浅い夜・薔薇編

善奈美

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Ⅸ 満ちる月に白き淡雪

06 九日月

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「兄さん…」

 トゥーイは足が竦んだ。フィネイはゼロスの肩の上でぐったりと体をあずけている。

「用事って」

 カイファスは笑みを貼り付けたまま、再度、訊いてきた。

「憶測になるぞ」
「構わない」

 ゼロスの言葉にカイファスは即答した。

「足枷だ」

 ゼロスは簡潔に言った。その言葉に四人は怪訝な表情を見せた。

「だだの足枷じゃねぇよ」

 エンヴィは嫌悪感を露わにする。

「お前達に関係あるものなのか」

 カイファスは眉を顰める。

「関係あるって言うか、過去、拘束するために使われた拘束具だ」
「足枷だが、鎖は付いてない。特殊な物だ」

 ゼロスとエンヴィは顔を見合わせた。

「夢で見たのか」

 エンヴィがゼロスに問う。

「俺の場合は銀狼の族長の家系に伝わっていたんだ。聞いたとき、鳥肌がたったけどな」

 お前は、とゼロスに問い掛けられ、エンヴィは更に顔に皺を刻み込む。

「夢だ。最近、よく見る」

 エンヴィは思い出したのか、体が自然と震えた。あれは、気持ちのいい代物ではない。

「特殊って」

 ルビィは首を傾げ、訊いた。

「普通、足枷って鎖が付いてるよね」

 シオンも疑問を口にする。

「部屋に閉じ込められていたからな。出るためには魔力を使うしかない。その足枷は、魔力を使えば吸収し、拘束力を強くする厄介な代物なんだよ」
「魔力を使えば使うだけ、精神を圧迫する。逃げたくても逃げられなかったんだ」

 四人は目を見開いた。

「僕達も夢は見るけど、そんなのは見たこと無いよ」
「閉じ込められていることに、かわりはないけどね」

 シオンとルビィはそんなことを言った。

「夫の方にのみ使われたのか」

 カイファスは眉間に皺を寄せた。

「ちょっと、待ってくれ」

 カイファスはあることに思い当たる。その足枷が魔力を吸収するのなら、白薔薇の夫はどうなったのか。

 憶測にすぎないが、白薔薇は双子のアルビノだ。アルビノは魔力を常時身に纏っている。その状態で足枷が填められていたとしたら。

「仮定だが白薔薇は双子のアルビノだ。もし、そんな物を填められたら、気が狂うんじゃないか」

 難しい顔で呟いたカイファスの言葉に皆が息をのむ。

「どう言うことだ」

 トゥーイは呆然と問い掛けた。

「薔薇にはその足枷は使われていない。私も夢で足枷は見ていない。だから、何とも言えないが、白薔薇の夫は最終的に狂っていたんじゃないか」
「その通りですよ」

 ゼロスとエンヴィの背後で声がした。二人は驚き振り返る。そこにいたのは黒の長と執事のシン。シンの腕に抱かれ、ぐったりと意識を失ったアレンだった。

 シオンはアレンの姿に息をのみ、駆け出した。

「アレンっ」
「大丈夫ですよ。少し疲れただけですから」

 黒の長は穏やかに言った。

 シオンは不安気な表情で黒の長を見上げ、アレンの腕に縋りついた。

「フィネイの足を」

 黒の長はゼロスにそう告げた。ゼロスは目を細めると、無言でフィネイを床に下ろす。

 黒の長は何処からか足枷を取り出す。純銀で作られた、精巧な薔薇の紋様と、透明な石が散りばめられた拘束具。

 ゼロスとエンヴィは嫌悪感を露わにした。背を冷たい何かが這い上がってくる。

 黒の長は躊躇うことなくフィネイの右足首に足枷を嵌めた。透明な石が白く息づく。その様子に、二人は更に顔を険しくさせた。

「ファジール」

 黒の長は顔を上げ、いつの間にかそこにいたファジールに視線を向けた。

「部屋の用意を。出来れば続き部屋のない狭い所が望ましい」

 ファジールは頷いた。

「申し訳ありませんが、フィネイを運んで貰えますか」

 黒の長はゼロスに視線を戻すと、確認するように言った。ゼロスは頷くと先と同じように肩に抱え上げる。

「シオン、シンを部屋に案内してあげて下さい。今日、アレンは目を覚まさないでしょうから」

 シオンは頷くとシンと共に歩いていった。

 ファジールを先頭に歩き、ある部屋の前で立ち止まる。躊躇いもなく開かれた部屋はベッドが部屋の中央にあるだけで、他に目に付くのはベッド脇の椅子くらいだ。

「この部屋は」

 黒の長はファジールに問い掛けた。

「僕とアレンの仮眠室だ。滅多に使われないが、緊急をようしたときに使うために用意してある」

 黒の長は頷くとゼロスにフィネイをベットの上に横たえるように指示した。

「部屋を出ていてもらえますか」

 皆は静かに指示に従う。黒の長は静かに瞳を閉じると、部屋全体に薄い膜のような結界を張る。

 空気が張るような感じを受け、部屋が他の場所から隔絶されたことが判った。

「これでいいですね」

 黒の長はのんびりと呟いた。そして振り返り、ゼロスとエンヴィに視線を向けた。

「過去と同じになりましたか」

 その問い掛けに、エンヴィは嫌々ながらも頷いた。

 ゼロスは夢を見ているわけではないので、そこまで詳しくは知らなかった。

「さて、フィネイはどれくらいで目覚めますか」
「睡眠香に免疫がないうえ、原液の香りを聞かせたから、はっきりは」

 エンヴィは言葉を濁す。

「アリスの言葉では、今は本人が表に現れているそうです」

 黒の長は躊躇うことなく部屋に足を踏み出す。他の者は入室することに躊躇いを見せた。黒の長は振り返ると苦笑した。

「フィネイ以外は誰が出入りしても害はありませんよ。そのために、部屋から出したのですからね」

 それだけ言うと、黒の長はフィネイの元まで歩を進め、上から覗き込んだ。フィネイの頬に右手を添え、目を細める。

「目覚めていますね。誰であるか、答えなさい」

 黒の長の問い掛けに、フィネイの睫が震えた。

 ゆっくりと開かれた瞳が彷徨う。何処にいるか判っていないのか、仕切りに瞬きを繰り返す。

「お前は誰です」

