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 背の高い男性は知らない人だった。が、背の低い方の男性は、知っているも何も、惣一郎と一緒に住んでいて、今日の朝も笑って送り出してくれた恋人の詩音だったのだ。

 人間、我を失うと言葉が出ないらしい。心の中ではなんでとか、どうしてとか。ずっと、そんなことを呟いているのに、声には出せずにただ、呆然と二人を見ていると、三月に声を掛けられた。

「三田さん?どうかしましたか?」
「俺…ちょっと、用事思い出しちゃって」

 挨拶もそこそこに、急いで鞄を持ち、店を出た。
 詩音だと、間違うはずもないけれど、近くで確かめたかった。俺の詩音じゃないと、もしかしたら確かめたかったのかもしれない。

 店を出ると二人はまだ、目の届くところにいて、人の目も気にせずに走った。
 そして、詩音だと思った人の腕を握っていた。

「詩音ッ!」
「惣…?」

 名前を口にされることが好きだった。詩音の柔らかな声で『惣』と呼ばれる瞬間、誰も呼ばない名前を呼ばれたことへの特別感が押し寄せてくるようで、いつも胸が温かくなった。
 なのに、今は違う。惣、と呼ばれた瞬間、わずかに開いた希望の扉の隙間が閉じられた。

 どうして、なんで。言いたいことはたくさんあった。けれど、まだ声に出来なくて、ただ握る手に力を込めていた。
 すると、背の高い男性が「あの」と言う。

「あなた、詩音の何なんですか」
「ちょっと、優星、やめてよ」
「とりあえずその手、離してもらっていいですか」

 途端、押し寄せてくる負の感情。

 まるで、自分が詩音の恋人ではなく、背の高い男性が詩音の恋人だったかのような。そんな違和感が気持ち悪い。

 なんだよ、それはこっちのセリフじゃねーか。

 そう、言ってしまえればいいのに、また言えず。握った腕を見ると薄っすらと白く、色が変わっている。
 そっと、手を離した。

「優星、大丈夫だから。この人は惣一郎、僕の…友人だよ」
 言いにくそうに言う詩音に、焦れた。

 友人なんて、違うのに。けれどそう言わせたのは自分だ。
 なんて矛盾だろうか。

 人前でイチャつきたくないと態度で示しておきながら、こんな時は恋人と言ってほしい。そんな浅ましい気持ちが自分にあったことに驚く。

「惣もここの近くにいたんだね?偶然」
「…ああ」
「あ、この人は優星っていって、僕の昔からの友人なんだ」
 紹介され、優星がよろしくと不躾に言って、惣一郎も同じように返した。

「僕たち、まだ買い物の途中だから惣、また後でね?」
 行こう、と詩音が優星の背中に手を添えた。

 友人でもする当たり前の仕草。けれどそれに、酷く苛立ちを感じた。
 その手を今すぐ、俺の手に隠してしまいたい。繋いで誰の目にも見えなくさせたい。ずっと、俺の手だけ繋いでいればいい。

「詩音!」
「…何?惣」
 なのに、できない。情けない自分を隠すように、ぐっと唇を噛み、行き場のない拳に力を入れた。

「…また、後でな」
「うん、じゃあね」

 遠くなる後ろ姿を眺めるだけなんて、いつ振りだろう。
 きっと、大学時代、まだ友人で一緒に住んでもいなかった時だった。あの時もこうして、好きな人が背を向ける姿をただ、何も言えずに見送っていた。

 また、自分は見送るだけなのか。

 けれど足は地面にくっついてしまっている。まるで、そこに生えている木のように。
 木はそこから動けない。惣一郎もまた、動けない。

 唇からは鉄の匂いと味が染み出ていた。
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