浅い夜・薔薇編

善奈美

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Ⅹ 双月の奏

11 第十楽章

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 ファジュラの処置を終わらせ、一息つけたのは月が空に現れた時間帯だった。妊婦三人とシオンはそのまま居間で休ませた。館内は血臭に満ちていて、空気を入れ換えなければ部屋に戻すことが出来なかったからだ。
 
 アレンとフィネイが客室に戻ると、ゼロスとレイは難しい表情を見せていた。アレンはレイに抱かれて眠っているシアンに驚き、引き取ろうとしたのだが、レイは微笑みながらこのままで、と言った。
 
 アレンにしてみれば迷惑を掛けていると思っていたのだが、そうではないらしい。

 ファジュラをヴェルディラの横に横たえると、五人は隣の部屋にある長椅子に腰を下ろした。
 
 今まで色々あったが、今回が一番質が悪かった。何故なら、何時解決するか先が全く読めなかったからだ。
 
「判ったのか」
「何がだ……」
 
 ゼロスの問いに、アレンは投げやりに答えた。
 
「止血薬だか、解毒薬についてだ」
「判ったには判ったが、厄介なんだよ」
 
 アレンはレイに視線を投げかけた。
 
「あの本に記載されている調合に使われている薬草は実際に存在していた物なんだよな」
 
 アレンの問いに、レイは少し目を見開き頷いた。

「どう言うことだ」
「つまり、俺が知らない薬草が記載されてる」
 
 フィネイが言いながら、レイから渡された本を開いた。
 
「カイファスの情報で一番重要な毒草はかろうじて手に入ることは判ったんだが、一緒に使う薬草と、解毒薬に使う薬草が厄介だ」
 
 フィネイは本に書き記されている文字に指を走らせる。ゼロスはそれを確認すると、難しい顔をした。
 
「どっちの薬草も知っている。こっちの、毒草と使う薬草は今時期なら容易に手には入る。だが……」
 
 ゼロスはもう一つ、解毒薬に使う薬草に眉を顰めたのだ。

「本当に必要なのか」
 
 ゼロスはフィネイに視線を送る。
 
「この毒草の毒素が強いんだ。きちんとしないと、調合する俺自身がやばいんだ」
「そんなに珍しいのか」
 
 アレンは疲れたように息を吐き出した。
 
「珍しいって言えば、珍しいな。こっちの世界の薬草じゃない」
 
 その言葉にレイを省いた全員が目を見開いた。
 
「まあ、吸血族の住処は、人間界と魔界の狭間だろう。結界内は季節そのものがないしな。大抵の薬草やら毒草は人間界寄りなんだ。だが、この解毒薬用の薬草は魔界の一番高い山の頂付近にある」
 
