189 / 247
ベアルダウン王国編
173話 主人公、自給自足を経験するー3
しおりを挟む僕は手と足を鋭い爪に変化させて、ほぼ垂直の岩壁を、しがみつくように登っていた。
「はぁ、はぁ。あと少しだ。」
「頑張れ、タクミ!」
壁を登りきったユーリが励ましてくれる。
さすがは冒険者。ユーリは大きなリュックを背負っているのに、息も乱れてないし、平気な顔をしている。
やっとの思いで登りきると、そこには、キレイな花畑が広がっていた。そして、花畑の奥の森の中に神殿らしき建物が見える。
あれが、例の神殿かな?
森の手前には、粗末な小屋が点在している。
ここに、紋章システムを放棄した人達が住んでいるのか?
『この島は温暖な気候で、獰猛なケモノはあまりいない。だから、紋章システムを放棄した人達にはちょうどいい島なんだよ。』
ユーリはそう言っていた。
『成人の時に、どの国も選ばずに紋章システムを放棄する人は、ほとんどいないのさ。紋章システムを放棄するのは、皆、事情を抱えた者ばかりだ。愛する人が先に死んでしまって、何も考えたくなくて逃げてきた者。紋章システムっていう便利な道具を使うことに罪悪感を抱いて放棄した者。そんな人達が集まって暮らしているのが、この島だ。』
『彼らは、この島で自給自足の生活をしている。アタイは彼らに頼まれて、必要な物資を定期的に届けているのさ。そして、国に戻る気になった者を連れ帰ることもある。国外専門の冒険者には、そんな役目もあるんだよ。』
ここには、粗末な小屋があるだけだ。こんな場所で自給自足なんて。これじゃ、原始的な生活しかできないだろう。
僕には無理だ。火をつける道具もない。水を溜めておく場所も井戸もない。そして、やっぱり一番困るのは下水が無いことだ。日本の生活に慣れきっている僕は、トイレや風呂が無い場所は苦手だ。
外でっていうのは抵抗があるし、環境にも良くないと思うんだよなぁ。
ユーリは花畑の中を歩いて、ある一軒の小屋に近付く。扉を叩くと、男性が出てきた。肩まで伸びた髪、生やしたままのヒゲ、そして粗末な服。
「久しぶりだね、ナナシ。騒がせて悪いけど、例の神殿の調査に来たんだ。しばらく滞在させてもらう。はい、これ。頼まれてた物だよ。」
ユーリはリュックごと、荷物を全部、男性に渡す。
「うむ、わかった。が、他の者達には声をかけるなよ。そっとしておいてくれ。」
「分かってるよ。」
ユーリはそう言うと、花畑を抜けて森の中へ入って行く。僕はユーリの後を追う。
小屋からかなり離れた位置までくると、やっとユーリが口を開く。
「彼らは世捨て人。できるだけ誰とも会いたくないのさ。だから、そっとしておくという約束なんだよ。」
「あの男性は?」
「彼は名無し(ナナシ)。自分の名前さえ捨てて、この島に逃げ込んだ男だよ。ナナシは以前、ガンガルシア王国で討伐者をしていた。優秀な討伐者だった。でも討伐中に、最愛の人を亡くしたんだ。ナナシの愛した人は、ナナシの目の前で怪異に殺された。」
「えっ?防御結界は?この世界には身を守るための結界があるんだよね?」
「ガンガルシア王国の討伐者の中には、自分を限界まで追い込まないと納得できないヤツがいるのさ。そいつらは、防御結界を使わない。ナナシの愛した人も、そういうヤツラと同じだ。強さだけを追い求めてた。」
「治療はできなかったの?」
「心臓を一突き。胸には大きな穴が開いていたよ。彼らのチームを見つけて助けたのは、アタイの姉貴、サーシャのチームだった。見つけた時には、ナナシも瀕死の状態で、ナナシ以外は即死だった。」
「防御結界があれば、助かってたんじゃ…?」
「ガンガルシアの討伐者はチームで動く。1人でも生き残れば、救助を呼べるからだ。胸に穴が開いていても発見が早かったら、助かるんだよ。でも唯一の生き残りのナナシは瀕死で、助けが呼べなかった。そういう場合は、普通、パートナー精霊が助けを呼ぶんだが、ナナシの場合はそれもうまく機能しなかった。」
「ナナシのパートナー精霊に何かあったの?」
「使用者とパートナー精霊はつながっている。目の前で最愛の人が殺されたショックと、その後すぐに瀕死級の攻撃を受けたことで、パートナー精霊はしばらく具現化できなかったのさ。やっと具現化できたパートナーを、ナナシは責めた。そして、自分のことも。連絡さえできれば、最愛の人は助かっていたかもしれないから。」
そんな…。彼は悪くない。そしてパートナー精霊も。
「パートナー精霊を見るとその時の記憶が蘇ってしまう。だから、ナナシは紋章を捨てて、ここでひっそりと暮らしてる。」
「彼はその人の事をすごく愛してたんだね…。」
「この島は食材や水は豊富だけど、布とか塩とか不足するものもある。アタイはそれを届けに定期的に来てる。そして、重要な目的がもうひとつ。」
重要な目的?
