和菓子屋たぬきつね

ゆきかさね

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《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐

   『そこにあったのは執着心だけじゃない』 3/5

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「繋がったぞ。ゆっくり動かしてみよ」
 天井花イナリの《転移魔術》で戻ってきた蚕影神社の境内はひづり達が《主天使》たちに誘拐される直前となんら変わった様子は無く、また幸い血まみれ状態のひづり達が突然現れそのまま傷の手当てのためにしばらく居座っていてもそれを見咎める者は現れなかった。《フラウロス》に一旦周囲の警戒を任せて天井花イナリの《治癒》を受ける最中、騒がしくしてしまったし後で皆でお賽銭をしてから帰ろう、とひづりはそんな事を考えたりしていた。
「すごいです。ちゃんと動きます。ありがとうございます、天井花さん」
 ひづりは十数分ぶりに元通り繋がった自身の両腕を見下ろし、手のひらを閉じたり開いたりしてみた。それなりに痛みはあったがどの指もちゃんと思い通り動かせるようになっていた。体の外に拡張させていた《魔術血管》にしても、こんなに大きくなった物を果たして体の中に戻せるのだろうか、そもそもどうやって縮めるのだろう、などの不安はあったが、しかし《治癒》のために《防衛魔法陣術式》を解除すると途端にひづりの思う様に収縮し始め、更に腕を繋いだ後は勝手に血管との同期も果たしてくれた。両腕を切断されて初めてやり方を理解した詳細の分からない《魔術》だったが、とにかく今後もこれまで通りの生活を送るのに何も問題は無さそうだった。
「両腕とも一度止血のために傷を閉じた分、どうしても痕が残った。《認識阻害》で隠せば日常生活で気づかれる事は無いはずじゃが……すまぬな」
 ひづりが一人でじゃんけんをして神経の調子を確認していると天井花イナリは申し訳なさそうな顔で言った。
 ひづりは首を横に振った。
「いいえ。右も左も繋がって、指も全部動くんですから、私は運が良いです。それに腕時計も……これ、紅葉さんが前に買ってくれた物で、これも壊れてなくて、安心しました」
 傷痕や腕時計の表面を撫でながらひづりが答えると天井花イナリは困ったように小さく笑って「……少しくらい責めよ」とひづりの頭を優しく撫でた。
「ひづりさん、腕、ちゃんと繋がったんですね……。良かったです、本当に……」
 凍原坂が言った。彼は《火車》と《フラウロス》と夜不寝リコの真ん中に横たわったままちょっとだけ頭を上げてひづりの方を見ていた。
「驚きました……。目が覚めたら、ひづりさんの腕、あんな事になっていて……」
 ひづりも血を失い過ぎて動けないので座り込んだまま返した。
「驚いたのは私達の方です。本当にびっくりしたんですよ」
 ね、と夜不寝リコに振ると、彼女はべそべそに泣き腫らした顔のまま頷いた。
「春兄さん、生きてて良かった……! 良かったよお……!」
「そうだね……ごめんね、心配掛けたね……」
 泣きつく義妹の頭を撫でながら凍原坂は目を伏せた。
「……官舎ひづりが《盾》を消し、傷の手当てを終えても動きがない……。やはり今回の襲撃はこれまでのようだな」
 警戒をしてくれていた《フラウロス》がそう言いながらゆっくりと凍原坂の傍にしゃがみ込んだ。
「そのようじゃな。まぁ、万全の状態となったお主と《檻》から出たわしを相手にまだ勝つつもりの戦力を此処へ投じられるのであれば、そもそもこうなる前の段階で出して来ておったであろうし、また仮にその戦力が《上級悪魔》や《上級天使》であるなら《フラウロス》を討ち取れるチャンスをみすみす《主天使》なぞに譲る理由も無かろう。恐らく奴らにとっては此度の《主天使》連中も《ベリアル》の時と同じく『駄目でもともと、上手くいくならそれで良い』程度の使い捨ての駒で、依然こちらの出方を見るための当て馬だったのであろう」
 天井花イナリの見解にひづりはまた顔を上げて境内の木々の先から覗く静かな青空を眺めた。全く長閑で、つい先ほどまでの血みどろの戦いが嘘のように思えた。
 これで本当に終わったらしかった。《天界》の本隊はまだどこかに控えているのだろうが、それでもとにかく今回もこちらの勝ちで終わったのだ。七月の襲撃同様、誰一人欠けること無く、こうして皆で生還した。張りつめていた肺の筋肉を緩めるようにひづりはゆっくりと深呼吸をした。
「……さて。この後ひづりと凍原坂には輸血をさせねばならんが……その前に一つ、質しておかねばならん事がある。《フラウロス》、《火車》、凍原坂。お主ら、これからどうするつもりなのじゃ?」
 俄かに天井花イナリが訊ねた。その場の全員が顔を上げて彼女を見た。
