和菓子屋たぬきつね

ゆきかさね

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《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐

   『やくたたず』             2/5

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 《弩砲兵》が次弾を装填しようとする間も無く、もう一門の《神性施条弩砲》も一瞬で炎に包まれた。炎の波は《神のてのひら》の上を縦横無尽に広がり、巻き込まれた《主天使》たちは次々と動かない小さな燃え滓になって消滅していった。
 巨大な紫苑色の炎の柱から黒い影が飛び出し、夜不寝リコの檻に覆いかぶさった。けたたましい音の後、原形を留めない程ひしゃげた檻ががらんと転がった。
 檻から取り出した夜不寝リコを腕に抱くとその二メートル強の巨体は立ち上がってこちらを振り返った。
 一枚の大きな外套だけを身に着けた厚く勇ましい筋骨隆々の体躯。闇夜を思わせる光沢の無い黒髪の間からはまるで塔の如き一本の《角》が螺旋を描きながら鋭く伸び、その先端には生命力の強さを表した様な紫苑の大火が猛々しく燃え盛っていた。
 炎の柱はどんどん大きくなり、やがて上空の《神のてのひら》の天井部分と思われる場所へぶつかると、そこから更に四方八方へと広がって、いつか《ベリアル》や《グラシャ・ラボラス》が見せた《結界》のように周囲をまるごと包み込んでいった。
 何もない場所から突然悲鳴と炎が上がり、おそらく《不可視弓兵》のものと思われる人型の焼死体が転がった。《主天使》の数が数なのではっきりとはしなかったが、どうやら五体ほど居たようだった。と同時にひづり達を捕縛していた《封聖の鳥篭》も光の粉のようになって消えた。
「《不可視弓兵》どもがこの《檻》を維持しておったようじゃな。ひづり、わしをここから出してくれ。お主の腕を回収して来る」
 天井花イナリはひづりの右腕を止血し終えそれから自身の体に刺さっていた矢も引き抜くと俄かに立ち上がってそう言った。
「それと恐らく《神のてのひら》はあの《指揮》が維持しておる。訊きたい事もあるでの、《フラウロス》に焼かれる前にあやつも確保して来る。わしが出たらすぐに出口を閉めよ」
「わ、わかりました。お願いします」
 ひづりは重なっている《防衛魔法陣術式》の一か所を天井花イナリが通れる分だけ消した。彼女が外へ飛び出すと言われた通りすぐに蓋をした。
「……あれが、《フラウロス》さん……」
 凄いの一言だ、とひづりは思った。彼女の再召喚に成功すれば勝算があるかもしれない、なんて思ったが、そんな話ではない。一方的な蹂躙だった。抵抗しようと構えた盾ごと一瞬で燃やされる者。武器を捨て逃げ出すも《燃える結界》に出口を見つけられず悲鳴を上げながら泣きじゃくる者。空を見上げ自分が燃やされる順番をただ待っている者。気が狂ったのか逃げる味方に矢を射る者……。この場の《主天使》全員が避けられない死と向き合わされていた。
 終わったのだ。《フラウロス》の再召喚によって《神性施条弩砲》は二門とも焼け落ち、天井花イナリを閉じ込めていた《封聖の鳥篭》と包囲陣形は崩壊、夜不寝リコは《フラウロス》が救出し、凍原坂と《火車》は引き続きひづりの《防衛魔法陣術式》で護られ、《神のてのひら》に存在していた《主天使》の九割が消し炭になった。勝敗は誰の眼にも明らかだった。
 程無くしてひづりの両腕を抱えた天井花イナリが戻ってきた。彼女の髪の先には手足を縛り上げられた《指揮》が逆さまの格好で浮かんでいた。《指揮》の服や肌はところどころ焼け焦げており、瞳孔は恐怖で激しく伸縮を繰り返していた。
