純

1話 へんな人たち 1

　混乱していた。
　なんでこんなことになったか分からない。
　だから逃げてきた。
　夜のコンビニの明るすぎる照明を背にして買ったばかりの炭酸飲料を勢いよく煽る。口の中で発泡した炭酸が容赦なく喉を刺激した。
　腕が汗ばんで気持ち悪い。慌てて履いたジーパンも履き心地が悪い。慌てて飛び出したもんだから行き場がなくて、仕方なくそのままそこに座り込んだ。背中に冷たいガラスが当たる。ガラスの向こうに並んだ本棚が、明るすぎる光をいくらか遮った。
　始まったばかりの7月特有の、雨が乾いた匂いがする。

『ごめん、あきら。ごめんーーーーー』

　さっきの慎二の声が頭に甦る。
　なんでお前が泣きそうになってんだ。俺の方が泣きたいわ。なんだよ、お前友達だったじゃん。俺ホモじゃねえよ。

「糞」

　尻の違和感がいつまでも残っている。泣きそうな声で何度も謝るわりには結局最後までしやがって。明日の仕事に響いたらどうすんだ。客の重い荷物運ぶとき力入んなくて落としたらどうしてくれる。

　言いたいことは沢山ある。それこそ山のようにある。でも逃げてきたからぶつける相手はここにはいないし、恐らくぶつけていい感情じゃない。
　だってあいつ泣きそうだった。

　やべえなあ。
　口の中で呟きながら堪らず頭が下を向く。そのまま目を閉じるとまた慎二の顔が浮かんでくる。情けねえ面しやがって。
　ずっとずっとずっと友達だと思ってた。
　いや友達だった。
　少なくとも俺にとっては。
　そんなやつがいきなり襲いかかってきた。何度も何度も謝りながら。
　体格差はろくにないと思ってたけど、驚くほど抵抗できなかった。優男の癖に。
　今何時だろ。スマホ忘れてきた。取りに帰ろうにも、まだ慎二が待ってるかもしれないと思うと帰れなかった。
　でもこれから一生会わないわけにもいかないし、

「どうすりゃいいんだ、これ……」

「飲めば？」
「は？」

　不意に上から声が降ってきて、落としていた頭を持ち上げると、右横に知らない女が立っていた。
　衿元の開いた薄い白のTシャツに短いデニム。すらりと伸びた細い脚。ヒールのついたサンダル。緩いウェーブのかかった長い黒髪が、傾げた首につられて軽く揺れる。コンビニから出てきたようで、手には小さなレジ袋をぶら下げていた。
　俺よりも幾分か歳上に見える華奢なその女の人は、美人だった。
　アーモンド形の大きな目。薄い唇は化粧の赤さで、にこりと笑う。俺の手元を指しながら「ペプシ」と言った。
　手の中のペットボトルを改めて見る。ペプシコーラ。
「ああ……」
　これか。
　言われるがままにもう一度そのペプシに口をつけると、その人は良かった、と言いながら何故か隣に座り込んできた。
「ずっと下向いてるから、具合が悪いのかと思った。大丈夫？」
　高すぎない声。覗き込んでくる黒い瞳。長い睫毛。いい女だな。
「大丈夫です。すいません」
　そういえばコンビニの前だった。
　つられるように笑顔をつくると、またにこりと笑う。
「ごめん、煙草吸っていい？」
と、レジ袋の中から煙草のケースを取り出すから、どうぞ、と答えると、買ったばかりらしいそれを開封して1本唇に挟んだ。
　いる？　と開けたままのそのケースを寄越されたから、ありがたく1本抜き取った。
　カチリ。
　一緒についていたシルバーのライターで、先に俺の煙草をつけてくれる。そのあとで、その人は自分のそれにも火をつけた。
　仕草がとても慣れている。指で挟むその姿、似合う。吸い込むと肺の奥がすっとした。
「なあに。失恋でもしたの、お兄さん」
「いやあ、失恋っていうか」

　友達だと思ってた男に襲われたので自分ちから逃げてきました。

とは、いくらなんでも言いにくい。
　でもその話しかけてくる声が柔らかくて、甘えさせてくれる気がして、どう話せばいいかな、と頭を回す。
「ちょっと、予想外の事態が起きて」