和菓子屋たぬきつね

ゆきかさね

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《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐

   『沈殿していく溜息』    2/5

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「ひづりさん。すみません、お昼休みの時間になったら、やはり《火庫》を連れ帰ろうと思います」
 開店から二時間が経ち、めんどくさい百合川も帰った頃、隅の席で《火庫》の様子を見守っていた凍原坂がそっと申し訳なさそうに言った。
 ひづりは思わず胸を撫で下ろした。
「そうですか。ええ、私も、その方が良いと思います」
 小声で話しながらひづりは凍原坂と共に《火庫》の方を見た。今日の彼女は全く何も出来ない状態であるらしいとさすがに客達も察した様で、注文を頼まれない《火庫》は虚ろな目でふらふらと店内を歩き回るだけになっていた。
「天井花さんや夜不寝さんにも伝えておきます。《火庫》さんには……その時まで言わない方が良さそうですね」
「本当にすみません。あんな体調でどうしてああも頑なに働きたいと言うのかわからないんですが……せめてお昼休みまで働けば、きっと《火庫》も折れてくれると思うので……。連れ帰って休ませて、それからちゃんと話を聞こうと思います。ひづりさんや天井花さんには本当にご迷惑をお掛けして……申し訳ありません」
 椅子から立ち上がって凍原坂は頭を下げた。
「いえ、いえ、今日はお客さんそんなに多くないですし、迷惑とかではないですよ。私も《火庫》さんのこと心配ですし。じゃあ私、天井花さんに話してきますね」
 ひづりは《火庫》のことやこれからの仕事の割り振りを天井花イナリに相談すべく、凍原坂のテーブルを離れようとした。
 と、その時だった。
「おおっ、すんごい綺麗な娘! 表の写真のままとはね、へええ。イナリちゃん……って呼んだら良いのかな? はははあ、こんにちは~!」
 やけに軽薄そうな男性の声が入り口の方であがり、その個性的な喋り方に聞き覚えがあったひづりは振り返ってみて驚いた。なんと渡瀬だった。その上、何故か彼の隣には夜不寝リコの養母、夜不寝一恵も立っていた。
「わ、渡瀬!? それに一恵さん!?」
 丁度会計台の方が見える位置に居た凍原坂が裏返った声を上げた。それに気付いて渡瀬たちもこちらを振り向いて、出迎えた天井花イナリに「あ、俺達の席、あいつと同じで」と伝え、そのまま一恵と一緒に歩いて来た。
「やあひづりちゃん、この間ぶりだねぇ。よおー凍原坂。来ちまったよ」
「来ちまったって……お前まさか今日俺に会わせたいとか何とか言ってたのって、一恵さんの事だったのか!? だったら最初に言えよ!!」
 へらへらとした調子の渡瀬に対し、凍原坂はなかなかの勢いで抗議した。すると渡瀬は顎を上げて眉根を寄せた。
「はあ~? 俺だって急にお前に約束すっぽかされるなんて思ってなかったんだ。それに今日のドタキャンの電話を一言二言喋って切ってゲストの名前聞かなかったのはお前だぜ。言わせてもらうがな、俺にとっては後輩の妹で、お前にとっては彼女の妹で、一恵さんにとっては娘同然……そんなリコちゃんが可愛い服着てお仕事してるところを三人で羊羹つつきながら眺めようぜ、ってノスタルジィの利いた日曜日を過ごす計画を立ててお前にサプライズを提供しようとした俺の優しさをそんな風に言われちゃあ、さすがの俺だってカチンと来るぜ。退屈なお前の人生に面白みってやつを添えてやってるんだぜ、俺はよ」
 いきなり始まった二人の険悪な言い合いに店内はざわついた。
「……あの。事情は分かったので、とりあえず座って、落ち着いて話して貰っていいですか。ここ、和菓子屋なので」
 また取っ組み合いでもしそうな雰囲気だったのでひづりは少々語気を強めて二人を諌めた。
 すると凍原坂はハッとして肩を竦め、すみません、すみません、と言いながら小さくなって席に座った。前々から思っていたが、どうも凍原坂は渡瀬を前にするとかなりムキになって周りが見えなくなるところがあるようだった。
 渡瀬はひづりを振り返ると「……あれ!? そういえばひづりちゃんメイド服じゃねぇ!? なんで!?」と叫んだ。ひづりは内心ため息を吐いた。この人の頭の中、会話の優先順位どうなってるんだろう。
「あの、あの……渡瀬さん……」
 そうして三人をひとまず席に収め、渡瀬に店の説明を始めようとしたところ、徐にひづりのお腹の高さ辺りから声がした。《火庫》だった。
「おおっ! 火庫ちゃん良いねぇそのパーラーメイド服めちゃくちゃ似合ってるねぇ!! あぁそうだ! そうだよ! 今日は火庫ちゃんに渡そうと思ってこれ、持って来たんだよ!!」
 《火庫》に気付くなり渡瀬は前回同様子供の様にはしゃいだ顔になってそれから提げて来た紙袋に手を突っ込んで一冊の本を取り出しそれを彼女にずいと差し出した。おどろおどろしい《妖怪》の絵が描き込まれた表紙に『妖怪徹底解説図鑑二〇一七』とのタイトルが記されていた。
「妖怪の図鑑だよ、今日発売のね! で、見てごらん、ここだよここ。渡瀬奉文。俺の名前が入ってるだろう? 監修に携わったんだよ! すごいだろう? 裏表紙にはサインもしておいたからね、これはいつか高く売れるぜ」
「ああ……ありがとうございます。家で…………読ませて頂きます……」
 ひづりの目にも愛想笑いと分かるくらい《火庫》は弱々しく微笑みながら本を受け取ったが、それでも渡瀬は満足のようだった。
「良いって事さ! さ、ほら凍原坂、娘にプレゼントをくれた人にはなんて言うんだ?」
 渡瀬はテーブルに身を乗り出すようにしながら凍原坂に対して手を扇いで見せた。
「……ありがとう」
「はーっはっ! 今日は良い日だな! 金持ってきて良かったぜ、いくらでも使っちまいそうだ!」
 腕を組み天井を見上げながら渡瀬は笑った。
 ひづりは隣の《火庫》をちらと横目に見た。受け取った分厚い本を手に彼女はまた虚ろな顔でどこを見るでもなくぼうっとしていた。
 さっき渡瀬さんに何か言おうとしていたみたいだったけど、良いのかな……? とひづりは気になったが、しかし彼女は「……本、しまって来ます」とだけ言い残して休憩室の方へ行ってしまった。



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