 改めて周囲を見るともうこの炎の海原に立っているのはひづり達とそして夜不寝リコを抱いた《フラウロス》だけとなっていた。ひづりは思わず安堵のため息を漏らしたが、もしかしたら《指揮》たちと同規模の《天使》が予備隊として第二陣、第三陣とこの後に控えているかもしれないので《防衛魔法陣術式》は維持したままにした。
「これは貴様がしているのか、官舎ひづり?」
 まだ体力に余裕の見える表情で戻ってきた《フラウロス》は、小さな《結界》のように全方位を覆うひづりの《防衛魔法陣術式》を見て、何とも興味深そうに言った。《フラウ》だった時よりずっと低く、また艶っぽい声だった。
「はい、そうです」
「そうか。すまぬが、リコもそこへ入れてやってはくれぬか。私はあまり護るのが得意でなくてな」
 大丈夫です、とひづりは先ほどと同じように出入口を作り、《フラウロス》の腕から降りた夜不寝リコを中へ迎え入れた。
「春兄さん……!!」
 《防衛魔法陣術式》に蓋をするなり夜不寝リコは凍原坂の元へ駆け寄って泣いた。《主天使》たちを燃やす合間に《フラウロス》が治したらしい、《槍盾兵》につけられた彼女の足の傷は綺麗に塞がれていた。
 夜不寝リコと凍原坂と《火車》はそのまま互いの生を確かめるようにぎゅうと抱きしめ合った。良かった、とひづりも貰い泣きしてしまった。
「…………」
「…………」
 ふと《防衛魔法陣術式》の外の静寂に気づいてひづりは天井花イナリと《フラウロス》を振り返った。彼女たちは無言でじっと見つめ合っていた。
 やがて《フラウロス》が微笑んだ。
「今回は……ふふ、やけに危うい橋を渡ったな、《ボティス》。貴様がそこまでの傷を負うのも久しい事だろう?」
 言葉とは反対にそれはとても穏やかで優しい口調だった。
 天井花イナリは嫌そうな顔をした。
「笑え。事実、此度の勝利を決めた一手はひづりの《盾》じゃ。お主と違いほぼ万全の力を持ちながら《主天使》などに後れを取ったわしの無様、良い笑い種になったであろう」
 いじける様に視線をそこらへ放った天井花イナリに、《フラウロス》は少しのけぞって、ぐはは、と豪快に笑った。背丈も顔立ちもかなり変わっていたのにその笑顔だけはかなり《フラウ》っぽく、ひづりは何だかハッとした。
「そうであるな。だが、貴様は自身の《契約者》と二人でなら逃げ延びる手はあると言いながら、凍原坂を嗾け、私や私の家臣のため最善の勝利を求めて戦った。……私は嬉しかったぞ、《ボティス》」
 彼女は金色に輝く両目で天井花イナリをしっかりと正面に見据えながらそう言った。
 天井花イナリはまたそっぽを向いて黙り込んだ。……あぁ、天井花さんこれたぶん照れているんだな、とひづりは何となく分かった。
 《フラウ》も、口を開くと大体いつも愉快そうに笑いながら何かを褒めていた。そうやって彼女が恥ずかしげも無く他者を褒め殺すのは恐らく《火庫》に理性を大いに渡してしまったからなのだろうな、とひづりは思っていたのだが、しかし実際は元から──《フラウロス》であった時から全くもってこの調子だったらしい。《フラウロス》の名を聞くたびに天井花イナリやラウラが何とも苦手そうな顔をしていたその理由が分かったようだった。彼女は意地悪だから嫌われていたとかではなくて、その惜しげも無く他者を真っ直ぐに褒める態度のせいで皆照れてしまっていた、ただそれだけだったのだ。
「……長居は無用じゃ。締め括りとしよう。《指揮》であったな、お主の名は?」
 天井花イナリは徐に振り返り、逆さまの《指揮》を見上げた。《指揮》の目元が、びくり、と痙攣した。
「首謀者は違おうが、少なくとも今回の襲撃の責任者、という事なのであろう、その名は。では責任を取ってもらおうか」
