷中を歩き回る。
 この屋敷はかなり広く、それぞれの部屋の場所を覚えるのに時間が掛かりそうだ。
 その後、俺はマーヴェリック家の騎士として毎日働いた。巡回して異常が無いかを確認し、時々お嬢の話し相手になる。

 お嬢は俺達の『事情』を知っている。知っていて、俺達を『人間』として接し、家族として迎え入れてくれている。

 此処の生活にはすぐ慣れた。皆も俺と『同類』で仲良くしてくれる奴もいる。
 それに、夜のお仕事にもすぐに慣れた。元々戦闘職だったから問題は無かった。
 執事のエードリアンと庭師のアドルフとは新人研修にような感じで一緒に仕事した。
 コックのクラウディアと門番のアルベールと狼のウルフとは戦っていないが、どんな力を持っているのかは教えてもらった。

 ただ、マリナについては何も分かっていない。滅茶苦茶有能でクールビューティーなメイドとしか知らないのだ。戦えるのかどうかも分からない。たぶん、戦えるのだろうが。

「ふぅ……一服一服ぅ」

 今日の日中勤務も終わり、俺は屋敷の裏手にある絶好のサボり場所に赴く。
 サボるって言っても、お嬢の守護をサボることはしない。それ以外の仕事でちょっと息抜きをするだけだ。
 今日は少し早めに勤務を終え、ちょっと長めに一服しようと急いで来たのだが、どうやらこの場所は俺だけのモノではなかったらしい。先客がいるようで、そこで煙草を吹かしていた。
 この時、俺は庭師のアドルフか門番のアルベールが一服しているのかと思っていた。アドルフは知らないが、喫煙者はアルベールしか知らなかったからだ。
 だが、そこにいたのはそのどちらでもなかった。

「あ……」

「ん?」

 金色の瞳と目が合った。
 相手も俺が来るとは思っていなかったようで、煙草を咥えた状態でこっちを見て固まっていた。それはもうクールな表情が崩れ、目を大きく開いて煙草を口からポロリと落とした。

 もしかして、俺は見てはいけないモノを見てしまったのか?

 俺はゆっくりと後退り、その場から立ち去ろうとした。
 が、しかしそれは許されなかった。俺の手足が見えない何かに縛られ、俺は地面に倒れ込んだ。そのままズルズルと地面を引き摺られ、私服姿のマリナの足下まで連れ戻された。

「いっつ……!?」

「――見たな?」

「え? え?」

「見たんだな? 見たんだろ? 見てしまったんだな?」

「え? え? あの……?」

 普段の言葉遣いは何所に行ったのか、マリナはまるでガラの悪い輩のような態度で俺に詰め寄ってくる。地面に転がっている俺を見下ろし、俺の頭をブーツで踏んだ。

「チッ、お前も此処を使っていたのか……くそっ」

「いだだだっ!? 踵! 踵がめり込んでる! それに何だ!? 何で手足が動かないんだ!?」

「黙れ。良いか? この事をお嬢様に口を滑らせてみろ。貴様のイチモツを輪切りにして踏み潰してやる」

 マリナの目は本気だった。噓や冗談を言っている様子は見られない。
 俺はゴクリと唾を呑んで必死に頷いた。
 俺は長年命のやり取りを繰り広げてきたが、本気で死の覚悟をしたのは、これが初めてだったかもしれない。
 俺の必死の頷きが伝わったのか、俺の手足は解放された。
 マリナは頭を抱えながら落ちた煙草を拾い、携帯灰皿に捨てた。それから新しい煙草を取り出し、火を点けて吸い始める。頭痛がするのか、頭を抱えたまま険しい表情を浮かべた。
 俺も心を落ち着かせるために煙草を取り出して火を点ける。

