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53話 赤い糸 6
しおりを挟むこんなに近くに聴こえるってことは、台所にでもいるんだろうか。晩飯の用意でもしながら、口ずさんでいるんだろうか。
歌っているのは、何年も前に流行った別れの歌だった。歌詞と曲調が全然合ってない、とんでもなく爽やかな名曲だ。
始めは普通に口ずさんでいたのに、段々とその声は大きくなってきて、怒鳴るみたいになって、仕舞いにはとうとう殴りかかりそうな勢いで歌っていた。そして最後のサビの直前で、ぴたりとその声は止んだ。
泣いているんだろう、と思った。
台所で、飯の用意しながら、歌うたって、思い出して、堪らなくなって泣いているんだろう。そう思った。
全然、吹っ切れてなんかいないんじゃないか。俺は昨日までなにを見ていたんだ。しばらくドアにもたれ掛かって、かける言葉が見つかりそうになくて、そのまま静かに自分の部屋に帰った。
日が落ちてもなんだか隣の部屋に行く気にならなくて、ずっと自分の部屋でテレビを観ていた。だけど、最近ずっとひとりでいることがなかったから、ただ自分の部屋でテレビを観ているだけの、それだけのことがなんだか寂しくて、手持ちぶさたになってきた。
誰かに会いたい。
会いたい。
……あいつに会いたい。
放り投げてあるスマホを眺めてみる。呼べば来るだろうか。まだ仕事をしているだろうか。ずっとほったらかしにしていて、連絡もろくにしなかったから、怒っているだろうか。
いろいろ考えて、迷った指がスマホに触れそうになったとき、急にインターホンが喧しく鳴り響いた。自分でも面白くなるほどビクッ、と肩がすくんで、玄関に目を向けて、そっと立ち上がって移動して、そのドアを開けてみる。そこには、久し振りに見る慎二がいた。
「よお。今日は逢い引きしねえの? お隣さんと」
へらりと笑ったその顔があまりにも今まで通りで、俺は今なにをあんなに迷っていたんだろうかと、ちょっと情けなくなった。
「久し振り、慎二。……今ちょうど、お前に連絡しようか迷ってたとこ」
「そうなん、ならもうちょっと待てば良かった。しかも悪い、俺今日手ぶらだわ、会えると思ってなかったからさ。入っていい?」
返事をする間もなく慎二は勝手に玄関を大きく開いて部屋に入ってきた。
「会えると思ってなかったって、じゃあお前なんでここ来たんだよ」
後を追いながら慎二に尋ねると、あー、日課だよ日課、と返ってきた。
「日課?」
「あきらにああ言った手前さあ、なかなか俺から連絡するの躊躇ってさ、でもどうにも落ち着かないし、だからあれから、この時間帯時々来てたんだよ、あきら会えないかなーって。まあいっつも電気ついてないから、そのまま帰ってたんだけどなー」
「は、まじで」
なんだそりゃ、それって……普通にストーカーじゃんかよ。
慎二は勝手に扇風機のボタンを最強に変えて、その前をさっさと陣取った。ぶうん、と、羽根の回る音が一際大きくなる。
「なになに、俺に会いたかったの?」
振り返ってにやつくその顔に、なんか、なんだ。急にたまらない気持ちになってくる。
「……、おう、会いたかったわ」
「へっ?」
「会いたかったって」
「へ……?」
「会いたかったんだよ」
「……ど、どうした? 具合悪い?」
なんで訊いたお前がそんなに動揺してるんだ。
俺がお前に会いたかったらおかしいんか。
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