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悪役令嬢ドリス・エーレンベルク(3)

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 この人生が破滅に向かわないように、いまできることをやっていこう。
 ベッドを抜け出して机に向かった。
 前世の記憶が戻ったとはいえ、ところどころ抜け落ちている箇所がある。もしかするとこの記憶は一時的なもので、いつか完全に忘れてしまうかもしれない。
 
 机も椅子も、もちろんショッキングピンクだ。きっと最高級の木材を使用して作られているはずなのに、この色のせいで安っぽく見える。
 自分の趣味の悪さにため息をつきながら机の引き出しを開けた。
 ペンとノートを取り出すと、ゲームシナリオや今後起こる予定のイベントを思い出せるだけ書き留め……ようとして、すぐに手を止めた。

 ちょっと! この子ったら、字が汚すぎない!?

 とても14歳とは思えない、幼い子が書くようなミミズ文字だ。
 これじゃ読めないじゃないの!
 
 腹が立ってペンを放り投げたくなる衝動をどうにか堪えた。
 そうだ、悪役令嬢ドリス・エーレンベルクはとにかく短気でわがままでヒステリックなのだ。
 この程度のことで激高してはならない。
 感情を上手にコントロールしなければ、悪役令嬢という設定に飲み込まれてしまうかもしれない。

 大きく深呼吸をする。
 冷静になるよう自分に言い聞かせながら、文字よりも絵を多めにした。
 この方法が大成功だった。文字だけで書くよりも断然早い。
 
 前世で絵が得意だったことがこんな形で活きることになろうとは!
 それにもしも誰かにこのノートを見られても、ただの落書きだと言えば済むだろう。
 
 ドリスが贅沢ざんまいを繰り広げる様子、ミヒャエルとオスカーにわがままを言って困らせる様子、入学式でヒロインを怒鳴りつける様子、学園生活中にヒロインに陰湿な嫌がらせをする様子……。
 夢中で書いているうちに、どれぐらい時間が経っていたのだろうか。
 ドアをノックする音が聞こえて顔を上げた。
 
「ドリィ?」
 ミヒャエルの声だ。
 ノートを閉じて立ち上がる。
「パパ」
 部屋のドアを開けると、心配そうな面持ちのミヒャエルが入ってきた。元気な様子のわたしに安心したのか、ミヒャエルは眉尻を下げて表情を緩めた。
「よかった、元気そうだな。倒れたと聞いて気が気ではなくて帰ってきたんだ」
 騎士服を着ているということは、仕事を途中で放り出して慌てて帰宅したのだろう。
 38歳には見えないほど若々しいミヒャエルは、騎士団の上役を務めている。

「パパったら、心配症ね」
 抱きしめてくるミヒャエルの首に手を回した。
「ドリィこそ、甘えん坊だな」
 
 ミヒャエルがひとり娘のドリスを溺愛するのには訳がある。
 妻のローラは病死しており、ドリスが唯一の家族だからだ。
 しかもミヒャエルはローラの死に目に会えなかった。13年前、戦争に勝利し多くの勲章を胸につけて帰国したミヒャエルを待っていたのは、愛妻の訃報と1歳になったばかりの娘だった。

 それ以来ミヒャエルは、愛する妻の忘れ形見であるわたしを両手放しで甘やかしている。
 これまでのわたしは、それに味を占めてわがままをエスカレートさせていた。
 中には諫める使用人もいたけれど、わたしにとって都合の悪い大人たちは罪をでっちあげミヒャエルに言いつけて排除した。いまエーレンベルク伯爵家にいる使用人たちは、わたしの顔色をうかがう者ばかりだ。

 こうやって抱き合う父と娘の一見微笑ましい光景も、使用人たちは複雑な胸中で見ている。
 しかしあえてここは、いつも通りにおねだりしてみようじゃないか!
「あのね、パパ。お願いがあるの!」
「なんだい、ドリィ」
 ミヒャエルの背後でオスカーが眉間にしわを寄せている。
 またえげつないわがままを言い出すのか!と思っているに違いない。

「家庭教師を雇ってもらいたいの!」
「…………」 
 甘い笑顔を見せていたミヒャエルが真顔になって体を離し、困惑している。
「ドリィ? 勉強は好きじゃないんだろう?」

 もちろん好きじゃない。
 これまで幾度かドリスに家庭教師がつけられたことはあったが、クビにした使用人と同様、難癖をつけてすぐに追い出してきた。
 でも14歳であんなミミズ文字は恥ずかしい。
 貴族の子供たちは家庭教師について年齢相応の教養を身に着けてから貴族学校に入学するのが一般的だ。しかしドリスはわがままを言ってそれを拒否し続けたまま14歳になった。
 このままじゃ、とんでもなくお馬鹿な状態で入学することになるじゃないの。どうしてくれるのよ!
 あと2年でどうにか後れを取り戻さないといけない。

 しかしこれまでも、どんな習い事も続かなかったドリスだ。
 さすがのミヒャエルも諦めているのか、今更なにを言い出すんだと驚いている。

「じゃあ、わたしが本気だってことを証明してみせるわ! オスカー、わたしの家庭教師をしてちょうだい!」
 腰に手を当て、もう片方の手でオスカーをビシっと指さす。
 
 オスカーはますます表情を険しくした。
 それでも呻くように「かしこまりました」と答えたのだった。
 

 
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