背中越しの温度、溺愛。

夏緒

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33話 デジャヴュ。1

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side I

 その人は、カシスミントの香りと共に突然現れた。



 譲治の店にはすっかり行きづらくなってしまって、代わりにふらっと立ち寄れるような別の店を探していた。常連のように通い詰めるつもりなんて始めからなかったけど、話を、本音を聞いてくれる赤の他人が欲しかった。そういうのは飲み屋の店主の得意とするところだ、それは譲治を見てきたから知っている。二年前には自分がこんなにも臆することなく見知らぬ店を探せるようになるなんて、想像もしていなかった。
 たまたま目についた喫茶店かと思うような様相の店にうっかり入ってしまって、店内のざわついた雰囲気に何となくああ失敗したな、一杯飲んだらすぐに出よう。そう思った。
 でも、知らぬ間に譲治の作る薄い酒に慣れていたのと、近頃頻繁に酒を飲む機会なんてほとんどなかった事が災いした。運悪くその店の酒は割り方がきつくて、たった一杯のライムの酒で軽く酔いを感じてしまった。
 一杯分の金を払って、店を出る前にトイレに行こうと席を立つ。するとドアノブが勝手に動いて、トイレから人が出て来た。

「あ、すみません」
「いや」

 一瞬だけ目が合った。切れ長の鋭い目だった。
 皺もない綺麗なスーツを着たその人は、通り過ぎる時、カシスミントの香りがした。

 トイレから出て、少しふらついた頭で店から出ると、数歩進んだだけのところで後ろから低い声を掛けられた。
「おい」
 振り返るとさっきの人だった。誰だか知らないが、どことなく威厳のある表情とカッチリとしたそのスーツが、幾分上の立場を感じさせるような年上に思わせた。
 誰かに似ている、気がした。
 同じように店の扉を開いて、ゆっくりとした足取りで、それでも追い掛けるようにしてこちらへやって来る。酔ったといっても思考はまだちゃんとしていたから、当然警戒した。
「……なんですか」
 何を言われるか、もしくはされるか。見当がつかなかったから、必要以上に身構える。
「お前、慣れてない癖にこんなところを一人でふらつくな。見ていて危ない」
「はあ」
 音の低い声が上から降ってくる。
 何だ、説教か。一番質の悪い面倒なパターンに引っ掛かったかもしれない。
 自分だって一人だろうに。長々とそんな面倒な相手をする気はないから、早くその場を離れようと適当に相槌を打つ。
「そうですね、すいません」

「分かっていないようだな」

 踵を返した拍子に、突然痛いくらいに腕を掴まれた。そのまま引きずられて店と店の間の狭い路地に押し込まれる。
「った、何すん……ッ、んん!」
 次には、薄汚れた壁に背中と頭を打ち付けて、何故かキスをされた。
 唇を合わせるだけじゃない、柔らかく、でも確実に強引に舌を捩込まれる。鼻と口の中に、清涼感のある甘い匂いが広がった。煙草の味だった。
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