 ああ……本当に死ぬかと思った……。

「……」

「……な、何か?」

 マリナは俺をジッと睨み付けて視線を外さない。
 俺はその視線が気になり、思わず話しかけてしまった。
 マリナはふぅっと煙を吐き出した。

「……此処には慣れたか?」

「え? あ、ああ……皆良くしてくれるからな」

「そうか。まぁ、当主様がお選びになったんだ。当主様の顔に泥は塗るなよ」

「……それは心配しなくてもいい。ボスには返しきれない恩がある。お嬢の騎士として、誇りを持って務めるさ」

「『お嬢』……だと?」

 マリナの目が鋭くなり、俺の背中にヒヤリと冷たい汗が流れる。
 俺は慌てて弁明する。

「この呼び方はお嬢に許しを貰ってる! というか、お嬢からそう呼べと言われたんだ!」

「……噓だったらコロス」

「い、イエス……ん?」

 その時、マリナの手から糸のような輝きが見えた。
 俺はそれがマリナの武器だと理解する。

「鋼糸か、それ?」

「……そうだ」

「俺も一応使えるが、アンタ程じゃないだろうな」

「当たり前だ。褒めても何も出ないぞ」

 マリナは気分を良くしたのか、少しだけ雰囲気が軽くなった。
 笑みは見せないが、さっきまでの冷たい視線は無くなった。
 これは仲良くなれるチャンスかもしれない。
 俺は意を決して色々と聞いてみることにした。

「なぁ、アンタのこと何て呼べばいい?」

「好きに呼べ。ふざけた呼び方したら分かってるだろう?」

 こっわ。でも何だろう……メイドの時より、俺はこっちのほうが好きだ。何だか取り繕わなくても良くて、気が楽な感じがする。

「此処に来て長いのか?」

「まぁな。執事長を除いたら一番長い」

「……歳いくつ?」

 マリナの死の眼光が俺を射貫いた。
 俺はすぐに何でもないですと、口を閉じる。
 やはり此処の奴だとしても、女性に年齢を聞くのはいけないようだ。
 マリナは吸い殻を携帯灰皿に捨て、最後に俺に警告していく。

「いいか、絶対に今日のことをお嬢様に言うなよ? 言ったら最期だと思え」

「言わない言わない。ま、何だ。俺も一人で一服するのは寂しかったし、今度は誘ってくれよ」

「調子に乗るな、馬鹿が」

 そう言うとマリナはこの場から立ち去っていった。
 俺は今まであまり絡んだ事のなかったマリナと話せたことに、妙な嬉しさを覚えた。
 驚くことも多くあったが、これからの楽しみが増えた気がした。
 俺はそのまま一服を終え、今日という一日を終えた。



 昔のことを思い出していると、マリナが変な目で俺を見ているのに気が付いた。
 既にマリナは煙草を吸い終えており、ジッと俺を見つめている。

「何だ?」

「別に」

 さっきと似たようなやり取りをしてしまった。
 だがまぁマリナの考えている事は分かる。俺が何を考えていたのか気になったのだろう。
 まったく、素直じゃないな。

「お前と初めて煙草を吸った日のことを思い出してたんだよ」

「……」

 マリナは自分の腕で胸を隠すように身体を抱き締めて俺から離れた。

 何でだよ。

「何でだよ」

 思わず声に出てしまった。

「気持ち悪い」

「何で!?」

「何で今そんなことを思い出してんだよ……キモい」

「喧しい。別に良いだろ。一服仲間が増えて嬉しかったんだよ」

「……はぁ、アホらし。私はもう行く。時間に遅れるなよ」

 マリナは興味が失せたのか、そう言って立ち去っていく。
 俺はその背中を見つめながら、煙草を吸った。
 去り際、マリナの口元が緩んでいたような気がするが、それは気のせいだろう。
 アイツが笑った所なんて、お嬢に向けている時の顔でしか見たことがない。
 一度ぐらい、素の状態の時に笑ったところを見てみたいが、難しいだろうなぁ。

「……ハッ、何か想像したら笑えてきた」

 ピッ、と頬に一線の傷が入った。

 血の気が一気に引いた。

 え、俺マリナに監視されてる……?

「……マーヴェリック家は今日も平和だ――って言い終えますように」


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