月の箱庭

善奈美

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月の箱庭

16 宝石

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 グウェンティアは修道院を見上げた。建物は何時もと変わらずそこに存在しているが、微妙な変化をとげていた。時々、建物の表面を輝く魔術文字が踊る。それは、要として機能を始めた証でもあった。
 
「機能を始めたな」
 
 いつの間にか黒猫の姿に戻っていたグロウが呟いた。あの日、グロウは地下であるものを確認した。それは、これからの戦いに必要なものだった。
 
 ただ、切っ掛けがなければ発動せず、力を蓄える魔術のみ機能していた。切っ掛けは三日月の痣を持つ者が現れること、結界と封印が危うくなること。

 二つの条件が揃うと言うことは、良くない前兆でもある。痣を持つ者が誕生した事が全ての始まりになるのだ。
 
「機能してもらわないと困るわよ。はっきり言って、これ以上、厄介な敵を増やしたくはないわ」
 
 グウェンティアは不機嫌に言い捨てた。封印されている者が持つ魔力は尋常ではない。普通の人ならばすぐに取り込まれてしまう。魔力を持たない者は先天的に器としての素質を持つため、感化されやすい。
 
「一つ訊くが、何故、この場所は結界が強いんだ」
 
 ゼディスは建物を見上げた後、辺りを見渡した。緑に溢れ、結界外との差がありすぎる。

 グウェンティアはゼディスを見上げ、小さく笑う。それは、彼に対してではなくこの場所で何故、あの仕事の拠点となっていたかを知っていたからだ。
 
 紫の書庫ではっきりと知った事実の一つだった。
 
「貴方は私の生業が何か知っているわよね。私達の報酬はお金ではないのよ」
 
 グウェンティアは小さい声で話し出した。他の者に聞かせないためだった。二人はおそらくグウェンティアの生業を聞いてしまったら、混乱してしまう筈だ。
 
「報酬は宝石なのよ。でも、普通の宝石では駄目」
 
 暗殺の報酬は宝石だった。

 それも、謂われのある物で普通の物では駄目なのだ。石が何かしらの力を吸収したものでなくてはならない。
 
「宝石」
 
 ゼディスは首を傾げた。
 
「謂われのある、もしくは力を蓄えている物ね。大抵は良くない物の方が多いわ」
 
 グウェンティアはレギスから渡された宝石をゼディスに渡した。大粒の宝石には力が宿っているのが判った。
 
「私が魔力を込めたものよ。一度、媒介になった宝石は力を吸収しやすいの」
 
 グウェンティアは再び、建物を見詰めた。力強く機能しているが、いつどうなるか判らない。そのために、解除宝石に魔力を込めたのだ。

「ここの結界は千年の間、力を蓄え続けた訳。だから、少しの攻撃くらいなら平気なのよ」
 
 グウェンティアは更に歩を進め、入り口近くまでやって来た。無造作に扉を開き、前方に視線を向けたままゼディスに言った。
 
「これから、それを見せてあげるわ。おそらく、全てが終わった後、結界の役目を終えて、術が消える筈だから」
 
 グウェンティアは小さく溜息を漏らす。厄介事を避けてきた筈なのだが、はまり込んでいる。その事実に、嫌気がさしていた。とは言え、ここで放り出すわけにもいかない。

「これは秘密だったみたいね。はっきり判ったのは今の事態になってから」
 
 グウェンティアは振り返った。少し離れたところを歩いている二人に視線を向ける。事態は思っていたよりも深刻だ。つまり、城の地下に封印されている人物が尋常でない魔力の持ち主で、封印されてなお力を発揮出来るのだ。
 
 ぐずぐずしていると、取り返しがつかない。
 
「今からある場所に連れていくわ。ついて来て」
 
 グウェンティアは少し大きな声で言うと、さっさと歩き出した。建物の中の空気は冷たかった。独特の雰囲気は何時もと変わっていない。

 ただ、時々、光の文字が壁をかすめていく。淡い光は、絶えず移動し術を完成させていた。
 
 グウェンティアは無言で歩を進める。建物の一番奥に向かって歩いていた。辺りが薄暗くなり、太陽の光を取り入れる窓すらない。壁に突き当たり、彼女は左の壁に手をついた。そこにあるのは、樫で作られた扉で、普通の物とは明らかに違った。
 
 事態が急変し、扉にも変化があったことが判った。
 
「これでは、私達以外、この場所に入るのは無理ね」
 
 グウェンティアは扉に浮き上がった淡い光を放つ魔術文字に額の痣を合わせた。行き交う淡い魔術文字が激しく動き、扉は音もなく開いた。

 中は淡く青白い光に照らし出され、階段があることが確認出来た。グウェンティアは躊躇うことなく中に入って行った。他の三人は顔を見合わせ息をのむ。
 
「早く来て。時間はそんなにないのよ」
 
 グウェンティアは振り返り、来るように促した。
 
「躊躇いは命取りだ」
 
 グロウは呟くように言い、グウェンティアの後に続いた。その後にゼディス、デュナミス、アシャンティが続いた。全員が入ると扉は静かに音もなく閉まった。アシャンティは振り返ると、不安におそわれた。