「グールの気配が無いか確認してるのさ。紋章システムを持つ者がグールに取り憑かれた時は、パートナー精霊が察知して王宮に自動で連絡が入るんだよ。でもここの人達は、パートナー精霊がいない。もし、グールに取り憑かれて怪異に変貌したら、怪異は必ず7つの国へやって来てヒトを襲う。それを防ぐためだよ。」
0
お気に入りに追加
143
あなたにおすすめの小説
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
忘れられた妻
毛蟹葵葉
恋愛
結婚初夜、チネロは夫になったセインに抱かれることはなかった。
セインは彼女に積もり積もった怒りをぶつけた。
「浅ましいお前の母のわがままで、私は愛する者を伴侶にできなかった。それを止めなかったお前は罪人だ。顔を見るだけで吐き気がする」
セインは婚約者だった時とは別人のような冷たい目で、チネロを睨みつけて吐き捨てた。
「3年間、白い結婚が認められたらお前を自由にしてやる。私の妻になったのだから飢えない程度には生活の面倒は見てやるが、それ以上は求めるな」
セインはそれだけ言い残してチネロの前からいなくなった。
そして、チネロは、誰もいない別邸へと連れて行かれた。
三人称の練習で書いています。違和感があるかもしれません
婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ!
タヌキ汁
ファンタジー
国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。
これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。
冷宮の人形姫
りーさん
ファンタジー
冷宮に閉じ込められて育てられた姫がいた。父親である皇帝には関心を持たれず、少しの使用人と母親と共に育ってきた。
幼少の頃からの虐待により、感情を表に出せなくなった姫は、5歳になった時に母親が亡くなった。そんな時、皇帝が姫を迎えに来た。
※すみません、完全にファンタジーになりそうなので、ファンタジーにしますね。
※皇帝のミドルネームを、イント→レントに変えます。(第一皇妃のミドルネームと被りそうなので)
そして、レンド→レクトに変えます。(皇帝のミドルネームと似てしまうため)変わってないよというところがあれば教えてください。
幼馴染みとの間に子どもをつくった夫に、離縁を言い渡されました。
ふまさ
恋愛
「シンディーのことは、恋愛対象としては見てないよ。それだけは信じてくれ」
夫のランドルは、そう言って笑った。けれどある日、ランドルの幼馴染みであるシンディーが、ランドルの子を妊娠したと知ってしまうセシリア。それを問うと、ランドルは急に激怒した。そして、離縁を言い渡されると同時に、屋敷を追い出されてしまう。
──数年後。
ランドルの一言にぷつんとキレてしまったセシリアは、殺意を宿した双眸で、ランドルにこう言いはなった。
「あなたの息の根は、わたしが止めます」
私が公爵の本当の娘ではないことを知った婚約者は、騙されたと激怒し婚約破棄を告げました。
Mayoi
恋愛
ウェスリーは婚約者のオリビアの出自を調べ、公爵の実の娘ではないことを知った。
そのようなことは婚約前に伝えられておらず、騙されたと激怒しオリビアに婚約破棄を告げた。
二人の婚約は大公が認めたものであり、一方的に非難し婚約破棄したウェスリーが無事でいられるはずがない。
自分の正しさを信じて疑わないウェスリーは自滅の道を歩む。
義母に毒を盛られて前世の記憶を取り戻し覚醒しました、貴男は義妹と仲良くすればいいわ。
克全
ファンタジー
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。
11月9日「カクヨム」恋愛日間ランキング15位
11月11日「カクヨム」恋愛週間ランキング22位
11月11日「カクヨム」恋愛月間ランキング71位
11月4日「小説家になろう」恋愛異世界転生/転移恋愛日間78位
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる