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パンとチーズとトマトソース

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夏の日差しが降り注ぐある日の昼時のこと。

先月10歳の誕生日を迎えたカナリアは、イエローカップ伯爵邸からほど近い森の中で指先に魔力と意識を集中させていた。
彼女は、小さいながらも高威力のものが出せるように、魔力をコントロールする訓練を行っていた。
指先から出現した水が、細く、糸ほどの太さになるように近づけていく。





カナリアは火、水、風、土の四属性を扱えるが、威力はすべて『』である。
そのため、魔獣どころか虫一匹倒すことが出来ない。
火起こし、火消し、給水には役立つため、野営をするにはもってこいの能力ではあったが、身を守る術が何もないのは心許なかった。

それは攻撃系のスキルを持たない侍女のアナも同じはずなのだが、昨年の秋にピクニックで訪れた山で冬眠前の熊と遭遇したところ、アナは見事に撃退して見せたのだ。

一撃で倒された熊に驚くカナリアに、アナは種明かしをしてくれた。

アナは荷物を異空間に保管できるスキル『異空間倉庫』の他に、防御魔法を扱うことができるという。
あくまでも防御力のみで、攻撃力や素早さには変化がないが、人の体の防御力を格段に上げることができるそうだ。
彼女は言った。

「素手で岩を殴ったら、岩が砕ける前に自分の手が砕けますよね。それと同じ考えで、敵の拳を上回るほどの堅さになることさえできれば、私が攻撃をしかけなくても相手が勝手に自滅してくれます。あとは私の拳に防御力を集中させて、相手を殴れば、鉄や岩で殴ったような衝撃を与えることが出来ると考えたんです」

大事なのは発想の転換ですよ。
そういって笑うアナと、足下に転がる熊を見て『絶対にアナを敵に回してはいけない』と心に誓った。



そもそも身を守ることができる防御魔法を、攻撃に変えることができたアナと違い、カナリアには何もできそうになかった。
普段アナと一緒にいるときは問題ないが、何かの拍子にはぐれてしまうことが予想できる。そうなったときに身を守ることが出来ないのでは、旅になど出られそうにない。



落ち込むカナリアに転機が訪れたのは、シーツを干しながら言うアナの一言だった。

「お嬢様って、水を細く勢いよく出すことって出来ないんですか?」

どういうことかと首をかしげるカナリアに、アナは思いついたことを深く考えずに話した。

「『小』『中』『大』の威力の違いって、水で言うところのだと思うんですよ。水を出す時の勢いじゃなくて、大量の水を一気に出現できるっていう。要は蛇口の大きさが違うってだけかなと思うんですよね。
一度に出せる水の上限が決まってるだけというか・・・。どんなに蛇口をひねってもこれ以上水を出せないという上限はあるけど、反対に蛇口を絞める時みたいに、出す水を細くすることは出来るんじゃないかなと。まあ、完全に私の思いつきですけれど。糸よりも水を細く――けれどもそこに、自分が出せるだけの水をすべて圧縮させたり、さらに風魔法を応用して勢いをつけるとかしたら、最終的には板なんか貫通出来るんじゃないかなって思ったんですよね」


アナはどうやら、前世で水で鉄を切る技術があったのを思い出したらしい。詳細な仕組みを一切知らないとのことで、それを魔術で実現出来る保証などなかった。
だがカナリアは、その発想を面白いと思った。
上限が決まっている以上大きくは出来ないが、小さくすることは出来そうだったから、物は試しだと普段から水の太さを自在にコントロールできるよう訓練を続けることにした。








カナリアの指先から出現する水は、糸のように細い。

(だいぶスムーズに細く出来るようになったわ。――後はこれに、今まで水を出していたときと同じ魔力を流し込めれば・・・)

水を細くすると、必要な魔力量が少なくなることは感覚でわかった。
カナリアにはアナが言う「水圧」がどういうものか理解していないが、魔力をそこに集中させればいいのだとなんとなくわかった。
理屈や理論などは一切わからないが、カナリアは『感覚』で理解するタイプだった。
細くなった水に注ぎ込む魔力を増やすが、すぐに水の太さが変わってしまう。
注ぎ込んだ魔力が水量ではなく勢いに変わるようにイメージをしながら、慎重に魔力を集中させた。

すると、細くチロチロと流れ出ていた水が、いきなりビュッと地面をえぐった。
カナリアはびっくりして魔力を止めてしまったが、すぐに笑みをこぼす。

先ほど見た水は細かった。魔力を込めた瞬間、太さを変えずに勢いを増したのだ。

(――これだわ!)