 虚空から出現した天井花イナリの《剣》が《指揮》の右足から親指を削いで落とした。
「────ッ!! ──ッ、────!!」
 びくんびくん、と《指揮》の体が痙攣した。髪で猿轡をされているので叫び声は上がらなかった。天井花イナリはそのまま《指揮》の足の指を一本一本、《剣》で器用に取り外していった。《ベリアル》の時を思い出すと同時に、逆さまにしたのは足先からあまり出血させないようにして長く拷問に掛けるためなんだろうか、とひづりはそんな事を思った。された事がされた事だっただけに同情の気持ちは湧かなかった。
「訊きたい事はまぁまぁあるが、そうじゃな、一番肝心なところから訊くとしよう。お主先ほど、わしの命は《あの方》が欲しておる、とか言うておったな? それがお主らの頭か? 名を聞かせてもらおう」
 両足の膝から先が無くなった辺りで天井花イナリは一旦手を止めて《指揮》に問うた。口を塞いでいた髪がはらりと剥がれ、《指揮》は悲鳴交じりの呼吸を漏らした。逆さに流れた涙と鼻水と唾液で形の良かった顔がみすぼらしい事になっていた。
「な……何をされたって……言うもんか……。ははっ……《下級天使》と思って、馬鹿にするなよ……蛇女……やがぁあ!?」
 喋っている途中で天井花イナリにそっと右手を握られるなり《指揮》は大声を上げて悶えた。天井花イナリが手を離すと《指揮》の右手は実の部分を全て削ぎ落とされて芯だけになった林檎の様になっており、痛みのせいか玩具みたいにぶるぶると震えていた。
 掌に付いた血を《指揮》の頬に軽くなすり付けた後、天井花イナリはまた無言で、今度は《指揮》の左手を掴んだ。めちゃくちゃな呼吸をしながら《指揮》は目を見開いた。ぐち、と潰れる音が鳴り、再び《指揮》の絶叫が《神のてのひら》に響かず消えた。
「はっ、はぁ、はあ……!! くそ、くそ……! くそッ!! 誰のおかげで……人間が《悪魔》に殺されず今日まで繁栄出来たと思ってるんだ……!! 人間が、あ、《悪魔》と一緒に生きていける訳ないだろっ!! 《天界》を敵に回して、まともな死に方が出来ると思ってんのか……!!」
 ひづりを見てか凍原坂を見てか、《指揮》はこちらを向いてそんな事を言った。天井花イナリの抱えている自分の両腕を見つめながら「紅葉さんが買ってくれた高校入学祝いの腕時計、落ちた衝撃とかで壊れたりしてないといいんだけど……」などと考えていたひづりは頭を切り替えて《指揮》に視線を戻した。
「ふぅぶっ!?」
 《剣》が《指揮》のへそに真っ直ぐ突き刺さって貫通した。
「お主……今わしと話をしておるのであろう……? 《王》と話すのはもう飽きたか? もう《終わり》にしても良いのか……?」
 顔を近づけ、刺した《剣》の柄をこんこんと叩きながら天井花イナリは冷たい声で訊ねた。
 《指揮》は口角から血を垂らして呻いた。その眼はもう意識を手放しかけているように見えた。
 しょうがないのぅ、という風に天井花イナリは一度顔を離し、それから横目にちらとひづりの方を見た。ひづりが首を傾げて、何だろう、と思う間に、彼女はまた《指揮》の耳に口を近づけ、ぽそぽそと数秒ほど何かを囁いた。耳を欹ててみたがひづりの位置から内容を聞き取るのは無理そうだった。《指揮》の顔が急に青褪め、それから喋りも動きもしなくなった。
 耳打ちを終えると天井花イナリは体を起こし、先ほどと同じ質問をした。
「さて《指揮》。もう一度訊くぞ。わしらに《ベリアル》やお主らを嗾けておるのは、一体誰じゃ?」
 宙づりの《指揮》は唇を震えさせながら、ふ、ふふ、と気が触れたように笑った。
 そして答えた。
「計画は、ア、《アウナス様》が──」
「──ッ!!」
 直後、天井花イナリと《フラウロス》が後ろに跳んだ。


