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第十話
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夜になるまで街の中を探したが、斑を見つけることができない。
もしかしてあの屋敷に戻ってきたのではないかと思い、先祖から使われてきた屋敷の前に立ったが、そこは屋敷自体が暗闇の一部であるかのように誰かのいる気配など一切なかった。己の鼻を使って斑の跡を追おうとしても、時間が経ちすぎていたら追うことすら難しい。
屋敷を出るとメイオがいる本屋にもう一度立ち寄り、帰り支度をしていたメイオをつかまえ、「本当は知っているのではないか」と丁寧に尋ねたがまだレグルスが斑と会えていないことに驚いた様子で、「仲間たちにも探すのを手伝ってもらう」と走って行ってしまった。車は使わずに徒歩で探し回ったが、どこからも斑の匂いはしなかった。
――もう、この街にはいないのだろうか。
屋敷の中も念のため一部屋一部屋確認した。
斑が使っていた寝室は綺麗に片づけられていて、斑が持ち歩いていたバッグの上に読みかけの絵本がぽんと置いてある。斑を拾ったばかりの頃は本すらまともに読んだことがなかったのに、本が好きだと笑った斑の成長を感じる。
――見捨てた、わけじゃない。
だが逃げた。自分が見捨てられるのが怖くて――また、大事なものを失うのが怖くて。
自然と足が動き出し、家族たちが眠る丘へと歩き出した。徒歩で行くには人の足だと難しいが、獣の血を半分持つレグルスには疲れることもない程度の距離だ。
急勾配の坂道を駆けあがっていき、見晴らしの良い丘のところまでたどり着くと燦然と輝く星々がレグルスを迎え入れた。ずっと走り続けたからか、いつもより息が上がっている。石碑のところにたどり着くと、そこには摘まれたばかりらしい小さな花束が添えてあった。匂いをかがなくても、それが誰の仕業かは容易く分かる。もう、レグルス以外にこの丘を訪れる者はいないのだから。
石碑の前に膝をついて座ると、一気に今日一日の疲れが押し寄せてくるようだった。
「斑は、勘違いしているだけだ」
レグルスが思っていたよりもあの青年はとても利発で、『ハイ』のしかるべきところで教育を受けたらきっと彼を馬鹿にしていた者たちを軽く追い抜いていくに違いない。レグルスのいる狭い世界から、いつか飛び立つ日がきっとくる。
――その日が、自分は怖いのだろうか。
……では、自分自身は。
不意に心の中でそんな言葉が浮かび上がった。
成人してからずっと、誰とでも程よい距離を保って生きてこれたはずだ。求愛してくる同族も適当にあしらって。こんなに深い感情が、己自身にもあったことを斑によって気づかされた。
「間違っていたのは、私だったのか……」
自分の心をずっと欺いていたのは。
家族を失った時すらやることがとても多くて、悲しみに浸る暇すらなかった。いや、忙しくなることで悲しみから逃げた。そして、多くの者を守るための道へと進んだのだ。
「……なんだ、これは」
視界は一気にゆがみ、己の頬を生温かいものが流れ落ちていく。瞬きをする度にそれが落ちていって、レグルスは自分が泣いていることを認めざるを得なかった。どうしようもなく、ぽっかりと空いた心の穴の大きさは絶望と比例しているかのようだ。
その時。
無言で目の前に差し出された布にレグルスは目を瞬かせた。
期待するのが恐ろしくて、メイオあたりが追いかけてきたのだろうかと自分に言い聞かせながら音もなくレグルスの隣に並んだ相手を振り仰ぐ。
「やっと見つけた。道の途中ですれ違ったのに、気づかないで行っちゃうんだもの。車で動きまわるのはずるいよね」
