浅い夜 蝶編

善奈美

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Ⅳ 華月蝶

四章

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 意識を完全に閉じた二人をベッドに沈め、ファジールとジゼルはただ、見守った。それ以外に出来ることなどなかったからだ。
 
「よく、頑張ったわ」
 
 ジゼルは微笑み、そう呟いた。ファジールはジゼルを凝視する。触れればある程度判るが、月華であるジゼルは側に居るだけで把握出来たからだ。
 
「封印出来たのか」
「ええ、帰ってくるわ」
 
 封印とは言っても、仮でしかない。だが、第一段階はクリアしたのだ。ジゼルは愛おし気にアーダの頬を撫でる。本当の戦いはこれからなのだ。辛さを判っているから、どうしても手を差し伸べたくなる。

 身じろぎしたアーダが、深い息を吐き出し、ゆっくりと瞳を開いた。一瞬、何処に居るのか判らなかったようで、視線を彷徨わせる。ゆっくりと、ジゼルとファジールを確認すると、眉間に皺を寄せた。
 
 激痛が体を襲ったからだ。
 
 判ってはいたが、やはり、感じたことのない痛みは、精神も体も苛む。
 
「大丈夫」
 
 ジゼルが心配気にアーダの顔を覗き込んだ。アーダはゆっくりと頷く。それを確認した二人はファーダに視線を向けた。ゆっくりと灰色の瞳が開き、アーダ同様、深く息を吐き出すと、無理矢理微笑んで見せた。ファジールは呆れたように息を吐き出す。

「無理をする必要はない」
 
 ファジールの言葉に、ファーダは首を横へ振った。痛みを感じるなら、その痛みに責任を持ちたい。互いに分け合うのなら、最後まで一緒に感じていたいのだ。たとえ、それが無謀だと思われようと。
 
「……出来ることはするって決めたから……、頼り切りたくないんだ」
 
 ファーダは力なく言葉を発した。アーダが覚悟を決めたように、ファーダも決めたのだ。父親と母親に言われたように、《太陽の審判》は逃げでしかないのだ。アーダが思い通りに動かなかったのも、全ては自分の甘さのせいに他ならない。
 
 だから、こうなってしまった以上、責任を持ちたいのだ。

「苦しむことになるぞ」
 
 ファジールは確認するように訊いてきた。判っている。幼いときから色々と教わってきたが、月華が最後まで意識を保っていたということは聞いていない。それは、おそらく、月華自身が己の置かれた状況を正確に把握していなかったからだ。
 
 しかし、ファーダは違う。生まれたときから月華としての処置を受け続け、物心つく頃には自分がどう言った存在か知っていた。だから、多くの知識を蓄えることが出来たし、恐怖も半端ないものになったのだ。
 
 他を犠牲にして命を維持出来る。それは、犠牲になる者に強いる苦痛に他ならない。たとえ、本人の意思で行われることであろうと、ファーダには耐えられることではなかったのだ。

「……俺は沢山の人達に助けてもらっていたんだ。だったら、自分自身で努力しないと、駄目だろう……」
 
 ファーダはそう言うと、アーダに視線を向けた。一人で耐えるより、二人なら苦痛でも乗り越えられるのではないか。
 
「こうなった以上、絶対に成功させないと、アーダの両親に申し訳ないから……」
 
 アーダはぎゅっとファーダに抱き付いた。一人で耐えてみせると息巻いていた。それは、強がりに他ならなかったのだ。確かに、祖父母が助けてくれるだろう。父親も出来る限りの手助けはしてくれる。だが、それはあくまで、協力であって、絶対的なものではない。結局は本人達で乗り切らなくてはいけないのだ。だからこそ、アーダは肩肘を張っていたのだ。

