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Ⅱ 銀月蝶
五章
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「孫は自分の子供とまた、違った感覚なんだな」
カイファスは孫を抱きながら、嬉しそうだ。
「甘やかし放題よ。孫ですもの」
ジゼルはうっとりと言ってのけた。自分の子供はやはり、立派な大人になってほしいという願望が強くなる。
「私には曾孫ですわよ。可愛いわ」
レイチェルもうっとりとしている。
「私達、この子を介して親族になるんですのね」
レイチェルの言葉に、ジゼルは嬉しそうに微笑み、互いに手と手を取ってはしゃいでいる。
それを呆れたように見ているのはカイファスだ。元々、ファジール繋がりで異常に仲が良かったのだが、それ以上になりそうな予感がした。
そこへシオンが何かを片手に現れた。右手に握られている物には見覚えがある。少し小さめの水晶球だ。
「それをどうするんだ」
カイファスの問い掛けに、はしゃいでいたジゼルとレイチェルもシオンに視線を向けた。
「アレンが用意しておくようにって」
「どうしてだ」
シオンは左手の人差し指を、顎に持っていく。
「多分、二人に僕の実家の館を、継承してもらうつもりじゃないかな」
その言葉に目を見開いたのは、ジゼルとレイチェルだ。
「出て行く必要はないんじゃない」
「そうですわ。此処は広いんですし」
だが、シオンは小さく首を振る。
「早く手を打たないと、何処に行っちゃうか判らなくなるじゃない」
二人は顔を見合わせて、首を傾げた。
「意味が判らなくってよ」
「二人って此処を離れるのを前提に育てたでしょ」
三人は頷いた。
「良くも悪くも、自立心旺盛なんだよね」
つまりだ。元の鞘に収まったとして、その後の行動は目に見えている。シアンはアレンから栽培の勉強中なので、直ぐにどうこうということはないだろうが、近い将来、必ず離れていく。ならば、増えてしまった資産を、少しでも継承して貰い、尚且つ、所在をはっきりさせておこうというのだ。
「アレンの考えには賛成だよ。今回の件もだけど、二人を野放しにするのは危険だと思うんだ」
二人は銀狼だが、認識されている銀狼とは、容姿が違う。トゥーイが最初、シアンを見たときに首を傾げていたのがいい例だ。黒薔薇ならば、少なくとも皆が認識している。
「それに、実家の館も使ってあげないと。折角、アレンが手入れをしたんだ」
アレンはこうなることを判っていたのだろう。最初は、館の使用人達のために、しているのだろうと思っていたのだが、途中で違うことに気が付いたのだ。アレンが手配していたのは、館の手入れだけではなかった。吸血族が住むのなら、料理人まで探す必要はない。
「直ぐにでも住めるようになってるみたいだし」
「反対ですわよっ」
レイチェルがすぐさま反論する。それにはさすがのジゼルも驚いた。
「この子はまだ生まれたばかりで、シアンは勉強中だというではないの」
確かに尤もな言葉だ。
「それに、アジルがゼロスから、ゼインに薬師の基本的なことを教えてほしいと頼んでいましたわ」
カイファスは吃驚したように、母親を凝視した。
「それ、聞いたんだけど、薬師は継承者がいるでしょ。だから、ゼインが今更、薬師になるのは意味がないってさ」
では、何故、ゼロスはそんなことを頼んだのだろうか。
「理解出来ないんだが」
「多分、薬草をある程度、加工した状態で商売させようとしてるんじゃない」
アレンとゼロスの考えはこうだ。採集には限界がある。シアンが栽培を担当し、ゼインが採集を担当する。
ゼインが採集してくる薬草は、一般的な物に留め、シアンに手に入りにくい薬草を栽培させる。珍しい薬草を加工することで付加価値を付けるのだ。認知されるようになれば、立派に生計を立てていける。
勿論、二人の血筋がその技を伝えていけばいい。銀狼族を離れたとしても、手に職をつけることで、他の種族の中でも生きていけるようになるのだ。
「館の護りの徴はゼインに引き継いでもらうけど、アレンのことだから、完璧にシアンが栽培を覚えるまで、館からは出さないと思うよ」
ゼインにしても、覚えることを覚えるまで、ゼロスは独り立ちさせないだろう。あの二人が結託したら、逃げられる筈はないのだ。
シオンは言った後、小さく肩を竦めた。
「でもね、この話しも、ゼイン次第なんだよね。僕としては許せない部分もあるし」
それは、母親として、真っ当な感覚だろう。
「だからって、シアンの気持ちも判るしさ」
シオンは右手に持っている水晶球を、強く握り締めた。その様子に、ジゼルとレイチェルは顔を見合わせる。
帰ってきたシアンの姿は、想像をはるかに越えていたのだ。ゼインがどうこうしたわけではないのは判っていても、目の当たりにした現実に不信感がわかないわけがない。
「帰ってきたあの子。変わっていたものね」
ジゼルは頬に右手をあて、大きく溜め息を吐いた。
「変わること事態は良いんだけど、距離を感じるんだ」
シオンは寂しげに呟く。シオンとしては、前と同じとまでいかなくても、頼ってもらいたいのだ。それなのに、そう言うと、困ったような笑みを向けられる。無表情に貼り付いた笑みは、目には異様に写るものだ。だからといって、指摘出来るのかと言われれば、そうではない。
「ゼインが来たことで、変わってくれたらいいのに」
シオンは自分が不甲斐なかった。
結局のところ、本人達で解決しないことには、外野が何かを言ったところで、解決などしないのだ。ましてや、シアンは何も言わず、一方的にゼインの元を離れた。
何一つ説明がないまま、事実のみを突きつけられたゼインは戸惑ったに違いない。それでも、シアンが離れて行き、目の前に現実が突きつけられるまで、ゼインは真実を知らずにいた。それだけ聞けば、責められるのはゼインだが、何も語らず、ひた隠しにしていたシアンにも責はある。
「ゼロスに聞いたんだが、シアンはゼインに何も話してはいなかったようだ」
カイファスが、真剣な声音で事実を告げた。もし、ゼインが何かに気が付いていても、本人から何も言われなければ、対応のしようもないのだ。
深刻な話をしている最中に、静かに廊下へと続く扉が開かれた。一同は一斉に視線を向ける。そこに立っていたのはゼイン。
ゼインはその視線を、素直に受け入れた。罵声を浴びせられても、文句は言えない。判っていたから、女性達をただ、見詰めた。
「シアンは」
シオンは右手の水晶球を握り締め、何とか感情を制御すると、感情を押し殺したような声音で問い掛けた。
「休んだ。眠いって」
ゼインは素直に答えた。本当は、シアンも来たがったのだが、疲れた体に、質問攻めはきつい。
間違えなく、問答無用で質問攻めにする筈だ。それは、幼いときからの経験で判っている。伊達に、薔薇の息子として生まれてはいない。ましてや、シアンを傷つけていたことは事実なのだ。知らなかったなどといっても、通じないことくらい判っている。
「……そう」
シオンはそこで口を噤んだ。いきなりの沈黙に、ゼインの思考がとまる。何時もなら、姦しいくらいに質問の嵐のになる。それが、沈黙という、今までにない状態に、ゼインは戸惑った。
シオンは一度目を閉じ開くと、ゼインの目の前まで歩いて行く。シオンの身長はゼインより低いが、母親であるカイファスより、幾分高い。ゼインを見上げ、小さく微笑んだ。
「決めたの」
シオンは簡潔に訊いてきた。ゼインは小さく息を呑む。シアンにはゼインから説明すると言ってある。今まで傷つけていたのだ。それくらい責任を持たなくては、気がすまなかった。とはいえ、実際にシオンを目の前にすると、躊躇いが生まれた。もしかしたら、反対されるかもしれない。アレンは蟠りがあったとしても、シアンの心を優先させているようだった。しかし、シオンは違うかもしれない。
「どうなの」
はっきりしないゼインに焦れ、シオンは少しきつい口調で詰問するように、再度、問い掛けた。ゼインは気持ちを落ち着けるように、小さく息を吐き出す。そして、シオンをしっかり見据えた。
「黒薔薇でシアンと生きて行く」
ゼインは声が震えないように、はっきりとした声音で言い切った。シオンは諦めたような、呆れたような表情を浮かべた。
「右手を出して」
いきなり言われ、ゼインは戸惑った。
「シアンのために認めるけど、これを受け取ってもらうことが最低条件だよ。だから、右手を出して」
ゼインは戸惑いながらも、右手を差し出した。
「手のひらは上に向けて」
シオンの命令口調に驚きながらも従った。
シオンは右手に握り締めていた水晶球を、ゼインの右手の平に乗せた。ゼインは驚いたように、シオンを凝視する。
「僕の実家の館を継承すること。それが、僕が出す復縁の条件だよ」
そう言うと、水晶球に封じられていた護り徴がゼインの体内に取り込まれた。
「アレンとゼロスは別の条件を出してくるだろうけど、僕はこれで認めてあげる」
シアンのためだし、とシオンは溜め息を吐いた。ゼインはじっと、自分の手の平を見詰めた。本来なら、黒の長に話を通し、何処かの土地に小さいながらも家を持とうと思っていた。贅沢な住まいなど必要ない。苦労をすることになろうと、二人で力を合わせて生きていく道を選んだのだ。
ゼインの表情にシオンは呆れたような表情を見せた。言いたいことは判るが、それを認めるわけにはいかないのだ。銀狼であることもそうだが、二人は良くも悪くも特殊すぎる。加えて、新しく生まれた命は、更に特殊な存在となるだろう。
それを判っていて、野放しにするつもりはない。銀狼のコロニーに居る分には問題ない。容姿は違えど同じ種族だ。だが、一族の庇護下を離れた状態では、どんなことが起こるのか予測が出来ない。
アレンがシオンの実家を継承させようとしたのは、何も、財産分与だけが目的ではないのだ。もし、何かが起こったとしても、目の届く範囲に居れば、手を差し伸べることが出来る。何も知らない、知る者も居ないような土地に行けば気苦労も増える。
