神崎くんは床上手

ハナラビ

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藤村

藤村4

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 ◆
 
 
 どんな格好でもいいと言われ、迷った挙げ句仕事帰りのスーツ姿で待ち合わせ場所へ向かった。
 神崎に抱かれた次の日から、僕は髪を上げるのをやめて、伊達眼鏡も掛けないことにした。こうするとあまりにも幼い顔なので恥ずかしかったが、神崎が何度も褒めてくれたことを思い出してどうにか一日乗り切ると、それ以降はあまり気にならなくなった。
 彼女にフられてイメチェンしたんだとか、女にフられてソッチに目覚めたんだとか、散々ウワサされたらしいが、もはやどうでもいいことに思える。忌々しい偏頭痛も消えた。母さんには適当に嘘をついて、電話を終わらせている。
 とにかく今日を迎えられれば、なんだってよかったから。
 
「へえ、眼鏡も髪もやめたんだ」
「う、うん……」
「その方が百倍可愛いから、ずっとそれでいろよ」
「ん……」
 
 駅のロータリーへ迎えに来てくれた神崎の車に乗り込む。そこからすこし離れたところにある駐車場へ車を停め、僕たちは大通り方面へと歩いた。店に着くまではずっと緊張していたけど、僕に歩くペースを合わせてくれる神崎の、ネオンに照らされた綺麗な鼻筋を盗み見ていたら、あっという間だった。
 
「いらっしゃいませ、神崎さん。お連れ様も、お待ちしてました!」
「ああ。タケルいる?」
「今ちょうど他の卓へヘルプに入ってまして……とりあえずお席へご案内しますね」
 
 神崎は頷いて、ポケットから取り出したメモ用紙を受付に渡した。
 
「後でちょっと店長とも話したいから、事務所に伝えといて」
「かしこまりました。ではこちらへどうぞ」

 僕はきょろきょろしながら、神崎の後ろを大人しくついていく。
 初めて入るホストクラブは壁も床も黒くて、照明も落ち着いていたから、なんだか……ダークスーツを着ている神崎の背中が景色に溶けてしまいそうな気がして、不安で仕方がなかった。
 
「神崎さん! 久しぶりじゃないっスか~!」
 
 席に案内され、ソワソワと待っていると、1分もしないうちに金髪の男が現れた。僕からしたら信じられないくらい襟足が長いのだが、目鼻立ちがはっきりとしているからなのか、それが妙に似合っている。
 
「おータケル、今日も可愛いな!」
「毎回思うんスけど、いい加減カッコイイって言ってくださいよぉ~」
「ハハハ」
「もぉ~……」
 
 楽しげな神崎に唇を尖らせ、タケルは何故か僕の隣に座った。そして、戸惑う僕をジッと見つめてくる。
 
「……もしかして、エリカの兄ちゃん……?」
「あ、あぁ……」
「エーッ! スゲ~、兄妹揃って可愛い系の美人っすね!」
「タケル、その調子でしばらく話しててくれるか?」
 
 その声に慌てて振り返ると、神崎はちょうど立ち上がって、呼びに来た男に付いていこうとしているところだった。
 タケルの明るい返事が聞こえたけど、僕は寂しくて眉根を寄せてしまう。
 
「大丈夫だって。すぐ戻るから。タケル、とりあえず飲み物作ってやって。たぶんあんま酒得意じゃないから、軽めにな」
「はーい、了解でーす!」
 
 僕は神崎が店の奥に消えていくのを、黙って目で追い、最後まで見守っていた。その背中が見えなくなってから、ハッとしてタケルを見ると、タケルもまた僕の様子をずっと見守っていたらしかった。微笑まれて、思わず頬が熱くなる。
 
「……エリカとおんなじ。お兄さん、神崎さんが好きなんスね」
「あ……」
「何飲みます?」
「……えっと……あんまり詳しくなくて……」
「ふふ、じゃーオレに任せてください! オレンジジュース飲めますか?」
「……うん」
 
