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《第3期》 ‐勇者に捧げる咆哮‐
『営業再開日』
しおりを挟む九月十六日、午前十時一分前。
一ヶ月と十六日ぶりに店内の提灯はその全てに明かりが灯されており、天井花イナリと官舎ひづりも接客の装いに背筋を伸ばし、会計台横へ二人並び立っていた。
──そして、十時きっかり。
「お待たせいたしました皆様ー! 《和菓子屋たぬきつね》、営業再開でーす!! からんからーん!!」
店主の片割れである吉備ちよこが戸を開いて表に飛び出し、愛想の良い笑顔で叫び上げた。《ベリアル》から受けた右肩の傷は無事快方に向かい、九月に入るともう「激しい運動さえ避ければ働いても大丈夫」との診断を貰っていた。
窓の外に並んでいた顔なじみの客達は動き始め、次々に入り口をくぐってはひづりや天井花イナリと言葉を交わし、その少々懐かしく思える店の空気をにわかに形作っていった。
「いらっしゃいませ。お二人様ですね。どうぞこちらの席へ」
「あら、ひづりちゃんも久しぶりね。元気してた? イナリちゃんも相変わらず美人さんでぇ」
「ふふ、構わぬ構わぬ。どれ、注文の決まった者から、わしかひづりに声を掛けよ。今日はサトオも居るでの。待ち時間はほぼ無いと思ってよいぞ」
天井花イナリも何だかんだで営業再開を楽しみにしていたらしく、朝方ひづりが開店準備に顔を出した時からずっとこんな具合に上機嫌であった。そしてそれは厨房の和鼓たぬこも同じで、幼馴染とまたこうして仕事を始められる事にやりがいの様なものを抱いている様子であった。二人が活気付いた姿はひづりとしてもやはり嬉しいもので、一ヵ月半ぶりの労働にも気が引き締まるというものだった。
先ほど天井花イナリが店内に告げた様に、普段友人の和菓子屋の手伝いに出ている吉備サトオも今日ばかりは店に居た。彼もまたそのずいぶん久しぶりな《和菓子屋たぬきつね》での和菓子作りに気合が入っており、装いから動きから顔立ちから、まるで開店初日かと見紛うようなキレがあった。
「佐伯さんお久しぶりですー。お仕事、調子どうなんですか?」
うっすら頬紅を差した面貌に感触と映りの良い笑みを浮かべ、ちよこは座敷席の一つへいそいそと上がって常連客と話を始めた。この光景も久方ぶりで、ひづりは「まぁ、洗い物が重なって来たり、レジ打ちが必要になってくるまでは少しくらい自由にさせておくか」と視界に入れない事にした。これも一応は近隣の情報収集でもあるし、ちよこが一番輝ける仕事でもあった。それにこうして営業再開を知ったお客が朝から列まで成して開店を待っていてくれたのだって、この女の顔あってのことなのだ。そういった部分は認めざるを得ない。
ただ集客には事欠かないとしても、こんな風に一度に席が埋まってしまえば当然フロアに立つひづりと天井花イナリは忙殺されるというものだった。姉の入院と共に一旦店を閉め、それから四十数日分のブランク。ひづりも七月の勤務初日から記していたメモ帳を改めて読み返すなどして準備と心構えこそしていたが、到底滞りなく捌けるものではなかった。ちよこは「一ヶ月以上休んだ分、全力でとりかえすわよ~!」とやる気だったが、彼女にやれるのは経理と食器洗いとレジ打ちくらいのものなので、やる気を出したところで結局二人しかいないフロアの仕事の負担はまるで減ることはないのであった。
せめてあと一人は欲しい、とそんな事を思いながらひづりは走り書きした注文票をまた厨房へと届けた。
「和鼓さん、豆四つと蓬二つ、それから季節のパフェ二つです」
「分かりました。受けてた分はそっちに出してあります」
「ありがとうございます。行って来ます」
ほんの数分前に届けた注文がもう品になって机の隅に置いてあり、しかし和鼓たぬこは暇も作らず器用に素早く、次に使う材料の加工に着手していた。ひづりは出来上がった和菓子たちをまた盆に乗せると暖簾をくぐってフロアに戻った。
和鼓たぬこには以前岩国旅行に際してちよこが掛けた《認識阻害魔術》が未だ働いていたが、万一うっかり二人の接触事故が起こった際の事を考えて、彼女とサトオの仕事場は別々にしてあった。作業速度で優れるたぬこがいつもの調理場に立って全体の和菓子作りを受け持ち、そして単品注文の品やたぬこのサポート役としてサトオが今回の営業再開に向けて数年ぶりに第二調理場へと整えられた休憩室に立つ、という形を取っていた。
「ひづり、アサカ達が来たぞ」
「あれ、もう来ましたか」
すれ違い様に天井花イナリが言いながら店内の一角を軽く顎で指した。見ると二人席に掛けた学友たちの姿があり、眼が合うなりハナは腕をぴんと伸ばして、アサカは手を胸の辺りで控えめに、それぞれひづりに手を振って来た。
営業再開の日程は二人にも話していた。前もって「相手はしてやれないぞ」と説明したが、理解しているのかしてないのか、二人とも嬉しそうに返事を揃えたものだった。
「おはよーひづりん!」
「ひぃちゃんおはよう」
席へ向かうと二人は遠足に向かうバスの中の小学生の様なわくわくとした笑顔でひづりを迎えた。少しばかり顔が熱くなったがひづりは平常心に努めた。
「いらっしゃい。早かったね」
「うん。けど忙しそうだね。もう少し遅い方が良かったかな」
珍しく賑やかな店内を思ってだろう、見渡してアサカは少し困った様に眉を寄せた。
「大丈夫だよ、ゆっくりして行って。注文決まったら私か天井花さん呼んでね」
説明しながらひづりが水を置くと、ハナは徐に机へ頬杖をついて良い声を出した。
「あたしらがひづりん以外に注文お願いする訳ないだろ……。一途なんだぜ、こう見えてさ……」
「あっそ」
「あーん! つれない!」
ハナは大げさに悲しそうな声を出しながら椅子をぎしぎしと鳴らした。
「二人、ひづりちゃんの学校のお友達なの? まぁ、どっちも美人さんねぇ」
いつもの調子でやりとりをしていると隣の席に居た初老の女性客三人組がにわかに声を掛けて来た。常連さんで、ちよこだけでなくひづりにもよく話しかけて来る一団だった。
「こんにちは! 友達なんてそんな、へへ、ひづりさんとは友達以上恋人未満な関係です」
「おい変な嘘を吐くな。お客さん、嘘ですからね。こいつただのクラスメイトですから」
「あらあら、とっても仲良しなのねぇ」
ハナの頬をつまみ上げながらひづりは隣の客に弁明したが、とても理解してもらえた様子ではなかった。
「ひぃちゃん……私も、私もほっぺた引っ張って欲しい……」
控えめながらアサカが真面目な顔でまた馬鹿な事を訴えて来た。
「……あとでな」
「安心しなよひづりん! あたしらこのお姉さん方とお話してるから、仕事に戻っていいぜ!」
「そんな安心できない安心しろもなかなか無いぞ」
とは言え今も見れば新たに客が入ったらしく、天井花イナリが案内に向かっていた。ハナが常連客に妙なことを吹き込みそうなのは気がかりだったが、ひづりは自分の務めに戻ることにした。
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