 穏やかに問われ、声の主に顔を向けた。その顔に見覚えがあった。

「……フィネイ」

 問われたことにただ応える。

「お前の中の者はどうなっています」
「……眠ってる……」

 黒の長は頷くとトゥーイに視線を向けた。その瞳はトゥーイに来るようにと促していた。

 トゥーイは一瞬躊躇い、小さく息をのむと足を踏み出す。ゆっくりと近付き、フィネイを見下ろした。

 フィネイは少し顔色が悪いトゥーイを見詰めた。不思議だが、久し振りにまともに顔を見たような気がした。

「……兄さん」

 トゥーイは俯き、それだけ言うのが精一杯だった。シオンに目の前に現れたらどうするのかと問われたが、目の前に突きつけられて尚、判らなかった。

「此処は何処だ」
「それは俺が答えてやる」

 トゥーイの後ろに立っていた銀の髪の者。フィネイははっきりとしない頭で必死に考えた。ゆっくりと身を起こし、両手で顔を覆う。

 ゼロスは目を細め、二人とは逆のベットサイドに移動した。

「此処は黒薔薇の主治医の館だ。白の長に言われたことを覚えているか」

 ゼロスの言葉に驚き顔を上げた。そして、後の問い掛けに困惑した。確かに何かを言われた。素直に驚いた記憶もある。だが、思い出せなかった。

「……覚えていない」

 小さく頭を振り、右手で額を押さえ溜め息を漏らした。

「婚約は解消された」

 ゼロスはただ、事実を告げた。それに驚いたのはフィネイ本人ではなく、トゥーイだった。目を見開き、ゼロスを見詰める。

 ゼロスは視線に気が付きトゥーイを見た。

「どう言うことだ」

 トゥーイは判らなかった。普通、女性から申し出なければ解消はされない筈だ。今回の場合、白の長が相手側に通達する形になる。女性にしてみれば侮辱されたと憤慨する筈だ。

「フィネイの元婚約者は少し特殊でしてね。結婚そのものを望んでいませんでした。彼を指定したのは拒絶されると予め判っていたからですよ」

 黒の長は目を細め、淡々と事実を口にした。そして、ファジールを振り返った。ファジールはどうして黒の長が振り返ったのか判らなかった。

「彼女は余程でないかぎり結婚しません。それは生い立ちに関係があるのですよ。まあ、此処では言えませんけどね」

 黒の長はフィネイに視線を戻す。

「お前は自分がトゥーイにしたことを覚えていますか」

 その問い掛けにフィネイは顔を上げ、怪訝な表情を見せた。

「では、何時から自分じゃないと感じるようになりましたか」

 フィネイは沈黙した。何時からかははっきりと思い出せなかった。ただ、意識が浮いたり沈んだりする感覚はあった。特に意識が沈むのは目覚める前だ。

 何かが体の深い場所で生まれた。何かを囁き、少しずつ成長する。それは、黒よりも深い漆黒の闇。

 フィネイはその闇を知っていた。知っていたから拒絶することが出来なかった。囁かれた言葉に動揺し、何かが崩れた。

「……っ」

 今まで考えようとしなかった。月日が流れるにつれ、闇が身の内に在るのが当たり前になっていった。

「今なら、考えられるでしょう」

 その問い掛けに、素直に頷くことが出来た。思考を邪魔する何かが消え失せていた。

「……俺は何をしたんだ……」

 霞のかかった記憶はフィネイに何も教えてはくれない。ただ、遠い場所で揺らめく蜃気楼のように曖昧で、頼りないものだった。

「……何も覚えてないのかよ……」

 トゥーイは呆然となった。何のために悩み、何のために逃げたのか。何より、身に起こった変化が意味がないと突きつけられたように感じた。

 フィネイ本人が認識していないのでは、トゥーイの想いは全て無駄だということになる。普通なら、前のままならそう言われても、態度で示されても、何とも思わなかっただろう。

 怒りよりも、何よりも、虚しさが心を占めた。体の奥底でもう一つの何かが警鐘を鳴らす。

 知らず瞳に涙が溢れ出す。両手をキツく握っても、唇を噛み締めても、止まってはくれない。

 この場所には居たくなかった。フィネイの側から離れたかった。情けなさと、恥ずかしさで消えてしまいたかった。

 トゥーイはそのまま踵を返し、部屋を出て行った。慌てて後を追ったのはルビィだ。今は足枷代わりのシオンがいない。何より今のトゥーイは危険だった。何をしでかすか判らない。

