6 / 8
彷徨
しおりを挟む
目の前を飛び交うのは光の加減で色を変える無数の蝶だ。彼はぼんやりとその蝶を眺めていた。普通に考えるなら、羽根が透ける蝶が無数にいれば、気味悪さを感じるだろう。だが、彼はそれに対して疑問を持っていなかった。どうしてこの場所にいるのか。どうやって来たのか。それに対する疑問すら持っていない。辺りに広がる風景は上空から光が降り注いでいるが、それ以外のものを目にする事は出来ない。
キラキラと煌めきながら、光に照らし出される蝶の群れ。照らし出される目を奪う光景である事は確かだが、ただ、それだけだ。そこで彼は漸く違和感に気が付いた。その場所には音がない。指し示す標があるようでない。ゆっくりと彼は立ち上がり、改めて辺りに視線を向けた。光はある。だが、ただ光があるだけで音そのものはない。
どうして彼はこの場所で膝を抱え座っていたのだろうか。
服は着ている。おそらく、首にかけられているのはヘッドフォンだ。それに気が付き、ヘッドフォンを耳に装着する。そのヘッドフォンが何処に繋がっているのか。彼は全く疑問を持たなかった。音が聞こえて来ると、そう信じていた。だが、ヘッドフォンから感じるのは音のない振動だけだ。その振動は確かに何かの音を刻んでいる。
彼は改めて自分の手を視界に収めた。それは見慣れた手だ。爪があり、関節部分には皺がある。だが、彼は首を捻った。この手は自分のものではないという違和感だ。ふわりと舞い上がる蝶の群れ。蝶は一斉に飛び立ち、ある場所を目指している。彼は思わず手を差し伸べた。蝶を捕まえようと腕を出来る限り伸ばしてみた。
蝶は彼の手を戯れのように擦り抜ける。まるで嘲笑うかのように、彼の周りを飛び回り、上空を目指している。蝶が消えていくその場所から微かな音が聴こえてくる。彼は慌ててヘッドフォンを外し、音を耳で拾おうと努力した。
ピッピッ、という独特の機械音。急に重くなった体。彼は漸く何かを思い出す。目の前に迫った車。避けようと思っていても体は固まったように動かなかった。恐怖は不思議となかった。その時に聴いていた音楽は何だったのか。体が空を舞い急に意識が閉じた。
蝶が吸い込まれていくのは何かの導だ。じゃあ、あの場所には彼が求める、彼自身の標は存在しているのだろうか。体が重く沈んでいく。今まで軽いと思っていた体が、鉛のように重い。何かを求めるように彼は一頭の蝶を捕まえ握り締めた。頭の中で何かが弾け、彼は意識が遠のくのを感じた。
重く痛みを感じる体。耳に届くのは様々な音だった。息苦しく、目蓋を開くのも億劫だ。だが、浮上した意識は彼に目覚めを促す。ゆっくりと目を開き、彼が最初に視界に収めたのは白い壁と独特の空気。その香りは日常生活では感じる事がない。
彼は漸く自分の置かれた状況を把握した。体が思い通りに動かないのも、音を感じることが出来なかったのも。あの場所が何であったのか。降り注ぐ光と、蝶が導いていたものは何であったのか。彼の頬を一筋の涙が伝う。孤独であった場所を思い出し、そして、生きている事を改めて実感する。
ゆっくりとスライドする扉に彼は視線を向けた。そこに居たのは慌ただしく入って来る医師と看護師。彼はやっと安堵する。もう、一人ではないのだと。
終わり。
キラキラと煌めきながら、光に照らし出される蝶の群れ。照らし出される目を奪う光景である事は確かだが、ただ、それだけだ。そこで彼は漸く違和感に気が付いた。その場所には音がない。指し示す標があるようでない。ゆっくりと彼は立ち上がり、改めて辺りに視線を向けた。光はある。だが、ただ光があるだけで音そのものはない。
どうして彼はこの場所で膝を抱え座っていたのだろうか。
服は着ている。おそらく、首にかけられているのはヘッドフォンだ。それに気が付き、ヘッドフォンを耳に装着する。そのヘッドフォンが何処に繋がっているのか。彼は全く疑問を持たなかった。音が聞こえて来ると、そう信じていた。だが、ヘッドフォンから感じるのは音のない振動だけだ。その振動は確かに何かの音を刻んでいる。
彼は改めて自分の手を視界に収めた。それは見慣れた手だ。爪があり、関節部分には皺がある。だが、彼は首を捻った。この手は自分のものではないという違和感だ。ふわりと舞い上がる蝶の群れ。蝶は一斉に飛び立ち、ある場所を目指している。彼は思わず手を差し伸べた。蝶を捕まえようと腕を出来る限り伸ばしてみた。
蝶は彼の手を戯れのように擦り抜ける。まるで嘲笑うかのように、彼の周りを飛び回り、上空を目指している。蝶が消えていくその場所から微かな音が聴こえてくる。彼は慌ててヘッドフォンを外し、音を耳で拾おうと努力した。
ピッピッ、という独特の機械音。急に重くなった体。彼は漸く何かを思い出す。目の前に迫った車。避けようと思っていても体は固まったように動かなかった。恐怖は不思議となかった。その時に聴いていた音楽は何だったのか。体が空を舞い急に意識が閉じた。