 ゼロスの説明にフィネイは脱力した。

 吸血族の扱う薬草は確かに人間界のものが多い。人間界は季節がはっきりしている。そのせいなのか、生息する植物は多岐に渡る。
 
 一方、魔界だが、季節という概念そのものがない。暑ければ暑く、寒ければ寒い。そのため、植物の種類そのものは多くない。
 
 吸血族は人間界に深く入り込んではいるが、本来魔界の住人であるのにも関わらず、魔界の知識が乏しいのだ。
 
「俺としても、魔界にはあまり近付きたくない」
 
 ゼロスは空気が合わないのだと、肩を竦めながら言った。

「それだけじゃあ、無いだろう」
 
 レイはすっと目を細めた。
 
「ああ。魔界の住人は俺達銀狼を認めていない。何故なのかは判らなかったが、理由ははっきりと判った」
 
 ゼロスは嘆息し、架空に視線を走らせた。
 
「俺達が吸血族の突然変異だったからだ。しかも、吸血族自体が魔界から離れて生活している。奴等にしてみれば、異分子になるんだろうな」
 
 それでも攻撃を仕掛けてこないのは、銀狼が強い魔力を有しているからだ。魔界の住人は魔力に敏感だ。だからこそ、気に入らなくとも手出しはしてこない。

「そう言う理由で、本当に必要でない限り、俺は近付かない」
 
 それは暗に魔界には行きたくないのだと言っていた。
 
「もう一つの方法は、毒草の花を使うんだが、花の季節じゃないと手に入らない」
 
 フィネイはエンヴィに顔を向けた。エンヴィは何を問われているのか直ぐに判った。カイファスから毒草の生息地を聞いたのなら、理解出来る視線だった。
 
「毒草の花の時期は終わったばかりだ」
 
 エンヴィの言葉に、フィネイは落胆した。ゼロスが嫌がっているのに、魔界に行って欲しいと無理を強いたくない。

「……生じゃねぇと駄目なのか」
 
 エンヴィは探るように問い掛けてきた。フィネイは一瞬、何を言われたのか判らず、呆けたような表情を見せる。
 
「花が乾燥していても良いなら、手元にある」
 
 エンヴィはきっぱり言い切った。その言葉に、一同は息をのんだ。
 
「俺が毒草を見て判ったのは、花が咲いていたからだ。仕事場にその乾燥した花が保存されていた」
 
 つまり、エンヴィは花だけで毒草だと判ったのだという。理由は乾燥させてあった花を納めた瓶に説明文が記されていた。

 そして、瓶には説明文と共に押し花にした花が張り付けられていた。毒草そのものに手を出すわけにはいかない。
 
 調香師であったが故、花だけでも理解が出来ると確信していたのかもしれない。
 
「本当にあるのかっ」
 
 フィネイは乗り出すように小さく叫んだ。
 
「古いものだと思うが、結構な量がある。何のために保存していたかは知らねぇけど、昔からあったみてぇだ」
 
 エンヴィは頷くと、そう答えた。あからさまに安堵の息を吐き出したのはゼロスだ。

「……なるほどね」
 
 レイはシアンを抱き直すと、独り言を言った。首を捻ったのは四人だ。
 
「どうかしたのか」
「強き草に、弱き花、全てを導き、全てを奪うもの」
 
 更に訳の判らないことを呟いたレイに、四人は顔を見合わせた。
 
「当時、この毒草は何処にでも生えていた。ところが、今では一ヶ所だけだ。月読みは何かをしたのかもしれないな」
 
 レイはエンヴィに視線を向けた。今の生息場所はエンヴィの館の敷地内の森だ。最も毒草と縁遠い存在だろう。

「ちょっと、気になるんだけどな」
 
 ゼロスは腕を組み、首を捻った。全ての植物に精通しているわけではない。だが、毒草となれば別で、絶滅していると言われても、知識として頭に叩き込んでいる。
 
 人知れず、生息している場合があるからだ。しかし、ゼロスはこの毒草を知らなかった。魔界にある、解毒薬用の薬草は知っているのにだ。しかも、カイファスは知識として持っていた。
 
「俺はこの毒草を知らないんだよ」
「絶滅してるからじゃないのか」
 
 ゼロスは小さく首を横に振った。

「俺は調合用の薬草やら毒草を採集する仕事をしてるんだぞ。言っておくが、絶滅種、絶滅危惧種のどちらの場合でも、毒草なら知識として叩き込む。自分を守るためにな」
 
 ゼロスはアレンを睨み付けた。レイは昔は普通に生息していたと言っている。ならば、銀狼族の植物に関する書物に記載されていてもおかしくはない。それなのに、痕跡すらなかったのだ。
 
 訝しみ、ゼロスはレイに視線を向けた。レイはその疑問の眼に軽く首を振る。薔薇に関しては事実を握り潰したが、関係がないだろうことまで、関知はしていない。

 だが、レイが情報を集めているときに気が付いたことはあった。
 
「お前なら判るんじゃないか」
 
 レイは二冊の本に詳細に描かれている絵を指差した。それは、まるで生きているかのように、写し取ったものだ。
 
「二つの植物にはよく似た特徴がある」
 
 ゼロスはそう言われ、食い入るようにその二つの植物を見比べた。薬草は純白の花を付け、毒草は紫の花を付ける。書かれている効能や、毒の強さに似たような特徴は見いだせない。
 