「《契約印》自体は残っておるが、それでも《フラウ》と《火庫》がそれぞれ元の姿に戻ったという事は、つまり十四年前に万里子が交わしお主らを繋いでおった《契約内容》もこれで一旦白紙になったという事じゃ。ならばお主らにはお主らを繋ぐ新たな《契約》が必要であろう。そうでなくともお主ら一家は今後どうするのか、各々悩んでおったであろう。興味のある話ではないが、今はわしらとお主らは同盟の間柄にある。有耶無耶になるのは気持ちが悪い。故に今ここで話し合い、決めよ。そして改めて今後もわしやひづりとの協力関係を続けるのか、はっきりと示せ」
 天井花イナリはひづりの隣に座り込み、一方的にそう告げた。ひづりもそれは聞いておきたい話だった。特に、凍原坂と《火庫》の事を。
「ぐははははっ」
 すると《フラウロス》が笑った。
「貴様にはいつも面倒を掛けるな、《ボティス》。その心遣いに感謝する」
 彼女は立ち上がり目を伏せて頭を下げ、それから天井花イナリとひづりの顔を見て言った。
「此度、貴様らは私の力不足を補った。おかげで凍原坂も《火庫》もリコも無事こうして生き残った。この借りを返さぬままこの《フラウロス》、どうして《魔界》へ戻れようか。それにまだ真実かは分からぬが《アウナス》の事も気になる。故に私はここに宣言する。私は貴様らの《今》を、凍原坂と《火庫》と共にこれからも近くで見させてもらう。《ボティス》との殺し合いはそれらが全て終わった後で、また《魔界》ででもやればよいのだからな」
 腕を組んだ堂々とした佇まいのまま彼女は《フラウ》そっくりに笑って見せた。
「ありがとう、《フラウロス》……。《火庫》を守ってくれた事も、僕の声に応えてくれた事も……」
 傍らの凍原坂が言うと《フラウロス》は笑みを消して振り返り、真剣な表情になった。
「実のところ、私は貴様を疑っていた。貴様は本当は《勇者》ではないのではないか……と。そして先ほど《火庫》と別たれ、本来の私の思考を取り戻した時、やはり貴様は私の炎を受け止めてはいなかったのだと思い出した。あの時私を《召喚》し、炎を受け止め、《契約》へと至ったのは、官舎ひづりの母、官舎万里子だったのだな」
 彼女は凍原坂を真っ直ぐに見つめていた。凍原坂は目を逸らさずそれを受け止めていた。
「……だが、そんな事はこの日の貴様の行いを以って些事となった」
 ふっ、と笑い、《フラウロス》は天井花イナリを横目に見た。
「私でさえ《ボティスの剣》は恐い。それを、《天使》どもから家族を護るための一つの道具として使って見せるとは。これほどの武勇、《魔界》と《天界》が大いに争っていたかつての大戦時代であってもそうは見られなかったであろう。凍原坂。貴様の《勇猛》、私は今日此の眼でしかと見た。家族を護った貴様は真の《勇者》だ」
 嬉しそうに、誇らしそうに、彼女は美しい笑顔で言った。
「……しかしだ。官舎万里子によるものとはいえ、貴様と交わした《契約》を果たせないまま私は貴様と一時的に《途切れて》しまった。《契約印》は引き続き貴様と私を繋いでいるが、貴様の死で以って私と《火車》と貴様を繋いでいた《契約》は失効してしまった。武勇を示した貴様にこの様な体たらくでは《悪魔の王》としての沽券に関わる。故に」
 彼女はその大きな外套を腕でバサリと広げて見せた。
「《ボティス》の言う通り、この素晴らしき日に改めて交わそうではないか。私と《火車》と貴様で、私達だけの新たな《契約》を。官舎ひづりと吉備ちよこを護れ、とでも、《アウナス》を殺せ、とでも、何でも願うが良い。我が焔で成せる万象が貴様の手中だ」
 彼女のイエローダイヤモンドの両目が紫苑の炎光を浴びてきらりきらりと輝いていた。
「ありがとう、《フラウロス》。でもそれを決める前に、《火車》とも話をさせて欲しい」
 凍原坂は《フラウロス》から視線を外し、頭上の《火車》の顔を見て、それからまた《フラウロス》を見て言った。
 《フラウロス》はぱちりと一回瞬きをして《火車》を見ると「それもそうだな。では《火庫》。次は貴様である」と腕を組んで頷きおとなしくその場に座った。
「…………」
 凍原坂に膝枕をしていた《火車》は彼の肩に乗せていた手をおもむろにそっと下げようとした。……が、凍原坂がすぐにその手を捕まえた。
「……《火車》、話そう。僕たちの大切な話をしよう」
 《火車》は凍原坂の手を振り解こうとはしなかったが、何かを言いもしなかった。静寂の中をゆるやかな風が吹き抜けていった。
「まず、僕の話を聞いて欲しい。僕は君たちに謝らなくてはいけない。君たちの本当の強さから、僕はこれまで、ずっと目を逸らし続けて来た。君たちを、僕と雪乃さんの間に生まれた本物の娘だと……人間の娘だと思いたかったばかりに、ずっと……。だけど今日、分かったんだ。天井花さんに叱ってもらって、やっと気づけた。僕は君たちの《父親》としてだけでなく、君たちの《契約者》としても、覚悟を決めなくちゃいけなかったんだ」
 《二人》は黙って凍原坂の言葉を聴いていた。
「僕は《火庫》と《フラウ》の父親で、《火車》と《フラウロス》の《契約者》だ。もう間違えない。もう、君たちの強さから目を背けたりしない」
 凍原坂は《火車》の手を握ったまま、反対の手を《フラウロス》に伸ばした。《フラウロス》はその大きな掌で彼の手を握った。
 《火車》の緋色に燃える白髪がはらりと揺れた。


