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 勢いよく言って、けれど萎んだ声が、部屋に響く。

 和やかとか、楽しい雰囲気とか。そんなことを思っていた一瞬前に戻りたい。

 そう思うほど、部屋には張りつめた緊張感が漂っており、詩音はいつの間にか箸を置いていて、味噌汁から漂っていた湯気はもう、見えなくなっている。

「僕が気が付かないって、惣は思ってた?」
「だから、何の話」
「惣が!僕に隠れて会ってる人の話だよ?」

 俯いた顔を上げた詩音と目が合った。
 瞬間、その瞳に囚われ、息の仕方を忘れてしまいそうになった。表面張力で保っている潤む瞳、泣きそうなのに泣かないときつく結ばれた唇。

 柔らかく、いつも穏やかな詩音が初めて見せるその表情に、惣一郎は身動きが取れない。

「詩音、何言ってんだ」
「僕、知ってるよ?惣がこの時期、仕事、忙しくないってこと。それに、惣は休日に友達と会うことを面倒臭がることも」
「それは…」
「なのに、最近、ずっと忙しいって言って帰り遅かったよね?休みの日に人に会うって、出かけることも増えたよね?」

 まさか、詩音に気付かれていたなんて。言葉が出ない。
 しかし、ここで言ってしまえばせっかく三月も協力してくれた計画が水の泡になる。忙しい中、惣一郎が出来なかった計画書まで作り、休日も休みたいところを合わせてきてくれた。
 三月の努力、詩音の笑顔。今、目の前で泣きそうになっている詩音。自然と天秤にかけるが、答えが出ない。
 なんて言えばいい。仕事ならすらすら出てくる言葉も、詩音の前では出てこない。思わず、黙ってしまうと、詩音が「言えないの?」と、呟く。

「言えないとかじゃない。ただ、今は言えないだけだ」
「…それは、どうして?もう、僕のこと、嫌いになった?」

 問い詰める勢いとは打って変わった力の弱い声に、胸が締め付けられる。

 詩音のそんな声を聞いたことがなかった。いつも、いつだって、詩音は笑っていて惣一郎が仕事でヘマをした時も力強く励ましてくれて、弱さを見せたことはなかった。

 男の子は強くあるべき―。

 そう言った母の言葉を、惣一郎は男なのだから人前で弱さを見せてはいけない、隙を見せてはいけないのだと、思っていた。
 今、詩音を見て、その考えは変わった。本当の強さとは、弱さと紙一重で、それを気付かせないことが強さなのかもしれない。

 けれど一方で、弱さを今、初めて見せた詩音にほんの少しの苛立ちを覚えた。
 付き合って五年。きっと、弱さを見せるタイミングはあったはずだ。惣一郎が仕事ばかりで碌に家事をしなかった時、惣一郎の趣味に合わせたデートの時。
 他にもきっと、数えきれないほどにあるはずだ。なのに、いつも頼るばかりで頼られていなかった。

 だから詩音に言わせてしまった。嫌い、だなんて、あり得るはずもない言葉を。

 頼らせ方もわからなかった自分の小ささと情けなさで、胸は痛い。息をすることすらも痛みを感じるようで、苦しかった。

「嫌いなはず、ないだろ」
 説得力のない言葉を、力を振り絞って言う。と、詩音が「じゃあなんで」と潤んだ声で言う。

「好きって、言ってくれないの?」
「え?」
「ごめん、こんなこと。重いよね、忘れて」

 惣一郎が答えるより前に、詩音が椅子から立ち上がる。ガタっという音に、慌てて惣一郎も立ち上がり、寝室へ逃げようとする詩音の腕を捕まえた。

「詩音、逃げるな。今の、ちゃんと話聞かせてほしい」
「嫌だよ…惣に嫌われたくない…」

 そう言って顔を背け、腕を振りほどく。意外にも力のある詩音に、こんな時なのに驚いてしまう。
 が、このままではまた、詩音に無理をさせる気がした。弱さを強さで隠してしまう気がして、もうそんな詩音は二度と見たくなかった。

「詩音ッ!」

 と、口調を強く、唾をまき散らしながら呼び止める。詩音の足が止まった。

「さっきの話、ちゃんと聞かせて?」
 詩音がびくりと肩を震わせる。
 そっと、詩音に触れる。震える肩に、まるでガラス細工を触るように優しく触れる。

「惣」
「ん?」
「惣は時々、気が付いてほしくないところに気が付いてくれるよね」

 肩はまだ震えていて、顔もまだ背けられている。今、詩音がどんな顔でそんなことを言っているのかわからなくて、知りたくて。肩に掛けた手に少しだけ、力を込めた。

「今は気が付いてほしくなかったかな」

 ぼそっと呟いた声が聞こえた。と、次の瞬間にはくるりと詩音の身体は惣一郎の真正面に向いており、その顔には笑みが浮かんでいる。

「さっきのは本当に、何でもないから。ただ、たまには聞いてみたくなったってやつだよ。だから、もう気にしないで?本当に、大丈夫だから」
「おい、詩音」
「それより、なんか今日は疲れたから、もう寝ようかな?悪いけど惣、ご飯、ラップして冷蔵庫にお願いできる?明日、食べるね」

 矢継ぎ早に、まるで口を挟むなと言わんばかりに、捲し立て、詩音が寝室へと向かおうとする。

 もう、我慢も遠慮もしていられなかった。
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