 ファジールは探るような視線をファーダへ向けた。無理はさせられないからだ。
 
「大丈夫よ」
 
 その声にファジールは顔を上げた。
 
「何のために私が居るのかしら」
 
 ジゼルの時とは違う。何も知らなかったジゼルではなく、幼い時から、二人は月華の知識を蓄えている。それに、当事者であったジゼルとファジールがいるのだ。
 
「アレンは大丈夫だと言ったのでしょう。だったら、大丈夫よ」
 
 ファジールはジゼルの言葉に息を吐き出した。そう、アレンは言ったではないか。

 全てが終わった後が視えたと。ならば、二人は大丈夫なのだ。
 
「意志は大事だからな」
 
 鍵の受け渡しは何時もなら、鍵となる者の覚悟だけが必要とされた。それは、月華が己の置かれた状況を判っていなかったからであって、本来なら、互いの覚悟そのものが必要だったのだ。
 
 ファジールの時も、ジゼルは自分がどう言った存在か全く知らなかったのだ。だから、ファジールが感じた負担は半端ないものになった。だが、二人は違う。危険を避けるために、与えられるだけの知識を与えた。おそらく、恐怖心も育てた筈だ。
 
 ファジールはアーダを見詰めた。姉妹の中で一番我が強いのも、きつい性格なのも、全て、ファーダのためだったのだ。

 魔族でありながら、命を危険に晒す。それは、特殊なことに違いなかった。
 
「何かあったら、必ず手を貸す。だから……」
 
 負担に感じたら、助けを呼ぶようにファジールは言った。アーダだけではない。ファジールにしてみれば、薔薇の子は全て孫に近い感覚を持っている。生まれた時から関わり、その成長を間近で見ていたからなのかもしれない。
 
 ジゼルはファジールの言葉に微笑みを浮かべた。その心が宿した思いに同意するように瞳を閉じた。
 
 血の繋がりがなくとも、ファーダは孫にも匹敵する存在だ。だから、頼ってもらいたいのだ。ジゼルも同じ気持ちで瞳を開くと、二人の頭にそっと、口付けを落とした。

 
 
      †††
 
 
 ファーダは漠然とアーダの血液を受け入れたわけではなかった。ただ、受け入れるだけでは、時間が掛かり過ぎる。互いが受ける負担が大きくなる。
 
 月華について教わる過程で、あることに気が付いていた。それは本人が全くあずかり知らない状態で、処置が行われていたということだ。
 
 相手が誰であるのかも、心云々の問題ではなく、放置が出来ないから、相手となる魔力が強い者が選ばれ、対応をしていたということだった。それを聞いたとき、ファーダは驚いたのだが、アーダは違ったのだ。

 ファーダは医師ではないから、詳しくは判らない。だが、仮にも薬師の後継者で、有る程度ならば医術についても学んでいた。
 
 医術も薬も結局は本人の気の持ちようで効果が著しく変わる。ファジールは月華の鍵の受け渡しは治療に近いのだと言った。つまり、本来有るモノがないから不都合なだけで、あるべきモノを補えれば問題は解決される。
 
 吸血族が行う血の治療は他の魔族には通用しないが、血液に依存しているからこそ、出来うる処置なのだと。
 
 吸血族なら、取り込んだ血液を無理をすれば感知出来る。それには多大な精神力を必要とするが、長い時間、苦痛を味わうなら多少の無理はするべきだ。アーダの負担を軽くするためなら、どんなことでもするつもりだ。たとえ、鍵の受け渡しが成功した後、体が悲鳴を上げたとしても。

 時間の感覚がおかしくなって行く。この痛みの中では、意識を飛ばしているのなら未だしも、そうでない場合は、どうやっても寝られる状況じゃない。それはファーダだけではなく、アーダも同じようで、ギュッと体を縮こませている。
 
 痛いという感覚は、時と共に気怠さに変わった。それは、体がとった防衛本能なのだろう。
 
 アーダから血液を与えられる度に、ファーダは意識して血液が辿る道筋を追った。見つけ出し捕まえ、取り込んで行く。その過程で、どうしても苦痛が強くなったが、三日目の夜明け前、ある事に気が付いた。
 
 苦痛は苦痛としてあったが、それだけではなかった。体の中で、取り込んだ血液が変化を始めたのだ。ゆっくりと、だが、確実に失われていたモノが補われて行く感覚。

 渡された鍵が仄かに光を帯び始める。
 
 そうなのか、とファーダは嘆息した。意識して取り込めば、鍵は早い段階で反応を始める。教えられた知識は、黒薔薇の主治医一族が脈々と、受け継いでいた知識と、ジゼルの魔力の扉を実際閉じたファジールからのものだ。当然、ファーダ本人とジゼルでは状況が全く違う。
 