 冷たい空気が肌に触れる。地下へと続く階段を四人と一匹は進んだ。辺りに響くのは足音だけであり、他には息遣いが微かに耳に入る程度だった。
 
 最深部に着いたとき、目の前に飛び込んできたのは空中に浮かぶ球体だった。大きさは大人の頭程で、滑らかな表面を絶えず文字が踊る。
 
「要、ですか」
 
 アシャンティは震えた声で問う。
 
「そう」
 
 グウェンティアは短く答えた。
 
「完全に機能を始めたみたいだな」
 
 グロウは要を見上げ言った。彼が見たものは機能し始め、要が浮き上がる前の状態だ。

 時々、天井から光が降りてくる。鋭い矢のように要を射、そのたびに部屋の中を動き回る魔術文字が光を放つ。
 
 グウェンティアは上を見上げた。彼等に見せたかったのは要ではない。
 
「ついて来て」
 
 短く言い捨て、移動を始める。部屋自体は広くはない。薄暗いため把握するのは難しいが、小さめの個室位の広さしかない。
 
 三人と一匹は彼女の後についていくしかなかった。すぐに、螺旋階段を登り始める。足元がよく見えないため、注意をしないと踏み外してしまいそうだった。階段はそれ程広くなく、人一人がやっと通ることが出来る幅だった。

 螺旋階段を登り、広くない踊場に出ると、グウェンティアは眉を顰めた。彼女の前には扉があるが、淡く光る魔術文字がある一つの形を作り上げていた。
 
「ここまでする」
 
 グウェンティアは小声で呟いた。彼女の足元から上を見上げたグロウは失笑する。確かに安全な場所は必要であっただろう。しかし、念の入れすぎだ。
 
 浮かび上がっているのは漆黒の三日月を意味する文字だった。グウェンティアは振り返り、アシャンティを呼ぶと扉の前に立たせた。
 
 訝し気にグウェンティアを見るアシャンティの顔を無理矢理扉の前に向けた。魔術文字が変化を始め、複雑に動くと小さな音が響いた。そして、ゆっくりと扉が開かれる。

 グウェンティアは開いた扉の中に躊躇うことなく足を踏み入れた。室内は地下室とほぼ同じ広さだった。壁には魔術文字が蠢き、絶えず淡い光を放つ。
 
 部屋の中央の床が少し高くなっており、台のような形をしていた。近づいてみるとそこには円形の窪みがあり、中は沢山の宝石で溢れていた。
 
 普通の者なら飛びついただろうが、三人は違った。見た瞬間に後ずさった。宝石から感じるのは邪悪な気配だったからだ。一つ一つが闇の気配をはらんでいた。

 グウェンティアは台の上に上がり振り返った。
 
「見せたかったのはこれよ」
 
 目を細め冷たい視線で彼等を見た。
 
「ゼディス、さっき渡した宝石を返してもらえるかしら」
 
 グウェンティアは語りかけ、ゼディスは答えるように宝石を彼女に向けて放り投げた。グウェンティアは難なく受け取ると、宝石の溢れている窪みに視線を戻した。
 
 窪みは薄い膜のようなもので出来ており、下にある要が微かだが見ることが出来た。
 
「良く見ておいて。これが、他の場所と違う理由だから」
 
 グウェンティアは呟き、手にしていた宝石を窪みに投げた。

 乾いた音が響いた後、刹那、窪みの周りの魔術陣に変化が現れた。
 
 激しく動き、壁の文字も複雑な変化を見せ始める。強い光が窪みから発せられ、要に向かって矢を放つ。要がそれを受け強く輝き、外の結界陣が一瞬、強い光を放った。
 
 目を開けていられないほどの光に視界が霞み、二人は思わず目を閉じた。
 
「そういう仕組みか」
 
 グロウはグウェンティアに歩み寄り、宝石を見た。その力がなんであれ、力を蓄える性質を宝石は持っている。他の石とは違い、限りなく純粋だ。だからこそ、力を蓄える媒介になる。

「判ったかしら。今ので更に結界陣は強固になったわ」
 
 グウェンティアは三人の元に歩み寄り、事実のみを伝えた。後の判断は本人達次第だ。
 
「つまり、ここの要は千年の間、力を蓄え続けていた訳か」
 
 ゼディスが呟く。
 
「そういう事ね」
 
 グウェンティアは肩を竦めた。この仕組みがなければ、今の結界陣の強さは維持出来ない。
 
「グウェンティア」
 
 今まで固く口を閉ざしていたデュナミスはある疑問を抱いた。ここは修道院だ。宝石など、一番無縁ではないか。

「ここは一体、否、君は何者なんだ」
 
 デュナミスは慎重に言葉を選び問う。
 
「修道院の修道女なんかじゃないんだろう」
 
 疑問は膨らみ、押さえることが出来なかった。正確には、魔力に毒されているとはいえ人を斬りつけた時だ。グウェンティアは普通ではない。全てにおいて。
 
 アシャンティは驚いたようにデュナミスに視線を向け、グウェンティアを見た。
 
 グウェンティアは目を細める。全ての始まりは彼女の誕生前から始まっていたからだ。
 
 始まりは……。
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