「何を言いたいのかは判るけど、認められないよ。成人しているからとか言うのもなし」
シオンはきっぱりと言い切った。
「それに、こんなことになって、僕としてはゼインにもだけど、銀狼達が許せないのも事実なの」
ゼインは苦痛に顔を歪めた。否定のしようがないのだ。
「確かに、あの子は銀狼特有の容姿はしていないよ。でも、認めてもらいたかったの」
判る、とシオンはゼインの顔を覗き込んだ。ゼインは小さく頷く。それを確認したシオンは、表情を和らげた。
「勘違いしないで貰いたいのは、責めてる訳じゃないってことだよ。ゼインの立場も理解いているし、シアンの性格も判ってる。その上で言ってるの」
ゼインは小さく頷いた。
「もう一度、親の庇護下で勉強をして。成人したからって恥じる必要はないんだよ。二人はこれから銀狼族を離れて生きていくって決めたんでしょ。だったら、生きていくために必要なスキルは身に付けないといけないの」
シオンは諭すように言った。言っていることは真っ当で、否定の仕様もない。
「シアンは自分の意思でアレンから栽培を教わると決めたの」
それを、途中で放棄することは、アレンが許さない。
アレンとゼロスは、二人に必要だと思うことを習得させるつもりだろう。そうでなければ、おかしいのだ。
「それに此処なら、安心して生まれた子を育てられるでしょ。少なくとも、この子には、安心が必要なの。両親が揃ってることはいいことだと思うけど、二人はこれから忙しくなるの。だから、僕達が側にいてあげる」
家族で生きて生きたいなら、必要なことを必死で覚えるしかないのだ。その過程で、どう考えても、生まれた子の世話が疎かになってしまう。それではいけないのだ。愛情の不足や、大人との接触が少なすぎると、人格形成に悪影響を与えてしまう。
でも、此処ならば、掃いて捨てるほど、大人達がおり、尚且つ、小さな子供も頻繁に訪れる。
「判るよね」
「判るし、理解出来る」
シオンは安心したように息を吐き出した。
「それで。この子の名前は決めたの」
シオンはいきなり話題を変えてきた。ゼインは驚いたように、目を見開く。
「シアンは自分では付けなかったの。銀狼族に託すって決めていたから」
名前を付けてしまえば、それだけで辛さが増す。ただでさえ、側に行きたいと思っているのに、ゼインだけではなく、我が子にも二度と会えないと考えていたのだ。だから、カイファスの腕に抱かれている赤子には、まだ、名前はない。
ゼインは視線を我が子へと向けた。沢山の大人達の腕に渡り、それであるのに、名前がない。だが、ゼインは躊躇った。名前を付ける権利を持つのはシアンだ。一人で全てを抱え持ち、一人で育んだ。たとえ、家族の元で、安全は確保できても、穏やかではなかった筈だ。
不安もあっただろうし、寂しさも感じていたに違いない。ならば、名前はシアンが付けるべきだ。
「……俺に名付けの権利はない」
ぽつりと呟いたゼインに、皆は目を見開いた。
「名前はシアンが付けるべきだ」
シオンに視線を戻し、きっぱりと言い切った。
†††
次の日、シアンとゼインは互いの父親に呼び出された。理由は判っていたが、変に緊張するのは何故だろうか。
そして、言われたこと。
ゼインはシオンの実家の護りの徴を継承したが、今すぐ、住み始めると言うことではないようだ。シアンは栽培について習い始めたばかりなので、アレンはきちんと修得するまで敷地から出すつもりはないと言い切った。
ゼインは、アレンの性格を熟知している。中途半端は絶対に許さないのだ。
そして、ゼインが父親から告げられたことに、二人で固まった。今、薬師とか言わなかっただろうか。
「何を二人で惚けてやがる」
ゼインは軽く首を振ると、父親を凝視した。
「ヒューラがいるだろうっ」
「当たり前だ。何も、薬師になれとは言ってない」
更に二人は固まった。
「俺が説明してやる」
ゼロスでは、必要なことも端折って話してしまう。シアンの場合は、既に栽培の勉強を始めているので、簡潔に話したとしても通じるだろう。だが、ゼインは違うのだ。
吸血族に限らず、薬草の採取や加工と言った作業は、薬師が全てを行っている。シアンが珍しい薬草の栽培を修得すれば、それだけで、顧客は獲得出来る。だが、それでは、ただ、栽培だけで終わってしまう。
一般的な、普通に採集出来る薬草ならばそれで良いだろうが、希少価値の高い薬草でそれをするのは勿体ないのだ。
「つまりだ。お前が薬師の基本を学び、ある程度、加工された薬草を薬師達に売り込めば、付加価値が付くって言ってるんだ」
薬師の基本は、薬草を乾燥させ、乳鉢を使い粉末状にする。
調合をするのはあくまで、薬師の称号を持つ者の特権だが、調合前の状態ならば、誰が行っても問題ないのだ。
今まで、薬草を売りつける輩は居たが、次の段階に踏み込んだ者は居ないのだ。アレンとゼロスはそこに目を付けた。
やった者がいないということは、需要がなかったか、もしくは、知識がなかったために、居なかったのかの、二種類に分かれる。
アジルとフィネイに話を訊くと、普段は需要が薄いが、緊急時に必要になるだろうと言っていた。特にフィネイは、ヴェルディラの時に、強くそう思ったと言っていた。
ゼインの強みは、ゼロスと採集に行っていたということだ。幼いときから、薬草に親しんでいた。薬師である母親と祖父の姿も見ている。更に他部族の薬師であるフィネイとも面識があるのだ。
フィネイはゼロスと契約をしているが、事情を話すと、ゼインと契約をしてもいいと言っている。
最初は認識され、認められるまでに時間が掛かるだろうが、定着すれば一つの商売として成り立つ。
「銀狼族を離れると決めたなら、別の手段を身に付けなくては生きていけない」
判るな、と諭され、二人は頷いた。
「爺さんには話してある」
ゼロスはゼインに視線を向け、簡潔に言った。ゼインは小さく頷く。
「それと、しばらくの間、俺と採集に行くんだ」
ゼインの知識に疑いはないが、教えていない薬草もある。この際、知り得る全てを教えた方がいいというのが、二人の考えだった。
「暫くは、別々の生活になる」
二人は頷いた。互いに違う勉強をするのだ。一緒に居られないのは理解出来る。
アレンとゼロスは二人同時に息を吐き出した。良くも悪くも、二人は物分かりが良くなり過ぎだった。
「まあ、今日は休みだな」
シアンはアレンの言葉に腰を浮かす。アレンはシアンの様子に目を細めた。
「言いたいことは判る。でもな、名前は考えたのか」
シアンとゼインは顔を見合わせた。
「言っておくが、俺は考えるつもりはない」
当然、ゼロスもそうだと、態度で示した。
「お前達に振り回されたのはあの子だ。よく考えるんだな」
アレンはやれやれと、肩を竦める。そして、ゼロスと共に、部屋を出て行ってしまった。シアンとゼインはそんな父親達を呆然と見送った。
ゼインはシアンが名前を付けるべきだと言ったのだが、それは違うと、シアンが首を振った。何一つ、告げずに側を離れたのはシアンであって、ゼイン一人の非ではないのだ。
「で、結局、どうしたのさ」
シオンは二人を前に仁王立ちだ。結局二人は、決められなかったのだ。ならば、我が子を見れば、浮かぶのではないかと、居間に足を運んだというわけだ。
「思いつかなくて」
シアンは素直にそう、口にした。レイチェルの腕の中で、安らかに眠っている子を覗き込む。癖のない黒髪。褐色の肌。そして、今は目を閉じていて見えないが、そこには琥珀の瞳が眠っている。
黒薔薇と黄薔薇、そして、銀狼の色。全てをこの子はその身に宿している。二人で覗き込み、互いに顔を見合わせた。
「思い浮かんだ」
シアンは首を傾げた。ゼインは頷き、シアンにも同じ質問を投げかけた。
「一つしか思いつかない」
「で、この子の名前は」
シオンは焦れたように、催促した。名前がないのは、不便なのだ。
「光……、だよね」
シアンは我が子を見詰めて呟いた。
「光……、リヒト、だな」
ゼインの言葉に、シアンは頷いた。
居間に居たのは、シオンとジゼル、カイファスとレイチェルだった。四人は互いに顔を見合わせ、頷いた。そして、レイチェルはシアンにリヒトを手渡した。
「これから、忙しくなるのでしょう。私達は席を外しますわ」
そう言うと、四人は次々と部屋を出て行った。二人はただ、呆然とそれを見送る。父親達同様、やはり、母親達、祖母達にも勝てないと、苦笑いが漏れた。
「やっぱり、勝てないな」
「当たり前よ。勝てるのなんて、お父さん達くらいだわ」
シアンの言葉に、ゼインは頷いた。あの、女性達を制御出来るあたり、アレンとゼロスは普通ではないのだ。しかも、本人達にばれないようにしているあたりが、強かだった。
†††
シアンとゼインは結局、それぞれが技術を習得するため、すれ違いの生活をすることになった。寝泊りは黒薔薇の主治医宅にあるシアンの部屋ではあったが、太陽があるうちに作業をするシアンと、ゼロスに同行し、更に詳しく植物の特性と分布を覚え、尚且つ、薬師の基本も学ばなくてはならないゼインとでは、時間帯に完全なずれが生じた。
息子であるリヒトは、母親達と、祖母達にまかせっきりになる結果にはなったが、一日一回、必ず触れ合うようにと、アレンに釘を刺された。会わずに成長してしまえば、銀狼族に託したときと大差ない結果になってしまうからだ。
すれ違いながらも、二人は確実に必要な知識を深めていった。もともと、幼いときから、ゼロスに連れられ薬草の採集を手伝っていたゼインは、シアンよりも早い段階でゼロスから認められた。薬師の基本についても、元々、素質があったのか、早い段階で大丈夫だと言われたのだが、性格なのか、結局は、簡単な調合なら出来るまでになっていた。
一方のシアンだが、相手が植物だけに、簡単に習得できるわけではなかった。植物は生き物だ。思い通りになるわけではなく、つまずくことも多かった。