感覚を忘れぬうちに、カナリアは再び指先に集中した。
すぐ側の木に向けて、水を放つ。
カナリアの指先から細くそれでいて勢いよく水が放たれ、木の皮をえぐった。
木を貫通するにはほど遠いが、それでも水の魔力『小』では決して出来ることのない傷をつけられた。

(――いやったぁぁっ!)

カナリアは喜びの余り叫びたいのを我慢して、アナの元に駆けていった。





野営予定の川辺では、アナが木陰で縫い物をしていた。

「アナっ!」
「あら、お嬢様。どうしたんですか?」

興奮した様子で跳ねるように駆けてくるカナリアを見て、手元の裁縫道具を素早く異空間倉庫にしまう。
その判断は正しかった。
カナリアは走ってきた勢いのままにアナに飛びついたのだった。針を持ったままだったら指先が大惨事になっていたに違いない。

「ぐふっ・・・。お嬢様、危ないので飛びつくのはやめてください」
「アナ!聞いて聞いて!私できたの!できたのよ!」
「え?」
「あのね!――あ、見せた方が早いわね!」

アナの注意を聞き流したカナリアは、アナから少し離れると、川辺に指先を向けた。
指先に意識と魔力を集中させると、先ほどと同じように、勢いよく水を放った。
放たれた水が川原の小石を跳ねのけた。
アナは目を丸くした。

「お嬢様・・・」
「ふふ」
「すごい・・・すごいです、お嬢様、すごすぎます!私が言ったあんな雑な説明だけで、これを実現してしまうなんて!」

お嬢様天才!と、思わずカナリアの頭をなでまわした。
アナの賛辞を受け、喜色満面の笑みを浮かべるカナリアだった。

すると、カナリアの腹がぐぅ、と鳴いた。

「・・・なんだかお腹がすいたわ・・・」
「訓練のために魔力を使ったからですね。――ではお昼にしましょうか。準備しますので、手を洗って木陰で休んでいてください」
「うん」


魔力を使いすぎて倒れては困るので、アナは取り出したマッチで火の用意をした。
火の勢いが安定すると、アナは調理に必要な物を取り出した。

バゲット――アナはフランスパンと言ってしまう――を少し厚めに、それでいて平たい面が大きくなるように斜めに2枚分切り分る。
その上に瓶詰めされたトマトソースを塗りたくる。異空間倉庫から取り出したソースはまだ温かく、出来たてだ。
アナお手製のトマトソースには、タマネギと庭で取れたトマトに茄子、以前購入したベーコンの切れ端を刻んだものが入っている。
ベーコンの少し堅い食感は残されているので、挽肉を使ったものよりも食べ応えのあるソースになっている。
フライパンに、ソースを塗ったバゲットを2人分並べ、さらにその上からチーズを被せたらそれを火にかける。
チーズがとろけたらできあがりだ。

焼き上がりを待つ間に、お茶を用意する。
野営の経験値を上げるために普段は片手鍋でお湯を沸かすのだが、今日はいいだろうと、異空間倉庫からお湯が入ったヤカンを取り出した。
お茶を淹れ、カナリアの側にある小さいテーブルに置く。
平べったい木の板の下に太い角材を2つ取り付けただけのミニテーブルは、アナお手製だ。カナリアが座っている椅子も、拾ってきた木材を使ってカナリアが組み立てた物だ。

アナお手製の椅子は、ダイニングチェアとは比べものにならないくらいに足が短い。
子供用の椅子に近いそれは、座り心地ではなく、お尻が汚れないようにすることと、背もたれがあることのみを重視して作られていた。
暇などないのに「暇つぶしです」といって何かしら作り出しているアナだが、実は余り手先が器用ではなかった。

カナリアが二口ほどお茶を口にする間に、フライパンのチーズがとろけた。
とろけたチーズがフライパンまで流れ、ぐつぐつし出した。
チーズが焦げる前に、アナはフライパンから皿に取り分けた。

「――さあ、出来ましたよ」
「ふわぁ・・・良い匂い・・・」
「なんちゃってピザ――いえ、です」

どうやら言い方にこだわりがあるようだ。
アナが言うにはこれを間違えると怒られるらしい。

チーズはとろけ、焼けたパンの匂いとトマトソースの香りがカナリアの食欲をそそる。

「どうぞ、お嬢様。お召し上がりください」
「いただきます!」

チーズが下に落ちないように左手で皿を持ち、かぶりついた。
焼いてとろけたチーズが舌に絡みつく。
少し焦げ目の付いたパンと、酸味のきいたトマトソース、チーズが絡まり、カナリアはなんともいえない幸福感を味わった。
チーズが伸びるのが楽しい。
パンも、フライパンで焼かれた面はカリッと仕上がり、トマトソースが塗られた面はしっとりしている。トマトソースの水分が多すぎると、カリッとは仕上がらないだろう。

カナリアの隣では、トマトソースの出来に大満足したアナが、これまた幸せそうに頬張っていた。

「あーやっぱりピザは美味しい。チーズがとろけてるのが最高・・・」
「――ピッツァじゃなかったの?」
「・・・どちらでもいいんですよ。私はピザっていいます」
「え、じゃあさっきの注意はなんだったのよ」
「お嬢様、細かいことを気にしたら野営はやっていけませんよ。それにこれはピザ風トーストで、そもそも本当のピザとはちょっと違います。・・・私はピザと言ってしまいますけど」
「・・・ああ、そう・・・」
「2年前までは町の食堂でピザを出していたのですが、店主が体調不良のため店をたたんでしまったみたいで、もう食べることが出来ないんですよ・・・。お嬢様を連れて行ってあげたかったです」
「そうなの・・・それは残念だわ」
「はい・・・。それにこのチーズは、上から炙ると更に美味しく・・・」

言いかけて、アナは思いついた。

「――お嬢様、ガスバーナーです!高火力の火を出しましょう!」
「は?」
「今のお嬢様は単なるライター・・・いえ、歩くマッチですが、ガスバーナーになれれば料理の幅が広がり、夢は広がります!」

突拍子もないことを言い出した。

「先ほど水の魔術をコントロール出来たのです。それなら、火も大きさはそのままで火力を上げることが出来るかもしれませんよ。大きさは今と同じで、赤ではなく高火力の青い炎が出せれば勝てます!」

いったい何に勝つというのか。
だがカナリアは素直にそれを聞き入れた。
アナが言うように、夢が広がると感じたからだ。――決して、料理の幅が広がることに期待したわけではない。

カナリアはチーズが冷めて固まる前に、ピザ風トーストをペロリと平らげてしまった。
おかわりを要求しようか迷っていると、アナが皿を片付け始める。

「――お嬢様。今日は帰りましょうか」
「え、どうして。泊まっていかないの?」

テントは既に準備できている。
雲の様子を見る限りでは、天気も悪くならないだろう。

「今日はお家でご飯を食べましょう。お嬢様のお祝いをしないといけませんからね」
「お祝い?」
「はい。お嬢様の魔力のコントロールが上達したお祝いです。本当は明日作ろうと思っていたのですが、庭のベリーが食べ頃になっていましたから、ジャムを作って、それからパンケーキを焼きましょう」

それに、とアナはカナリアの頭を優しく撫でる。

「お嬢様は今日、いつもと違う魔力の使い方をして、とてもお疲れでしょう。テントではなく、キチンとしたお布団で休んだ方がいいですよ」
「でも・・・せっかく来たのだし・・・」
「急に帰ることが出来るのも、自宅の近くで野営することの利点ですよ。今は旅に出ているわけではないのですから、いつでも帰って良いんです」
「・・・そう・・・でも、残念だわ」
「また来ましょう」


アナが火の後始末をし片付け始めると、テントや野営道具はあっという間に消えてしまった。
彼女達は日が暮れる前に帰路についた。

自覚はなかったが、魔力を使ったカナリアの体には相当疲れがたまっていたようだ。
家に着いたカナリアがちょっと昼寝をするつもりでベッドに潜り込んだところ、翌朝までぐっすり眠ってしまった。


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