 ただ、色こそ違うが、その姿が余りにも似すぎていた。

「どういうことだ」
「一つの可能性を上げるなら、毒草は元々、魔界の植物だった。何らかの理由で、此方に持ち込まれたんだろうな」
 
 だが、植物は適応するために、その体に毒を蓄えるようになった。その毒素が有り得ないほど強力なものとなったのだろう。
 
「元々が同じ植物なんだ。解毒作用があってもおかしくない」
 
 確かにそうだ。
 
「まあ、一番いいのは血清を用意することだろうが、無理だしな」
 
 レイは嘆息した。月読みに言われたとき、その考えが脳裏を掠めたのだが、彼等はその考えを否定した。

 月読みは多くを語らない。今思えば、ヴェルディラに必要だったから、調べる必要があると言ったのだ。
 
 ヴェルディラが口に出来る血液はファジュラか自身のもののみ。そう考えると血液から作られる血清は本人かファジュラのものでなければ仇になりかねない。
 
「今の二人の状態で、血清を作り出すのは無理だ。ヴェルディラは生命活動そのものを停止させているし、ファジュラは自分を癒すだけで精一杯だ」
 
 アレンは諦めたように、言葉を吐き出した。フィネイもその言葉に頷く。

 それに本来なら血清など必要ではないのだ。自分の毒に侵され、まかり間違って本人が解毒出来なくとも、同族の誰かが行えばいい。
 
 ただ、薔薇にその常識が通用しない。変化を担った者以外の血が毒であることは知っていたが、まさか、薔薇の血そのものが、変化を担った者以外が口に出来ないようになっているなど知らなかったのだ。
 
「……まさか、あそこまで苦いとは思わなかった」
 
 アレンはヴェルディラの血を口にしたとき、明らかに危険を感じた。ただ、苦いだけではなかったのだ。

「そんなにか」
「苦いだけじゃない。あれは毒に近い」
 
 アレンは考えるように手を組んだ。吐き出したのは本能だった。飲み込んだら、ただではすまないだろうと感じたからだ。
 
「……きっちり調べておかないと、大変なことになるな……」
 
 アレンは眉間に皺を寄せる。実験云々じゃない。きちんとしておかないと、死活問題になるからだ。何も知らないままでは、後々、困ったことになりかねない。
 
「まあ、今すぐってわけじゃあ、ないけどな」
 
 アレンは盛大な溜め息を吐いた。

「じゃあ、行動を開始するか。時間も有るようで無いからな」
 
 ゼロスは重い腰を上げた。軽く体を伸ばすと、エンヴィとフィネイを促す。行動をおこすにしても、食事をさせてからでなくては始まらない。
 
「レイ」
 
 ゼロスはレイを見詰めると、すっ、と目を細めた。その表情に、レイは嘆息する。黙っていてもよいのだが、シオンのことだけに黙りも出来ない。
 
「判っている」
「すまない」
 
 ゼロスは一言言いおき、二人と共に部屋を後にした。残されたのは二人。

「何かあったのか」
 
 アレンは首を傾げた。ゼロスの様子がおかしかったからだ。何時もと何かが違う。
 
「あったな……」
 
 レイは抱き抱えていたシアンを長椅子の上に横たえた。そして、改まったようにアレンに視線を向けた。
 
「これから言うことは、そうだな。普通に考えれば信じられないかもしれないが、おそらく、真実だろう」
 
 レイは回りくどい言い方を始めた。はっきり言えば、歯切れが悪い。
 
「どう言うことだ」
「私ですら、否、月読みですら読めなかった真実だ」
 
 アレンは眉間に皺を寄せ、長椅子に沈んでいた体を起こした。

 
 
      †††
 
 
 黒の長は今、黄の長、蒼の長の三人で盛大な溜め息を吐いたところだった。
 
 一通り説明を聞いた黄の長は、思っていた以上の事象が起こったことに混乱していると言っても過言ではなかった。まさか、ティファレトがここまで出張ってくるなど、想定外だったのだ。
 
「彼女の心情は理解出来ますし、否定することも間違っていることも判っていますが、一族全体の利益を考えれば、それを認めるわけにはいきません」
 
 黒の長はきつい調子でティファレトに言い募りはしたが、心が痛んでいなかったわけではない。

「判っている。それで、ヴェルディラは……」
「命を凍結させました。あのままでは《血の狂気》ですよ。幸い此処は主治医の館ですし、薬師もいました。ファジュラも処置済みです。ただ、どれだけの時間が掛かるかは判らないそうです」
 