笑うと少し下がる眦。青年なのだが一気に子どものような幼い笑い顔になる。
差し出された手をそのまま掴むと、それが本物なのか確かめるようにレグルスは強く、ハイエナの青年を――斑を抱きしめた。
「追いかけてごめんね。でも、俺を忘れていくなんて酷いよ。確かにお荷物かもしれないし、俺は馬鹿だけど。レグルスが本当にいらなくなったら、出ていくから。俺のことを嫌いじゃないなら、もう少しだけ傍にいてもいい?」
抱きしめる力が強かったのか、「苦しい」と斑が身を捩ったので慌てて離すと、斑は苦笑いしながら小首を傾げる。
苦しいのはレグルスの方だった。
「……すまなかった。自分の心を偽れば――斑のためだと自分に言い聞かせれば、すべてがうまくいくと思っていたんだ。私は自分で思っていた以上に斑がいなければだめになっていた。きっとお前は、新しい群れだとか新しい仲間の一人だと私のことを思っているのだろう? だが、私は……斑に、私の番になってほしいと思っている」
自分が築き上げてきた”レグルス”を壊すのは恐ろしかったが、どうしてもそれだけは伝えたかった。これ以上逃げることは斑に対しても不誠実だと思ったからなのだが、本来生まれつきの犬猿の仲であるライオン族からの告白に戸惑うかと思った斑は二度三度目を瞬かせたかと思うと、ぽかんと小さく口を開いた状態で突然滂沱の涙を流し、嗚咽を交えながら斑はしゃがみ込んだ。
「斑、どうしたんだ」
それはレグルスを慌てさせるのには十分なくらいの勢いで、レグルスも再び膝をついて斑を見やると、斑は何度も言葉にしようとして失敗して、ただ小さな嗚咽だけがその口から出てくるのを繰り返して、ようやく「俺でいいの……?」と小さく呟いた。
「当たり前だ」
涙でぐちゃぐちゃになった斑の顔を、先ほど斑がレグルスに差し出してきた布で綺麗に拭ってやると口元に笑みを浮かべたまま深く口づけ――そのまま斑の細い喉元へと番の痕をつけるとようやく眦に涙が残ったまま斑も笑うのだった。
もしかしてあの屋敷に戻ってきたのではないかと思い、先祖から使われてきた屋敷の前に立ったが、そこは屋敷自体が暗闇の一部であるかのように誰かのいる気配など一切なかった。己の鼻を使って斑の跡を追おうとしても、時間が経ちすぎていたら追うことすら難しい。
屋敷を出るとメイオがいる本屋にもう一度立ち寄り、帰り支度をしていたメイオをつかまえ、「本当は知っているのではないか」と丁寧に尋ねたがまだレグルスが斑と会えていないことに驚いた様子で、「仲間たちにも探すのを手伝ってもらう」と走って行ってしまった。車は使わずに徒歩で探し回ったが、どこからも斑の匂いはしなかった。
――もう、この街にはいないのだろうか。
屋敷の中も念のため一部屋一部屋確認した。
斑が使っていた寝室は綺麗に片づけられていて、斑が持ち歩いていたバッグの上に読みかけの絵本がぽんと置いてある。斑を拾ったばかりの頃は本すらまともに読んだことがなかったのに、本が好きだと笑った斑の成長を感じる。
――見捨てた、わけじゃない。
だが逃げた。自分が見捨てられるのが怖くて――また、大事なものを失うのが怖くて。
自然と足が動き出し、家族たちが眠る丘へと歩き出した。徒歩で行くには人の足だと難しいが、獣の血を半分持つレグルスには疲れることもない程度の距離だ。
急勾配の坂道を駆けあがっていき、見晴らしの良い丘のところまでたどり着くと燦然と輝く星々がレグルスを迎え入れた。ずっと走り続けたからか、いつもより息が上がっている。石碑のところにたどり着くと、そこには摘まれたばかりらしい小さな花束が添えてあった。匂いをかがなくても、それが誰の仕業かは容易く分かる。もう、レグルス以外にこの丘を訪れる者はいないのだから。
