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42話 陽平とエリカ 5
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前置き、なんてものはまるでなくて、陽平は一度離れた流し台の灰皿に煙草を押し潰してから、すぐにエリカの正面に戻ってきて、肩に掛けていた小さな鞄の紐を床に落とした。
触れたのは、学校ではしたことのないキスだった。身体を触ってくる大きな手は、すぐに服の中に入ってきた。怖い、待って、とは言えなかった。
たった一度でも口に出してしまえば、自分の子ども染みた反応に陽平が気分を削いでしまうかもしれないと思った。脇腹から這い上がってくる指たちにどう反応すればいいのか分からず、エリカはただ突っ立ったまま息を乱した。
無我夢中でされるがままになって、終わってしまうのはあっという間だった。期待していたような甘い空気はどこにもなく、代わりに初めて嗅いだ生臭さが辺りを覆っていた。
少し湿ったベッドシーツの感触と、陽平は、流し台の傍で煙草を吸っていた。
そんな空気の中で、エリカはぼんやりと誠のことを考えていた。
自分のことを好いているようなことを言っていた。そんな気持ち、今まで一緒にいて、まるで知らなかった。あの時は曖昧にしてしまったとはいえ、やはりきちんと断らなくてはいけないのだろうか。
「……どうしよっかな、」
そんなことをつらつらと考えていると、煙草を吸い終えたらしい陽平がベッドまで戻ってきた。
「なにが」
「え?」
「どうしよっかな、て言っただろ」
「ああ……。うん、あの……」
どうしようか、と、エリカは思った。事後に別の男の話をしても良いものだろうか。陽平は、エリカの頭の横に腰を降ろして、エリカの顔を見下ろした。頬を撫でてくる大きな手は、温かかった。
「幼馴染みが、」
「ああ、こないだ話してた?」
「覚えてたんだ」
「まあな」
「どう、返事しよっかな、って」
その時エリカは無意識に、陽平に独占欲のようなものを期待した。きっぱり断れよ、そう言われたいと思った。
陽平は、どこか考えるような素振りを見せてから、まあそれは、お前の自由だからな、と、言った。
「自由、って?」
「好きなら受け入れればいいし、嫌なら断ればいいだろ」
何を言っているんだろう、とエリカは思った。自分が好きな人は今目の前にいるのに、だからこそ自分は今ここにいるというのに、彼は一体何を言っているのだろう。
「……誠と付き合ってもいいってこと?」
「別にいいだろ。自分のやりたいようにするべきだ」
「……そうなんだ」
エリカは、誠の言葉を思い出していた。
他にも女がいると言っていた。お前は遊ばれているだけだと言っていた。それでも、その場でそんなことを訊く勇気は、エリカにはなかった。
だって好きなのだ。
好きになってしまったあとで、そんな分かりきった痛みを自分に浴びせることはできなかった。
「……あたしは、先生のこと、好きだよ」
「そうか。ありがとうな」
精一杯の勇気で絞り出した告白は、大きな手に包まれた。
その日の夜はまったく眠れなかった。
知ってしまった身体の疼きと、よく分からなかった陽平の態度。自分がどうするべきなのかがまるで分からなかった。相談できる相手は、一人しかいなかった。
翌日になって、エリカは校内で誠の姿を捜した。いつもなら廊下に出れば必ずと言ってもいいほど見かけるのに、その日はまるで見当たらなかった。教室を覗いても見つけられず、ようやく姿を見たのは午後になってからだった。向こうから友達と数人で歩いてきた誠に声を掛けようと近づくと、誠は目が合う直前に顔を逸らした。
エリカだけではなく、横にいた友達もそれに気づくほどに、その態度はあからさまだった。そのまま通りすぎる誠に、友達が、おいどうした、いいのかよ、と声を掛けるのが聞こえる。誠は、いいんだ、と、小さく一言だけ返した。
エリカはそのあまりの態度にショックを受けて、言葉も出なかった。
なんで? どういうこと?
頭の中で、その言葉ばかりが反芻して、遠くなる背中を追いかけることもできなかった。
触れたのは、学校ではしたことのないキスだった。身体を触ってくる大きな手は、すぐに服の中に入ってきた。怖い、待って、とは言えなかった。
たった一度でも口に出してしまえば、自分の子ども染みた反応に陽平が気分を削いでしまうかもしれないと思った。脇腹から這い上がってくる指たちにどう反応すればいいのか分からず、エリカはただ突っ立ったまま息を乱した。
無我夢中でされるがままになって、終わってしまうのはあっという間だった。期待していたような甘い空気はどこにもなく、代わりに初めて嗅いだ生臭さが辺りを覆っていた。
少し湿ったベッドシーツの感触と、陽平は、流し台の傍で煙草を吸っていた。
そんな空気の中で、エリカはぼんやりと誠のことを考えていた。
自分のことを好いているようなことを言っていた。そんな気持ち、今まで一緒にいて、まるで知らなかった。あの時は曖昧にしてしまったとはいえ、やはりきちんと断らなくてはいけないのだろうか。
「……どうしよっかな、」
そんなことをつらつらと考えていると、煙草を吸い終えたらしい陽平がベッドまで戻ってきた。
「なにが」
「え?」
「どうしよっかな、て言っただろ」
「ああ……。うん、あの……」
どうしようか、と、エリカは思った。事後に別の男の話をしても良いものだろうか。陽平は、エリカの頭の横に腰を降ろして、エリカの顔を見下ろした。頬を撫でてくる大きな手は、温かかった。
「幼馴染みが、」
「ああ、こないだ話してた?」
「覚えてたんだ」
「まあな」
「どう、返事しよっかな、って」
その時エリカは無意識に、陽平に独占欲のようなものを期待した。きっぱり断れよ、そう言われたいと思った。
陽平は、どこか考えるような素振りを見せてから、まあそれは、お前の自由だからな、と、言った。
「自由、って?」
「好きなら受け入れればいいし、嫌なら断ればいいだろ」
何を言っているんだろう、とエリカは思った。自分が好きな人は今目の前にいるのに、だからこそ自分は今ここにいるというのに、彼は一体何を言っているのだろう。
「……誠と付き合ってもいいってこと?」
「別にいいだろ。自分のやりたいようにするべきだ」
「……そうなんだ」
エリカは、誠の言葉を思い出していた。
他にも女がいると言っていた。お前は遊ばれているだけだと言っていた。それでも、その場でそんなことを訊く勇気は、エリカにはなかった。
だって好きなのだ。
好きになってしまったあとで、そんな分かりきった痛みを自分に浴びせることはできなかった。
「……あたしは、先生のこと、好きだよ」
「そうか。ありがとうな」
精一杯の勇気で絞り出した告白は、大きな手に包まれた。
その日の夜はまったく眠れなかった。
知ってしまった身体の疼きと、よく分からなかった陽平の態度。自分がどうするべきなのかがまるで分からなかった。相談できる相手は、一人しかいなかった。
翌日になって、エリカは校内で誠の姿を捜した。いつもなら廊下に出れば必ずと言ってもいいほど見かけるのに、その日はまるで見当たらなかった。教室を覗いても見つけられず、ようやく姿を見たのは午後になってからだった。向こうから友達と数人で歩いてきた誠に声を掛けようと近づくと、誠は目が合う直前に顔を逸らした。
エリカだけではなく、横にいた友達もそれに気づくほどに、その態度はあからさまだった。そのまま通りすぎる誠に、友達が、おいどうした、いいのかよ、と声を掛けるのが聞こえる。誠は、いいんだ、と、小さく一言だけ返した。
エリカはそのあまりの態度にショックを受けて、言葉も出なかった。
なんで? どういうこと?
頭の中で、その言葉ばかりが反芻して、遠くなる背中を追いかけることもできなかった。
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