「結局、二人で覚える気か」
ゼロスがアレンに二人の姿を遠巻きに見ながら、呟いた。アレンも窓の外に視線を走らせる。今は太陽が空を支配している時間帯だ。
「覚えたいと言ってな」
アレンは腕を組み、視線をゼロスに戻した。
「で、お前は休む時間じゃないのか」
「仕方ないだろう。一週間に一回は、確認する必要がある」
植物栽培はある程度ならば、余程おかしなことでもしない限り、育ってくれるが、シアンが育てるのは希少価値の高い薬草だ。簡単に栽培が出来るようになるわけがない。当然、親株となる薬草はゼロスが事前に採集してきている。貴重故に、気が抜けないのだ。
「これは商売だ。確実に提供出来なくては意味がない」
アレンは溜め息混じりに言う。
「シオンがうるさいんだよ」
ゼロスは疑問を顔に貼り付けた。
「あいつは根っからの商売人だ」
中途半端は許さないと、二人の前で言い切った。商売は信頼関係で成り立つ。信頼を失えば、今まで築き上げてきたものなど簡単に崩れ去ってしまう。シオンはそれを身をもって判っているのだ。
「あいつ等も大変だな」
「そうだろうが、商売のノウハウはシオンが知っている。職業は違うが、基本的に同じだろう」
身に付けるのなら徹底的に。シオンはアレンにそう強い態度で言ったのだ。商品は品質が命だ。栽培をしそれを売るのなら、自信を持てる品物にしなくてはならない。
シオンはゼインにも、技術をきちんと磨くことを忠告した。最高品質の薬草を栽培出来るようになったとしよう。薬草に見合うだけの加工技術がなくてはだめなのだ。
「フィネイにまで、教わってる」
ゼロスは初耳だったのか、目を見開いた。基本的に一族に伝わる技術は、特別な理由でもない限り、教えたりはしない。
「最初は渋っていたが、根負けしたという感じだな」
ゼインは踏み込んだ技術を教えてくれと頼んだのではない。基本中の基本を教えて欲しいと言ったのだ。一族を商売の対象にするのではない。吸血族だけではなく、薬師と名のつく職業の者達が対象なのだ。
「リヒトは大変だな」
ゼロスは苦笑いを浮かべる。銀狼族に戻るにしても、両親が身に付けた技術はその子孫が引き継ぐのだ。
「まあ、そのうち、俺にも言ってきそうだからな。覚悟しておかないと」
更にゼロスは不思議顔だ。ゼインのあの性格は確実にゼロスの影響だろう。幼いときから、父親のプロとしての姿を目にしている。
「何を訊いてくるんだ」
「医術に関しても、ある程度、覚えようとするだろうな」
薬師の仕事は医師に通じる。遠いようで近いのだ。ある程度、病気についても知っておけば、対処が出来るのだ。
「そこまで、覚える必要があるのか」
流石のゼロスも疑問を覚えた。
「言っておくが、ゼインの突き詰める性格は、完全にお前の影響だぞ」
「どうしてだ」
全く判っていないゼロスに、アレンは呆れたように溜め息を吐いた。
「いいか。小さいときからお前の背中を見て育ったんだ、想いに一途なのも、仕事に対して妥協しないのも、全部、お前に似たんだろうが」
シアンやベンジャミンだけが特殊に育ったのではない。ゼインも二人ほどではないにしろ、特殊な環境下で育ったのだ。そんな環境で育ち、尚且つ、仕事に手抜きをしない父親を見ていれば、徹底的に調べようとするだろう。
良くも悪くも、親に似るのだ。
「何にしても、シアンは植物相手だ。何年掛かるかわからないが、しっかり、覚えることは覚えてもらう」
アレンはきっぱりと言い切った。本来なら、銀狼族の中で生活する筈だったのだ。それが、何の因果なのか、吸血族に戻ってきた。やはり、異質なものを受け入れる変化は、そう簡単に受け入れられるものではないのだ。
「お前だって突き詰める性分だろう」
ゼロスは呆れたように言った。その呟きにアレンは半眼になる。
「悪いか」
「否、悪くはないけどな」
ゼロスは何とも言えない表情を見せた。
外では二人が何やら言い合っているようだ。栽培に関してはシアンの方が知識があるのだろうが、植物に関してはゼインの方が上だ。
「何にしても、これからだろうな」
「そうかもな。銀狼はあの土地から離れるかもしれないな」
ゼロスはそんなことを口にした。元々、レイがあの土地に移り住んだのは、全ての魔族から離れた場所を選択したからだ。好き好んで住もうと思ったわけではないのだろう。
黒薔薇の主治医の庭には、沢山の薔薇が咲き誇っているが、その薔薇も、半分はレイが育てていたようなものだ。本人も驚くほど、薔薇は生き生きと花を咲かせていた。種類は信じられないほど増えていたが、原種の薔薇も残されていた。
二人でそんな話をしていると、外で言い合いをしていた二人が、迫ってきていることに気が付いた。何事か、と二人は顔を見合わせる。
「ゼインったら酷いのよっ」
シアンが勢いそのままに、大きな声で叫んだ。ゼインはと言えば、困ったような表情をしている。
「どうしたんだ」
アレンはとりあえず、話を聞くことにした。シアンは母親に似ている。ここで話を聞かないと、へそを曲げる筈だ。
「私の作業がぞんざいだって言うのよっ」
その言葉に、アレンとゼロスは目を見開いた。
アレンは何かを思い出したように、喉の奥で笑った。シアンは父親が笑い出したことに、首を傾げた。何故、そこで笑うのか。
「仕方ないだろう。シアンはシオンの娘なんだ」
更に三人は疑問を顔の貼り付けた。
「どう言うことだ」
ゼロスは疑問を口に乗せた。
「シオンはトゥーイほどじゃないが、不器用なんだよ」
シアンは表情だけではなく、全身が固まった。今まで、不器用だとは思っていなかったからだ。娘の姿に、アレンは溜め息を吐いた。
双子を宿したシオンは編み物を母親から教わっていたのだが、全く、物にはならなかったのだ。編んでいるうちに目は増えたり減ったりを繰り返し、真っ直ぐただ単調に編んでいるにもかかわらず、マフラーはものの見事に、姿を留めてはいなかった。
「俺が編んだほうが、まだ、見れた代物だったからな」
つまりだ。シオンに似れば不器用で、アレンに似ればそこそこ器用なのだ。シオンの母親のセイラも、姉のジュディも、シオンの不器用さに開いた口が塞がらなかった。
「やっぱり、お前はシオン似みたいだな」
シアンは面白くなかったのか、膨れっ面だ。
少なくともシアンはマフラーは編める。
「がさつには見えないけどな」
「根本的に大雑把なんだよ」
専門的なことになるとシオンはかなり煩いのだが、それ以外は結構、大雑把なのだ。流石にアレンは慣れたのだが、セイラは眠りに就くまで慣れることはなかったのである。
「ゼインは細かそうだからな」
アレンはバランスがとれていて良いんじゃないか、と言ったが、シアンは更に膨れっ面だ。ゼインが器用なのは認めるが、自分が不器用だとは認めたくない。
「私は不器用じゃないわっ」
言葉を遮るように叫んでみたが、効果は全くなかった。
父親二人は呆れたように肩を竦ませ、まだ、文句を言い足りないだろうシアンを無視し、館の奥に引っ込んでしまった。
「もうっ」
ゼインはそんなシアンを、後ろから見詰めた。銀狼族の中にいるときには、見ることが叶わなかった姿。いくら文句を言われても、今の方が数倍ましだった。
「どうして黙ってるのよっ」
シアンは振り返り様、両手を腰に当て、強い口調で問い詰める。ゼインはただ、笑みを見せた。
「楽しそうだなあって」
しみじみと言ったゼインに、シアンは口を噤んだ。
シアンの笑顔を奪ったのは、間違いなく銀狼達の心無い仕打ちだったのだろう。だが、気が付いていながら、放置していたゼインにも非がある。
「……楽しそう、って」
「銀狼達の前では何時も、感情を殺していただろう」
シアンは視線を逸らせた。間違ってはいないからだ。
「気が付いていた。それでも訊けなかったのは、失うと思ったからだ」
互いに臆病になっていたのだ。ただ、素直に疑問を口にしていれば良かっただけのことなのだ。
「言えるわけがないわ」
シアンは視線を戻さないまま、呟いた。
言えるくらいなら、こんなことにはなっていない。
「判ってる」
言えなかった理由も、臆病になった理由も判ってる。互いに話し合っていれば、起こらなかったことなのだ。だが、考え方を変えると、これで良かったのではないかと思えてくる。
銀狼族の中では、変化を望むことは無理だったのではないだろうか。銀狼族の元に赴くのも、そして、離れることも、必要なことだったのだ。もし、必要でなかったのなら、アレンが行かせなかっただろう。こうなると判っていながら、アレンは二人を銀狼族に、一時的とはいえ預けたのだ。
銀狼達に、変化を促すために。
月読みの恐ろしさを、ゼインは知らない。だが、父親であるゼロスが苦手にしていることは判っている。それだけ、特殊な存在なのだ。
「どうかしたの」
いきなり黙り込んだゼインに、シアンは不安を顕わにした。最近のゼインは、アレンやゼロスに通じるところがある。それはある意味、あまり気分の良いものではない。何を考えているか判らないときがあるからだ。
「否……。アレンさんはどこまで知ってるんだろうな、って」
「お父さん」
シアンは首を傾げる。父親の考えていることなど、判る筈がないではないか。判っていれば、苦労はしない。
「判るわけがないじゃない。判っていれば、混乱することなんてないんだから」
シアンが言っていることは尤もなことだ。それでも、ゼインはあえて疑問を口に乗せたのだ。何かを知っていても、語らずにいられることが、信じられなかった。普通なら、知ってしまったことを、話したくなるものではないのだろうか。
母親であるカイファスと、祖母のレイチェルが、曾祖母に対して訳が判らないと言っていたことを考えると、種族としての特性なのだろうか。
「そんなに気になるの」
「気になるって言うか、どこまで知っていて、どこまで考えているんだろうなって」
シアンは首を更に傾げた。
アレンの考えていることなど、判っている者がいるのだろうか。いたとしても、アレン同様、訳が判らないに決まっている。
「考えない方が身のためだと思うわ」
シアンは難しい表情を浮かべる。
「どうして」
「自分の父親だけど、訳が判らないときがあるもの。お母さんだって首を傾げるときがあるのよ」
聞いた話によると、小さい時から訳が判らない言動をしていたと言うから、知りたいなど、考えない方がいいのだ。ゼインの両親がいい例ではないか。祖母の言動に完全無視を決め込んでいたと、カイファスは悪びれた様子もなく言ってのけていた。
「自分の父親だろう」
「父親でも何でも『月読み』の部分は否定したいのよ。確かに、そのおかげで帰ってくるのに罪悪感はなかったけど、それとこれは別問題よ」
秘密にされている父親の能力を、快く思っていない者も多いのだ。しかも、アレン本人が、自分の中にある力を好いていないようだ。
「だから、知ろう何て考えないでよ」
シアンは小さく身震いした。
「判ったよ」
ゼインは諦めたように溜め息を吐いた。何も、喧嘩になるほど、気になっているわけではないのだ。それでも、アレンは知っているのだろう。
†††
二人が親元で生活したのは、シアンがアレンから、認められるまでの間だった。女性陣はずっと居てもらいたかった様なのだが、それでは、駄目なのだとアレンと祖父のファジールが言い含めた。
ゼインは父親と共に採集に出掛け、シアンは判らないことが出来ると、アレンに訊きに行く、という生活に移行していった。
その頃になると、息子のリヒトも両親がどういった仕事をしてるのかを少しずつ理解するようになり、シアンの近くで遊ぶようになっていた。遊びながら、少しずつ学んでいるようだった。
銀狼族はといえば、二人が完全に寄り付かなくなり、如何に愚かな事をしていたか気が付いたときには、既に遅すぎた。族長に取り成して欲しいと申し出た者もいたようだが、それに対する回答は否だった。
ゼロスから、二人は独立するために努力を重ね、銀狼族の庇護下でなくとも、生きていけるだけの技術は身に付けたのだと言われれば、戻ってきて欲しいなどと、手前勝手なことは言えなかったのだ。
だが、二人はリヒトを銀狼族の元に定期的に連れて行くことには反対はしなかった。確かに、一族を離れ生きていく選択をしたが、それを息子に強いるようなことはしたくない、というのが最大の理由だったのだ。何より、銀狼族について、リヒトは知っておかなくてはいけない。
何故、両親が一族から離れたのかも、判ってくることになるだろうが、どう考えるかは本人次第だ。親元から離れる選択をしても、両親同様、一族を離れる選択をするとしても、知るべき情報を奪ってしまうのは得策ではない。ましてや、リヒトの相手は銀狼族の者である確率が高いのだから、一族と面識を持つことは重要なのだ。
「本当に戻るつもりはないのですか」
あるとき、ゼインの弟のカルヴァスが甥っ子に会うために赴いてきたのだが、開口一番、二人にそう切り出した。黒薔薇の部族長となるべく育てられたカルヴァスにしてみれば、今の二人の状況は決して良いこととはいえないと思っていたからだ。
ゼインはそんはカルヴァスに苦笑いを浮かべた。
言いたいことは理解出来るが、一度持ってしまった不信感は、どうやっても拭い去ることは出来ないだろう。ましてや、大切な者が傷付けられたのだ。
「迷惑か」
ゼインの問いに、カルヴァスは軽く目を見開いた。意外な言葉を聞いたからだ。
「そんな訳がないでしょう」
カルヴァスは困ったような表情を浮かべる。現黒薔薇の部族長と、銀狼族の族長が認めているものを否定するつもりなどないのだ。ただ、純粋に心配してるだけに過ぎない。
カルヴァスの表情にそれを察したのか、ゼインは軽く肩を竦めた。
心配してくれていることは認めるが、銀狼族の元に、戻るつもりは更々ない。ゼインの様子にそれを察したカルヴァスは、シアンに視線を向けた。シアンもまた、困ったような表情を浮かべる。
戻ったとしても、結局は同じ結果になるのではないだろうか。それならば、少し離れた場所に居る方が、互いのためなのだ。
カルヴァスは諦めたように溜め息を吐いた。何を言っても、効果がないと判ったからだ。それに、ゼロスとアレンが動いていることは知っている。あの二人に掛かれば、部族長など、力がないも同然なのだ。
「そういう、お前はどうなんだ」
ゼインはカルヴァスに逆に問い掛けた。
「どう言うことですか」
「相手と上手くいってるのか」
カルヴァスは嫌な笑みを浮かべた。その表情を見たシアンは背筋を冷たい何かが這い上がった。
「どうでしょうか。なかなか、受け入れてくれないので、困っているところです」
面っと言っているが、拒絶されているのだろう。それでもめげないのは、父親の資質と、黒の長の資質を受け継いでいるからだ。
「諦めるつもりはないのか」
「何故です。諦めることなど考えるだけ無駄ですよ」
張り付いた黒い笑みに、ゼインはあからさまに溜め息を吐く。
成人前から、猛烈に口説いていることは知っている。知りたくなくとも、耳に入ってくるからだ。
「嫌われないようにな」
「嫌われているなら、まだ、望みはあるでしょう」
その言葉に二人は脱力した。
「無関心よりましですよ」
シアンは小さく息を呑んだ。
「それにしたって」
シアンの様子に気が付いていない二人は、尚も言い合っていた。嫌いなら、少なくとも、一個人として認識してもらえているのだ。無視されていることは、嫌われているより悪いと言うことになる。
「シアン」
黙りこんだシアンに気が付き、二人が視線を向けていた。シアンは小さく首を横へ振った。
「何でもないの」
その言葉に、目を細めたのはカルヴァスだった。
「本当ですか。隠し事は過去の二の舞ですよ」
シアンは俯き、唇を嚙み締めた。
「……私って、本当に受け入れられていなかったんだなって」
躊躇いがちに、シアンは小さい声で呟くように言った。言わずに飲み込んでいた言葉を口にしたとき、一粒の涙が零れ落ちる。
二人は顔を見合わせる。
「私は嫌われてすらいなかった。邪魔な存在として抹殺されていたんだわ。今頃、判るなんて……」
判ってしまえば、単純なことだったのだ。同じ時期に、薔薇の血筋に銀狼が、しかも、性別を違えて誕生するなど思いもよらなかったのだろう。吸血族とは違い、圧倒的に女性人口が多い。そんな中に、最初から始祖の末裔のゼインの妻としてシアンは銀狼族の元に赴いてしまったのだ。
普通に考えるなら、良い感情を持たれる筈がない。銀狼の申し子と言われたゼロスの息子で、始祖であるレイの色を受け継いだゼイン。銀狼族に切に望まれていたのはゼインであって、シアンではなかったのだ。
「例えそうだったとして、大人げなくシアンを無視した銀狼達に非があるでしょう。合理的に考えるなら、二つの薔薇の血筋が合わされば、銀狼と言う種族が確定される要因が確定されると言うことです。それに考え及ばず、二人を失ったのは一族としての過失に他ならないんですよ。それに対して、気に病む必要などないに等しいんです」
カルヴァスが、冷たい表情で言い切った。
「それに、少なくとも彼等は、完全に失ったわけではないんですよ。彼等の行いを二人は実質許したのでしょう。ならば、それに対して嘆くなど論外です」
シアンとゼインは目を見開いた。あまりに理路整然とカルヴァスが発言したからだ。
「第一、考えすぎです。何のために此方に戻ってきたのですか。後悔するためですか。過去を振り返るためですか。違うでしょう。銀狼とは違う場所で生きていくと決断したからではないんですか」
カルヴァスは呆れたように溜め息を吐いた。
「何時までも嘆いてないで、次の子のことを考えたらどうです」
「どうして、そうなるんだ」
ゼインはこめかみに痛みが走った。
「要は、何も言えない様にしてしまえばいいんですよ。母親を見習ったらどうです」
シアンとゼインは固まった。カルヴァスは二人の母親を手本にしろと、言っているように感じたからだ。
母親を見習ったら、身が持たないではないか。未だに、押し問答をしている姿を目撃しているのだ。
「ゼインや父さんに固執しているのは、単に居ないからですよ。だったら、増やしてしまえば問題の解決になるでしょう」
言っていることは理解出来る。だが、言うほど簡単ではないのだ。人一人を産み出すのは、並大抵のことではない。
「簡単に言うなよな」
「簡単に言っていると思われているとは心外ですよ。どれほど大変かくらい、知っていますから。伊達に、薔薇の息子ではないんですよ」
シアンは二人のやり取りに、笑いがこみ上げてきた。いきなり笑い出したシアンに、二人は首を傾げる。
「確かにカルの言うとおりかもしれないわ。兄弟は必要だものね」
暗いことを考えるのはやめにしようと、シアンは心に決めた。少なくともゼインの祖父と叔父は、シアンを認めてくれているのだ。ならば、それでよいではないか。
「リヒトに会って行ってね」
寝ているけど、とシアンは付け足した。カルヴァスは黒くない笑みを見せると、部屋に向かって歩いていった。
「本気で言っているのか」
ゼインの問い掛けに、シアンは首を捻る。
「兄弟を作るって」
躊躇いがちに訊いてきた。
「本気よ。私は薔薇の娘だもの。銀狼達に目に物見せてやるわ」
ゼインはこめかみがひくついた。変な方向に向いてしまったように感じたからだ。
「目指せ、第二のお義母さんよ」
シアンの姿にゼインは脱力した。元気になったのは良かったが、まさか、母親の真似をしようと考えるとは。父親の苦労が判るような気がした。
「どうしたの」
ゼインの姿にシアンは訝しむ。
「元気になってよかったよ」
下手なことは言わないほうがいいと、本能が告げていた。
「でも、リヒトがもう少し大きくなってからよ」
アレンがよく言っていた。きちんと愛情を持って育てたい。子供が沢山居ることは確かにいいことだろうが、一人一人、手をかけて育てたいのだと。妹達は例外であったようだが、それでも、言っていることは理解出来た。魔族は人間とは違う。長い時を生きるのに、急ぐ必要はないのだ。