 末期の症状を呈していた者と、まだ、余裕のあった者とでは感覚が変わる。しかも、ファーダは知識を持っており、両親は出来うる限りの薬師としての知識を息子に与えた。かなり早い段階で、半ば強制的ではあったが、必要な知識であると感じたからなのだろう。
 
 知識は確かにファーダに何かを指し示した。理解していたからこそ、アーダの血液を辿り捉えることも、どうすれば馴染むのかも、無意識に理解し、実行出来たのだ。

 握り締めていた鍵に視線を落とす。淡く輝いていた鍵が、一際、強い光を放った。咄嗟に目を庇い、強く瞳を閉じる。
 
 数秒の沈黙。
 
 ゆっくりと瞼を開くと、手の平にあった筈の鍵はなく、仰ぎ見た魔力の扉には、薔薇が咲き誇っていた。それは、不思議な光景だった。
 
 ファジールの話から、薔薇は本人同士の色を宿していると聞かされていた。しかし、ファーダの魔力の扉を彩っているのは四色の薔薇。
 
 白薔薇はファーダを象徴し、黄薔薇と黒薔薇はアーダを象徴しているのだろう。では、赤薔薇は誰を象徴しているのだろうか。ファーダはただ、首を傾げるだけだった。

 ゆっくりと瞼を開くと、其処は見慣れた部屋だった。痛みと、アーダの血液を追うことに集中していたから、正確には見慣れたではなく、数日、籠ることになった部屋だ。
 
 横に視線を向けると、呆然としているアーダの顔。おそらく、いきなり痛みが引いたので、驚いているのだろう。
 
「大丈夫」
 
 目を見開き、ファーダを凝視していたアーダは、その問い掛けに我に返る。
 
 アーダはと言えば、教わっていたよりも短い時間で痛みが引いたことに困惑していたのだ。確かに早く解放されることは、願ってもないことだった。

 ファーダはゆっくり体を起こし、辺りを見渡した。見渡すほど広くないのは判っていたが、ある者の姿がなかったからだ。苦痛の中で何時も側近くにあった存在。
 
 そう思っていると、扉がゆっくりと開かれる。姿を現したのはジゼル。ジゼルはファーダが身を起こしていることに、驚いたように目を見開いた。
 
 ファーダを凝視し、数秒後、表情を和らげた。
 
「アーダを追うことに成功したのね」
 
 ジゼルは何もかも判っているように問い掛けてきた。ファーダは頷く。判っていないのはアーダだった。アーダを追うとは、どういうことなのだろうか。アーダは首を傾げながら、怠い体を起こした。二人の会話の内容が、全く判らなかった。

「どう言うこと」
 
 アーダは疑問を口にした。
 
 ファーダが取った方法。それは、自分が月華であることを理解していたからこそ、出来得たことだった。苦痛が長引くのは、取り込んだ血液を体が拒否するからだ。魔力の扉の抵抗を、体が優先させてしまうからだ。ならば、取り込んだ本人が、魔力の扉と体に逆らった行動を取ればいい。
 
 体は元々、ファーダのモノだ。だから、抵抗しているモノが本人ではないのだと体が早い段階で認識すれば解決が早くなると、ファーダは考えたのだ。その考えが間違えていなければ、早い段階で鍵が体に馴染む。
 
