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 詩音が帰ってくる夜が待ち遠しくて堪らない、そう感じたのは初めてだった。

 待ち遠しい、といってもそれは会いたくてとか、嬉しくてとか、そういうポジティブな感情ではない。ネガティブな感情だ。

 けれど、ネガティブな感情に支配されたくはない。そう思いながら惣一郎は、キッチンに立っていた。
 葱を刻み、だし汁の中に入れ、それから玉ねぎを切る。今夜は生姜焼き、詩音の好きなメニューだ。

 …決して、好物に絆されたいから、などではない。が、嫌いな物や苦手な物を食卓に出されるより、好物の方が普通に嬉しいだろう。

 それに、少しでも、話しやすい雰囲気を作りたかった。

 優星という男のこと。ただの友人のことを、聞くために。

 昼に会って以来、惣一郎の頭を占める詩音と優星の存在は、自信を失くさせるには十分すぎたのだ。
 どうして、詩音が自分じゃない男に、笑って見せるんだ。
 あのときに見た笑顔が、頭を離れない。

 きっとそれは、その笑顔が凄く久しぶりに見たものだったからかもしれない。

 最近まで、詩音は何か思い悩んでいた。そのせいでどこか、言いたそうな言いにくそうな、そんな顔でじっと惣一郎を見ていた。
 誕生日を超えてからは、少し、その気配が緩んだように感じられた。笑う顔も見せてくれるようになっていた。
 けれど、気が付いてしまった。惣一郎に見せてくれる笑顔が、優星に見せる笑顔とは違うことに。

 何が違う、と問われれば、何がとは言えない。違う、それはもう、感覚的なものだ。

 ただ、心から安心しているときの笑顔は、見ているだけでもわかる。それだけは、側から見ていた惣一郎にもわかった唯一のことだ。

 そんなふうに笑いかけられること、なかったな。

 あれからずっと、愕然とした思いに囚われている。
 今日、詩音に問い詰めることもできる。あの男は詩音にとっての何なのか、と。けれど、それが正しい判断なのかはわからない。

 こういう時。というのは、一方が酷く偏った見方をしているとき。冷静になれない問い方はしてはいけない。
 そう、わかっているのに、聞きたい気持ちもある。
 だからこそ、少しでも楽しい雰囲気を出そうと、足掻くように料理を作っていた。

 どうする、なんて聞く。そう思っていると、玄関が開く音がした。

 いつもなら、古い階段を上がる音だけでわかるというのに、今日に限っては全く気が付かなかった。相当、神経がすり減っている。

「ただいま~って、ご飯、作ってくれてたの?」
「ああ、たまにはいいかと思って」
 ありがと、と言う詩音の顔は、笑っている。

 最後の仕上げをしている間に、詩音が食卓の準備をしてくれた。
 いただきます、と行儀良く言って、二人で食べ始めた。
 正直、心臓が嫌な煩さで波打っていて、味はわからない。

「美味しい!惣、最近、また料理の腕上げたでしょ」
「そうかな?」

 笑いながら褒める詩音を見ていると、ささくれ立っていた気持ちが丸みを帯びる。なのに、その笑顔があいつに向けたものと違う気がして。
 まるで作り笑い。仮面をつけている笑み。
 一度思えば、疑念はまた増していく。

 どうして、俺にはそんな顔で笑うんだ。

「あのさ、詩音」
「ん?何?」
「今日、会った優星って人だけど」
 誰-?

 気が付けば、能天気に箸を咥える詩音に、緊張感のある声で聞いていた。

「誰って、友達だよ?」
「友達って、大学の?」
「いや、昔からの友達」
「…昔からっていつから」

 思いのほか、低く響いた自分の声に驚いた。けれど、もう、引き返すことはできない。

「いつからだろう。多分、小学校とかかな?」
「もう何年も友達ってことか?」
「…うん、そうだよ」
「じゃあ、なんで俺に言ってくれなかった?」

 言いながら、自分でもよくわからないと思った。
 友人なんて、大学だけで出来るものではない。幼稚園、小学校、中学校、高校と、自ずと集団の中で育っていけば、友人と呼べる人が一人、二人と出来てもおかしくはない。
 実際、惣一郎にも友人はいる。大学でできた友人もいれば、それ以前にできた友人も。社会人になった今、以前よりも交流は少ないが時々は連絡を取っている。

 それを詩音に、逐一、報告はしていない。

 なのに、今、惣一郎は詩音にその矛盾を問い詰めている。まるで、詩音が悪いことでもしたように。

「惣?なんか怒ってる?」
「詩音、俺の質問に答えてくれ」
「…ただ、話すきっかけがなかっただけだよ。惣だって、僕に言えないこと、あるよね?」
「言えないこと?そんなの、俺にあるわけないだろ?」
「ッ!あるよ!絶対、ある、のに」
 言ってくれない―。
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