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第二章

15.「Smells Like Teen Sprit」

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 エンディングを迎え、番組が終わった。
 次の番組との間を繋ぐコマーシャルが流れると、ブース内のハルカがいつもより長く、じっくりと伸びをした。
「お疲れ様です」
 扉を開けてスタジオに戻ったハルカが、スタッフに挨拶をしてソファに倒れ込む。
 私はいつも通り、冷蔵庫から取り出したペットボトルの水を渡す。
「お疲れ様」
「本当に疲れた」
 彼女は水を受け取ると、大きく溜息を吐く。それから、アスリートのように喉を潤してソファに座り直した。
「それで、どうだった?」
 ハルカは目をキュッと細め、睨みつけて私に問うた。
 私はその視線を受け止めるが、数秒で耐えきれずに顔を逸らしてしまう。
「……どうっていうのは?」
「自分の書いた『台本』が放送で使われた感想」
「台本も何も、後半はほとんどアドリブだったじゃないか」
 彼女が言うのは、番組の最後。「ライブ・リクエスト」でのことを聞いていた。
「それでも、あのメールを選んで、あの質問を考えたのは貴方。貴方が生んだ会話よ。貴方は、どう感じたの」
 私は、少し考えてから彼女の目を見る。
「僕はこういう回もあってもいいんじゃないかって思って台本を書いた。……だって、激しいだけがロックじゃないし、明るいだけがラジオじゃないだろ」
 ハルカは、私の辿々しい言葉を全部拾ってやるという真っ直ぐな瞳で声を聞いている。
「それで今日、実際のやり取りをみて、やっぱりこれで良かったと思ってる」
 私は、ハルカから目線を逸らした。
「……反応はどうだった?」
「もちろん」
「もちろん?」
「怖いから見てない」
 ハルカは私の前のタブレット端末を奪い取った、それから、暫くインターネットの海に潜り情報を集めていた。
「なんともって感じね」
 彼女は画面から目を離さずに呟く。
「『放送事故だった』みたいな反応もある」
 私は針の筵に座るような、落ち着かない気持ちでハルカの言葉を聞く。
「でも、『感動した』って感想もある」
 私は少しだけ胸を撫で下ろした。
「あ、『放送作家変わった?』って投稿まであるよ。ウチのリスナーは鋭いね」
 ハルカ少し誇らしげに笑うと、タブレットを返した。
「来週から作家紹介のコーナーでも追加しようか」
「……貴方はこの番組を終わらせたいんですか」
 私がそう言うと、彼女は「まさか」と返した。
「善意よ。うちにはこんなに優秀な裏方がいるっていう」
 悪戯っぽくハルカが笑った。

