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巻き戻されたカナリア(4)
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アナが語る過去は、カナリアには理解しきれない物が多かった。
世界がまるで違うのだ。
何より驚いたのは、彼女のいた世界には魔獣と魔法が存在しないことだった。それなのに、空を飛ぶことが出来るのだという。
「一度にたくさんの人を乗せて空を飛ぶことが出来る鉄の塊って・・・なんだか想像が出来ないわね」
「そうですね・・・こちらでは風の魔術を使っての浮遊か、手懐けた魔獣に騎乗しての飛行、それから魔石燃料か火の魔術を使った気球くらいしか空を飛べる手段がありませんからね。――まあ、空を飛ぶ魔獣がいる以上、安心して飛行なんて出来ないから、飛行機の技術が進まなかっただけじゃないかと私は勝手に思ってます。空中戦なんて人間には不利ですからね」
日本という国で過ごしたアナの過去は、カナリアにとっては夢物語のようだった。
この世界と同じで戦争や災害はあるようだったが、それでも聞いた限りでは夢のある世界だと感じた。
「平民と貴族で、身分が分けられていないのね」
「私の生きていた時代は、ですけどね。100年とか200年前まで遡れば、身分差は当たり前のようにありましたよ。それに私のいた時代だって、貴族のような明確な身分はなかったですけど貧富の差はありましたし、職業によって優劣をつけたがる傾向はありましたね。・・・人間というのは住む世界が違っても、大体同じ道をたどるんですね」
アナは深いため息をついた。
「――まあ、それは置いといて・・・。私がお嬢様の専属侍女としてやってこれたのは、前世の知識があったことが大きいです。そうでなければ、私1人でお嬢様の身の回りのお世話をすることは出来なかったでしょうからね」
出会った当時のカナリアはかなりの我が儘娘だった。
家族の中で1人だけ離れの屋敷に閉じ込められて冷遇されているとはいえ、伯爵家のお嬢様である。使用人たちは彼女の扱いに非常に困っていた。
そのうちに、使用人たちの間で誰が彼女を世話するのか押し付け合いが始まった。
使用人の中にもヒエラルキーは存在しており、立場の弱い者が担当せざるを得なかったのだが、徐々に辞めていき、押しつける相手がいなくなった。
そんな中、たまたま求人募集を見つけて飛びついたのがアナだった。
当時アナは13歳だった。
町で働くよりも給金がよかったことと、住み込みの仕事で衣食住が保証されていたため、深く考えずに応募した。
伯爵家で使用人をとりまとめる執事と侍女長は、何も知らずのこのことやってきたアナを即日採用した。
とにかく人が足りなかったし、担当するのは重要視されていない伯爵家の三女――それも離れの屋敷に住み込みとなるので、身元保証などは特に必要なかった。
当主であるカナリアの父には執事から新しく雇った者の報告をいれたが、彼は三女の側に誰がいようが一切気にしていないようだった。
こうしてアナはカナリアの専属侍女となった。
彼女の仕事は、カナリアの身の回りのお世話――住んでいる離れの屋敷の掃除、衣服や寝具などの洗濯、食事の用意、カナリアの身支度を整えることなどだ。
この他にも、裏庭に作った小さな畑の世話であったり、屋敷の修繕も行っている。
雨漏りの修理のようにアナの手に余ることは、侍女長を通して他の使用人に対応してもらっているが、年若い侍女が1人でこなすには作業量が多かった。
カナリアには話していないが、伯爵家からはカナリアの食事を用意されていないので、アナ自らが調達している。
雇用契約として使用人であるアナの食事は保証されているので、パンと最低限の野菜は給料とともに支給されている。
勤めはじめの頃は母屋の厨房で毎食分用意されていたのだが、取りに行くのが面倒になったことと、カナリアの分の食事の確保が必要なので、しばらくしてから一週間分の食材をまとめて貰うようになった。
貰えるのは1人分だけだが、それをうまく使って2人分の食事の用意をしている。
足りない食材は、市場まで出向いて調達している。もちろん、費用はアナのポケットマネーから出している。
時折、母屋の厨房で食材が足りなくなることがあるらしいが、顔見知りの使用人から話を聞いたアナは「へぇ、ネズミでもいるんですかね」と返した。