「賭けだったんだ」
 
 もし、間違えた解釈であった場合、苦痛が長引く可能性もあったのだ。

 月華である自分が出来るなことなど、たかが知れている。少ない中で何が出来るのかを考えた場合、受け入れた血液を、早い段階で受け入れることしか思い付かなかった。
 
「失敗していたら、ただじゃ済まなかっただろうに」
 
 そう言いながら入ってきたのはファジールで、その後ろにはアレンが居た。
 
「それでも賭けたんだ」
「さっき、言っていたな」
 
 二人を調べ始めたファジールとアレンを、ジゼルは祈る気持ちで見詰めた。扉の封印は成功していることは判っている。だから、何事もなければいい。
 
「お父さん」
 
 アーダは不安気に父親を見上げた。

 アレンは不安気な声音を出したアーダを見やる。痛みは引いたし、成功したことも判っている。それでも、祖父と父親が入念に調べていることに不安があるのだろう。
 
「訊きたいことがあるんだ」
 
 少し気怠い声でファーダはファジールを見詰めた。ファジールは首を傾げた。
 
「何を訊きたい」
「扉に絡み付いた茨から薔薇が咲くのは教えてもらっていたけど、どうして、赤い薔薇が咲くんだ」
 
 ファーダの言葉に皆が目を見開いた。更に詳しく言ったことには、薔薇は全部で四色。白色、黒色、黄色は判ったのだという。たが、赤色だけが判らなかった。

「アーダだよ」
 
 アレンは呆れたように言った。アーダの中には三色の薔薇が咲いている。その事実を、ファーダは知らなかったのだろう。
 
 ファーダが驚いたように、アレンを凝視した。
 
「私の影響ね」
 
 ジゼルは溜め息と共に言葉を吐き出した。ファーダの両親はジゼルが紅薔薇の部族出身であることは知っているが、息子に教えてはいなかったのだろう。実際、必要な知識ではない。知らなくとも、問題はないのだ。
 
「……どう言う………」
 
 ファーダは困惑した。

「私は紅薔薇の部族の出だからよ」
 
 ファーダはジゼルに視線を向ける。今まで、他部族間の婚姻を許されたのは、蒼薔薇の夫婦と自分達だけであると思っていたからだ。
 
「今はそんなことを考える必要はないだろう。取り敢えず……」
 
 ファジールは言葉を濁すと、ファーダの耳元で何かを囁いた。ファーダはそれを聞くと、ファジールに頷いて見せた。
 
「お前の両親は今、来ているからな」
 
 アレンは事実を口にした。
 
「成功すると信じて、迎えに来たんだよ」
 
 フィネイとトゥーイはアレンからの知らせに、次の日には黒薔薇の主治医の館に来ていたのだ。

「体調が元に戻ったら、今回の話を詳しく聞かせてもらう」
 
 ファジールの言葉に、ファーダは頷いた。黒薔薇の主治医にとって、必要な情報であることは理解している。
 
 三人は必要なことを話し終えると、一旦、部屋を後にした。判らないのはアーダだ。話している内容は理解していても、いきなりの展開についていけていない。
 
「大丈夫」
 
 ファーダは少し気怠げにアーダの顔を覗き込んだ。アーダは驚いたように目を見開く。
 
「だっ……、大丈夫よ」
 
 アーダは少し上ずった声で答えた。

「血は飲めそう」
 
 ファーダの問い掛けに、アーダは黙り込んだ。どうして、いきなりそんなことを訊いてくるのか。
 
「俺は毎日血を摂取していたけど、アーダは違うだろう。お互い、体調が戻るまで会えないし、絶対に喉が渇くと思うんだ」
 
 アーダはきゅっと唇を噛み締めた。言われなくても判っている。先、ファジールがファーダの耳元に囁いたのは、この事だったのだろう。
 
「……絶対、迎えに来てくれる」
 
 アーダは不安を隠しもせず、ファーダに訴えた。ファーダはしっかりと頷いて見せた。

 アーダのお陰で手に入れた幸運を、手放したりしない。そんなことは、鍵の受け渡しが始まった時点で、考えていなかった。
 
「絶対に迎えに来る。だから、待ってて」
 
 アーダは頷くと、ファーダの首筋に顔を埋めた。首に感じる温もりも、一瞬感じた鋭い痛みも、二人で乗り切ったからこその奇跡だ。何より、沢山の人達が居たからこそ、今のファーダが居る。それを忘れないようにしないといけない。
 
 ゆっくりと顔を上げたアーダの額に、ファーダは誓いの口付けを贈る。アーダはそれを受け取ると、ファーダに強く抱き付いた。
 
 
 
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