「まずは、自分達だな」
シアンは頷いた。これからどうなるかなど、全く判らないのだ。手探りで生きていくしかない。二人は確認しあうように、抱き締めあった。
カイファスは孫を抱きながら、嬉しそうだ。
「甘やかし放題よ。孫ですもの」
ジゼルはうっとりと言ってのけた。自分の子供はやはり、立派な大人になってほしいという願望が強くなる。
「私には曾孫ですわよ。可愛いわ」
レイチェルもうっとりとしている。
「私達、この子を介して親族になるんですのね」
レイチェルの言葉に、ジゼルは嬉しそうに微笑み、互いに手と手を取ってはしゃいでいる。
それを呆れたように見ているのはカイファスだ。元々、ファジール繋がりで異常に仲が良かったのだが、それ以上になりそうな予感がした。
そこへシオンが何かを片手に現れた。右手に握られている物には見覚えがある。少し小さめの水晶球だ。
「それをどうするんだ」
カイファスの問い掛けに、はしゃいでいたジゼルとレイチェルもシオンに視線を向けた。
「アレンが用意しておくようにって」
「どうしてだ」
シオンは左手の人差し指を、顎に持っていく。
「多分、二人に僕の実家の館を、継承してもらうつもりじゃないかな」
その言葉に目を見開いたのは、ジゼルとレイチェルだ。
「出て行く必要はないんじゃない」
「そうですわ。此処は広いんですし」
だが、シオンは小さく首を振る。
「早く手を打たないと、何処に行っちゃうか判らなくなるじゃない」
二人は顔を見合わせて、首を傾げた。
「意味が判らなくってよ」
「二人って此処を離れるのを前提に育てたでしょ」
三人は頷いた。
「良くも悪くも、自立心旺盛なんだよね」
つまりだ。元の鞘に収まったとして、その後の行動は目に見えている。シアンはアレンから栽培の勉強中なので、直ぐにどうこうということはないだろうが、近い将来、必ず離れていく。ならば、増えてしまった資産を、少しでも継承して貰い、尚且つ、所在をはっきりさせておこうというのだ。
「アレンの考えには賛成だよ。今回の件もだけど、二人を野放しにするのは危険だと思うんだ」
二人は銀狼だが、認識されている銀狼とは、容姿が違う。トゥーイが最初、シアンを見たときに首を傾げていたのがいい例だ。黒薔薇ならば、少なくとも皆が認識している。
「それに、実家の館も使ってあげないと。折角、アレンが手入れをしたんだ」
アレンはこうなることを判っていたのだろう。最初は、館の使用人達のために、しているのだろうと思っていたのだが、途中で違うことに気が付いたのだ。アレンが手配していたのは、館の手入れだけではなかった。吸血族が住むのなら、料理人まで探す必要はない。
「直ぐにでも住めるようになってるみたいだし」
「反対ですわよっ」
レイチェルがすぐさま反論する。それにはさすがのジゼルも驚いた。
「この子はまだ生まれたばかりで、シアンは勉強中だというではないの」
確かに尤もな言葉だ。
「それに、アジルがゼロスから、ゼインに薬師の基本的なことを教えてほしいと頼んでいましたわ」
カイファスは吃驚したように、母親を凝視した。
「それ、聞いたんだけど、薬師は継承者がいるでしょ。だから、ゼインが今更、薬師になるのは意味がないってさ」
では、何故、ゼロスはそんなことを頼んだのだろうか。
「理解出来ないんだが」
「多分、薬草をある程度、加工した状態で商売させようとしてるんじゃない」
アレンとゼロスの考えはこうだ。採集には限界がある。シアンが栽培を担当し、ゼインが採集を担当する。
ゼインが採集してくる薬草は、一般的な物に留め、シアンに手に入りにくい薬草を栽培させる。珍しい薬草を加工することで付加価値を付けるのだ。認知されるようになれば、立派に生計を立てていける。
勿論、二人の血筋がその技を伝えていけばいい。銀狼族を離れたとしても、手に職をつけることで、他の種族の中でも生きていけるようになるのだ。
「館の護りの徴はゼインに引き継いでもらうけど、アレンのことだから、完璧にシアンが栽培を覚えるまで、館からは出さないと思うよ」
ゼインにしても、覚えることを覚えるまで、ゼロスは独り立ちさせないだろう。あの二人が結託したら、逃げられる筈はないのだ。
シオンは言った後、小さく肩を竦めた。
「でもね、この話しも、ゼイン次第なんだよね。僕としては許せない部分もあるし」
それは、母親として、真っ当な感覚だろう。
「だからって、シアンの気持ちも判るしさ」
シオンは右手に持っている水晶球を、強く握り締めた。その様子に、ジゼルとレイチェルは顔を見合わせる。
帰ってきたシアンの姿は、想像をはるかに越えていたのだ。ゼインがどうこうしたわけではないのは判っていても、目の当たりにした現実に不信感がわかないわけがない。
「帰ってきたあの子。変わっていたものね」
ジゼルは頬に右手をあて、大きく溜め息を吐いた。
「変わること事態は良いんだけど、距離を感じるんだ」
シオンは寂しげに呟く。シオンとしては、前と同じとまでいかなくても、頼ってもらいたいのだ。それなのに、そう言うと、困ったような笑みを向けられる。無表情に貼り付いた笑みは、目には異様に写るものだ。だからといって、指摘出来るのかと言われれば、そうではない。
「ゼインが来たことで、変わってくれたらいいのに」
シオンは自分が不甲斐なかった。
結局のところ、本人達で解決しないことには、外野が何かを言ったところで、解決などしないのだ。ましてや、シアンは何も言わず、一方的にゼインの元を離れた。
何一つ説明がないまま、事実のみを突きつけられたゼインは戸惑ったに違いない。それでも、シアンが離れて行き、目の前に現実が突きつけられるまで、ゼインは真実を知らずにいた。それだけ聞けば、責められるのはゼインだが、何も語らず、ひた隠しにしていたシアンにも責はある。
「ゼロスに聞いたんだが、シアンはゼインに何も話してはいなかったようだ」
カイファスが、真剣な声音で事実を告げた。もし、ゼインが何かに気が付いていても、本人から何も言われなければ、対応のしようもないのだ。
深刻な話をしている最中に、静かに廊下へと続く扉が開かれた。一同は一斉に視線を向ける。そこに立っていたのはゼイン。
ゼインはその視線を、素直に受け入れた。罵声を浴びせられても、文句は言えない。判っていたから、女性達をただ、見詰めた。
「シアンは」
シオンは右手の水晶球を握り締め、何とか感情を制御すると、感情を押し殺したような声音で問い掛けた。
「休んだ。眠いって」
ゼインは素直に答えた。本当は、シアンも来たがったのだが、疲れた体に、質問攻めはきつい。
間違えなく、問答無用で質問攻めにする筈だ。それは、幼いときからの経験で判っている。伊達に、薔薇の息子として生まれてはいない。ましてや、シアンを傷つけていたことは事実なのだ。知らなかったなどといっても、通じないことくらい判っている。
「……そう」
シオンはそこで口を噤んだ。いきなりの沈黙に、ゼインの思考がとまる。何時もなら、姦しいくらいに質問の嵐のになる。それが、沈黙という、今までにない状態に、ゼインは戸惑った。
シオンは一度目を閉じ開くと、ゼインの目の前まで歩いて行く。シオンの身長はゼインより低いが、母親であるカイファスより、幾分高い。ゼインを見上げ、小さく微笑んだ。
「決めたの」
シオンは簡潔に訊いてきた。ゼインは小さく息を呑む。シアンにはゼインから説明すると言ってある。今まで傷つけていたのだ。それくらい責任を持たなくては、気がすまなかった。とはいえ、実際にシオンを目の前にすると、躊躇いが生まれた。もしかしたら、反対されるかもしれない。アレンは蟠りがあったとしても、シアンの心を優先させているようだった。しかし、シオンは違うかもしれない。
「どうなの」
はっきりしないゼインに焦れ、シオンは少しきつい口調で詰問するように、再度、問い掛けた。ゼインは気持ちを落ち着けるように、小さく息を吐き出す。そして、シオンをしっかり見据えた。
「黒薔薇でシアンと生きて行く」
ゼインは声が震えないように、はっきりとした声音で言い切った。シオンは諦めたような、呆れたような表情を浮かべた。
「右手を出して」
いきなり言われ、ゼインは戸惑った。
「シアンのために認めるけど、これを受け取ってもらうことが最低条件だよ。だから、右手を出して」
ゼインは戸惑いながらも、右手を差し出した。
「手のひらは上に向けて」
シオンの命令口調に驚きながらも従った。
シオンは右手に握り締めていた水晶球を、ゼインの右手の平に乗せた。ゼインは驚いたように、シオンを凝視する。
「僕の実家の館を継承すること。それが、僕が出す復縁の条件だよ」
そう言うと、水晶球に封じられていた護り徴がゼインの体内に取り込まれた。
「アレンとゼロスは別の条件を出してくるだろうけど、僕はこれで認めてあげる」
シアンのためだし、とシオンは溜め息を吐いた。ゼインはじっと、自分の手の平を見詰めた。本来なら、黒の長に話を通し、何処かの土地に小さいながらも家を持とうと思っていた。贅沢な住まいなど必要ない。苦労をすることになろうと、二人で力を合わせて生きていく道を選んだのだ。
ゼインの表情にシオンは呆れたような表情を見せた。言いたいことは判るが、それを認めるわけにはいかないのだ。銀狼であることもそうだが、二人は良くも悪くも特殊すぎる。加えて、新しく生まれた命は、更に特殊な存在となるだろう。
それを判っていて、野放しにするつもりはない。銀狼のコロニーに居る分には問題ない。容姿は違えど同じ種族だ。だが、一族の庇護下を離れた状態では、どんなことが起こるのか予測が出来ない。
アレンがシオンの実家を継承させようとしたのは、何も、財産分与だけが目的ではないのだ。もし、何かが起こったとしても、目の届く範囲に居れば、手を差し伸べることが出来る。何も知らない、知る者も居ないような土地に行けば気苦労も増える。