 ────バァンッ!!


「きゃっ!?」
 夜不寝リコが悲鳴を上げ、ひづりも驚いて目を丸くした。
「な、え……!?」
 天井花イナリに解放された瞬間、《指揮》がいきなり破裂した。肉と血が弾けて散り、そのいくつかはひづりの《防衛魔法陣術式》にもべったりと付着してすぐにぐずぐずと燃え始めた。《指揮》が居た場所の足元には大きな穴が空いており、真上を向いて身構えた天井花イナリと《フラウロス》に倣って空を見上げると《神のてのひら》の燃える天井部分にも同じくらいの大きさの穿孔が見つかった。
 はっきりと見えた訳ではないが、恐らく《神性施条弩砲》の矢と同じ形の物だった。それがいきなり真上から降って来て、天井を割り、《指揮》とその足元を貫通し、《神のてのひら》に風穴を空けていった。
 ひづりは《防衛魔法陣術式》に焼かれて消えていく《指揮》の肉片を見つめた。今の一撃は《指揮》に接近した天井花イナリと《フラウロス》を《神性施条弩砲》の矢でまとめて押し潰す、といった意図もあったのかもしれないが、一番の目的は恐らく《指揮》に《天界》側の秘密を洩らさせないための口封じ……と考えて間違いなさそうだった。
「《アウナス》……」
 《指揮》が最後に口にしたその名をひづりは呟いた。
 《堕天使アウナス》。《ソロモン王の七二柱の悪魔》で、序列五十八番目の《悪魔の王》。ただ、《ゴエティア》をはじめ他の文献でも彼の王の記述は少なく、ひづりもどういった《悪魔》なのかは詳しく知らなかった。だから『魔界と人間界は現在交流が難しく、それ故に人間界では情報の少ないアウナスの名を出しておけばきっと和菓子屋たぬきつねを混乱させられる』というような効果を期待して《指揮》が捻り出した苦し紛れの嘘であるとも考えられた。
 しかし。
「そうか……《アウナス》、お主か……」
 《アウナス》と同じ《ソロモン王の七二柱の悪魔》である天井花イナリは何か確信を得ている様子で、空を睨むその横顔もどこか笑っているように見えた。
 紫苑色の火炎の中で光の粉になって消えていく《主天使》たちの残骸を眺めながらひづりはもう一度その《アウナス》という《悪魔》の事を考えた。これまで一度も行った事も見た事も無い《天界》という言葉だけだったものに、今日突如加えられた一つの個人名。それはひづりの中で《敵》の輪郭を少しばかり明瞭にさせ、そして同じだけの不安と怒りを胸の中に膨れ上がらせていた。
「…………あっ!? 天井花さん、足場が崩れていってます!!」
 地響きと轟音に我に返ったひづりは周囲を見渡して声を上げた。《指揮》と共に穿たれた大穴とは別に、他の地面でも次々にぼこぼこと穴が空き始めていた。《神のてのひら》を維持していた《指揮》が死んだ故と思われた。
 天井花イナリは武器を構えたまま《フラウロス》と共にひづりの《防衛魔法陣術式》に近づいた。
「ひとまず地上へ戻る。追撃があるかもしれぬ故、《盾》はそのままにしておれ。お主の腕は蚕影神社に着いてから繋げる。《フラウロス》、ちゃんとわしの《転移》に乗っておけよ」
 天井花イナリの描いた《転移魔術の魔法陣》が全員分の足元を覆うだけ拡張し、すぐに強い紫色の光を放った。





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