 ヴェルディラとファジュラは、このまま医者と薬師に委ねるしかない。
 
「意識が戻ったとしても、今の状態が維持されたままでは、結果は同じなのですよ」
 
 黒の長は黄の長に視線を向けた。その視線の意味を、黄の長は理解している。

 黄の長は諦めたように息を吐き出した。
 
「つまり、アーネストの願いを先送り出来ないということだな」
「そうです。本来、両親が子供の《婚礼の儀》を取り仕切ることは義務ですが、そんなことは言っていられません。ヴェルディラの両親にしても同様でしょう。ならば、儀式の取り仕切りなど、我々で行えばよいのですよ」
 
 それよりも大切なのは、二人の身の安全だ。黒薔薇の主治医の館に居る間は安全だ。ファジールとアレンが二人に手出しをさせないだろう。それに、銀狼の始祖であるレイも居る。

「それと、ティファレトは拘束させてもらいました」
 
 黒の長の言葉に、眉を顰めたのは蒼の長だ。今、ティファレトを拘束しているのは、過去使われた古い術だ。それも、吸血族の中で、最も醜悪で、最悪な術と言っていい。
 
「……使いたくない手でしたが、この館に牢屋はありません。かと言って、野放しの様に部屋に閉じこめておくのも不安でしたので」
 
 黄の長は首を傾げた。
 
「どうやって、拘束したんだ」
「足枷と結界を使いました。フィネイに施していたものが、そのままにしてあったので」
 
 黒の長は架空に視線を向けた。

「話してはいませんでしたね。足枷は部族長の一族に伝わっていたものですよ」
 
 目にしたことがある筈だろうと、黒の長は黄の長に問い掛ける。黄の長は頷いた。
 
「あれは薔薇の夫達を拘束し苛んでいたものです」
 
 レイが過去を語ったとき、軽く流されたため、足枷については詳しく知らないのだ。知っているのは足枷を実際に填めたことのある過去の夫達と、フィネイに使われたときに、その場にいた者達だけだ。
 
 黒の長もアレンに聞くまで、正確な能力は知らなかった。

「足枷は魔力を持つ者なら、誰しも苦痛を味わう代物です。部屋に足枷と連動させた結界を張れば、身動きがとれなくなります」
「どう言った仕組みだ」
「簡単ですよ。結界内で足枷を填められた者が外に出るには魔力を使うしかありません。ですが、魔力を使ったが最後、足枷はその魔力を吸収し、精神を圧迫します」
 
 魔力を使えば使うだけ、拘束力を増し、最終的には精神を病むことになる。無事でいるためには、足枷が外されるまで大人しくしているしかないのだ。何もしないことも、ある意味拷問に近い。

「我々魔族は無意識に魔力を使っていたりしますので、意識して魔力を使わないようにしなくてはいけません。ましてや、閉じ込められるわけですから、自由が奪われるわけです。牢屋なら身を拘束されるだけですが、足枷は全てを奪う役割をしています。魔力すら、使えないようにするのですからね」
 
