俺の彼氏

リンドウ(友乃)

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俺の彼氏とメリークリスマス

雪視点(2)-1

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「なあに、雪くん。そんなに項垂れて」
「菅さん…おつかれさまです…」
 昼休憩のオフィス。大抵の人は会社内の食堂か近くのオシャレなカフェに流れる。
 かくいう南沢 雪も、いつもなら食堂で本日のお勧めランチか自前の弁当を平らげているところだ。だが、今日に限ってはデスクに身体をべったりとくっつけている。
 五つ年上の上司である菅に問われても尚、身体を上げる気力が湧かず、深い溜息を吐いた。
 ぎしっと椅子が軋む音がする。多分、菅が隣のデスクに腰を掛けた。

「ほら、何があってもご飯は食べなくちゃダメよ?」
 そう言った菅の方に振り向くと、パカっと弁当箱が広げられる。
 ベリっと音がしそうなほどにくっついていた身体を起こす。野菜の緑に卵焼きの黄色、肉の茶色に混ぜご飯。カラフルな色合いに雪は思わず、感嘆の声を出していた。

「さすが菅さん。栄養バランス抜群ですね…」
「まあね、これでも3人の母親よ。って言っても母になるまでなんにも出来なかったけどね」
 言いながら苦笑いする菅を見て、雪もほっと笑みを溢していた。
 誰もいないオフィスの休憩所に場所を移し、二人でひっそりと弁当箱を広げた。
 菅のいろどりが良い弁当に比べ、どこか物足りない雪の弁当はそれでも一般的な男性の弁当に比べればまだマシな方だろう。
 肉巻きにほうれん草の胡麻和え、金平牛蒡と幼い頃に母親が作ってくれた料理を思い出しながら作ったそれを、口に放り込む。
 美味い。きちんと味が染みている肉巻きは、確かに美味かった。だが、美味くても結局、食べてもらう人がいなければ意味がない。
 近頃、帰りの遅い榊を思い出しながら、雪は一人切なげに思いを馳せていた。

「で?粗方、榊くんが原因なんだろうけど」
「…あ、わかっちゃいましたか?」
「あのねぇ、何年君の上司してると思ってんの?それくらいわかるに決まってる!」
 わざと荒ぶって言う菅に雪は笑う。五つ年上だと言えば普通は引けを感じるものなのだろうが、雪にとって菅は尊敬すべき上司でありプライベートでは姉のような存在でもある。
 昼休憩終了まであと30分。話すには時間は充分にあると判断して雪はここ最近、内に溜まっていた愚痴を吐き出すことにした。

「わかってるんです」
「うん、何が」
「残業は仕方ないんだってこと」
 榊は毎年12月に最大級の繁忙期を迎える。それはどんな仕事をしていてもあるものだから、わかってはいるつもりだ。
 だが、頭ではわかっていても何日も何週間もそれが続くのは正直、辛いのだ。

 榊と付き合って八年、恋心を自覚してからは10年になる。
 よくあるカップルの別れの法則の三ヶ月、三年をとうに過ぎた今もお互いに仲睦まじくいられるのは、榊の包容力のおかげだろう。
 榊 哲太という人間は時々鈍感でナチュラルに人たらしの要素を醸すこともあるが、雪の全てを愛してくれている。それが榊 哲太だ。
 だからこそ、言えないこともある。

「いや、言えば良くないかな?普通にもっと構ってって。大体、榊くん役所勤めなんだから土日は休みだよね?」
「…この時期はてっちゃん、道場の方につきっきりなんです」
「道場?またなんで」
 菅が困惑した声で問う。いつの間にか食べ終え片付けられていた弁当箱を可愛らしいランチクロスで包んでいる。
三分の一程度残っていた弁当箱の蓋を閉じ、雪は話し始めた。

「てっちゃん、昔から弓道やっててめちゃくちゃ強いんです。時期はまちまちなんですけど、毎年この時期になるちと指導の手伝い、まあボランティアですけどそれに行くわけなんです」
 無愛想に見えて困っている人を放っておけない性分の榊は、どれだけ自分が忙しくしていようとも世話になった師範の頼みだからと必ず引き受けてしまう。
 もちろん師範も無理はするなと何度も訴えかけてはいるそうだが、榊はこうと決めたら譲らない人だ。故に雪から見れば無理をしているスケジュールでもなんなりと引き受けている。

「じゃあ雪くんも道場についていけばいいじゃない?そしたら間接的にでも一緒にいられる時間が増えるし」
「そう、なんですけど。何故かダメだって言われちゃって」
 何年か前に一度、勇気を出して物申したことがある。けれど榊は、「絶対にダメだ」の一点張りで仕舞いには雪がいると集中できないとまで言われてしまった。

「ああ~、それはわかるかも」
「え?!菅さんがてっちゃんの気持ちを?!」
「まあね。だって雪くん可愛いから」
 さらりと言われ、返す言葉が見つからなかった。
 そもそも可愛いという形容詞は女性や子どもに使うものであり、三十路を目の前にしたおっさんに使うべき言葉ではない。
 一瞬、菅の目がおかしくなったのではと疑い、思わず「大丈夫ですか」と失礼な言葉を口にしそうになった。

「ともかく、一緒にいたいって言いなよ。榊くんならきっと聞いてくれるって」
 菅の言う通り、榊ならきっと聞いてくれるだろう。けれどそれがまた彼の負担になるのではないか。雪はそれがとても不安だった。

 もし、気付かぬうちに榊の負担になっていたら、自分勝手な我儘のせいで別れることになったら。
 今までお互いに思ったことは口にしてきたが、それでもまだ不安は残る。
 榊と別れた未来など、想像もしたくない。
 思わず考え込んでしまい、榊とお揃いで買ったランチクロスに弁当箱をノロノロと包んでいると菅にぽんと肩を叩かれた。

「時にはね、お互いに言葉ではっきりと伝えるってことも必要だよ?」
 言葉で、はっきりと。目を見つめられて思わず、涙腺が緩みそうになった。

「ま、とりあえずクリスマスは大丈夫そうなんでしょ?なら、計画は順調じゃない?」
 計画と菅が語尾を上げて言うのは、クリスマスのことだ。
 菅に誘われて行くことにしたと言った料理教室。だが実は、目的はクリスマスディナーのためである。
 毎年、イベント毎を苦手とする雪のため、外食やカップルがよく行くイルミネーションを避ける榊に、どうにかクリスマスの気分を味わって欲しいと手作りディナーを計画しているのだ。
 幸い、料理が苦手ではなかったからか、講師の教えに従い順調に事を進められている。

「てっちゃんは大丈夫だって言ってたので」
「じゃあ良かったじゃん!今が踏ん張り時、大丈夫よ」
 大丈夫、と敢えて口にすると不思議と本当に大丈夫な気がしてきた。
 すれ違っていても会えなくても一緒にご飯を食べられなくても、大丈夫。
 そう言い聞かせながら雪は、弁当箱の入ったランチケースを手に午後の仕事へと足を向けていた。
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