 しばらく燃えないゴミみたいな会話をしていたら、シイナがまたしても仰々しいホワイトボードを取り出した。先週の会議で書き込まれたスペシャルウィークの予定プログラムがそのままで残っている。
 彼女の「少年」という低い声で私は彼女の顔を向く。
「少年には来週もコーナーを二つぐらいお願いしようと思ってた。……けど」
「けど?」
 不穏な語尾を復唱する。
「やっぱり、来週は私が全部書くわ」
 その言葉に一瞬、全身が固まった。
 ハルカの「え」と言う音に続けて、私は尋ねる。
「クビってことですか?」
 やっぱりか、という気持ちが高まってくる。走馬灯のようにしてこの二週間の記憶が流れていく。私なりの努力も苦悩も葛藤も、全てぶつけた気ではあった。でも、クビになるなら仕方がない。それまでのことだった。
 ハルカもシイナも、何も言わないでいる。私はその沈黙を肯定と受け取った。
「その代わりだけど……」
 シイナは説明を再開した。かと思うと、ホワイトボードに私の名前をすらりと書いた。
 筆が止まると、そのマーカーペンを私に向けた。
「来たる再来週。スペシャルウィークの台本は、全部、少年に担当してもらう」
 私は未開民族の言語を聞いたように意味を理解できず、一拍遅れた。
「は」
 やっとして出た自分の間抜けな声に驚いた。
「……どういうことですか?」
 シイナはホワイトボードに浮かぶ私の名前を指差す。
「どういうことって、こういうことよ」
 度重なる仕事のストレスや、スポンサーとの関係の軋轢によって、ついにシイナの気が触れてしまったのだと思った。
「いや……いや、だって番組の存続がかかってるんですよね? なんで僕みたいな素人に任せるんですか」
「君が適任だと、私が考えたから」
 彼女は至極冷静に言った。
「そして、今日の放送で確信した。ね、ハルカもそれでいいでしょ?」
 ハルカの方を向く。彼女は同意するように、こくりと首肯した。
 まるで私の反応が間違っているかのように、真っ直ぐに見つめている。
 私はどうにかそこから逃げるために、色んな反論や文句を投げようとした。しかし、落ち着いていない脳味噌はうまく回らず、「だって」と続きのない駄々だけを溢れるように吐いた。
 長い沈黙が流れる。二人は、巌流島の小次郎のように、ここで飢えるまで私の言葉を待とうとしているのかもしれない。
「フクチ」
 声を出したのはハルカだった。ごく稀に、ラジオについて考えているときにだけ出す真面目なトーンだ。圧を感じるほどフラットで、体温を感じさせない彼女の声は、私の喉の奥を詰まらせた。
「ずっと前。四月に貴方と出会ったころ、この番組の方針について話したことを覚えてる?」
「四月?」
「覚えてないの?」
 ハルカはそう言うと、自分のバッグを漁り、紙の束を机に出した。ほとんど白地がなくなりかけたメモ用紙には、言葉が駆けるように書かれている。ヘッダーには「四月第二週」と記されている。彼女専用の議事録のような資料らしい。
「……これ、毎週分まとめているのか?」
「だとしたら?」
 彼女はさも当然のようにして顔を変えない。それから、文を指でなぞって「これ」と言う。
「この番組にあって他にないもの、『若さ』って」
 確かに彼女の指の先には、「〇フクチ」という吹き出しとともに、そんな趣旨の文面が残っている。
「……そんな恥知らずで青臭いことを言った人がいるんですか」
「青臭くて上等じゃん」
 ハルカは顔を上げ、斬り捨てるようにして言った。
「私たちには何もない。実績も、飛び道具も、特別な何かも。だったら、それを逆手に取って、何もない若いだけの私たちを最大まで拡大して、聞き手を飲み込むしかない」
 彼女は語りを続けた。
「パーソナリティがフルタから私に代わって、『R-MIX』を離れた人はきっと少なくないよ。カナタやマナカたちを呼んだりして、番組内容を大きく変えた影響もあるだろうし」
 それから、「でも」と繋ぐ。
「そうしないと、フルタは越えられない。私たちは変化を続けなくちゃいけないし、前に進み続けなくちゃいけない」
 彼女の私を見る目は一層強くなる。
「だから、『R-MIX』のために、貴方も全部ぶつけてほしい」
 羨ましいぐらい堂々とした物言いに、私は圧倒された。
 その言葉は、情熱を剥き出しにして「私」に対して放たれる。
 普段、対面では不毛な揚げ足の取り合いか悪態の応戦ばかりだったせいか、彼女の真面目な言葉は尚更私の心を揺らした。彼女がこの番組の聞き手をそうさせたいと願うように。
「それに、少しは『書きたい』って思ってくれたんでしょ?」
 今度はシイナが言った。
「だから、ボロボロになってでも原稿を作ったり、面倒くさいことになりそうでも『One』を選んだんでしょ?」

 ハルカとシイナは私に折れさせるというよりも、折ることのできる場所を探すように話していたと思う。私のことを分かったつもりで話を運ばれることには、苛立ちをもったが、それでも、分かろうとさえしなければ分かった気にすらなれない。だから、私は言った。
「わかったよ」
 そして、続けてこう付け足した。
「でも、責任は取れない」
「何言ってるのよ。責任を取るためにプロデューサーわたしがいるのよ」
 シイナはまた、当たり前に言った。
 ハルカの方を見ると、その言葉を待ち望んでいたかのように満ち足りた表情をしている。
「じゃあ、最高の台本をよろしくね」
 地方都市の片隅にある年季の入ったスタジオは、覚悟を決めた私の背筋をピンと伸ばすような緊張感を生んでいた。