 タケルは口ごもる僕にもずっと笑顔で、何某かの酒をオレンジジュースで割ったものを出してくれた。少なめに作って、僕が丁度いいと言うところまでオレンジジュースを入れて、調節してくれたのだ。
 
「ありがとう……ずいぶん飲みやすくなった」 
「いーえ! 飲みやすいなら良かったです! んー……神崎さんは色んな女の子をウチに連れてきてくれるけど、男はお兄さんが初めてだなぁ~……エリカも最初は不安そうで、神崎さんにぴったりくっついてたんスよぉ~」
「……妹が世話になった」
「え、この場合どっちかって言うと、お世話してもらったのオレじゃないっスか!? あはは!」
 
 世話っていうのは、そういう意味じゃない……とツッコミを入れようとしたが、無邪気に笑うタケルの笑顔を見ていたらそんなことどうでも良くなって、僕はふぅ、と息を吐いた。ようやく肩の力が抜けてきた。
 
「お兄さん、名前なんていうの? ナイショじゃなかったら教えてほしいな」
「英司だ。英語の英に、司ると書いて……」
「エージさんね! あー、英語の英ってことは、エリカとおんなじ字入ってんだ! ナルホド~兄妹~」
「よく覚えてるな」
 
 僕が感心して呟くと、タケルはぽかんとした後、腹を抱えて笑い出した。
 
「ハハハ! いや~……エリカも自分の漢字説明してくれたんだけど……オレ、英語の英しか理解できなくて! 後は……『なんて?』って思ってる間に説明終わっちゃって! だから、そこだけ覚えてたっていう~! てかむしろそこだけしか覚えてねぇ~!」
「ふ、ハハ……!」

 爆笑するタケルに、僕も釣られて笑ってしまう。なんとなく、英里佳が入れ込んだ理由が分かった気がした。

「あ~めっちゃ笑っちゃった。ゴメンゴメン。でもエージさんが怒ってなさそうで安心した~!」
「……え?」
「ホストにハマった妹の兄貴が乗り込んできたら、構えちゃうっしょ!」
「ああ……いや、アイツのことはいいんだ。別に……」
 
 僕が苦笑してグラスを口につけると、タケルは不思議そうにこちらを見つめてくる。

「エリカと仲悪いんスか?」
「まあ、良くはないな……」
 
 タケルの顔を見ると、「じゃあなんで来たの?」という疑問がありありと書いてあって、一度落ち着いた笑いがまた溢れてしまう。本当に素直な人だ。
 
「えっと……どう言ったらいいか……その、エリカが君にハマった理由が知りたくて……」
「……理由……スか……」
「ああ。不躾で申し訳ないんだが」
 
 お前の魅力はどこだと尋ねるようなものだ。僕は自分の問の失礼さに顔が歪んでしまったが、タケルは再び口元に笑みを浮かべた。
 
「ブシツケってよく分かんないんスけど……でも、そうだな~……オレって、多分エージさんからしたらむちゃくちゃ頭悪いと思うんだけど」
「…………いや……その」
「へへ……でももしかしたら、そういうのが良かったのかもな~って」
 
 僕が首を傾げると、タケルはうーんと悩んで唇を尖らせ、そこではたと気が付いたように口を開いた。
 
「あ、そうだ。神崎さんがオレのこと可愛がる理由も、近いのかもな~」
「え……?」
「いやさ~オレの顔が単純にタイプなのかもしんないけどォ……でも、俺の頭が良かったら、可愛がり方がもうちょい違ったんじゃないかな~って」

 タケルはそこで、自分のグラスが空になってることに気付き、僕に新しく作ってもいいかを尋ねてきた。神崎から事前にそういうものだと聞いているので、黙って頷く。このテーブルについてくれている間にタケルが飲んだものも、僕たちが払うはずだ。
 
「ふふ、オレね、店に借金が二千万あるんスよ」
「えっ!?」
「新人の頃にィ……店で一番高い酒瓶の棚を倒して、全部割っちゃって! おんなじ日に、一番高い売掛金あった姫がお店から逃げちゃったらしくて! それで合わせて二千万……ちょっとずつ減ってきてるけど、まだ全然だな~」
「そんなふうには……」
「見えないっしょ! だってオレも、ずっと実感ないから!」

 タケルはこんな話だというのに、ご機嫌でグラスを煽って人懐っこく笑う。
 
「この話したら、みんなオレにシャンパン入れてくれるんスよ。でも、可哀相って言って入れてくれる姫は続かないかな。続くのは……エリカとか神崎さんみたいに、オレを純粋に応援しようとしてくれる人。借金二千万あんのにニコニコしてるオレのこと、バカだなぁって思いながら、可愛がってくれる人っスね」
 
 僕は話を聞きながら、タケルは……別に頭は悪くないなと、認識を改めていた。たしかに勉強は得意そうではないが、人のことをよく見ているし、頭もしっかり回っている。なるほど、ただバカなだけではないなら、神崎が気に入るのもわかる。英里佳も……こういう機転のきくタイプに惹かれるのは、分かる気がする。僕たちはずっと、いわゆる地頭の良さというものにコンプレックスがあったから……
 
「なるほど……」
「ホストってさ~……あんまおっきな声で言えないんだけど、結構自分のことばっか喋る奴が多いんスよね」
「え……?」
 
 タケルが周りのテーブルに聞こえないようにと小声で言うので、僕も思わず声を潜めてしまう。
 
「でもオレ、姫たちの話聞くの好きでさ~……ね、エージさんのことも知りたいな。今日もスーツだけど、仕事何してるんスか?」
「ああ……○○っていう会社の法務部で働いてるよ。法律に詳しいんだ」
「エーッスゲ~! 法律ってマジで全然知らないな。お酒はハタチになってから……みたいな!?」
 
 タケルはグラスを持ち上げてニコニコ笑う。テンションはすっかり元通りだ。 
 
「ああ……それも法律だな。大正11年に、現在まで続く飲酒についての法律ができたから」
「エッエッ? ぜ、全部覚えてるんスか? どの法律がいつできたかって……」
「もちろん全部が全部じゃないけど、有名なのは当然……」
「ウワーッスゲ……たぶんオレが接客した中で一番頭いいよ、エージ……あ、エージさん……」
「いいよ、呼び捨てで」
「へへ……やった、じゃあエージって呼んじゃおっかな」
 
 タケルは嬉しそうに、僕のグラスと勝手に乾杯をして、僕にも酒を飲むようにと自然な感じで促した。そうやってタケルの表情や動作に釣られて笑ったり酒を煽ったりしてると、本当に気分が良くなってきて、なんだか頭もふわふわしてくる。気持ちいい。
 
「……あーあ、すっかりご機嫌じゃん」
「神崎さん、おかえり~!」
「ん……神崎……もう用事は終わったのか?」
「ああ。タケル、俺にも英司と同じの作って」
「はーい」

 僕は隣に座る神崎を見つめ、眉根を寄せた。こんなジュースみたいなので酔っ払ってるなんて、恥ずかしい……あんまり知られたくない。
 
「なに、どうした? 可愛い顔して」
「おんなじって……本当に薄いのに」
「いいじゃん、英司がどんなやつ飲んでんのか教えてよ」
「……うん……」
 
 僕の頬を撫でる手に離れてほしくなかったけど、タケルの元気な声で現実に引き戻される。
 
「はいっ! できました!」
「じゃあ、乾杯」
「カンパーイ!」
「か、乾杯……」
 
 グラスを一口飲んで神崎が微笑む。
 
「タケルお前、本当分かってんな」
「やー、だって、ねえ~? 神崎さん、どうせこの後運転したいんでしょ」
「ああ。悪いな、また今度高いの入れに来てやるから」
「やった~! 待ってます!」
 