「何を言いたいのかは判るけど、認められないよ。成人しているからとか言うのもなし」
シオンはきっぱりと言い切った。
「それに、こんなことになって、僕としてはゼインにもだけど、銀狼達が許せないのも事実なの」
ゼインは苦痛に顔を歪めた。否定のしようがないのだ。
「確かに、あの子は銀狼特有の容姿はしていないよ。でも、認めてもらいたかったの」
判る、とシオンはゼインの顔を覗き込んだ。ゼインは小さく頷く。それを確認したシオンは、表情を和らげた。
「勘違いしないで貰いたいのは、責めてる訳じゃないってことだよ。ゼインの立場も理解いているし、シアンの性格も判ってる。その上で言ってるの」
ゼインは小さく頷いた。
「もう一度、親の庇護下で勉強をして。成人したからって恥じる必要はないんだよ。二人はこれから銀狼族を離れて生きていくって決めたんでしょ。だったら、生きていくために必要なスキルは身に付けないといけないの」
シオンは諭すように言った。言っていることは真っ当で、否定の仕様もない。
「シアンは自分の意思でアレンから栽培を教わると決めたの」
それを、途中で放棄することは、アレンが許さない。
アレンとゼロスは、二人に必要だと思うことを習得させるつもりだろう。そうでなければ、おかしいのだ。
「それに此処なら、安心して生まれた子を育てられるでしょ。少なくとも、この子には、安心が必要なの。両親が揃ってることはいいことだと思うけど、二人はこれから忙しくなるの。だから、僕達が側にいてあげる」
家族で生きて生きたいなら、必要なことを必死で覚えるしかないのだ。その過程で、どう考えても、生まれた子の世話が疎かになってしまう。それではいけないのだ。愛情の不足や、大人との接触が少なすぎると、人格形成に悪影響を与えてしまう。
でも、此処ならば、掃いて捨てるほど、大人達がおり、尚且つ、小さな子供も頻繁に訪れる。
「判るよね」
「判るし、理解出来る」
シオンは安心したように息を吐き出した。
「それで。この子の名前は決めたの」
シオンはいきなり話題を変えてきた。ゼインは驚いたように、目を見開く。
「シアンは自分では付けなかったの。銀狼族に託すって決めていたから」
名前を付けてしまえば、それだけで辛さが増す。ただでさえ、側に行きたいと思っているのに、ゼインだけではなく、我が子にも二度と会えないと考えていたのだ。だから、カイファスの腕に抱かれている赤子には、まだ、名前はない。
ゼインは視線を我が子へと向けた。沢山の大人達の腕に渡り、それであるのに、名前がない。だが、ゼインは躊躇った。名前を付ける権利を持つのはシアンだ。一人で全てを抱え持ち、一人で育んだ。たとえ、家族の元で、安全は確保できても、穏やかではなかった筈だ。
不安もあっただろうし、寂しさも感じていたに違いない。ならば、名前はシアンが付けるべきだ。
「……俺に名付けの権利はない」
ぽつりと呟いたゼインに、皆は目を見開いた。
「名前はシアンが付けるべきだ」
シオンに視線を戻し、きっぱりと言い切った。
†††
次の日、シアンとゼインは互いの父親に呼び出された。理由は判っていたが、変に緊張するのは何故だろうか。
そして、言われたこと。
ゼインはシオンの実家の護りの徴を継承したが、今すぐ、住み始めると言うことではないようだ。シアンは栽培について習い始めたばかりなので、アレンはきちんと修得するまで敷地から出すつもりはないと言い切った。
ゼインは、アレンの性格を熟知している。中途半端は絶対に許さないのだ。
そして、ゼインが父親から告げられたことに、二人で固まった。今、薬師とか言わなかっただろうか。
「何を二人で惚けてやがる」
ゼインは軽く首を振ると、父親を凝視した。
「ヒューラがいるだろうっ」
「当たり前だ。何も、薬師になれとは言ってない」
更に二人は固まった。
「俺が説明してやる」
ゼロスでは、必要なことも端折って話してしまう。シアンの場合は、既に栽培の勉強を始めているので、簡潔に話したとしても通じるだろう。だが、ゼインは違うのだ。
吸血族に限らず、薬草の採取や加工と言った作業は、薬師が全てを行っている。シアンが珍しい薬草の栽培を修得すれば、それだけで、顧客は獲得出来る。だが、それでは、ただ、栽培だけで終わってしまう。
一般的な、普通に採集出来る薬草ならばそれで良いだろうが、希少価値の高い薬草でそれをするのは勿体ないのだ。
「つまりだ。お前が薬師の基本を学び、ある程度、加工された薬草を薬師達に売り込めば、付加価値が付くって言ってるんだ」
薬師の基本は、薬草を乾燥させ、乳鉢を使い粉末状にする。
調合をするのはあくまで、薬師の称号を持つ者の特権だが、調合前の状態ならば、誰が行っても問題ないのだ。
今まで、薬草を売りつける輩は居たが、次の段階に踏み込んだ者は居ないのだ。アレンとゼロスはそこに目を付けた。
やった者がいないということは、需要がなかったか、もしくは、知識がなかったために、居なかったのかの、二種類に分かれる。
アジルとフィネイに話を訊くと、普段は需要が薄いが、緊急時に必要になるだろうと言っていた。特にフィネイは、ヴェルディラの時に、強くそう思ったと言っていた。
ゼインの強みは、ゼロスと採集に行っていたということだ。幼いときから、薬草に親しんでいた。薬師である母親と祖父の姿も見ている。更に他部族の薬師であるフィネイとも面識があるのだ。
フィネイはゼロスと契約をしているが、事情を話すと、ゼインと契約をしてもいいと言っている。
最初は認識され、認められるまでに時間が掛かるだろうが、定着すれば一つの商売として成り立つ。
「銀狼族を離れると決めたなら、別の手段を身に付けなくては生きていけない」
判るな、と諭され、二人は頷いた。
「爺さんには話してある」
ゼロスはゼインに視線を向け、簡潔に言った。ゼインは小さく頷く。
「それと、しばらくの間、俺と採集に行くんだ」
ゼインの知識に疑いはないが、教えていない薬草もある。この際、知り得る全てを教えた方がいいというのが、二人の考えだった。
「暫くは、別々の生活になる」
二人は頷いた。互いに違う勉強をするのだ。一緒に居られないのは理解出来る。
アレンとゼロスは二人同時に息を吐き出した。良くも悪くも、二人は物分かりが良くなり過ぎだった。
「まあ、今日は休みだな」
シアンはアレンの言葉に腰を浮かす。アレンはシアンの様子に目を細めた。
「言いたいことは判る。でもな、名前は考えたのか」
シアンとゼインは顔を見合わせた。
「言っておくが、俺は考えるつもりはない」
当然、ゼロスもそうだと、態度で示した。
「お前達に振り回されたのはあの子だ。よく考えるんだな」
アレンはやれやれと、肩を竦める。そして、ゼロスと共に、部屋を出て行ってしまった。シアンとゼインはそんな父親達を呆然と見送った。
ゼインはシアンが名前を付けるべきだと言ったのだが、それは違うと、シアンが首を振った。何一つ、告げずに側を離れたのはシアンであって、ゼイン一人の非ではないのだ。
「で、結局、どうしたのさ」
シオンは二人を前に仁王立ちだ。結局二人は、決められなかったのだ。ならば、我が子を見れば、浮かぶのではないかと、居間に足を運んだというわけだ。
「思いつかなくて」
シアンは素直にそう、口にした。レイチェルの腕の中で、安らかに眠っている子を覗き込む。癖のない黒髪。褐色の肌。そして、今は目を閉じていて見えないが、そこには琥珀の瞳が眠っている。
黒薔薇と黄薔薇、そして、銀狼の色。全てをこの子はその身に宿している。二人で覗き込み、互いに顔を見合わせた。
「思い浮かんだ」
シアンは首を傾げた。ゼインは頷き、シアンにも同じ質問を投げかけた。
「一つしか思いつかない」
「で、この子の名前は」
シオンは焦れたように、催促した。名前がないのは、不便なのだ。
「光……、だよね」
シアンは我が子を見詰めて呟いた。
「光……、リヒト、だな」
ゼインの言葉に、シアンは頷いた。
居間に居たのは、シオンとジゼル、カイファスとレイチェルだった。四人は互いに顔を見合わせ、頷いた。そして、レイチェルはシアンにリヒトを手渡した。
「これから、忙しくなるのでしょう。私達は席を外しますわ」
そう言うと、四人は次々と部屋を出て行った。二人はただ、呆然とそれを見送る。父親達同様、やはり、母親達、祖母達にも勝てないと、苦笑いが漏れた。
「やっぱり、勝てないな」
「当たり前よ。勝てるのなんて、お父さん達くらいだわ」
シアンの言葉に、ゼインは頷いた。あの、女性達を制御出来るあたり、アレンとゼロスは普通ではないのだ。しかも、本人達にばれないようにしているあたりが、強かだった。
†††
シアンとゼインは結局、それぞれが技術を習得するため、すれ違いの生活をすることになった。寝泊りは黒薔薇の主治医宅にあるシアンの部屋ではあったが、太陽があるうちに作業をするシアンと、ゼロスに同行し、更に詳しく植物の特性と分布を覚え、尚且つ、薬師の基本も学ばなくてはならないゼインとでは、時間帯に完全なずれが生じた。
息子であるリヒトは、母親達と、祖母達にまかせっきりになる結果にはなったが、一日一回、必ず触れ合うようにと、アレンに釘を刺された。会わずに成長してしまえば、銀狼族に託したときと大差ない結果になってしまうからだ。
すれ違いながらも、二人は確実に必要な知識を深めていった。もともと、幼いときから、ゼロスに連れられ薬草の採集を手伝っていたゼインは、シアンよりも早い段階でゼロスから認められた。薬師の基本についても、元々、素質があったのか、早い段階で大丈夫だと言われたのだが、性格なのか、結局は、簡単な調合なら出来るまでになっていた。
一方のシアンだが、相手が植物だけに、簡単に習得できるわけではなかった。植物は生き物だ。思い通りになるわけではなく、つまずくことも多かった。
「結局、二人で覚える気か」
