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アース編

18話 セシル、驚愕する

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 お姉ちゃん、お姉ちゃん…。
 月子は家の中で、とてつもなく不安な時間を過ごしていた。
 お母さんはまだ帰ってこない。
 お姉ちゃんもまだ…。

 どうしよう?

 時間が経つにつれて、不安はどんどん膨らんでゆく。

 どうしよう?
 お姉ちゃんもお父さんみたいに帰ってこなかったら?

 どうしてそんな風に思ったのかは、自分でもわからないが、このままだと陽子は永遠に帰ってこない気がした。




「セシルさま。どうするの?」
 その頃、セシルは判断を迫られていた。

「ノア!状況はどうじゃ?」
 触手との斬り合いを継続しているノアに尋ねる。

「状況は同じだな!近づくヤツを取り込んで飲み込む!ただそれだけだ!
でも…。」
 ノアが言いよどむ。
「なんじゃ?気になることがあるのか?」
 戦闘モード中のノアは勘が鋭い。何か感じることがあるなら教えてほしい。
「上手く言えないけどな。何かイヤな予感がする。限界が近い…。
 パンパンに膨らんだ風船が、限界となってパチンと弾ける。そんな危険な感じがするんだよ。」

 この目の前のグールは、今まで見たことがない。未知のものに対しての危険を回避することは、王として一番大切なことだ。
 そして、まだ良いだろう、などという楽観は、国を治める者として、一番してはいけないことだ。

 では、どうするか。

 特に未知のものに対しては、現場のプロの声が一番正しい、とセシルは経験上でわかっていた。

 戦闘中のノアが何かを感じるなら、それは本当に何かが起こるのかもしれぬのぅ。

 グールは本来、エレメンテの者を襲う怪異かいいとなる。
 だが、このグールはこの世界アースで具現化している。それはもう、このアースでの怪異ということではないのか?怪異は、その世界の者を襲う。
 グールは取り憑いた者の感情の爆発をかてに怪異となる。ということは、もし、陽子の感情が食い尽くされたら?それは、この世界で怪異が生み出されることになるのでは?

 月子には悪いが、我も決断せねばならぬようじゃ。

 一を犠牲にして、九十九を救う。
 一を助けて、九十九を犠牲にする。

 王として、このような場面は何度も経験してきた。

 じゃが、この決断は慣れぬのぅ。
 自分の無能さに腹が立つ。
 我にもっと力があれば!
 どちらも救うことができたのに!

 そんなセシルの決意を感じたのか、双子が口々に言う。
「セシルさまの決断は、僕たちの決断だよ!1人で背負う必要はないよ!」
「そうだよ!そのために僕たちがいる!王宮で働く、王に仕えるってことはそういうことでしょ!」

 さすが、王宮歴が長いだけあるのぅ。
 我の決断もお見通しか。

「グールをこのままにしてはおけぬのでな。陽子を目覚めさせる手段がわからない現状では、どうしようもない。
 ノアは、イヤな予感がすると言う。我も同感じゃ。このまま陽子の感情が食い尽くされれば、このグールは怪異へと変貌へんぼうするじゃろう。
 この状態のグールが怪異となった場合、どのようなことになるか想像もつかない。しかも戦闘になれば、周りへどのような被害がおよぶか…。そうなる前に討伐する必要がある。」

「では、陽子のことは…。」
 トールがいいのですか?という表情で聞いてくる。
「我に力があれば、陽子も助けることができるのじゃがのぅ。なんとも無能な王じゃよ。しかし、決断せねばならぬ。それが王じゃ。」
 トールにもその決意は伝わったようだ。トールもまた、王なのだから。

「触手が復元することを考慮して、超高温爆撃術式、ヘルフレアサークルを展開するぞ!すべてを溶かす超高温で再生するヒマもないまま、消滅させる。」
 セシルは、信頼する仲間たちに指示をする。
「今日はエルがいないからな。我が術式を組み上げる。双子には範囲の固定をやってもらうぞ。
 ノアとチヨは双子の援護を頼む。
 トールは、陽子を救う手がないか、最後まで観察と考察を続けるのじゃ。」

 術が発動するまで、あとわずか。
 その間に、陽子が目覚めてくれるのをセシルは強く願っていた。




 その頃タクミは、陽子とサヤカの記憶と感情の濁流の中を彷徨さまよっていた。

 そこに、陽子とサヤカのものではない記憶の映像が現れる。

「本当にアースに残るのか?」
 病的に白い顔色の男が、そう尋ねる。
「はい。私の決意は変わりません。」
 大輪の花が咲いたように美しい娘が、返答する。
「アースでは、エレメンテのように自由に生きられないぞ。しかも、精霊が少ないからな。早くに死ぬことになるだろう。」
「はい。それでもいいのです。私はあの人と生きていきたい。例え、一緒に過ごせる時間が少なくても…。それに、この子も。」
 娘はお腹を大事そうに撫でる。
「そうだな。その子は奇跡だ。お前のように精霊種の血が強く出た場合、子ができることはまれだ。しかも、相手はアースの人間。これは、まさに奇跡だな。」
「この子は、私があの人を強く愛した証だと思うのです。」
「そうだな。愛の証か。」
 男は少し寂しそうに答える。もう二度と会えなくなるのが、わかっていたから。
「お前の綺麗な銀色の髪を見るのもこれで最後だな…。
 お前のことは私からセシルに言っておこう。お前もわかっているな。ここに残ると決めた後は、エレメンテの者との接触は禁じられ、アースの人間として生きていくことになると。」
「はい。わかっております。もう覚悟はできています。私のワガママを聞いてくださって、ありがとうございます。
 お元気で。トール様。」

 トール様?
 トールくんと同じ名前?
 タクミは不思議に思ったが、すぐに場面が変わる。

「お姉ちゃん!お姉ちゃん!」
 月子が泣きながら、か細い声で陽子を呼んでいる。
「お姉ちゃん!どこ?帰ってきてよ!」
 タクミは叫ぶ。
 ここだよ!
 陽子ちゃんはここにいるよ!
「お姉ちゃん!そこにいるの?」
 そう!ここだよ!

 タクミと月子の意識が繋がった気がした瞬間、それは起こった。

 グールの中心で、球体の何かに包まれながら浮遊している陽子の前に、何者かが出現した。
「あれは月子!」
 セシルは驚愕のあまり、言葉を失い、発動しようとしていた術式が、中断する。

「「何アレ!」」
 双子が同時に叫ぶ。
「結界の中には誰も入って来れないはず!」
「僕達の目がおかしくなっちゃったの?」

「いえ、あれは月子です。間違いありません!」
 トールが断言する。
「しかし、どうやって結界の中へ?しかも、浮いてる?」

 突如、出現した月子は泣きながら陽子に近づく。
 グールの触手は反応しない。
 月子は陽子の球体に近づくと、陽子へ向かって手を伸ばす。
「お姉ちゃん!」
 月子は手の先から球体に飲み込まれ、完全に球体の中に入っていった。

「どういうことじゃ?!何が起こった?」
 月子が急に現れて、陽子がいる球体の中へ入っていった。目の前の出来事は、ただそれだけなのだが、思考がついていかない。
 この結界の中には誰も入ってこれないはず。
 月子が空中に浮いていた。どうなっておる?
 あー、もう!
 今までにないことばかりじゃ!

「仕方ない!術式展開中止!しばらく様子を見るぞ!」
 セシルはそう指示するしかなかった。




「お姉ちゃん!お姉ちゃん!」
 月子が呼んでる。泣いてるの?
「お姉ちゃん!起きて!」
 月子が必死に呼んでいる。
 か細い声…。
 そう。
 月子の声が出なくなったのは、あの男の所為せいだ。
 父親を刺したあの男は、月子の声がうるさいと言って、襲ってきた。月子は、お父さんが死んだのは自分の所為だと思っている。自分の声がうるさいから、だと。
 事件後は、話すこともできなった。
 周りの人は、事件のショックで一時的に話せなくなっているだけだと思っているようだったけど。
 母にも警察にも、何もしてないのに急に襲われた、そう説明した。
 月子は悪くない。だから、男の言ったことは誰にも教えるつもりはない。悪いのはあの男だよ。だから、大きな声で話しても大丈夫だよ。

 何年かして、月子は少しずつ話せるようになったけど、まだ大きな声を出そうとすると、胸のあたりを掴む仕草をする。
 わかるよ。話そうとするとあの事を思い出して、心が痛いんだよね。月子の心のキズが癒えるまで、私が月子を守るから。お父さんの分も私が。

 そうよ。
 私が月子を守るってお父さんと約束したのよ。そんな月子が泣いてる。
 起きなきゃ!
 でも身体が言うことをきかない。
 どうしよう?どうしたら?