 黙って視線で問うと、同じく視線で飲んでみろと言われたので、言われた通り神崎のグラスに口をつける。酔っ払っているのでもう味は良くわからないが、確かに自分のと比べてみると、酒気は感じられないような気がする。
 ソファの背もたれに腕を回した神崎は、ふとタケルの腕時計に気付いて首を傾げた。
 
「タケル……ソレ、誰かからもらった? 結構高いヤツじゃん」
「あ! 神崎さんなら気付いてくれると思ってましたッ! コレ、この前神崎さんに高いの入れてもらったお金で買ったんすよ~!」
「はぁ~? お前、自分の借金の金額分かってんのか?」
「はいっ! ばっちりわかってますっ!」
「あ~も~、可愛いな~」
 
 神崎さんもご機嫌でオレンジジュースを煽り、僕にも声をかけてきた。
 
「英司、どうだった?」
「……うん。納得した」
「そっか。じゃあ来てよかったな」
「うん……」
 
 僕がグラスを空にしてみせると、タケルが神崎の顔色を伺って、それに気付いた神崎が頷いた。
 
「そろそろ行こうか、英司」
「ああ……そうだな」
「エージ、もしまた来たくなったら同伴するから、連絡してよ~! ウチの店、神崎さん以外の男は一人じゃたぶん入れないけど、同伴しちゃえばイケるっしょ!」
「いいのか……?」
「……ま、いいだろ。俺からも話し通しとくよ」
「ありがとう……ふたりとも」
「……こちらこそ、来てくれてありがとうございました~!」
 
 実際どうするかは別として、そう言ってもらえることは素直に嬉しいと思えた。今日は本当に、来てみてよかった。
 僕たちは最後まで屈託なく笑うタケルに見送られるまま、夜の街を歩き出した。
 
「神崎……車、そっちじゃないだろう」
「……本気で帰りたいなら送ってくけど?」
「…………」
 
 僕は神崎が差し出した手を強く握って、それを返事にした。神崎が笑った気配がする。
 
 ホテルへ到着して部屋に入ると、僕は我慢できずに神崎に抱き着いた。
 
「どうした?」
「か、神崎……その」
「んー?」
「あ……ッま、待って……」
「……話なら後から聞いてやるから」
 
 母も絶賛していた、神崎の心地いい低音に囁かれると、腰が甘く疼く。腹の奥が熱くなる。後から聞いてやる……そう言われるともう僕はそのままこくりと頷くしかなくて、それが始まりの合図になった。
 顎を掬われてキスをされる。分厚くて柔らかい神崎の唇が重なると、もうずっと、これだけしていたいような気分になる。それくらい、神崎とのキスは気持ちが良かった。
 服を脱ぎながらベッドにもつれるように転がって、目を閉じる。スーツやシャツがしわになってしまうことも頭の隅に押しやって、見ないふりをした。
 
「ずいぶん柔らけえな」
「ん……ッ♡」
 
 ゴムを着けた指が中に侵入してきて、その感触にぞわりと鳥肌が立った。あの日、初めて神崎に男を教えられてから、僕はひとりでなんとかその快感を得ようと躍起になっていた。でも、どんなにいいローションを買ってみても、有名な道具を使ってみても、この指先にすら及ばなかった。

「も、はやく……ッ挿れて……」
「ふ……英司お前、変わったな」
 
 だとしたらそれは、神崎のせいだ。
 前戯もそこそこに、神崎が中へと侵入してくる。それだけで、恍惚のため息が漏れた。お腹に力を入れてその形を確かめ、それを繰り返して丹念にしゃぶる。そうすると得も言われぬ快感が下腹を支配して、自分のペニスの先から生暖かい感触が肌に落ちていった。
 
「あ……♡はぁ……♡♡」
「おいおい……ひとりで楽しんでんじゃねえよ」
「アッ♡だめ、まだ、イって……」
「英司お前、この俺をディルド代わりに使おうなんていい度胸だな」
 