「トゥーイはルビィに任せましょう」

 黒の長は穏やかにその場に居る者達に告げた。カイファス、エンヴィ、ファジールの三人もベットの近くまで移動した。

「フィネイ、もう一人が眠っている内に話しておきます」

 黒の長は視線をフィネイの右足に向けた。フィネイは自然と自分の足を見る。そこには、見たことのない金属が足に填められていた。

 見た瞬間、肌が粟立った。理屈ではなく本能がその金属を拒絶していた。息が上がり、目を見開いたフィネイは黒の長を見上げる。

「判っているみたいですね。これの謂われは判らなくとも、本能が知らせているでしょう。お前は代わりなのだから」

 フィネイはその言葉に困惑する。

「この足枷は特殊な物です。魔力を使えば使うだけ拘束力が強くなります」

 更に目を見開き息をのむ。

「部屋にはお前用に結界を張りました。部屋から出るには魔力を使わなくてはなりません。ですが、使えば足枷がお前の魔力を奪っていきます」

 ゆっくりと視線を足に戻す。ひんやりと冷たい金属の足枷。吸血族に純銀は強い効力を発揮しないが、それでも、嫌悪感が強かった。

「……何故……」

 足枷を凝視し、フィネイは呆然と呟く。

「トゥーイを守るためだよ」

 カイファスは腕を組みフィネイを見下ろした。その言葉にフィネイは困惑する。

「記憶に無かろうが、お前がトゥーイにしたことは極刑に値する。でも、お前はトゥーイのおかげで助かってるんだ」

 もし、トゥーイが変化しておらず、血を無理矢理飲ませたことが発覚すれば、待っているのは極刑か、それなりの刑罰だ。

 そして、トゥーイを待つのは新たに相手を見付けるか、《永遠の眠り》でしかない。

 同性の結婚は認められていない。かと言って、未婚で居続けることも無理だった。

 フィネイの家業はカイファスと同じ薬師。当然、後継者は必要だった。

「この場所で少し考えるんだな。記憶になくても、体が覚えている筈だ」

 カイファスは目を細めると踵を返した。そして、さっさと部屋を出て行く。

「言いたいことだけ言っていったな」

 ゼロスは苦笑する。

「判らなくもねぇけどな」

 エンヴィはカイファスの背を見送る。判らないのはフィネイだった。

「足枷を使おうとしたのはアレンです」

 黒の長はいきなり告げた。フィネイは黒の長に視線を戻す。

「いいですか。そこにいる二人もアレンもお前と立場は同じです。違うことがあるとすれば、お前は記憶に振り回されていると言うことです」
「……記憶……」

 黒の長は頷く。

「そうです。よく考えてご覧なさい。お前は知っている筈ですよ」

 黒の長は顔を上げ、ゼロスとエンヴィを見詰めた。ゼロスは小さく息を吐き出す。

「判ってる」

 ゼロスは諦めたように嘆息し、腕を組んだ。
 

      †††


「待ってっ」

 ルビィは何とか追い付き、左腕を掴んだ。いきなり掴まれた腕にびくつき、トゥーイは両目に涙を湛えた顔をルビィに向けた。

「ショックなのは判るけど、落ち着いて」
「どうやったら落ち着けるんだよっ」

 間髪を入れずに叫ばれ、ルビィは顔をしかめた。

「僕達がすんなり今みたいになったと思う」

 ルビィの問い掛けに、トゥーイは口を噤んだ。

「シオンなんて、《太陽の審判》を本当に受けたんだよ」
「……嘘だろ……」

 それは純粋な驚きだった。

 今のシオンからは想像も出来ない。初めて会ったときも、その後も、幸せそうに笑っていた。

「本当はこんなことは言いたくないけど、シオンは本当の両親に拒絶されたままなんだ」

 トゥーイは体の力を抜いた。それを感じ、ルビィはトゥーイの腕から手を離す。

「僕も本当なら此処にいない。女性になれたから罪を許されたんだよ」
「……何があったんだ」

 ルビィは悲し気に微笑んだ。

「話した方が良いみたいだね」

 ルビィはそう言った後、トゥーイの背後に視線を向けた。

「アレンは」

 ルビィはそう問い掛けた。

「眠ってるよ。邪魔したくなかったから、戻ってきたの。何かあったの」

 トゥーイはその声に振り返る。そこにいたのはシオン。幼い姿に大きなお腹。満月ではなくともシオンは女性の姿のままだ。

「ちょっとね」

 ルビィは言葉を濁す。シオンはすっと目を細めた。その表情にトゥーイは背筋が冷たくなった。

 どうしてそう感じたのかは判らない。強いて言うなら本能だった。シオンの琥珀の瞳がトゥーイの何かを見透かしているように見えた。

「じゃあ、場所かえよっか」

 こっち、とシオンは歩き出す。

 二人はシオンの後をついて行く。トゥーイは改めて館の中を見ることになった。華美な装飾はない。だが、落ち着いた雰囲気を漂わせていた。館自体は古いものなのか、年代を経た木材が綺麗な飴色をしていた。