蝶が吸い込まれていくのは何かの導だ。じゃあ、あの場所には彼が求める、彼自身の標は存在しているのだろうか。体が重く沈んでいく。今まで軽いと思っていた体が、鉛のように重い。何かを求めるように彼は一頭の蝶を捕まえ握り締めた。頭の中で何かが弾け、彼は意識が遠のくのを感じた。
重く痛みを感じる体。耳に届くのは様々な音だった。息苦しく、目蓋を開くのも億劫だ。だが、浮上した意識は彼に目覚めを促す。ゆっくりと目を開き、彼が最初に視界に収めたのは白い壁と独特の空気。その香りは日常生活では感じる事がない。
彼は漸く自分の置かれた状況を把握した。体が思い通りに動かないのも、音を感じることが出来なかったのも。あの場所が何であったのか。降り注ぐ光と、蝶が導いていたものは何であったのか。彼の頬を一筋の涙が伝う。孤独であった場所を思い出し、そして、生きている事を改めて実感する。
ゆっくりとスライドする扉に彼は視線を向けた。そこに居たのは慌ただしく入って来る医師と看護師。彼はやっと安堵する。もう、一人ではないのだと。
終わり。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
裏庭が裏ダンジョンでした@完結
まっど↑きみはる
ファンタジー
結界で隔離されたど田舎に住んでいる『ムツヤ』。彼は裏庭の塔が裏ダンジョンだと知らずに子供の頃から遊び場にしていた。
裏ダンジョンで鍛えた力とチート級のアイテムと、アホのムツヤは夢を見て外の世界へと飛び立つが、早速オークに捕らえれてしまう。
そこで知る憧れの世界の厳しく、残酷な現実とは……?
挿絵結構あります
ジャック&ミーナ ―魔法科学部研究科―
浅山いちる
ファンタジー
この作品は改稿版があります。こちらはサクサク進みますがそちらも見てもらえると嬉しいです!
大事なモノは、いつだって手の届くところにある。――人も、魔法も。
幼い頃憧れた、兵士を目指す少年ジャック。数年の時を経て、念願の兵士となるのだが、その初日「行ってほしい部署がある」と上官から告げられる。
なくなくその部署へと向かう彼だったが、そこで待っていたのは、昔、隣の家に住んでいた幼馴染だった。
――モンスターから魔法を作るの。
悠久の時を経て再会した二人が、新たな魔法を生み出す冒険ファンタジーが今、幕を開ける!!
※この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「マグネット!」にも掲載しています。
魔法のせいだからって許せるわけがない
ユウユウ
ファンタジー
私は魅了魔法にかけられ、婚約者を裏切って、婚約破棄を宣言してしまった。同じように魔法にかけられても婚約者を強く愛していた者は魔法に抵抗したらしい。
すべてが明るみになり、魅了がとけた私は婚約者に謝罪してやり直そうと懇願したが、彼女はけして私を許さなかった。
もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
会うたびに、貴方が嫌いになる
黒猫子猫(猫子猫)
恋愛
長身の王女レオーネは、侯爵家令息のアリエスに会うたびに惹かれた。だが、守り役に徹している彼が応えてくれたことはない。彼女が聖獣の力を持つために発情期を迎えた時も、身体を差し出して鎮めてくれこそしたが、その後も変わらず塩対応だ。悩むレオーネは、彼が自分とは正反対の可愛らしい令嬢と親しくしているのを目撃してしまう。優しく笑いかけ、「小さい方が良い」と褒めているのも聞いた。失恋という現実を受け入れるしかなかったレオーネは、二人の妨げになるまいと決意した。
アリエスは嫌そうに自分を遠ざけ始めたレオーネに、動揺を隠せなくなった。彼女が演技などではなく、本気でそう思っていると分かったからだ。
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
病弱な幼馴染と婚約者の目の前で私は攫われました。
鍋
恋愛
フィオナ・ローレラは、ローレラ伯爵家の長女。
キリアン・ライアット侯爵令息と婚約中。
けれど、夜会ではいつもキリアンは美しく儚げな女性をエスコートし、仲睦まじくダンスを踊っている。キリアンがエスコートしている女性の名はセレニティー・トマンティノ伯爵令嬢。
セレニティーとキリアンとフィオナは幼馴染。
キリアンはセレニティーが好きだったが、セレニティーは病弱で婚約出来ず、キリアンの両親は健康なフィオナを婚約者に選んだ。
『ごめん。セレニティーの身体が心配だから……。』
キリアンはそう言って、夜会ではいつもセレニティーをエスコートしていた。
そんなある日、フィオナはキリアンとセレニティーが濃厚な口づけを交わしているのを目撃してしまう。
※ゆるふわ設定
※ご都合主義
※一話の長さがバラバラになりがち。
※お人好しヒロインと俺様ヒーローです。
※感想欄ネタバレ配慮ないのでお気をつけくださいませ。
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる