夏緒

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34話 その日常 1

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『はあ、社長さんに? 俺の片想いですって? 言うわけねぇじゃん。いくら仲良しでもそこまで開けっ広げじゃねえわ。あきらお前俺のことなんだと思ってんの?』

 慎二は呆れたような空笑いをした。
 電話で確認とってようやく安堵した、早めの仕事終わりの夜飯時。インターホンで呼ばれて玄関を開けるとそこには陽平さんがいた。
「あれ、どうしたんすか」
「あー……、あのなあ、閉め出されちまったんだよ」
「はあ?」
「悪いんだがしばらく入れてくれないか。外にいたんだが、暑くてな」
 隣の部屋のドアを恨めしそうに見ながらばつが悪そうに頭を掻いて、口元だけで苦笑いをする陽平さんは、いつもの如くぼさぼさ頭に無精髭、そしてTシャツにジーンズという楽そうな格好だった。
「はあ、どうぞ。なんもないですけど。大変ですね」
「いやあ本当悪いな」
「いいですよ、俺も一人で飯食ってたとこだし」
 すっかり慣れた相手にやれやれと思いながらも部屋へ入れてやる。陽平さんはサンダルを脱ぎ捨てるようにして部屋に上がってきた。
「喧嘩ですか? 珍しいですね。どれくらい外にいたんですか?」
「いやあ、珍しくはねえよ。明日は仕事休みで助かった。出てたのはまあ30分もないくらいなんだが、あいつ今日は虫の居所が悪かったんだろうな」
 痴話喧嘩に巻き込まれるのはごめんなのであまり深くは聞かないが、少なくとも陽平さんがなにかを反省しているような素振りはあまりなさそうだ。喧嘩相手に苛ついている風でもないし、それどころか人の夜飯を覗き込んで、ついでにキムチのパックに指を伸ばして摘まみ食いをしているくらいだ。
「もしかして鍵、閉められたんですか?」
 机の前に座り直そうと思って、その前に台所から箸をもう一膳と冷蔵庫から缶ビールを持ってきてやる。コップは要らないと言われた。
「おう。蹴り出されたうえに、ご丁寧に内鍵までがっちりだ。近所に響くから大声出すわけにもいかんしな」
 陽平さんは苦い顔をした。蹴り出されたとは、わりとやるなあ、エリカさん。
「へーえ。エリカさんの怒ってるとこなんて想像つかないっすけどね」
 俺の中のエリカさんはいつでも豪快に口を開けて笑っているイメージだ。こないだはちょっと嫌そうな顔してたけど。
 ようやく座り直して箸を掴む。陽平さんは既に缶のプルタブを開けていた。
「んなことねえよ。あいつは昔からわりと喜怒哀楽が激しいんだ。よく泣いてよく怒るぞ」
 言いながら箸で人のおかずをがつがつ食っている。エリカさんもそうだったけど、本当にこの人たちは人の飯をなんだと思っているんだ。遠慮なさすぎだろ。もう食い終える頃だったから良かったけど。
「ちょっとちょっと食いすぎですよ、俺のがなくなる」
「あ? おう、すまんすまん」
「もしかしてなにも食べてないんですか」
「ばれたか」
 いやいやいやいや。
 エリカさん、飯も出さなかったのか。……本当になんて手のかかる人たちなんだ。
「コンビニでなんか買ってきます?」
「そうすっかな。ついでにお前の摘まみも買ってきてやるよ、なんかいるもんあるか」
「まじすか、じゃあ遠慮なく、なんか適当にお願いします」

 それから陽平さんが選んだスナック菓子を摘まみに、一緒に買ってくれていた缶酎ハイを二人で開けた。いつもはビールばかりだから、慣れない甘味とアルコール濃度が酔いを早める。なんでこんなジュースみたいなもんがビールよりもアルコール度数高いんだよ。
 陽平さんはそれに足して弁当も食っている。よくこんな甘いのと唐揚げ弁当を一緒に食えるな。太るぞオッサン。
「でもどうするんですか、内鍵閉まってたら入れないでしょう。明日エリカさんが出掛けるまで待つんですか?」
「ああ心配すんな、多分寝る前には開けといてくれるわ」
 この言い切る感じ。慣れてるなあ。
「……なんか、いっつもそんな感じなんですね」
「まあな。あいつはなんだかんだ文句は言っても、俺のことを蔑ろにはできないからな」
「のろけですか、愛されてますね」
「だろ」
 愛されてますね、なんて言葉がわりと自然に出てきて、はたと気づく。
 そういえばこの人既婚者らしいんだった。
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