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ep3 お客さん

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「あの、ヨーコさん」

「なんだ?」

「お客さん、来るんですか?」

 時刻は十九時半を過ぎていた。
 客のいない店内には、間を埋めるように音楽が流れているだけ。

「来るに決まってるだろ。失礼な奴だな。じゃなかったら潰れてるわ」

「す、すいません」

 バーカウンターの中、ヨーコの隣に立ちながら、博音はずっとそわそわしていた。
 一体どんなお客さんが来るんだろう。
 怖い人が来なければいいけど。
 そんな考えを巡らせ気持ちが落ち着かなかった。

「おいおい。そんなに緊張しないでいい。アタシもいるんだから」

 ヨーコが博音の背中をばんばん叩いた。

「なにか気になることがあるなら何でも言っていいぞ」

「あ、はい。どんなお客さんが、来るのかなって」

「そうだな~。まあ、みんなかな?」

「個性的、ですか」

 良くも悪くも取れる表現だ。

「なんせ『異世界(Fantasy)』だからな」

異世界ファンタジー......その店名の由来って何かあるんですか?」 

「すぐにわかるさ」 

 ヨーコは含みのあるような微笑を浮かべて、再び博音の背中をばんっと叩いた。


「そろそろ来るぞ」

 一分後。
 本当に店の扉が開いた。
 博音の緊張が一気に加速する。

「い、いいいいらっしゃいませ」

 どもりながら必死に声を上げた後、博音は固まる。

「あれ、アルバイトを雇ったんですか?」

 入ってきたのが、上背のあるゴツイ身体をした、赤黒い顔のイカツイ男だったからだ。
 服装こそきちんとネクタイを締めたスーツ姿だったが、あふれ出る威圧感は抑え切れていない。

「おー火野さーん。お疲れさまー」

 ヨーコから親しみのある笑顔がこぼれた。
 どうやら常連のようだ。

「今晩は。ヨーコさん」

 イカツイ火野は、カウンター席の奥に腰をおろした。

「今日は、客先からの直帰?」

「はい。二十時前には来られて良かったです」

「おつかれさま。何にする?」

「ハイネケンください。あと、特製ファンタジーカレーも」

「はーい。よし、ヒロ。ビール出して」

「え、あの、ええと」

「ほら。さっき説明しただろ?ここだよここ」

 博音はあたふたとしながらも、ヨーコにフォローされてなんとかビールを出した。

「ど、どうぞ」

 火野は無言で軽く頷く。
 一仕事終えたとばかりに博音はほっとする。
 だが、安堵している暇などはなかった。
 この後すぐに博音は追い詰められることになる。
 
「じゃあ、アタシはカレーを用意するから、そのあいだ火野さんのお相手をよろしく」

 そう言い残し、ヨーコはカウンター内の一箇所にかかった暖簾のれんをくぐり、奥にある調理場に姿を消してしまった。
 取り残された博音は、カウンター越しにイカツイ火野と一対一となる。

「......」

 黙り込む二人。
 博音はビビっていた。
 ただでさえバイト初日で緊張しているところに、今まで何人をどついて来たのかわからないような強面こわもての客。
 いくら常連だとしても、怖いことには変わりない。

「!」

 博音がビクッとした。
 イカツイ火野が、ビール瓶に触れたからだ。
 あ、頭カチ割られる?
 もはや泣きそうな博音。
 とその時。

「あの......」

 火野の低い声がそっと響いた。
 怒りの音色ではない。
 それとも静かにブチ切れるタイプなのか。

「は、ははははい」

 なけなしの勇気を総動員して博音は必死に受け答えしようとする。
 
「さ...」

「さ?」

「寒くないですか?」

「へっ??」

 思わずマヌケ面をする博音。
 相手が何を言いたいのかよくわからない。
 
「ええと、あの、き、今日の気温のことですか?」

「ではなくて、ここのとこ」

「ここ?あっ、お店の冷房が寒いってことですか?」

「そう」

 なるほど。やっと合点がいく。
 イカツイ火野は、店内温度が寒いと言っているのだ。 
 しかし博音は「?」となる。
 そんな寒いかな?
 確かに店内には、まだ五月の半ばなのに冷房がついている。
 だけど今日は気温と湿度が高めなので、地下のバーだとモワっとなりそうだ。
 冷房をまわしてちょうど良くなっている。

「お、温度、上げますか?」

 言ってみる。
 消してしまったら暑くなりそうなので、折衷せっちゅう案だ。

「いや、やっぱりいいです」

 イカツイ火野は、強面の顔面のまま遠慮した。

「でも、1℃か2℃か上げるだけでも違うと思いますし」

「空腹で、血糖値が下がっているだけかもしれないですから」

「は、はあ」

 それから二人はまた沈黙する。
 次第に博音は、イカツイ火野が不気味に思えてくる。
 強面でガタイの良い男がジャケットも着たままで、これぐらいの気温で寒いなんて。

 因縁をつけられている?

 温度設定を上げようとしたら遠慮されたのも、わざとこちらを困らせようとしているだけなのかもしれない。
 そうして最終的には、ボコボコにシバかれる......。

「どうかしましたか?」

 おもむろに火野が口をひらいた。
 博音は反射的にびくんとする。

「ひ、ひぃ」

「ひい?」

「あ、いや、な、なんでもないです」

「何か、顔色が悪いようですが」

「そ、そんなこと、ないです」

 そんなことありまくった。
 今の博音の頭の中にあるのは、いつここをバックレるかということだけ。
 青年は恐怖におののいていた。
 
「はーい、火野さーん。カレーお待たせ」

 ヨーコが料理を持って戻ってきた。
 博音はむっつりと無言で立ち位置を変える。
 火野の前に出されたカレーから、美味しそうな匂いが漂ってきた。
 しかし博音の嗅覚にはそれすら届かなかった。

「いただきます」

「どうぞ~。今日は忙しかった?」

 イカツイ火野と美人のヨーコの会話が始まる。
 一歩退いてビクビクとうつむく博音。
 もはや彼の中では、ヨーコも恐怖の対象となっていた。
 火野と二人がかりで、ボコられる......。

「ヒロ」

「......」

「おいヒロ」

「......」

「アタシをシカトするのか。いい度胸だな」

 ハッとして顔を上げる博音。
 表情を曇らせたヨーコが目に入る。

「あ、あの、その、違うんです」

「なにが違うんだ?」

 ヨーコが博音に迫るなり、予想外の助け舟が入った。

「ヨーコさん。きっと自分が悪いんです」

 火野がスプーンを置いて、ぬっと立ち上がった。
 身長があってガタイが良いので、それだけでも迫力がある。

「火野さんが?」

「はい。そうです」

「料理中に、なにかあったの?」

「違います。いつものアレです」

「あ、そういうことね」

 ヨーコがにやりとした。
 わけがわからない博音は「え?え?」と狼狽ろうばいする。
 
「ヒロ...さん」

 火野がかしこまって博音に顔を向ける。

「な、なんですか」

「怖がらせてしまい、申し訳ございませんでした!」

 ホテルマンのように頭を下げて、火野が謝罪した。
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