月の箱庭

善奈美

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月の箱庭

15 亡者の都

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 昼は太陽が大地を焼き、夜は優しく月が見守る中、気温が下がる。その温度差に加え、動物達の魔物化。魔物の手に掛かり亡くなった人々が動き出し、街中を徘徊していた。青々と生い茂っていた緑も見る影すらない。急激な変化は全てを飲み込み始めていた。
 
 
 レギスは慣れ始めていた。グウェンティア達が旅立ち数日の間に全てが激変した。
 
 まず真っ先に変化が現れたのが空だった。今まで柔らかな日差しを与えてくれていた太陽が牙を剥いた。空気を焼き、大地を焼き、建物、植物、人とて例外ではなかった。
 
 いきなりの変化に付いていけず、人々は自然と魔物の餌食になるしかなかった。例外は国内の特定の場所が無傷で残っていることだった。
 
彼のいる修道院もその中に入る。その理由は、すぐに解明された。修道院から半径五キロの場所にあるものの存在があった。複雑な魔術文字が淡く光り、ゆっくりと動いていた。

 間違えなく結界陣だった。多少の魔力を保つものなら判るほど、それは強い力を保っていた。
 
 レギスは毎日のように足を運んでいた。結界の外は見る影もない。荒涼とした大地が広がり、今まで緑に覆われ見ることの出来なかった街がはっきりと視界に入る。
 
 魔物と化した動物達が睨みをきかせレギスを見たが、近付いてくることはなかった。時々、正気を保った人々が逃げ込んで来るが、人間も動物達同様、魔物化している。動物達と違い質が悪いのは、本能の他に知性と魔力を保った者がいる事だった。

 荒涼と化した大地は干上がり、乾いた風が吹いていた。そのレギスの横を、一陣の風が通り抜けた。驚き、振り返る。そこには、見たこともない生き物が三頭視界に入った。
 
 馬とよく似ているが、額には曲がりくねった角があり牙も鋭く見える。魔物に見えるその生き物はあっさりと結界を越えてきた。本当に魔物なら、弾き出される。そして、よく見れば馬上には人影があった。
 
 身軽に飛び降りレギスに向かって歩いてくる。軽やかな足取りはレギスが良く知る人物だった。
 
「グウェン」
 
 疑問混じりの声音で問い掛けた。

「思っていた以上の変化ね」
 
 グウェンティアは溜息混じりに言葉を漏らす。レギスの目から見たグウェンティアはかなりの変貌をとげていた。肉はそげ落ち、肌は太陽に焼かれ黒くなり、髪も少し赤みを帯びていた。
 
「どうなったかは訊かないわ。訊かなくても判っているから。ただ、少し休みたいの」
 
 レギスの目の前まで来たグウェンティアは率直に言った。
 
 あの後、グウェンティア達はゼディスの村で飼育していた馬で荒野を駆け抜けた。徒歩で一週間以上かかった道のりを半分の時間で移動出来たのは奇跡に近かった。

 普通の馬ならばすぐに使いものにならなかっただろう。見た目は魔物に近いが、それは外の世界で生きていくために進化したにすぎない。
 
 レギスはグウェンティアから後方に視線を移す。二人には見覚えがあった。だが、長身の赤い髪の青年に見覚えがない。両の目を布で隠し、だが、レギスをしっかり見据えているのが感じられた。
 
「他の場所も見てきたけど、しっかり機能しているのは此処と、石碑くらいね。後は崩壊が始まってる」
 
 グウェンティアは架空を見詰めた。時間は残されていないが、疲れた体で行動し続ければ参ってしまう。彼女はその事を良く理解していた。

「彼が紅の三日月か」
 
 レギスの問いにグウェンティアは頷いた。ゼディスは二人の会話内容に気が付いたのか、前髪を払い額の三日月をレギスに見せた。遠目でもはっきりと紅の三日月が確認出来た。
 
「本来の結界は消滅したみたいね。外の世界と大差ないわ。封印の森は維持されてるみたいだけど、厄介なのが、城の一部が破壊されていた事ね」
 
 グウェンティアは爪を噛み忌々し気に呟いた。デュナミスも表情を曇らせる。城の破壊は厄介な相手を外に出してしまうことになる。

「城の破壊がどうしたんだ」
 
 レギスは怪訝な表情で問うた。
 
 グウェンティアは国を少し離れている間の変化を予想はしていたが、城の破壊は予定外だった。城の地下に封印されている四凶は想像以上に手強い筈だ。
 
 外の世界にいた直属だという魔物が言葉を介していたことを考えると、間違えなく四凶も言葉を操る。異形の生物であることは想像出来るが、魔物の実質親玉になるであろう四凶の力がどれ程のものであるか知るのは無理だ。
 