 お姉ちゃん!起きて!
 どうしよう?お姉ちゃんが起きないよ。
 月子は泣きながら陽子を呼ぶが、陽子は眠ったように目を閉じたままだ。
 どうして姉がこのようなところにいるのか、とか。どうして浮いているの、とか。そんなことに構っていられないほど、月子は目の前の陽子を起こすことで頭がいっぱいだった。
 お姉ちゃんもお父さんみたいに起きなかったら、どうしよう?
 誰か助けて!お願い!

『誰かが助けを呼んでる。これは月子ちゃん?』
 グールに飲み込まれタクミは、陽子とサヤカの記憶に触れ、陽子の意識と繋がっている感覚がしていた。
『陽子ちゃんも起きなきゃと思い始めている。』
 そうだ!
 何かを思い付いたタクミは、神経を集中させる。タクミの目が金色に輝き、タクミはドラゴンに変現へんげんする。トールくんが言ってた。ドラゴンは最も精霊に愛される存在。僕が望めば力を貸してくれると。いま僕は月子ちゃんと陽子ちゃんを助けたい。
 だから、力を貸してください。
 タクミは切実にそう願った。

「月子ちゃん!月子ちゃん!」
 タクミは月子に呼びかける。
「誰?」
 月子が呼びかけにこたえた。
 何かが力を貸してくれてる。タクミは素直にそう感じる。
「公園で会った田中です。僕が力を貸すから、2人で陽子ちゃんを起こそう。」
「田中さん?セシルちゃんのマンションの管理人さん?」
 陽子の意識と触れ合っていたから、月子が大きな声を出せない理由がわかっていたタクミだが、あえて月子に言う。
「お姉ちゃんをもっと大きな声で呼ぶんだ。」
「大きな声…。でも、私。」
「大丈夫!ここには悪い人は誰もいない。陽子ちゃんは誰かが起こしてくれるのを待ってるんだ。」
「お姉ちゃんが待ってる?」
「そうだよ。陽子ちゃんはいま、起きたくても起きられない。月子ちゃんだけが、陽子ちゃんを助けられるんだ。」
「お姉ちゃんを助ける…。」
 お姉ちゃんを助けたい。いつもお母さんや私のことばかり助けてくれるお姉ちゃんを!
 今度は私がお姉ちゃんを助ける番だ!
 月子は決意する。
 大きく息を吸って、
「お姉ちゃん!」
 そう叫んだつもりだった。
 でも、声が出ない。
「大丈夫。大丈夫だよ。」
 タクミの声がする。
 それになんだか、周りに暖かい何かが集まってきた感触がある。
(大丈夫だよ、月子ならできるよ)
 何かが、月子を励ましてくれる。
 月子はもう一度、大きく息を吸う。
 そして、
「お姉ちゃん!起きて!」
 心からの思いを叫ぶ。
「お姉ちゃん!お願い!」

 月子の声が響く中で、陽子はハッとする。
 月子が大きな声で私を呼んでる!
 起きなくちゃ!起きて、月子を抱きしめて、もう大丈夫だよって言ってあげたい!
 陽子は強く願う。周りの何かが助けてくれる。だから、私も大丈夫。
 陽子はゆっくりと目を開けた。


 月子が現れてから、様子を見ていたセシルはまたもや驚愕する。
 グールの中心にある球体が眩く光り出したのだ。
 なんじゃ?何が起こった?
 月子と陽子はどうなった?

 グールの触手は動きを止めている。

 光がおさまった中から現れたのは、月子と陽子だった。

 あれは!

「「「シルフ!」」」
 皆が一斉に叫ぶ。

 中から現れた月子と陽子は、見事な銀髪に蝶のような透明な翅を持った姿になっていた。
 そう、これはエレメンテでも希少種として認識されている、シルフ"風の精霊"そのものだった。


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