 普通の牢屋にも、鉄格子には魔力をはねのける術が施されているが、あくまで、外に害をなさないようにしているだけで、捕らわれている者に直接的な害はないのだ。
 
 しかし、足枷と結界は更に内側にも拘束という苦痛を与える物だった。

「おそらくですが、足枷が使われた最大の理由は銀狼の始祖殿の存在でしょうね」
 
 王族の血筋で銀狼として誕生したレイは、ある意味、最も強い魔力を持っていたのだ。つまり、レイを拘束することが第一目的だったのだ。
 
 レイに抵抗されたら、父親であった王も手がつけられなかったに違いない。そこに、他の夫達が加われば、更に手に負えなくなる。
 
「今思えば、銀狼の始祖殿は魔力による抵抗はしなかったのではないかと思いますよ。彼は優しすぎます」
 
 黒の長は少し目を伏せた。

「ですが、我々は魔力に依存している種族です。魔力を封じるのは感覚の一つを奪う行為に等しい」
「手足を奪うように、感覚の一つを封じたのか」
 
 黄の長は嘆息するように呟いた。
 
「そうなのでしょうね。如何に我々の祖先が姑息な手を使ったかが判ります」
 
 黒の長は諦めたように息を吐き出し、黄の長に視線を戻した。
 
「ティファレトには貴方が来るまで大人しくしていてもらいたかったのですよ。流石に、こう立て続けに事が起こると、私でも消化し切れません」
 
 黒の長は右手で額を抑え、軽く頭を振った。

「何が一体どうなっているのか」
 
 黒の長は困惑していた。今までの薔薇達も大変だったことは確かだ。だが、ヴェルディラとファジュラの場合は、大変の種類が違う。命そのものに関わりすぎている。
 
 ヴェルディラは両親から逃げるように身を隠していた。蒼の長は行方不明になっていることを知っていても、見つけ出せないくらいに息を潜めていたのだ。
 
「ヴェルディラについては何故か気になって、両親に再三会わせろと言っていたんだが、会わせたがらなかった理由が所在が判らないだったからな」
 
 成人している吸血族に、要らぬ詮索をすることに躊躇いがあった。

 ましてやヴェルディラは絵師で、ふらりと何処かへ出掛けていく職業であることを蒼の長は知っていた。だから、ここまで深刻な事態に発展するなど、考えもしなかったのだ。
 
「今回に関して言えば、失敗だった。もっと真剣に探していれば……」
「仕方有りませんよ。言わせてもらいますが、女性化した者で、相談してきたのはカイファスだけです。ルビィの場合はまた、状況が違いますが、シオンにしてもトゥーイにしても、変化した後直ぐには誰一人気が付いていません」
 
 黒の長はきっぱりと言い切った。

 つまり、吸血族が性別を変化させる認識がなかった。これで、稀であっても変化する者がいると知れ渡っていれば状況が違ったのかもしれない。
 
 しかし、実際は知れ渡って要るどころか、変化する認識は皆無だったのだ。
 
「どんなことがあっても、ヴェルディラとファジュラには回復してもらわなくてはいけません。何のために、沢山の者達が苦しんだのですか。ここで諦めるのは、吸血族だけでなく、他の魔族にも波及します。何とかしなくてはいけないのですよ」
 
 黒の長は眉間に深い皺を刻んだ。

 黄の長は一度、瞳を閉じた。何もかも対応が遅すぎたのだろうか。そう、思わざる得ない状況。脳裏を掠めたのはアーネストの穏やかな微笑み。全てを理解し、何をすれば良いか判っている、そんな感じを受けた。
 
 もしかしたら、アーネストは判っていたのかもしれない。何時か、歪みを正すために修正するための強い力が働く。
 
「……明日にでも実行しよう」
 
 黄の長は絞り出すように声を出した。うなり声のようなその音に、二人の長は黄の長を見詰めた。応急的な処置だとしても、ティファレトを側から離す必要があるからだ。

「《眠りの薔薇》は……」
 
 蒼の長は一言問い掛けた。
 
「アーネストの薔薇はファジュラが成人したときには手元にあった。今も存在を保ったままだ」
 
 それは、アーネストの気持ちが変わっていないことを意味している。
 
「ファジュラは怒るかもしれないが、仕方ない」
 
 黄の長はゆっくりと目を開いた。
 
「彼の父親は」
「一緒に来ている。リムリスから連絡が着たとき、アーネストはまだ、我が館に居た。黒薔薇の主治医に挨拶がしたいからといってな」
 
 アーネストはファジールとアレンに会いたがったのだという。

「今更ですが、ヴェルディラの両親はどんな感じですか」
 
 黒の長は急にヴェルディラの両親のことが気になった。
 
「此方に来る前にそれとなく聞いてみたのだが、相変わらずだ。息子は何処にいるか判らないの一点張りだ。まあ、本当に知らなかったみたいだしな」
 
 両親に問い掛けながら、その実、蒼の長はヴェルディラの所在が判っている。こんな状況だが、知らせるつもりは更々ない。何時もと変わらない態度を取り続けるだけだ。
 
「二人の《婚礼の儀》が無事済むまで、知らぬ存ぜぬを通すつもりだ」
 
 蒼の長はきっぱりと言い切った。

「何時まで騙されてくれるでしょうか」
 
 黒の長はあの手の存在が、変に勘が良いことを知っていた。鼻が利くのだ。特に、自身の利害に関係があるなら尚のこと、その傾向が強い。
 
「ファジールとアレンは敷地内からあの二人を出さないでしょう。敷地内なら、感知することが可能ですし、油断さえしなければ、敷地内に入り込まれることはありません」
 
 だが、ティファレトの例がある。出入りが頻繁になったせいなのか、鈍感になっている部分がある。しかし、今回のことで、黒薔薇の主治医の一族は神経質になったかもしれない。