 神崎が怒って腰を揺すり、ぴったり腰を密着させてくる。それによって……全然知らないところまで押し広げられて、この前どれだけ手加減されてたのかを思い知った。長いストロークがまた未知の快楽を僕に教えてくる。僕は堪らず啜り泣いた。
 
「あぁっ! う、あっ!! ひ……ッ深い……♡♡」
「ほら、腹に力入れてみろ」
「う、ぅ……ッ♡♡」
「あー……たまんねー……」
 
 神崎は白濁が散った僕の腹を撫で、薄い腹を押し上げる自分の形をなぞって満足気に笑った。腹の中は深い快感にずっと痙攣していて、それがまた自分と神崎を苛んだ。僕は射精が止まらなくて、半勃ちのペニスからぽたぽたと白く濁った液体を溢し続けている。神崎も何度かゴムを変えてたみたいだったけど、その度寂しくて、早くしてくれと強請った。
 
「あぁッ♡♡また、イ……っぅう~ッ♡♡」
「……ッは……英司……っ」
「あ……♡んん……♡♡」
 
 神崎が長く息を吐いて出て行ったとき、僕はもうほとんど何も言えなくなっていたけど……でもこれだけは伝えないといけないと思って、タバコに火を点ける神崎の背中に呟く。
 
「すき……」
「…………」
「好きなんだ、神崎……」
 
 神崎はふぅ、とため息をつくみたいに白煙を吐き出して、しばらく何も言わなかった。その間に僕の呼吸も整って、落ち着いてきた。
 
「……俺のどこが好きなの」
「どこ、っていうのは……難しいけど……でも、神崎は僕の抱えてた問題を壊してくれて」
「壊れてねえだろ、別に。母親と縁切ったわけでもないくせに」
「そ、それは……そうだけど……」
 
 振り返った神崎の冷たい視線を受けて、僕は言ってはならぬことを言ったのかもしれないと不安になった。さっきまで熱かった体が、急速に冷えていく。
 
「英司。お前、俺がどういうことして金稼いでるか分かってんだろ」
「あ、あぁ……」
「じゃあ、俺とどうなりたいの」
 
 神崎は鼻で笑って吐き捨てるみたいに言った。
 
「で、できるなら、一緒に遠くへ行きたい。誰も知らないところに……」
「へえ、やっぱ英里佳を見捨てんだ」
「見捨てるって……だって、アイツはもう体を売ってるだろ。そうやって借金を返していけばいいんじゃないか。その……神崎は……この街を出て、お父さんの名前も及ばないところで、また何か……仕事を探したらいいじゃないか……」
「なんで親父が……」
 
 神崎は眉根を寄せて、心底不愉快だという顔をした。僕が考えていることが神崎にとって何一つ魅力的でないらしいことは、話すごとに険しくなっていく表情で流石に察せられたけど……でも、もう引っ込みがつかないところまで言ってしまった。
 
「英司お前……あのとき飯塚サンから何か聞いたな?」
「……ッあ、いや……そ、そういうわけじゃ……」
「はぁ……あのな、俺はこの街を出て行かねえよ。なんでお前と出て行かないといけないの」
「それは……」
「たまにエッチしてやるくらいならいい。でもそれ以上を俺に求めんな。どうしても男に抱かれたくて仕方ねえなら、そういう店を紹介してやる。母親と縁切って本格的にタケルに貢ぎてえなら、お前にピッタリの夜職も紹介してやる。お前ならそこそこ稼げんだろ。俺とお前の関係はそれ以上にはならないよ」
「……っ」
 
 僕は俯いて、絶望的な気持ちで神崎の言葉を反芻していた。どうあがいても、神崎の気持ちは僕には手に入らないらしい。
 
「もっかい聞くけど……英司お前、俺とどうなりたいの? 昼職辞めて、俺の紹介する仕事をやるか?」
「……や、やらない……できない……僕には……」
「……それで?」
「た、たまに……今日みたいに……抱いてほしい。それ以外は何も望まないから……」
「いいよ。英司は結構エロいし可愛いから、連絡くれたらできるだけ時間作ってやるよ」
 