ゼロスがアレンに二人の姿を遠巻きに見ながら、呟いた。アレンも窓の外に視線を走らせる。今は太陽が空を支配している時間帯だ。
「覚えたいと言ってな」
アレンは腕を組み、視線をゼロスに戻した。
「で、お前は休む時間じゃないのか」
「仕方ないだろう。一週間に一回は、確認する必要がある」
植物栽培はある程度ならば、余程おかしなことでもしない限り、育ってくれるが、シアンが育てるのは希少価値の高い薬草だ。簡単に栽培が出来るようになるわけがない。当然、親株となる薬草はゼロスが事前に採集してきている。貴重故に、気が抜けないのだ。
「これは商売だ。確実に提供出来なくては意味がない」
アレンは溜め息混じりに言う。
「シオンがうるさいんだよ」
ゼロスは疑問を顔に貼り付けた。
「あいつは根っからの商売人だ」
中途半端は許さないと、二人の前で言い切った。商売は信頼関係で成り立つ。信頼を失えば、今まで築き上げてきたものなど簡単に崩れ去ってしまう。シオンはそれを身をもって判っているのだ。
「あいつ等も大変だな」
「そうだろうが、商売のノウハウはシオンが知っている。職業は違うが、基本的に同じだろう」
身に付けるのなら徹底的に。シオンはアレンにそう強い態度で言ったのだ。商品は品質が命だ。栽培をしそれを売るのなら、自信を持てる品物にしなくてはならない。
シオンはゼインにも、技術をきちんと磨くことを忠告した。最高品質の薬草を栽培出来るようになったとしよう。薬草に見合うだけの加工技術がなくてはだめなのだ。
「フィネイにまで、教わってる」
ゼロスは初耳だったのか、目を見開いた。基本的に一族に伝わる技術は、特別な理由でもない限り、教えたりはしない。
「最初は渋っていたが、根負けしたという感じだな」
ゼインは踏み込んだ技術を教えてくれと頼んだのではない。基本中の基本を教えて欲しいと言ったのだ。一族を商売の対象にするのではない。吸血族だけではなく、薬師と名のつく職業の者達が対象なのだ。
「リヒトは大変だな」
ゼロスは苦笑いを浮かべる。銀狼族に戻るにしても、両親が身に付けた技術はその子孫が引き継ぐのだ。
「まあ、そのうち、俺にも言ってきそうだからな。覚悟しておかないと」
更にゼロスは不思議顔だ。ゼインのあの性格は確実にゼロスの影響だろう。幼いときから、父親のプロとしての姿を目にしている。
「何を訊いてくるんだ」
「医術に関しても、ある程度、覚えようとするだろうな」
薬師の仕事は医師に通じる。遠いようで近いのだ。ある程度、病気についても知っておけば、対処が出来るのだ。
「そこまで、覚える必要があるのか」
流石のゼロスも疑問を覚えた。
「言っておくが、ゼインの突き詰める性格は、完全にお前の影響だぞ」
「どうしてだ」
全く判っていないゼロスに、アレンは呆れたように溜め息を吐いた。
「いいか。小さいときからお前の背中を見て育ったんだ、想いに一途なのも、仕事に対して妥協しないのも、全部、お前に似たんだろうが」
シアンやベンジャミンだけが特殊に育ったのではない。ゼインも二人ほどではないにしろ、特殊な環境下で育ったのだ。そんな環境で育ち、尚且つ、仕事に手抜きをしない父親を見ていれば、徹底的に調べようとするだろう。
良くも悪くも、親に似るのだ。
「何にしても、シアンは植物相手だ。何年掛かるかわからないが、しっかり、覚えることは覚えてもらう」
アレンはきっぱりと言い切った。本来なら、銀狼族の中で生活する筈だったのだ。それが、何の因果なのか、吸血族に戻ってきた。やはり、異質なものを受け入れる変化は、そう簡単に受け入れられるものではないのだ。
「お前だって突き詰める性分だろう」
ゼロスは呆れたように言った。その呟きにアレンは半眼になる。
「悪いか」
「否、悪くはないけどな」
ゼロスは何とも言えない表情を見せた。
外では二人が何やら言い合っているようだ。栽培に関してはシアンの方が知識があるのだろうが、植物に関してはゼインの方が上だ。
「何にしても、これからだろうな」
「そうかもな。銀狼はあの土地から離れるかもしれないな」
ゼロスはそんなことを口にした。元々、レイがあの土地に移り住んだのは、全ての魔族から離れた場所を選択したからだ。好き好んで住もうと思ったわけではないのだろう。
黒薔薇の主治医の庭には、沢山の薔薇が咲き誇っているが、その薔薇も、半分はレイが育てていたようなものだ。本人も驚くほど、薔薇は生き生きと花を咲かせていた。種類は信じられないほど増えていたが、原種の薔薇も残されていた。
二人でそんな話をしていると、外で言い合いをしていた二人が、迫ってきていることに気が付いた。何事か、と二人は顔を見合わせる。
「ゼインったら酷いのよっ」
シアンが勢いそのままに、大きな声で叫んだ。ゼインはと言えば、困ったような表情をしている。
「どうしたんだ」
アレンはとりあえず、話を聞くことにした。シアンは母親に似ている。ここで話を聞かないと、へそを曲げる筈だ。
「私の作業がぞんざいだって言うのよっ」
その言葉に、アレンとゼロスは目を見開いた。
アレンは何かを思い出したように、喉の奥で笑った。シアンは父親が笑い出したことに、首を傾げた。何故、そこで笑うのか。
「仕方ないだろう。シアンはシオンの娘なんだ」
更に三人は疑問を顔の貼り付けた。
「どう言うことだ」
ゼロスは疑問を口に乗せた。
「シオンはトゥーイほどじゃないが、不器用なんだよ」
シアンは表情だけではなく、全身が固まった。今まで、不器用だとは思っていなかったからだ。娘の姿に、アレンは溜め息を吐いた。
双子を宿したシオンは編み物を母親から教わっていたのだが、全く、物にはならなかったのだ。編んでいるうちに目は増えたり減ったりを繰り返し、真っ直ぐただ単調に編んでいるにもかかわらず、マフラーはものの見事に、姿を留めてはいなかった。
「俺が編んだほうが、まだ、見れた代物だったからな」
つまりだ。シオンに似れば不器用で、アレンに似ればそこそこ器用なのだ。シオンの母親のセイラも、姉のジュディも、シオンの不器用さに開いた口が塞がらなかった。
「やっぱり、お前はシオン似みたいだな」
シアンは面白くなかったのか、膨れっ面だ。
少なくともシアンはマフラーは編める。
「がさつには見えないけどな」
「根本的に大雑把なんだよ」
専門的なことになるとシオンはかなり煩いのだが、それ以外は結構、大雑把なのだ。流石にアレンは慣れたのだが、セイラは眠りに就くまで慣れることはなかったのである。
「ゼインは細かそうだからな」
アレンはバランスがとれていて良いんじゃないか、と言ったが、シアンは更に膨れっ面だ。ゼインが器用なのは認めるが、自分が不器用だとは認めたくない。
「私は不器用じゃないわっ」
言葉を遮るように叫んでみたが、効果は全くなかった。
父親二人は呆れたように肩を竦ませ、まだ、文句を言い足りないだろうシアンを無視し、館の奥に引っ込んでしまった。
「もうっ」
ゼインはそんなシアンを、後ろから見詰めた。銀狼族の中にいるときには、見ることが叶わなかった姿。いくら文句を言われても、今の方が数倍ましだった。
「どうして黙ってるのよっ」
シアンは振り返り様、両手を腰に当て、強い口調で問い詰める。ゼインはただ、笑みを見せた。
「楽しそうだなあって」
しみじみと言ったゼインに、シアンは口を噤んだ。
シアンの笑顔を奪ったのは、間違いなく銀狼達の心無い仕打ちだったのだろう。だが、気が付いていながら、放置していたゼインにも非がある。
「……楽しそう、って」
「銀狼達の前では何時も、感情を殺していただろう」
シアンは視線を逸らせた。間違ってはいないからだ。
「気が付いていた。それでも訊けなかったのは、失うと思ったからだ」
互いに臆病になっていたのだ。ただ、素直に疑問を口にしていれば良かっただけのことなのだ。
「言えるわけがないわ」
シアンは視線を戻さないまま、呟いた。
言えるくらいなら、こんなことにはなっていない。
「判ってる」
言えなかった理由も、臆病になった理由も判ってる。互いに話し合っていれば、起こらなかったことなのだ。だが、考え方を変えると、これで良かったのではないかと思えてくる。
銀狼族の中では、変化を望むことは無理だったのではないだろうか。銀狼族の元に赴くのも、そして、離れることも、必要なことだったのだ。もし、必要でなかったのなら、アレンが行かせなかっただろう。こうなると判っていながら、アレンは二人を銀狼族に、一時的とはいえ預けたのだ。
銀狼達に、変化を促すために。
月読みの恐ろしさを、ゼインは知らない。だが、父親であるゼロスが苦手にしていることは判っている。それだけ、特殊な存在なのだ。
「どうかしたの」
いきなり黙り込んだゼインに、シアンは不安を顕わにした。最近のゼインは、アレンやゼロスに通じるところがある。それはある意味、あまり気分の良いものではない。何を考えているか判らないときがあるからだ。
「否……。アレンさんはどこまで知ってるんだろうな、って」
「お父さん」
シアンは首を傾げる。父親の考えていることなど、判る筈がないではないか。判っていれば、苦労はしない。
「判るわけがないじゃない。判っていれば、混乱することなんてないんだから」
シアンが言っていることは尤もなことだ。それでも、ゼインはあえて疑問を口に乗せたのだ。何かを知っていても、語らずにいられることが、信じられなかった。普通なら、知ってしまったことを、話したくなるものではないのだろうか。
母親であるカイファスと、祖母のレイチェルが、曾祖母に対して訳が判らないと言っていたことを考えると、種族としての特性なのだろうか。
「そんなに気になるの」
「気になるって言うか、どこまで知っていて、どこまで考えているんだろうなって」
シアンは首を更に傾げた。
アレンの考えていることなど、判っている者がいるのだろうか。いたとしても、アレン同様、訳が判らないに決まっている。