侍女になりたての頃、侍女長にカナリアの分はどうするのか聞いたところ「あんたの食べ残しをやればそれで充分だ」などと言われ、アナは早々に上司に見切りをつけることにした。
また、この家が三女だけにネグレクトしていることを理解した。
アナが前世の記憶を持たないただの平民の少女であったなら、この状況を理解できなかっただろう。
侍女長に言われたとおり、アナの食事の余りをカナリアに出していたかもしれない。それが原因で、カナリアを怒らせて、早々に職を辞することになっていただろう。
出会った当初は我が儘で横柄な態度を取っていたカナリアだったが、アナが他の使用人と違うことがわかってくると段々おとなしくなっていった。
アナが侍女となってから3年ほど経つ今では、お互いに軽口を叩けるくらいに仲良くなった。
「そういえば、アナが作る料理は素朴だけど美味しいわね。庶民の食べ物だと思っていたのだけど、これってもしかして、日本の料理なの?」
「いえ。残念ながら食材がないので、日本食は作ることが出来ませんでした。前世の知識を使って多少工夫して調理はしていますが、お嬢様に食べていただいているのは、この国の平民の食事と同じような物ばかりです・・・」
本当ならアナが作る料理も、貴族令嬢であるカナリアの口に入ることのないものなのだが・・・。
「あら、そうなの?それはちょっと残念ね・・・いつか食べてみたいわ」
「ふふ。食材が手に入ったらお作りしますね」
カナリアのスープ皿はすっかり空になっている。
アナから日本の話を聞いているうちに、気分が浮上して食欲が出たようだ。
顔色も良くなっている。
食事を取ることが出来たのなら、まずは一安心だ。
食事を終え、食器を片付けるためにアナは一度部屋を出た。
しばらくして、彼女はティーセットをお盆にのせて帰ってきた。
菓子皿にはクッキーが3枚乗っている。
入手経路はカナリアには秘密だが、母屋には様々な菓子で溢れているので少しくらい減っても気づかれない。
食事を終えたばかりだが、甘味にカナリアは喜んだ。
幸せそうに頬張るカナリアだったが、徐々にその表情が曇っていった。
「お嬢様、どうしました? クッキーが美味しくなかったですか?」
「・・・ちがうわ」
カナリアはゆるりと首を振る。
「――アナは本当に、不思議な経験をしてきたのね。ねえ、アナ・・・私はもう一度、同じことを繰り返さないと行けないのかしら・・・」
カナリアの手はかすかに震えていた。
もう一度同じ人生を歩むこと――それはつまり、アナを再び失うということ。
もう一度あの絶望感を味わうことになったら、今度こそカナリアには耐えられそうになかった。
「アナは異世界転生で別人になったけど、私は・・・前も、今もカナリア・イエローカップのまま・・・。逆光って時間が巻戻っただけなのよね? それって、同じことがまた起きるってことじゃないかしら・・・」
カナリアは無意識のうちに、拳を痛いくらいに握りしめていた。
このままでは爪が食い込んで傷ついてしまう。
アナはそっとカナリアの手を包み、彼女の拳を解いた。
「お嬢様、手が傷ついてしまいます。――私が知る逆行の話では、巻戻った後、人生を変えようとする人がほとんどです」
「・・・人生を変える?」
「はい。昔あった悲しい出来事を回避するために行動していました」
「その人たちはどうなったの?・・・変えることは出来たの?」
「自然災害のようなものは避けられませんでしたが、被害を最小限にとどめることが出来ました。また、事故を回避することは出来たようです」
「事故を・・・回避・・・」
「はい」
カナリアの瞳に希望の光が宿った。
(回避できる可能性がある・・・。なら、アナがあの事故に遭遇しないようにすればいいんだわ。・・・でも、どうすればいいのかしら・・・)
カナリアが行動できる範囲は、この離れの屋敷と裏庭くらいだ。
血のつながった家族達を頼ることは出来ないし、独り立ちするには、今の彼女では幼い。
「・・・私にもっとスキルがあれば良かったのだけれど・・・」
「そういえば、お嬢様のスキルをお聞きしたことがありませんでしたね」
「――あら、話していなかったかしら? 私のスキルは、四属性の魔術を使えるのだけど、全部『小』なのよ・・・せめて『中』か、どれか1つでも『大』だったら魔獣を倒せるし、旅に出ることも出来たのだけれど・・・」
四属性とは、火、水、風、土のことだ。
属性にはこの他に光と闇が存在するが、こちらは希少であり所持する者は希なことだった。
