夏緒

文字の大きさ
上 下
53 / 60

53話 赤い糸 6

しおりを挟む

 こんなに近くに聴こえるってことは、台所にでもいるんだろうか。晩飯の用意でもしながら、口ずさんでいるんだろうか。
 歌っているのは、何年も前に流行った別れの歌だった。歌詞と曲調が全然合ってない、とんでもなく爽やかな名曲だ。

 始めは普通に口ずさんでいたのに、段々とその声は大きくなってきて、怒鳴るみたいになって、仕舞いにはとうとう殴りかかりそうな勢いで歌っていた。そして最後のサビの直前で、ぴたりとその声は止んだ。

 泣いているんだろう、と思った。
 台所で、飯の用意しながら、歌うたって、思い出して、堪らなくなって泣いているんだろう。そう思った。
 全然、吹っ切れてなんかいないんじゃないか。俺は昨日までなにを見ていたんだ。しばらくドアにもたれ掛かって、かける言葉が見つかりそうになくて、そのまま静かに自分の部屋に帰った。

 日が落ちてもなんだか隣の部屋に行く気にならなくて、ずっと自分の部屋でテレビを観ていた。だけど、最近ずっとひとりでいることがなかったから、ただ自分の部屋でテレビを観ているだけの、それだけのことがなんだか寂しくて、手持ちぶさたになってきた。
 誰かに会いたい。
 会いたい。
 ……あいつに会いたい。
 放り投げてあるスマホを眺めてみる。呼べば来るだろうか。まだ仕事をしているだろうか。ずっとほったらかしにしていて、連絡もろくにしなかったから、怒っているだろうか。
 いろいろ考えて、迷った指がスマホに触れそうになったとき、急にインターホンが喧しく鳴り響いた。自分でも面白くなるほどビクッ、と肩がすくんで、玄関に目を向けて、そっと立ち上がって移動して、そのドアを開けてみる。そこには、久し振りに見る慎二がいた。
「よお。今日は逢い引きしねえの? お隣さんと」
 へらりと笑ったその顔があまりにも今まで通りで、俺は今なにをあんなに迷っていたんだろうかと、ちょっと情けなくなった。
「久し振り、慎二。……今ちょうど、お前に連絡しようか迷ってたとこ」
「そうなん、ならもうちょっと待てば良かった。しかも悪い、俺今日手ぶらだわ、会えると思ってなかったからさ。入っていい?」
 返事をする間もなく慎二は勝手に玄関を大きく開いて部屋に入ってきた。
「会えると思ってなかったって、じゃあお前なんでここ来たんだよ」
 後を追いながら慎二に尋ねると、あー、日課だよ日課、と返ってきた。
「日課?」
「あきらにああ言った手前さあ、なかなか俺から連絡するの躊躇ってさ、でもどうにも落ち着かないし、だからあれから、この時間帯時々来てたんだよ、あきら会えないかなーって。まあいっつも電気ついてないから、そのまま帰ってたんだけどなー」
「は、まじで」
 なんだそりゃ、それって……普通にストーカーじゃんかよ。
 慎二は勝手に扇風機のボタンを最強に変えて、その前をさっさと陣取った。ぶうん、と、羽根の回る音が一際大きくなる。
「なになに、俺に会いたかったの?」
 振り返ってにやつくその顔に、なんか、なんだ。急にたまらない気持ちになってくる。
「……、おう、会いたかったわ」
「へっ?」
「会いたかったって」
「へ……?」
「会いたかったんだよ」
「……ど、どうした? 具合悪い?」
 なんで訊いたお前がそんなに動揺してるんだ。
 俺がお前に会いたかったらおかしいんか。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

柔道部

むちむちボディ
BL
とある高校の柔道部で起こる秘め事について書いてみます。

年上の恋人は優しい上司

木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。 仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。 基本は受け視点(一人称)です。 一日一花BL企画 参加作品も含まれています。 表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!! 完結済みにいたしました。 6月13日、同人誌を発売しました。

大学生はバックヤードで

リリーブルー
BL
大学生がクラブのバックヤードにつれこまれ初体験にあえぐ。

真・身体検査

RIKUTO
BL
とある男子高校生の身体検査。 特別に選出されたS君は保健室でどんな検査を受けるのだろうか?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

今日くらい泣けばいい。

亜衣藍
BL
ファッション部からBL編集部に転属された尾上は、因縁の男の担当編集になってしまう!お仕事がテーマのBLです☆('ω')☆

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】 人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。 その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。 完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。 ところがある日。 篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。 「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」 一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。 いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。 合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

処理中です...