「考えない方が身のためだと思うわ」
シアンは難しい表情を浮かべる。
「どうして」
「自分の父親だけど、訳が判らないときがあるもの。お母さんだって首を傾げるときがあるのよ」
聞いた話によると、小さい時から訳が判らない言動をしていたと言うから、知りたいなど、考えない方がいいのだ。ゼインの両親がいい例ではないか。祖母の言動に完全無視を決め込んでいたと、カイファスは悪びれた様子もなく言ってのけていた。
「自分の父親だろう」
「父親でも何でも『月読み』の部分は否定したいのよ。確かに、そのおかげで帰ってくるのに罪悪感はなかったけど、それとこれは別問題よ」
秘密にされている父親の能力を、快く思っていない者も多いのだ。しかも、アレン本人が、自分の中にある力を好いていないようだ。
「だから、知ろう何て考えないでよ」
シアンは小さく身震いした。
「判ったよ」
ゼインは諦めたように溜め息を吐いた。何も、喧嘩になるほど、気になっているわけではないのだ。それでも、アレンは知っているのだろう。
†††
二人が親元で生活したのは、シアンがアレンから、認められるまでの間だった。女性陣はずっと居てもらいたかった様なのだが、それでは、駄目なのだとアレンと祖父のファジールが言い含めた。
ゼインは父親と共に採集に出掛け、シアンは判らないことが出来ると、アレンに訊きに行く、という生活に移行していった。
その頃になると、息子のリヒトも両親がどういった仕事をしてるのかを少しずつ理解するようになり、シアンの近くで遊ぶようになっていた。遊びながら、少しずつ学んでいるようだった。
銀狼族はといえば、二人が完全に寄り付かなくなり、如何に愚かな事をしていたか気が付いたときには、既に遅すぎた。族長に取り成して欲しいと申し出た者もいたようだが、それに対する回答は否だった。
ゼロスから、二人は独立するために努力を重ね、銀狼族の庇護下でなくとも、生きていけるだけの技術は身に付けたのだと言われれば、戻ってきて欲しいなどと、手前勝手なことは言えなかったのだ。
だが、二人はリヒトを銀狼族の元に定期的に連れて行くことには反対はしなかった。確かに、一族を離れ生きていく選択をしたが、それを息子に強いるようなことはしたくない、というのが最大の理由だったのだ。何より、銀狼族について、リヒトは知っておかなくてはいけない。
何故、両親が一族から離れたのかも、判ってくることになるだろうが、どう考えるかは本人次第だ。親元から離れる選択をしても、両親同様、一族を離れる選択をするとしても、知るべき情報を奪ってしまうのは得策ではない。ましてや、リヒトの相手は銀狼族の者である確率が高いのだから、一族と面識を持つことは重要なのだ。
「本当に戻るつもりはないのですか」
あるとき、ゼインの弟のカルヴァスが甥っ子に会うために赴いてきたのだが、開口一番、二人にそう切り出した。黒薔薇の部族長となるべく育てられたカルヴァスにしてみれば、今の二人の状況は決して良いこととはいえないと思っていたからだ。
ゼインはそんはカルヴァスに苦笑いを浮かべた。
言いたいことは理解出来るが、一度持ってしまった不信感は、どうやっても拭い去ることは出来ないだろう。ましてや、大切な者が傷付けられたのだ。
「迷惑か」
ゼインの問いに、カルヴァスは軽く目を見開いた。意外な言葉を聞いたからだ。
「そんな訳がないでしょう」
カルヴァスは困ったような表情を浮かべる。現黒薔薇の部族長と、銀狼族の族長が認めているものを否定するつもりなどないのだ。ただ、純粋に心配してるだけに過ぎない。
カルヴァスの表情にそれを察したのか、ゼインは軽く肩を竦めた。
心配してくれていることは認めるが、銀狼族の元に、戻るつもりは更々ない。ゼインの様子にそれを察したカルヴァスは、シアンに視線を向けた。シアンもまた、困ったような表情を浮かべる。
戻ったとしても、結局は同じ結果になるのではないだろうか。それならば、少し離れた場所に居る方が、互いのためなのだ。
カルヴァスは諦めたように溜め息を吐いた。何を言っても、効果がないと判ったからだ。それに、ゼロスとアレンが動いていることは知っている。あの二人に掛かれば、部族長など、力がないも同然なのだ。
「そういう、お前はどうなんだ」
ゼインはカルヴァスに逆に問い掛けた。
「どう言うことですか」
「相手と上手くいってるのか」
カルヴァスは嫌な笑みを浮かべた。その表情を見たシアンは背筋を冷たい何かが這い上がった。
「どうでしょうか。なかなか、受け入れてくれないので、困っているところです」
面っと言っているが、拒絶されているのだろう。それでもめげないのは、父親の資質と、黒の長の資質を受け継いでいるからだ。
「諦めるつもりはないのか」
「何故です。諦めることなど考えるだけ無駄ですよ」
張り付いた黒い笑みに、ゼインはあからさまに溜め息を吐く。
成人前から、猛烈に口説いていることは知っている。知りたくなくとも、耳に入ってくるからだ。
「嫌われないようにな」
「嫌われているなら、まだ、望みはあるでしょう」
その言葉に二人は脱力した。
「無関心よりましですよ」
シアンは小さく息を呑んだ。
「それにしたって」
シアンの様子に気が付いていない二人は、尚も言い合っていた。嫌いなら、少なくとも、一個人として認識してもらえているのだ。無視されていることは、嫌われているより悪いと言うことになる。
「シアン」
黙りこんだシアンに気が付き、二人が視線を向けていた。シアンは小さく首を横へ振った。
「何でもないの」
その言葉に、目を細めたのはカルヴァスだった。
「本当ですか。隠し事は過去の二の舞ですよ」
シアンは俯き、唇を嚙み締めた。
「……私って、本当に受け入れられていなかったんだなって」
躊躇いがちに、シアンは小さい声で呟くように言った。言わずに飲み込んでいた言葉を口にしたとき、一粒の涙が零れ落ちる。
二人は顔を見合わせる。
「私は嫌われてすらいなかった。邪魔な存在として抹殺されていたんだわ。今頃、判るなんて……」
判ってしまえば、単純なことだったのだ。同じ時期に、薔薇の血筋に銀狼が、しかも、性別を違えて誕生するなど思いもよらなかったのだろう。吸血族とは違い、圧倒的に女性人口が多い。そんな中に、最初から始祖の末裔のゼインの妻としてシアンは銀狼族の元に赴いてしまったのだ。
普通に考えるなら、良い感情を持たれる筈がない。銀狼の申し子と言われたゼロスの息子で、始祖であるレイの色を受け継いだゼイン。銀狼族に切に望まれていたのはゼインであって、シアンではなかったのだ。
「例えそうだったとして、大人げなくシアンを無視した銀狼達に非があるでしょう。合理的に考えるなら、二つの薔薇の血筋が合わされば、銀狼と言う種族が確定される要因が確定されると言うことです。それに考え及ばず、二人を失ったのは一族としての過失に他ならないんですよ。それに対して、気に病む必要などないに等しいんです」
カルヴァスが、冷たい表情で言い切った。
「それに、少なくとも彼等は、完全に失ったわけではないんですよ。彼等の行いを二人は実質許したのでしょう。ならば、それに対して嘆くなど論外です」
シアンとゼインは目を見開いた。あまりに理路整然とカルヴァスが発言したからだ。
「第一、考えすぎです。何のために此方に戻ってきたのですか。後悔するためですか。過去を振り返るためですか。違うでしょう。銀狼とは違う場所で生きていくと決断したからではないんですか」
カルヴァスは呆れたように溜め息を吐いた。
「何時までも嘆いてないで、次の子のことを考えたらどうです」
「どうして、そうなるんだ」
ゼインはこめかみに痛みが走った。
「要は、何も言えない様にしてしまえばいいんですよ。母親を見習ったらどうです」
シアンとゼインは固まった。カルヴァスは二人の母親を手本にしろと、言っているように感じたからだ。
母親を見習ったら、身が持たないではないか。未だに、押し問答をしている姿を目撃しているのだ。
「ゼインや父さんに固執しているのは、単に居ないからですよ。だったら、増やしてしまえば問題の解決になるでしょう」
言っていることは理解出来る。だが、言うほど簡単ではないのだ。人一人を産み出すのは、並大抵のことではない。
「簡単に言うなよな」
「簡単に言っていると思われているとは心外ですよ。どれほど大変かくらい、知っていますから。伊達に、薔薇の息子ではないんですよ」
シアンは二人のやり取りに、笑いがこみ上げてきた。いきなり笑い出したシアンに、二人は首を傾げる。
「確かにカルの言うとおりかもしれないわ。兄弟は必要だものね」
暗いことを考えるのはやめにしようと、シアンは心に決めた。少なくともゼインの祖父と叔父は、シアンを認めてくれているのだ。ならば、それでよいではないか。
「リヒトに会って行ってね」
寝ているけど、とシアンは付け足した。カルヴァスは黒くない笑みを見せると、部屋に向かって歩いていった。
「本気で言っているのか」
ゼインの問い掛けに、シアンは首を捻る。
「兄弟を作るって」
躊躇いがちに訊いてきた。
「本気よ。私は薔薇の娘だもの。銀狼達に目に物見せてやるわ」
ゼインはこめかみがひくついた。変な方向に向いてしまったように感じたからだ。
「目指せ、第二のお義母さんよ」
シアンの姿にゼインは脱力した。元気になったのは良かったが、まさか、母親の真似をしようと考えるとは。父親の苦労が判るような気がした。
「どうしたの」
ゼインの姿にシアンは訝しむ。
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「まずは、自分達だな」
シアンは頷いた。これからどうなるかなど、全く判らないのだ。手探りで生きていくしかない。二人は確認しあうように、抱き締めあった。
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