 ♪♪♪

 スペシャルウィークの2日前。八月は第五週の木曜。
 焼けつくような太陽の目を避けるため、私は可能な限り地下の道を辿り、また局に出向いていた。
「スペシャルウィーク放送の最終打ち合わせ」という名目で招集が掛けられた具合であった。
 私は、この一週間、血反吐を吐くような思いでスペシャルウィーク全編の台本を書き上げた。
 おかげで夏季休暇の終わりという鬱気や哀愁に浸る余裕すら奪われ、ただ目前にある巨大な焦燥とのみ対峙していた。
 その過程で、スペシャルウィークの放送について、様々な考えを巡らせた。
 そもそも、タテヤマは「R-MIX」のスタジオに現れるのか。来たとして、全盛期のようなパフォーマンスで歌えるのか。そうしたら、他のコーナーはどんな組み立てにすればいいのか。それら無数の思惑は、一つの問題に帰結した。
 ――番組の存続を決定づけるような放送ができるのか。
 いつの間に自分は「R-MIX」の心配をするようになったのかという点まで、考えが飛躍したところで、私は地上に出た。ゆらゆらと煮立った陽炎の沼とノイジーなセミの音は、何を考えるにも弊害にしかならない。私はただひたすら足を前に出し、スタジオに向かった。

 局に着き、階を上がって五〇五スタジオに着いた。
 いつもと同じようにノックをして、いつもと同じようにドアノブを引く。
「こんにちは」
 スタジオには既にハルカとシイナに加えミヤモトが座っている。
 彼女らの手元には私の書いた台本が在って、既に沢山の何らかが書き込まれているのが見えた。
「もう打ち合わせ、始めるんですか?」
 荷物を降ろして椅子に座る。
「いや。もう一人、がいるから」
 シイナが答えた。
「待ち人?」
「それよりも、少年の台本、しっかりと成長してたわよ」
 シイナの持ち上げる原稿を見ると、確かに以前よりは添削箇所赤ペンが減ったように見えた。
「修正も最小限でしかしてないわ。整えた状態で紙に打ち出しておいたから、確認しておいてね」
 もう片方の手から、修正後の台本が渡された。メールやリスナーからの反応のぺージも含めると五十枚ほどの重さ。問題集ぐらいある冊子も、そのうちのほとんどが自分の手で書き上げたものだと思うと、幾らか軽くなったような気がする。
 そして、この頼りない紙束が二十五年続くラジオ番組の命運を左右する。
 今自分が直面している現実。その全体図を再確認して、気分が悪くなってしまった。
「……ちょっと、お手洗いに」
「でも、もうそろそろ多分来るわよ」
「え」
 その時、ガチャリと音がして扉が開いた。先にいたのは、見覚えのある人間だった。
 れたカーキ色のパーカーに、汚れたトラックパンツ。傷と泥はねだらけのギターケース。顔に入った深い皺と無精ひげ。やがて、カラーレンズの下にあった鋭利な光と目が合って、私は視線を背けた。
 その老いた男は、タテヤマだった。
 彼の姿は、かつてステージで虹色の声援を浴びていた時どころか、一月ほど前、スポーツバーの暗がりで見かけた時よりも、ずっと弱弱しく見えた。
 いつかにフルタが来た時と同じような緊張が走る。自分の脇腹で汗が伝うのを感じた。
「お久しぶりです。タテヤマさん」
 シイナが立ち上がり、名刺を渡そうとする。
 しかし、男はそれを拒むように手を上げると、大股でずかずかスタジオを進み、空いているソファに沈みそうなほど深く座した。
「やるなら早く始めろ。お前らと違って暇じゃないんだ」
 タテヤマはそう言い捨てると、足を大きく組み直した。
「……貴方、どうせまた飲みに行くだけでしょう?」
 ハルカが私に言うような調子で悪態を返すので、私は思わずむせそうになる。
「ハルカ」
 シイナが制すように暴れ馬の名を呼んだ。
「……おい。ここって煙草ふかしても警報鳴らないか?」
「喫煙所以外、全館禁煙」
「俺が聞いているのは『警報が鳴るかどうか』だ。下らない人間たちの考えたルールの話はしていない」
「鳴ります。鳴らなくても私が鳴らします」
 私は強酸と強塩基がぶつかるような会話を聞いて、思いのほか相性がいいのではないかとすら思い始めていた。
「……では、さっそく明後日の放送の打ち合わせを始めさせていただきます」
 シイナが場を均すように間に入って話を続ける。
「原稿はこちらになります」
 彼女は鞄から紙束を取り出して、タテヤマに手渡した。彼は不愛想にそれを受け取り、目を通していく。
 言葉は一つもなく、ざらざらとした紙が擦れる音と空調の音でスタジオ中が包まれる。
「では、順番に説明していきます」
 シイナは明後日行われる放送の段取りを、簡潔に説明し始めた。
 