 ──……わっちは、凍原坂さまの恋人だった雪乃とは、同じ雪乃ではないのですよ……。わっちは、とても人前では言えないようなことを、あの頃の凍原坂さまにしていたのですよ……──


 それは儚く、消え入りそうな声だった。
 凍原坂は目を細めて《火車》の顔を見つめた。それは落ち込んだ子供を慰める様な優しい眼差しだった。
「……実はね、あの頃、夜に出したゴミ袋の結び目が朝には変わっていたり、家の中の物がたまに無くなったりしていたの、気づいていたんだ。まさか犯人が雪乃さんだったとは思わなかったし、ちょっと恥ずかしいなとも思うけれど……でも、あれが全部君のした事なら、僕は構わない」


 ──っ!?──


 《火車》は目を大きく見開いた。が、すぐにその表情を険しくした。


 ──…………。……たとえ、そうだとしても……凍原坂さまと雪乃が結ばれるためには、《わっち》が邪魔だった事に変わりはありません……。凍原坂さまと雪乃が過ごした日々は、凍原坂さまにとって何より大切なもののはずです……! 《わっち》が居たら、お二人の思い出が、汚れてしまうかもしれないのですよ……!?──


 苦しげに声を震わせながら《火車》は言った。
 けれど凍原坂は首を横に振り、答えた。
「君は納得がいかないかもしれない。でも、僕はね、嬉しかったんだ。先月、大学で、君の前世が雪乃さんだったって分かった時も、今日、雪乃さんとお付き合いをする以前の僕を、君が見つめてくれていたって分かった時も……僕は嬉しかった。僕にはやっぱり、君も雪乃さんなんだ。雪乃さんが君を否定したとしても、君たちの中にどんな心の変化があったのだとしても、君がどんな姿になっても、真実を知った君がそれで苦しんでいたとしても……それでも……」
 彼の目から溢れた涙が《火車》の揺らぐ炎に照らされて赤くきらめいた。
「恋してくれてありがとう。恋人になってくれてありがとう。娘でいてくれてありがとう。こんな僕を、二十年以上もそばで愛してくれて、ありがとう」
 《火車》の頬にも大粒の涙が零れ、それが凍原坂の顔にぱたぱたと落ちてはねた。


 ──……よいのですか……。わっちが、また、貴方さまの腕に抱かれる……そのような事が許されても、本当に……?──


 彼女の手を握ったまま凍原坂は微笑み、言った。
「必要なんだ。僕に、君が」


 ──……ぅう、うあぁ、うああああぁっ──


 《火車》は体を丸めてまた凍原坂の頭に覆い被さり、わんわんと大きな声で泣いた。
 ひづりはうつむいて嗚咽を漏らした。
 《主天使》たちに各々の生まれや秘密をどんな風に利用されようと、それでも凍原坂たちを繋ぐ家族の絆は負けなかった。
 信じて良かった。天井花さんを、凍原坂さんたちを。《期待》が時として人を追い詰める事があるとしても、それでも今日、自分が信じて選んだ道は間違いじゃなかった。嬉しさと安堵で気持ちがぐちゃぐちゃになり、涙を堪えられなかった。
「では、改めて訊こう、凍原坂。貴様の願いは何だ。新たな《契約》に、貴様は何を願う?」
 《フラウロス》が再び凍原坂に訊ねた。
 《火車》の腕や髪の隙間から顔を覗かせた凍原坂はふと何か思い出したという風に瞬きをして、それから隣の夜不寝リコを見た。
「リコちゃん……どこかに《フラウ》にパーカー、落ちていないかな……?」
 夜不寝リコもそれでハッとした顔になって辺りを見渡し、そしてすぐにそれを見つけた。どうやら天井花イナリは《転移魔術》の際一緒に運び出しておいてくれたらしく、《フラウ》があの時脱ぎ捨てたパーカーはひづり達からあまり離れていない場所にくしゃくしゃになって落ちていた。夜不寝リコは立ち上がって駆け寄りパーカーを拾い上げると軽く叩いて土ぼこりを落としながら戻って来た。
「ありがとう……。ああ、良かった、破れたりしてないね……」
 凍原坂は《火車》に手伝ってもらって体を起こし、夜不寝リコから受け取ったパーカーを広げて眺め、それから《火車》と視線を合わせ、もう一度ちゃんと《フラウロス》を振り返った。
「《フラウロス》」
 彼は《火車》と一緒にその小さな子供用のパーカーを差し出し、言った。
「僕の願いは────」








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