所持した属性の魔術を使えるようになり、小、中、大とは、その魔術の威力のことを指す。
「『小』だとどの程度つかえるのですか?」
「こんな感じよ」
カナリアは、指先に親指の爪ほどの大きさの火を出現させる。
威力はマッチでつけた火と変わらない。
次にカナリアは、空になったカップに指先から水を注ぎ入れてみせた。
ティーポットからカップにお湯を注ぐ時と同じくらいの水量だった。
風は扇子で扇いだ程度のそよ風で、土は小石サイズの土の塊を出現させる程度だった。
「――ね、たいしたことないでしょ?」
5歳の時に判明したこの弱々しいスキルのため、カナリアは家族に見限られていた。
家族達は、彼女とは比べものにならないほどの優秀なスキルを持っていた。
「いや、すごいじゃないですかお嬢様! 火と水がだせるんですよ?! めっちゃ生活に便利じゃないですか!しかも風って!髪を乾かすのにすごく使える!」
「え?」
カナリアの予想に反して、アナは大興奮している。
すごい、すごいと目を輝かせているアナに、カナリアはくすぐったい気持ちになった。
今まで――前世では一度だってすごいと言われたことがなかったのだ。
スキルのことは恥になると、父親から口外するなと言いつけられていたため、アナにも話していなかったことを思い出した。
こんなことなら、話しておけば良かった。
前世のアナも、きっと今みたいにすごいと言ってくれたと思う。
「・・・生活には便利でも、魔獣は倒せないわ。・・・出来ることなら、いっそここから抜け出して、どこか遠くまで旅に出たいのに・・・」
すごいと言ってくれたアナには悪いが、カナリアのスキルでは、現状を打破する手段が思いつかなかった。
この屋敷から抜け出して旅に出たいが、魔獣と戦うための力を持っていなかった。
人里に魔獣は出てこないが、町から離れすぎると奴らは姿を現す。
「旅・・・ですか」
「えぇ。出来ることならこの家から出て、誰も知らない土地で静かに暮らしたいわ」
それを聞いたアナは、あることを思いつく。
「そうだ、お嬢様キャンプしましょう!」
「――は?」
アナの突然の申し出に、カナリアは面食らう。
キャンプとは何かと尋ねると、野営のことだという。
なぜ、野営なのか。
「お嬢様、そんな『何言ってんだコイツ』って顔やめてくださいよ。いいですか、実際に旅をする場合、街道を進んだとしても町から町まではそれなりに距離があります。半日でたどり着く距離の町もあれば、一週間以上かかる場合もあります。進む道も街道だけではなく、険しい山を越え無ければならないこともあるでしょう。旅に出たら今までのように食事をしたり、お布団で眠ることは出来なくなります。ここまでは想像できますよね?」
「・・・まあ、そうでしょうね」
日没までに次の町にたどり着かなければ、野宿になることは明らかだ。
何も知らない貴族の箱入り娘であった頃には何もわからなかっただろうが、人生二度目となるカナリアにはそれは想像に難くない。
「ここから一番近い町に行くとしても、それなりに距離はあるし。・・・あら、馬車で半日だと、歩くとどのくらいになるのかしら」
「馬や歩く人の速度によりますが、人の方が多少遅いくらいで、概ね同じくらいですね。徒歩でも半日かかります。ですが、旅慣れていないお嬢様ですと、休憩をこまめにとる必要がありますから、日の出とともに出発したとしても、日暮れまでに間に合うかどうか・・・」
「そう・・・この町から出たら、もう野宿になる可能性があるのね」
「だから練習するんですよ。この辺りの森でキャンプ――野営をするんです!」
「え・・・えぇ・・・?」
アナの思いつきから始まった野営作戦。
いきなり野営をするのではカナリアの体力がついていかないだろうし、屋敷から抜け出していることがカナリアの父にばれては不味いと思い、まずは家の近くの丘でピクニックをして様子を見ることにした。
アナが侍女長や執事の様子をうかがう限りでは、カナリアたちが屋敷を抜け出していることに気づいていないようで、お咎めなしだった。
こうして味を占めた彼女達は、たびたび屋敷を抜け出すようになり、ついに1泊2日で野営を行うようになった。
世界がまるで違うのだ。
何より驚いたのは、彼女のいた世界には魔獣と魔法が存在しないことだった。それなのに、空を飛ぶことが出来るのだという。
「一度にたくさんの人を乗せて空を飛ぶことが出来る鉄の塊って・・・なんだか想像が出来ないわね」