 一度、気配を感じ逃げ出した経緯のあるグウェンティアにとって、厄介である事は身に染みて判っている。

「最も凶悪な魔物が外に放たれたかもしれないのよ。考えたくないけど」
 
 グウェンティアは結界の外に視線を向けた。そこに存在する世界は既に、生命が存在していくには過酷すぎる環境になっている。
 
 結界と封印を修復したとしても、いきなりの変化を求めることは無理な筈だ。一度、破壊されたものがすぐに元に戻らない事は誰もが知っている。
 
「考えたくないけど、でも、一体は確実に出てしまったみたいね」
 
 グウェンティアはうんざりとした様子で呟いた。レギスは首を傾げたが、三人はすぐに気配を察した。

 冷たく、邪悪な気配が近付いてくる。だが、一定の距離を保ち近付いては来ない。結界が強力であり、近付けないことが判っている証拠だ。外で待ち、獲物となる者が出て来るまで待つつもりなのだろう。
 
「休みましょう。行動はそれからよ。今の体力で、あいつの相手はごめんだわ」
 
 グウェンティアは踵を返し、修道院への道を歩き始めた。馬の手綱を引き、一人で歩き去ろうとする。その後を、みんなが追った。
 
 グウェンティアは歩きならが辺りを観察していた。修道院の敷地内には逃げ込んできた人々が疲れきった表情をしていた。

 この場所までたどり着けた者は幸運だったに違いない。だが、殆どの人々は命を落とした筈だ。
 
 グウェンティアは爪を噛み、苛立ちが募った。何故なら、死亡した者が多ければそれだけ厄介なのだ。彼等は動き出す。邪悪な魔力の力で動く屍となり、生者を襲う。本能のみで行動し、理性が無いため獣にも劣る。更に、命そのものが無いため消滅させたければ、体を完全に灰にしてしまうしかない。
 
「亡者の都だな」
 
 いつの間にかゼディスが隣にいた。グウェンティアは小さく首を振る。

 判っていたことではあったが、実際目の当たりにすると気が滅入る。
 
 この場所に行き着くまで、数体の亡者と化した者達をけちらしてきた。腐敗を始めた体から肉が削げ落ち、筋肉と骨が見えている遺体すらあった。生きていたとしても、毒されれば同じだ。魔物と化し破壊の限りを尽くす。
 
「何故、すぐに行動しない」
 
 ゼディスの問いはもっともだ。だが、二人が付いてこれないだろう。グウェンティアは一瞬、背後に視線を向けた。デュナミスとアシャンティは必ず途中で力尽きる。それでは困るのだ。

 ただでさえ、今の状況についていってない。そんな中で無闇に行動すれば、よい結果を得るのは無理だ。
 
「すぐに行動が必要なことは理解してるわ。でも、途中で潰れてもらっては困るのよ。判るわよね」
 
 グウェンティアはゼディスに聞こえる声音で言った。ゼディスは肩を竦めた。彼にしてみれば、甘い言を言っていると思わずにいられない。だが、不用意な行動がよからぬ事を引き起こす事は理解出来る。
 
 グウェンティアは普通の精神構造の持ち主ではない。その事は、この地にたどり着く間に判断出来た。無表情で切りつける様は容赦がなかった。

 ただ、刃向かってきた者を切り捨てていく。グウェンティアの生業が何であるのか知っていたゼディスでさえ、驚きを隠せなかった。
 
 デュナミスとアシャンティは旅の途中で目にしていたのか最初は驚いた様子はなかった。だが、人を切り捨てたとき表情が変わった。
 
 剣を振り、刃に付いた血液と肉片、脂肪を払ったときグウェンティアに表情はなかった。ただ、機械的に体を動かしている感じだった。
 
 感情を面に出さない。十代で暗殺者になり、彼女は生きてきた。生まれた時から技術を叩き込まれ、子供らしい生活を送ったことがない。それは、人格を形成するうえでどういった事が起こるのか予想が出来ないという事だ。

「二人は限界か」
 
 ゼディスは隣を歩きながら呟いた。確かに顔は青冷め、血の気すらない。疲れもあるのだろうが、それだけではないだろう。
 
「おそらく、半分は私のせいね。不用意だったと痛感しているわ」
 
 グウェンティアは自身が人を切り捨てたとき、過ちに気が付いていた。だが、言い訳をするつもりはない。これから、間違いなく行わなくてはいけない行為だ。嫌悪が拭えなくとも、慣れてもらうしかない。
 
「私はみんなの前から消える。嫌われたとしても問題はないわ」
 
 グウェンティアは遠く空を見上げた。結界に護られたこの場所の太陽は柔らかな光を降り注いでいる。一歩、外へ出ればそこは地獄だ。

 魔物が徘徊し、遺体が歩きながら腐敗臭と疫病を撒き散らし、邪悪な魔力に捕らわれた者は人としての何かを失っている。
 
「紅すら知らない何かがあるみたいだな」
 
 ゼディスは溜息混じりに呟いた。
 
「全てを知ることが良いとは限らない。二人を見れば判るでしょう。その内、自分達が置かれた状況がどういったものか理解する筈よ」
 
 グウェンティアは悲し気に言った。全ては始まり、このままでは終末に向けて動き出す。その前に、あるべき者を元の場所に戻す必要がある。
 
「全ては、これからよ」
 
 グウェンティアはゼディスを見上げ、言い切った。
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