石碑の前に膝をついて座ると、一気に今日一日の疲れが押し寄せてくるようだった。
「斑は、勘違いしているだけだ」
レグルスが思っていたよりもあの青年はとても利発で、『ハイ』のしかるべきところで教育を受けたらきっと彼を馬鹿にしていた者たちを軽く追い抜いていくに違いない。レグルスのいる狭い世界から、いつか飛び立つ日がきっとくる。
――その日が、自分は怖いのだろうか。
……では、自分自身は。
不意に心の中でそんな言葉が浮かび上がった。
成人してからずっと、誰とでも程よい距離を保って生きてこれたはずだ。求愛してくる同族も適当にあしらって。こんなに深い感情が、己自身にもあったことを斑によって気づかされた。
「間違っていたのは、私だったのか……」
自分の心をずっと欺いていたのは。
家族を失った時すらやることがとても多くて、悲しみに浸る暇すらなかった。いや、忙しくなることで悲しみから逃げた。そして、多くの者を守るための道へと進んだのだ。
「……なんだ、これは」
視界は一気にゆがみ、己の頬を生温かいものが流れ落ちていく。瞬きをする度にそれが落ちていって、レグルスは自分が泣いていることを認めざるを得なかった。どうしようもなく、ぽっかりと空いた心の穴の大きさは絶望と比例しているかのようだ。
その時。
無言で目の前に差し出された布にレグルスは目を瞬かせた。
期待するのが恐ろしくて、メイオあたりが追いかけてきたのだろうかと自分に言い聞かせながら音もなくレグルスの隣に並んだ相手を振り仰ぐ。
「やっと見つけた。道の途中ですれ違ったのに、気づかないで行っちゃうんだもの。車で動きまわるのはずるいよね」
笑うと少し下がる眦。青年なのだが一気に子どものような幼い笑い顔になる。
差し出された手をそのまま掴むと、それが本物なのか確かめるようにレグルスは強く、ハイエナの青年を――斑を抱きしめた。
「追いかけてごめんね。でも、俺を忘れていくなんて酷いよ。確かにお荷物かもしれないし、俺は馬鹿だけど。レグルスが本当にいらなくなったら、出ていくから。俺のことを嫌いじゃないなら、もう少しだけ傍にいてもいい?」
抱きしめる力が強かったのか、「苦しい」と斑が身を捩ったので慌てて離すと、斑は苦笑いしながら小首を傾げる。
苦しいのはレグルスの方だった。
「……すまなかった。自分の心を偽れば――斑のためだと自分に言い聞かせれば、すべてがうまくいくと思っていたんだ。私は自分で思っていた以上に斑がいなければだめになっていた。きっとお前は、新しい群れだとか新しい仲間の一人だと私のことを思っているのだろう? だが、私は……斑に、私の番になってほしいと思っている」
自分が築き上げてきた”レグルス”を壊すのは恐ろしかったが、どうしてもそれだけは伝えたかった。これ以上逃げることは斑に対しても不誠実だと思ったからなのだが、本来生まれつきの犬猿の仲であるライオン族からの告白に戸惑うかと思った斑は二度三度目を瞬かせたかと思うと、ぽかんと小さく口を開いた状態で突然滂沱の涙を流し、嗚咽を交えながら斑はしゃがみ込んだ。
「斑、どうしたんだ」
それはレグルスを慌てさせるのには十分なくらいの勢いで、レグルスも再び膝をついて斑を見やると、斑は何度も言葉にしようとして失敗して、ただ小さな嗚咽だけがその口から出てくるのを繰り返して、ようやく「俺でいいの……?」と小さく呟いた。
「当たり前だ」
涙でぐちゃぐちゃになった斑の顔を、先ほど斑がレグルスに差し出してきた布で綺麗に拭ってやると口元に笑みを浮かべたまま深く口づけ――そのまま斑の細い喉元へと番の痕をつけるとようやく眦に涙が残ったまま斑も笑うのだった。
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