 それに、どうやらレイにも感知することが可能であることが判った。黒薔薇の主治医の本館は元々、レイが居住していた。初代の護りの徴はレイが施したものだ。
 
「いざとなれば、銀狼の始祖殿が感知してくれます。如何に、ヴェルディラの両親を騙し続けるかです。ヴェルディラもファジュラも今は動かせません」
 
 ヴェルディラは体内の血液を大量に失ってしまった。ファジュラが回復しなければ、どうすることも出来ないのだ。全てが後手に回りすぎている。黒の長は苛立ちを顔に刻んだ。

「取り敢えず、何時もと変わらない態度を取り続けるより仕方ない。頻繁に会うわけではないしな」
 
 蒼の長は眉間に皺を寄せた。
 
「紅の長と白の長にも手を借りなくてはいけませんね。三人だけで対応するのは危険です」
 
 きちんとしておかなければ、面倒なことになったとき、どうすることも出来ない状況になるに違いない。
 
「もう、後手に回るのはごめんですよ。先手を打つくらいでなければ、今回は大変な事態になりかねません」
 
 薔薇と夫が他部族であることが、後々仇にならなければよいのだが、と黒の長は呟いた。

 
 
      †††
 
 
 アレンはレイの口から零れ落ちた言葉に声を失った。そして、シアンに視線を走らせる。
 
「私も、おそらく月読みも知らなかった」
 
 レイは嘆息する。
 
「後、ゼロスが変に納得していたことがあってな」
 
 シアンはアレンについても話していた。それは、ある意味、しっくりとくる内容だったのだ。
 
「お前には微弱だが月読みの能力があるようだな。無意識に使っていると言っていた」
「……月読みだって……」
 
 それはにわかには信じられなかった。

 シオンが体の成長を止めていると言う言葉は信じることが出来ても、月読みの能力があることには疑問が生まれた。
 
 そんな能力があるのなら、何故、アリスが反応しないのか。アレンが薔薇の夫としての認識はあるのだろうが、月読みとしては認識していない筈だ。
 
「おそらくだが、お前は吸血族としての性の方が強いのだろうな。月読みの力はよほどでなければ表に出ないのだろう」
「吸血族で月読みなのは《血の洗礼》を受けた、カイの婆さんだけだろうがっ」
 
 アレンは勢い良くレイに顔を向けた。

「正確にはな。だが、考えてみたらどうだ。自分の中で、疑問を持ったことはなかったのか。誰にも教わらなくても、知っていた事柄があったりはしなかったか」
 
 アレンは眉間に皺を寄せた。
 
「誰かに知らせる必要はない。自分自身で認識していることが大切なのだ。お前は吸血族だから、月読みの能力を保っていたとしても、情報に振り回されたりはしない」
 
 アリスは黒の長の結界が必要だが、アレンには必要ない。アレン自身が結界を作り出せるからだ。部族長クラスの結界ではない。

 せいぜい、自分自身を護るための結界だ。
 
「憶測になるが、お前は無意識に心に結界を張っているのだろうな。必要だと無意識に思ったときだけ、月読みの力を使っているのだ。だから、月読みだとしてもお前の力を認識出来ない」
 
 レイは静かに淡々と語る。
 
「シアンは表れるつもりはないと言っていた。私達の前で意識を入れ替えたのは、お前に否定されたくなかったからだろう」
 
 シアンが表れたのはシオンのためだ。生まれ落ちたとき、行き場を失っていた魂の避難場所は、母親となる魂だけだったのだ。

 純真無垢な生まれたばかりの魂は狙われやすい。ましてや、シアンには全く色が無く、悪しき意識を持つ者達には恰好の餌だった。純粋な魂の輝き。何者にも染まっていないということは、好きな色に染め上げることが出来ると言うことだ。
 