「そうですね・・・こちらでは風の魔術を使っての浮遊か、手懐けた魔獣に騎乗しての飛行、それから魔石燃料か火の魔術を使った気球くらいしか空を飛べる手段がありませんからね。――まあ、空を飛ぶ魔獣がいる以上、安心して飛行なんて出来ないから、飛行機の技術が進まなかっただけじゃないかと私は勝手に思ってます。空中戦なんて人間には不利ですからね」
日本という国で過ごしたアナの過去は、カナリアにとっては夢物語のようだった。
この世界と同じで戦争や災害はあるようだったが、それでも聞いた限りでは夢のある世界だと感じた。
「平民と貴族で、身分が分けられていないのね」
「私の生きていた時代は、ですけどね。100年とか200年前まで遡れば、身分差は当たり前のようにありましたよ。それに私のいた時代だって、貴族のような明確な身分はなかったですけど貧富の差はありましたし、職業によって優劣をつけたがる傾向はありましたね。・・・人間というのは住む世界が違っても、大体同じ道をたどるんですね」
アナは深いため息をついた。
「――まあ、それは置いといて・・・。私がお嬢様の専属侍女としてやってこれたのは、前世の知識があったことが大きいです。そうでなければ、私1人でお嬢様の身の回りのお世話をすることは出来なかったでしょうからね」
出会った当時のカナリアはかなりの我が儘娘だった。
家族の中で1人だけ離れの屋敷に閉じ込められて冷遇されているとはいえ、伯爵家のお嬢様である。使用人たちは彼女の扱いに非常に困っていた。
そのうちに、使用人たちの間で誰が彼女を世話するのか押し付け合いが始まった。
使用人の中にもヒエラルキーは存在しており、立場の弱い者が担当せざるを得なかったのだが、徐々に辞めていき、押しつける相手がいなくなった。
そんな中、たまたま求人募集を見つけて飛びついたのがアナだった。
当時アナは13歳だった。
町で働くよりも給金がよかったことと、住み込みの仕事で衣食住が保証されていたため、深く考えずに応募した。
伯爵家で使用人をとりまとめる執事と侍女長は、何も知らずのこのことやってきたアナを即日採用した。
とにかく人が足りなかったし、担当するのは重要視されていない伯爵家の三女――それも離れの屋敷に住み込みとなるので、身元保証などは特に必要なかった。
当主であるカナリアの父には執事から新しく雇った者の報告をいれたが、彼は三女の側に誰がいようが一切気にしていないようだった。
こうしてアナはカナリアの専属侍女となった。
彼女の仕事は、カナリアの身の回りのお世話――住んでいる離れの屋敷の掃除、衣服や寝具などの洗濯、食事の用意、カナリアの身支度を整えることなどだ。
この他にも、裏庭に作った小さな畑の世話であったり、屋敷の修繕も行っている。
雨漏りの修理のようにアナの手に余ることは、侍女長を通して他の使用人に対応してもらっているが、年若い侍女が1人でこなすには作業量が多かった。
カナリアには話していないが、伯爵家からはカナリアの食事を用意されていないので、アナ自らが調達している。
雇用契約として使用人であるアナの食事は保証されているので、パンと最低限の野菜は給料とともに支給されている。
勤めはじめの頃は母屋の厨房で毎食分用意されていたのだが、取りに行くのが面倒になったことと、カナリアの分の食事の確保が必要なので、しばらくしてから一週間分の食材をまとめて貰うようになった。
貰えるのは1人分だけだが、それをうまく使って2人分の食事の用意をしている。
足りない食材は、市場まで出向いて調達している。もちろん、費用はアナのポケットマネーから出している。
時折、母屋の厨房で食材が足りなくなることがあるらしいが、顔見知りの使用人から話を聞いたアナは「へぇ、ネズミでもいるんですかね」と返した。
侍女になりたての頃、侍女長にカナリアの分はどうするのか聞いたところ「あんたの食べ残しをやればそれで充分だ」などと言われ、アナは早々に上司に見切りをつけることにした。
また、この家が三女だけにネグレクトしていることを理解した。
アナが前世の記憶を持たないただの平民の少女であったなら、この状況を理解できなかっただろう。
侍女長に言われたとおり、アナの食事の余りをカナリアに出していたかもしれない。それが原因で、カナリアを怒らせて、早々に職を辞することになっていただろう。
出会った当初は我が儘で横柄な態度を取っていたカナリアだったが、アナが他の使用人と違うことがわかってくると段々おとなしくなっていった。