 主治医の館に入ったことはない。何かあれば医者の方からトゥーイの元に出向いてきたからだ。

「何処に行くの」

 ルビィは問い掛ける。

「四阿」
「庭」
「そうだよ。僕、お腹空いちゃったんだもん」

 シオンはあっけらかんと言った。

「旦那は心配じゃないのか」

 トゥーイはぽつりと呟いた。シオンは振り返ると微笑む。

「心配だよ。でもね、心配しすぎて具合悪くなったりしたら心配かけちゃうでしょ。特に今は妊娠中だし。それにアレンなら大丈夫だよ」

 信じているし、とシオンは言い切った。ルビィは苦笑する。本当にシオンは強くなったのだと確信出来た。

 ただ、脳天気になりすぎているような気がして、ある意味、心配なのだが。

 トゥーイは沈黙した。今、フィネイを信じられるかと問われたら、きっと否定する。

 シオンは躊躇うことなくベランダの扉を開く。その瞬間、むせかえる程の薔薇の香りが広がる。

 トゥーイは驚きに目を見張る。

「何か増えてない」

 流石のルビィも驚きに目を見開いた。

「増えてるよ。食用だけだじゃなくって、調香用も栽培してるし」

 シオンはそれだけ言うとさっさと歩き始めた。二人も後を追う。

「調香って、エンヴィの」

 ルビィの問いにシオンは頷いた。

「あそこに青い薔薇が見えるでしょう」

 シオンが指差した場所に二人は視線を向ける。

「アレンが言うには珍しいんだって。最近、品種改良に成功したみたいなんだけど、安定してないみたいで、エンヴィには知らせてないんだけど」
「調香用なの」

 ルビィは驚いたように声を上げた。

「青い薔薇の生気って、食べたくないよ」

 見た目の色は重要だ。同じような理由で、黒薔薇と紫薔薇はあまり作らないのだそうだ。

「でも、あの薔薇、良い香りなんだよ」

 歩き進めると目の前に壁のない四本の柱に支えられ、屋根のある建物に辿り着く。そこにあるのは簡単な作りの木製の備え付けの椅子だけだ。

 シオンは振り返ると、満面の笑みを向ける。

「好きなの食べてね」

 言うなり、シオンは目的の薔薇の前まで歩き、目当ての薔薇にキスを落とした。その薔薇は大輪の薄い黄色の薔薇だった。

「それ、美味しいの」

 ルビィの言葉にシオンは顔を上げ、頷いた。

「アレンの新作。食べてみる」

 ルビィは頷く。そして、トゥーイを見た。トゥーイはまだ驚きを隠しきれないのか、目を見開いたまま薔薇園を見渡していた。

 色とりどりの薔薇達が溢れ、そこは幻想的ですらあった。

「それで、どうしたの」

 三人はそれぞれにお腹を満たすと、四阿の椅子に腰を下ろした。落ち着いたのを確認した後、シオンが二人に問い掛ける。

「実は、お兄さんがトゥーイにしたことを認識してないみたいで」
「うん」

 シオンはルビィの答えに頷き、更に先を促した。

「あまりに取り乱してたから、シオンのこと言っちゃった」

 ルビィは申し訳無さそうに俯く。

「僕のこと。全部かな」

 ルビィは首を横に振る。経緯までは話していないからだ。

「隠すことでもないし、みんな知ってることだから気にしなくっていいよ」

 シオンはトゥーイに視線を向けた。トゥーイは何故か居心地の悪い思いを味わっていた。

「僕ね。勝手にアレンの血に触れちゃったんだよ」

 微笑みを浮かべ、シオンは世間話でもするように、さらりと言った。何の抵抗もなく言った言葉に、トゥーイは驚き息をのむ。普通に考えたら、許されることではない。

「狂気の一歩手前までいっちゃって《太陽の審判》を長様にお願いしたんだ」

 シオンは架空を見詰め、思い出すように告げた。

 あのとき、消えることしか考えていなかったのだと、シオンは言った。

 血に触れたことを、女性に変化したことも、全てアレンに知らせることなく、静かに消えていくつもりだった。だが、ゼロスの鋭い勘のせいで、アレンはシオンの変化を目の当たりにすることになったのだ。