「シアンはアレンとシオンの魂の触れ合いで生まれたのだろう。ただ、アレンは二人の間に新たな命を生み出すことを否定した。当時の状況では致し方なかったのだろう」
 
 アレンは他人に、それが例え血族であったとしても、血を分けた子を託したくなかった。

 特殊な存在となってしまった自分達の間に生まれた子は、絶対に苦労をする。医者故に、深く考えてしまったのだろう。
 
「シアンが銀狼となったのは、シオンの魂に抱かれ、お前の月読みの力と月華の血筋が本来の性を変化させたのだろう。そう考えれば納得出来る」
「……じゃあ、シアンは本来、吸血族だったと言うのか」
 
 アレンは困惑したように呟いた。レイは目を細めると、はっきりと頷いた。
 
「否定したからの奇跡。まさに、奇跡だったのだろうな」
 
 銀狼を一つの種族として確定させるための布石。

「シアンはシオンのために出てきた。そして、誰よりも色々なことを知っている。そのシアンが最後に言った言葉が引っ掛かる」
「何て言ったんだ」
「消えていく思いは誰かが気が付かないと失われる、だ。どう言う意味だ」
 
 アレンはその言葉に眉を顰める。
 
「レイから本を受け取ってフィネイと居間に行っただろう。そうしたら、シオンは寝ていたんだ」
 
 レイはアレンの言葉に口を噤んだ。
 
「てっきり、カイがまた、眠らせたんだと思ったんだが、違うと言われた」
 
 レイは考えるように、架空に視線を走らせた。

「……何と言っていた」
「トゥーイのおかげだと。ただ、その後、トゥーイがフィネイの抱えている本に気が付いて、結局、詳しく訊いていない」
 
 レイは腕を組むと、思案した。トゥーイが気が付いて、何時も一緒にいた者達が気が付かない。
 
「先入観、と言う言葉を知っているか」
「当たり前だ」
 
 アレンは憮然と答えた。
 
「お前達とトゥーイの違いはそれだろうな」
 
 アレンは判らないと首を捻った。
 
「お前は特に、シオンとは幼馴染みだろう」
 
 レイは当たり前のことを言った。

「私もある意味、先入観がない。仲間であったシオンと、お前のシオンは違う。その私から言わせてもらうと、何かを見落としているんじゃないかと思う」
 
 吸血族は過去の出来事のせいで、数が少ない。そうなれば、子孫は宝だ。自分の血を引くなら尚のこと、その思いが強くなる。
 
「男と女では命に関する感覚が違う。女は体内で命を育む。人間は違うようだが、吸血族は新しい命に対する執着心が強い」
 
 レイはアレンを見詰める。アレンは疑問を顔に貼り付けた。

「何が言いたいんだ」
「つまりだ。シアンが言った言葉は、シオンやお前に対してのものじゃない。第三者を指しているんだろう。それも、誰もが否定している者だ」
 
 アレンは判らないのか、更に眉間に皺を刻んだ。
 
「訊いてみたらどうだ。トゥーイが導きだしたものは何だったのか。多分、お前とは違う解釈で行き着いたのだろうな。カイファスとルビィはどんな感じだった」
 
 あのとき、二人はトゥーイのお陰なのだと、嬉しそうに話していた。シオンが安心して眠りに就けるだけの、見出した答えとは何なのか。

 アレンでは、思い付かない何かとは。
 
「ヴェルディラとファジュラは当分、あの状態だろう。フィネイが中和薬を調合し、ゼロスが薬草を採集してくるまでの間、実質、身動きはとれないのだ」
 
 レイは静かに、アレンを見詰めた。
 
「必要なのは自分自身のことだろう。シオンを癒やし、幸せに出来るのはお前だけだ。ならば、導き出された事を解決すべきじゃないのか」
 
 アレンはその言葉に、目を閉じた。レイが言っていることは正しい。ならば、アレンがとらなければいけないのは、自分達夫婦の問題だ。

 アレンは髪を掻き揚げ、深い溜め息を吐いた。先送りしていた訳じゃない。シオンが不安定になるのは、今に始まったことではなく、幼いときからだった。だから、つい、見落としてしまうのだ。
 
「何かあれば、みんなはお前に相談するだろう。今の薔薇の夫婦の中で、お前は中心的存在になっている。だからこそ、みんなは心配しているのだ」
 
 アレンは顔を上げ、他人に対して、初めて不安気な表情を見せた。ファジールやジゼルにすら見せない、それは、幼い子供の表情だった。
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