 プログラムでは、最後の四十分をタテヤマとのインタビューとライブに当てる。
 それまでの常設のコーナーも、タテヤマの組んでいたバンド「スーパーノヴァ」が一世を風靡した時期の邦楽や、彼らに影響を与えた「ブリッドポップ」にスポットライトを当てた内容にした。
 そのほとんどは私が書いたものであったから、私はタテヤマの顔色を窺うことに徹した。しかし、その説明の間、タテヤマは聞いているとも聞いていないとも取れる虚ろな目をしていた。
「……以上のプログラムで進行する予定ですが、何かご意見などありますか?」
 一通り説明を終えたところで、シイナがタテヤマに意見を求めた。
 タテヤマは目だけをギロっと不機嫌そうに動かす。それから、手元の資料を机に軽く投げると気だるげに話し出した。
「……お前たちが何をやろうと、俺には関係ない」
 ポケットから煙草を取り出し、立ち上がろうとした。
「待って」
 男の動きを止めたのは、ハルカの声だった。
 彼女は立ち上がって、男のカラーレンズの向こうに据わる目をじっと見る。そして、一言一句を大事にするように、ゆっくりと力強く話した。
「この番組は、今回の放送に存続の是非が掛かっています」
 タテヤマは、鋭い眼光でハルカを睨むが彼女は怯まない。
「番組が続くかどうかって時に、ずっとずっと昔、話題になった人間の古い威光を使おうとしてんのか? 笑えるな」
「違います」
 ゆっくりと二回、首を横に振った。
「私たちは、『今の貴方』に全てを賭けてるんです」
 そう言うと、ハルカは体を畳むようにして、馬鹿丁寧に礼をした。
「よろしくお願いします」
 タテヤマは、彼女がついさっきまで叩いていた軽口との落差で、呆気にとられているようだった。
 何秒か経過し、重たくなった雰囲気を嫌ったのか、男は部屋の四隅まで届く舌打ちをした。
「……お前たちは番組を続けるために、俺を利用しようとしているのかもしれないが、それは違う。俺がもう一度のし上がるために、お前たちを利用するんだ」
 火の着いていない一本の煙草を、「俺」で自分に、「お前」でハルカに向けた。
「ラジオ番組とミュージシャンの関係なんて、そんなもんだろ?」
「……ええ」
 
 話が一度まとまったところで、タテヤマは煙草を後ろポケットに突っ込んだ。それから、ミヤモトの顔を指で差した。
「おい。お前がミキサーか。さっさとリハーサルを済ませろ」
 タテヤマは煙草を持っていた手で、ギターケースを担いだ。
 そして、今度は私の方に指を向けた。
「気が散る。クソガキは出ていけ」
 その命令を聞いて、ハルカが私に嘲笑を向けた。
「だってさ。さん」
「お前もだ。クソガキ2ツー
 タテヤマはハルカを差して告げた。
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