「あのときは本当に消えちゃいたかったよ。拒絶されちゃったんだもん」

 シオンは笑みを見せたまま、他人事のように口にする。トゥーイばかりでなく、ルビィも驚きに言葉が出ない。

 ルビィの表情に、シオンは首を傾げた。

「言ってなかったっけ」

 ルビィは大きく頷いた。

「あの当時って、アレンが好きだったのはカイファスだったんだよね。ほら、ゼロスとアレンって似てるじゃない。遠くから見てるとよく判ったんだよね」

 ゼロスははっきり認識していた筈だ。だから、カイファスに賭けを持ち掛けた。逆にアレンがはっきりと認識したのは賭の後だろう。

「二人って判りやすいんだもん」

 シオンは声を上げて笑った。ルビィはそんなシオンに対して恐ろしいものを感じた。

 四人の中で一番状況を判断出来るのはシオンなのかもしれない。その容姿のせいで皆は騙されているのだ。

「意外って顔してるよ」

 くすくすと笑い、シオンは二人を交互に見た。

「辛くなかったの」

 ルビィの問いに、シオンは淋しそうな表情を見せた。

「《血の狂気》がどれだけ辛いか判るかな」

 シオンは笑みを消すと、真剣な顔を二人に見せた。

「命が大切に思えなくなるんだよ。物以下。消えるだけが唯一の望みになるんだ」

 二人は息をするのも忘れた。

「自分の血では渇きは癒せない。かと言って、僕達は普通とは違うから、《血の狂気》に走っても、他の血を受け付けない」

 シオンは小さく溜め息を吐いた。

「でも、過ぎたことだしね」

 シオンは吹っ切るように微笑んだ。

「ルビィだって、大変だったじゃない」

 シオンはルビィに話を振った。ルビィは困ったように顔を歪める。

「そう言えば、さっき、本当なら此処にはいないって言ってたな」
「そうだよ」

 ルビィはシオンに視線を向けた。シオンは目を細める。

「僕とエンヴィは《婚礼の儀》当日にシオンを誘拐したんだ」

 トゥーイは目を見開く。

「助かるための条件が、僕が女性になること」

 普通なら、そんな条件を出さない。

「長様達に命令されたんだよね。エンヴィの血を飲めって」

 ルビィは頷いた。トゥーイは有り得ないことに固まった。それは無謀すぎる賭だ。

「金の髪の女の人を覚えてる」

 シオンは首を傾げながらトゥーイに問い掛けた。昨日、トゥーイの何もかもを見透かし、口にした女性。

 不思議な感じの銀の瞳と、確かに吸血族の気配を纏っているのに、違う空気を身に纏っていた。白の長が黒の預言者だと、はっきりと言っていた。

 シオンの問い掛けにトゥーイは頷く。

「黒の長様の奥さんなんだけど、少し特殊で過去も未来も見えちゃうんだって」
「じゃあ……」

 シオンは小さく頷く。

「ルビィが女性になることを判っていたみたい。ただ、消えようとするから出てきたんだって言ってたから」

 消えようとする、その言葉にトゥーイはルビィを見た。

 口に出さなくても、トゥーイが何を言いたいのかルビィは理解した。

「考えている通りだよ。《太陽の審判》を望んだんだ。僕はずっと、消える理由を探していたから……」

 ルビィは俯き、自虐的な笑みを見せる。その表情は痛みをうつし、トゥーイをいたたまれない思いにさせた。

「……あのときのエンヴィは病んでいて、僕も病んでいたから……」

 振り向いて貰えず、ただ、エンヴィが犯罪に走らないように必死に止める日々。疲れきり、自分を消してしまいたいと思うようになっていた。

「でも、正気に戻ったエンヴィが望んだのが《太陽の審判》だったんだよ」

 シオンは当時を思い出し溜め息を漏らした。ルビィならば何とかなる。だが、エンヴィが望んだことを知ったとき、皆が動揺したのだ。

「焦ったんだよね。ルビィは動ける状態じゃなかったし、エンヴィは長様と行っちゃうし」

 ルビィは苦笑を漏らした。本当に迷惑をかけたのだ。特にアレンとゼロスは振り回された。

「でも、長様はお芝居してたんだよ」

 僕達にも隠していたのだと、文句を漏らす。

「芝居……」
「そうっ」

 シオンは顔の前で人差し指を立てる。

「《太陽の審判》を許すつもりもないのに、ルビィの前で認めるようなことを言ったんだよ」

 有り得ないでしょう、とシオンが捲くし立てる。

「……でもさ、お互いに好き合ってたんだろ……」

 トゥーイは少し沈んだ声で呟く。

「ちょっと違うかな。アレンもだけど、エンヴィもあのときは認識してないよ」

 シオンは考えるように首を捻りながらルビィを見た。

「エンヴィは無意識だったって、落ち着いた後に言ってたんだ」

 ルビィは両手を膝の上で組み合わせる。

「どう言うことだ」
「僕、思うんだけど、お兄さんはトゥーイを家族としてじゃなく、好いてると思うよ」

 トゥーイは両手をきつく握り締めた。

「……何を根拠にっ」
「強いて言うなら勘」

 シオンはさらりと言った。その答えにトゥーイは顔の筋肉が引きつった。

「シオン」

 ルビィは呆れたように両手で顔を覆った。そのルビィの様子にシオンは困惑気な表情を向けた。

「それじゃあ、納得しないよ」
「はっきり言った方がいいの」

 シオンは悪びれた様子もなく二人を交互に見た。

 ルビィは弾かれたように顔を上げる。

「何か、気が付いたことでもあるの」
「気が付いたって言うか、状況は全く違うんだけど、ルビィ達と似てるんだよね」

 シオンが最初に感じたのはトゥーイに会ったときだ。アレンは不機嫌だったが、嫌々であったとしても関わりを持ったのは、何も黒の長に丸め込まれることだけを前提にしていない筈だ。

 嫌な予感がしていたに違いない。だから、直ぐに二人を呼び出したのだ。

「だって、眠ろうと考えていたでしょう」

 シオンは小首を傾げながらトゥーイに問い掛けた。
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