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 病室に戻ると、詩音は眠っていた。傍らには優星が、じっと詩音を見守っている。

「…医者はなんて?」
 と、聞く優星に、医者から言われたことをそのまま反復した。もちろん、記憶障害のことも。

 しんと静まる病室。個室が故に広い部屋だが、人の話声がしない部屋はどこか無機質で怖い。
 しばらく、怖さと戦っていると、優星が立ち上がった。

「詩音の側にいてやれよ、三田さん」
「え?」
「たとえ、詩音が覚えてなくても、詩音の恋人は三田さんだけだ。今、詩音が側にいて欲しいのは俺じゃなくて、三田さんだと思う」
 俺は一回帰るから。そう言って優星が病室から出る。

 恐る恐る、詩音の側、さっきまで優星が座っていた椅子に腰かけた。
 詩音の胸が呼吸を伝える。一定のリズムを刻むモニターが、生きていることを教えてくれる。
 それだけで十分だろう。詩音が生きてくれているのなら。
 そう、何度も言い聞かせては、けれど過る己の欲が恐ろしい。

 詩音、どうして俺を忘れたんだ。俺と付き合っていて、お前は後悔していたのか?

 問いたいし、戻りたい。もし、過去に戻ることができたなら絶対に詩音に愛していると言葉で伝えられる。
 詩音、詩音。また、惣って言ってくれよ、詩音。

 願う、祈る。神など、信じてはいないのに詩音のことになれば、恥や外聞など気にせず神に縋れる。
 忘れられるなんて、今まで考えたこともなかった。人が人を忘れる、それは忘れられた人にとってゼロを意味する。

 十が突然ゼロになる。けれど、忘れられた方はまだ、十のまま。
 十の思い出を抱えたまま生きられるのだろうか。

 詩音の寝顔を見つめながら、ふと、これからの未来を想像した。
 惣一郎を三田くんと呼ぶ詩音、卯月を呼ぶ惣一郎。
 絡まない手足、熱くならない視線。
 想像すると、怖かった。怖くてもう、崩れ落ちてしまいそうだ。

 包帯が巻かれた手をそっと撫でる。温かさが伝わってきて、涙が出そうになった。

『たとえ、詩音が覚えてなくても、詩音の恋人は三田さんだけだ。今、詩音が側にいて欲しいのは俺じゃなくて、三田さんだと思う』

 恋人の資格なんて、ないのかもしれない。優星の言うように、恋人なら知っていることも惣一郎は知らなかった。
 家族のこと、悩んでいたこと。何もかも知らない。

 けれど、まだ恋人だと思っていていいだろうか。

 詩音の恋人でいたい。これからも、この先もずっと、詩音の一番特別な存在でありたい。たとえ、詩音が忘れていたとしても。
 思い出してほしい、けれど思い出さなくてもいい。ただ、惣一郎を詩音の心の深い場所に置いておいてくれればいい。
 目が覚めても詩音が三田くんと呼ぶなら、また始めればいい。友人から好きになってもらえるように努力すればいい。

 もし、目覚めて詩音が惣と呼ぶなら、その時は愛していると全身で伝えたい。

 そうして今度こそ、恋人だと自信を持って伝えられる関係になりたい。

「生きていてくれ」

 温かな手を優しく握り、呟いた。聞こえてなくてもいい、ただ、そう言葉にしておきたかった。
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