 そう言って笑う神崎の目は冷えていて、とてもじゃないけど僕は笑顔を作れなかった。神崎……こんなに好きになってしまったのに、向こうは僕にそういう気持ちを一切抱いていないらしい。
 僕はしばらく何度か連絡して、神崎に抱いてもらって、神崎の中に僕への気持ちが芽生えないか淡い期待を抱いていた。今にして思えば愚かしくて恥ずかしいけど、でも僕は……初恋だったから。経験といえば、自分の気持ちを身勝手に押し付けてきた女たちしか知らなくて。ずいぶんあとになって、僕もそれと同じことをしていたんだと思い至って、死にたくなるくらい落ち込んだ。
 
 こんな僕を見兼ねたのか、神崎が一度だけゲイバーに連れて行ってくれたことがある。ずいぶん渋ってたけど、こういう場所があるなら早く教えてくれたらよかったのに。
 そこで僕の世界はようやく広がって……嘘みたいに自由に恋愛することができたし、昼間の生活では満たされない欲求を発散することもできるようになった。
 そうして、僕は……あまり神崎に連絡をしなくなっていった。
 タケルにも一度連絡してみたけど、行ってみようかと思った日に他の同伴の予定がすでに入っていたらしくて、それ以来連絡はしなかった。あの日、タケルが神崎にただのオレンジジュースを出した意味が分かった気がしたから……というのもある。もしかしてタケルには、僕たちが上手くいかないことが分かっていたんじゃないだろうか。実際神崎がホテルから帰ってしまう可能性も十分にあったし……と思うと、もうタケルに連絡しようという思考にはならなかった。全く興味がないと言えば嘘になるけど、会ってもどうせ僕は、タケルを満足させるくらい貢いでやれるわけでもないし……それに、タケルに会っても、僕の体が満たされるわけではなかったから。
 母にはずっと適当な返事をしていたけど、あるとき……いい加減なことばかり言う僕を不審に思った母が、興信所を使って僕の行動を調べてきて……そうして、僕がゲイであることがバレた。母は僕をどうにか更生しようと色々干渉してきたけど、そもそも更生とか、そういうものじゃないわけで……結局、英里佳と同じく、僕も実家と縁を切った。こうなることがあんなに恐ろしかったのに、ヒステリックに叫ぶ母を見ていると実家とか家族とか、そういうしがらみもどうでもよく思えた。大騒ぎされて職場に話が伝わってしまったので、仕事も変えることになった。当時付き合ってた彼氏とも、実家とのいざこざが原因で意見がぶつかり、会うたび喧嘩になって……価値観の違いを実感したから、そのまま別れた。
 ゲイバーで神崎と鉢合わせたこともある。お互い相手がいない日にたまにセックスしたけど、僕には大抵彼氏がいたので、それもじきになくなっていった。神崎とのセックスは確かに誰よりも気持ちがいいけど、満たされるのは体だけだと知ったから、たぶんもう連絡はしないと思う。
 何年か経って、当時のパートナーの転勤に合わせてこの街を離れることにした。だから、あの街を離れないと言った神崎とはそれきりになった。
 英里佳からのLINEで様子を聞いたことがあるけど、どうも神崎にも相手ができたらしいという。神崎の心を射止めた人物は、一体どういう人なのだろう。少なからず興味はあったが、でももう、僕には関係のないことかもしれない。そう思って、詮索するのはやめておいた。
 僕の勝手な気持ちをぶつけてしまって、神崎には申し訳ないことをしたなと、今でも反省している。
 あの日神崎に会って、僕の人生は変わった。その感謝だけ胸に留めて、僕は遠くで生きていこうと思う。
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