アナが侍女となってから3年ほど経つ今では、お互いに軽口を叩けるくらいに仲良くなった。
「そういえば、アナが作る料理は素朴だけど美味しいわね。庶民の食べ物だと思っていたのだけど、これってもしかして、日本の料理なの?」
「いえ。残念ながら食材がないので、日本食は作ることが出来ませんでした。前世の知識を使って多少工夫して調理はしていますが、お嬢様に食べていただいているのは、この国の平民の食事と同じような物ばかりです・・・」
本当ならアナが作る料理も、貴族令嬢であるカナリアの口に入ることのないものなのだが・・・。
「あら、そうなの?それはちょっと残念ね・・・いつか食べてみたいわ」
「ふふ。食材が手に入ったらお作りしますね」
カナリアのスープ皿はすっかり空になっている。
アナから日本の話を聞いているうちに、気分が浮上して食欲が出たようだ。
顔色も良くなっている。
食事を取ることが出来たのなら、まずは一安心だ。
食事を終え、食器を片付けるためにアナは一度部屋を出た。
しばらくして、彼女はティーセットをお盆にのせて帰ってきた。
菓子皿にはクッキーが3枚乗っている。
入手経路はカナリアには秘密だが、母屋には様々な菓子で溢れているので少しくらい減っても気づかれない。
食事を終えたばかりだが、甘味にカナリアは喜んだ。
幸せそうに頬張るカナリアだったが、徐々にその表情が曇っていった。
「お嬢様、どうしました? クッキーが美味しくなかったですか?」
「・・・ちがうわ」
カナリアはゆるりと首を振る。
「――アナは本当に、不思議な経験をしてきたのね。ねえ、アナ・・・私はもう一度、同じことを繰り返さないと行けないのかしら・・・」
カナリアの手はかすかに震えていた。
もう一度同じ人生を歩むこと――それはつまり、アナを再び失うということ。
もう一度あの絶望感を味わうことになったら、今度こそカナリアには耐えられそうになかった。
「アナは異世界転生で別人になったけど、私は・・・前も、今もカナリア・イエローカップのまま・・・。逆光って時間が巻戻っただけなのよね? それって、同じことがまた起きるってことじゃないかしら・・・」
カナリアは無意識のうちに、拳を痛いくらいに握りしめていた。
このままでは爪が食い込んで傷ついてしまう。
アナはそっとカナリアの手を包み、彼女の拳を解いた。
「お嬢様、手が傷ついてしまいます。――私が知る逆行の話では、巻戻った後、人生を変えようとする人がほとんどです」
「・・・人生を変える?」
「はい。昔あった悲しい出来事を回避するために行動していました」
「その人たちはどうなったの?・・・変えることは出来たの?」
「自然災害のようなものは避けられませんでしたが、被害を最小限にとどめることが出来ました。また、事故を回避することは出来たようです」
「事故を・・・回避・・・」
「はい」
カナリアの瞳に希望の光が宿った。
(回避できる可能性がある・・・。なら、アナがあの事故に遭遇しないようにすればいいんだわ。・・・でも、どうすればいいのかしら・・・)
カナリアが行動できる範囲は、この離れの屋敷と裏庭くらいだ。
血のつながった家族達を頼ることは出来ないし、独り立ちするには、今の彼女では幼い。
「・・・私にもっとスキルがあれば良かったのだけれど・・・」
「そういえば、お嬢様のスキルをお聞きしたことがありませんでしたね」
「――あら、話していなかったかしら? 私のスキルは、四属性の魔術を使えるのだけど、全部『小』なのよ・・・せめて『中』か、どれか1つでも『大』だったら魔獣を倒せるし、旅に出ることも出来たのだけれど・・・」
四属性とは、火、水、風、土のことだ。
属性にはこの他に光と闇が存在するが、こちらは希少であり所持する者は希なことだった。
所持した属性の魔術を使えるようになり、小、中、大とは、その魔術の威力のことを指す。
「『小』だとどの程度つかえるのですか?」
「こんな感じよ」
カナリアは、指先に親指の爪ほどの大きさの火を出現させる。
威力はマッチでつけた火と変わらない。
次にカナリアは、空になったカップに指先から水を注ぎ入れてみせた。
ティーポットからカップにお湯を注ぐ時と同じくらいの水量だった。
風は扇子で扇いだ程度のそよ風で、土は小石サイズの土の塊を出現させる程度だった。
「――ね、たいしたことないでしょ?」
5歳の時に判明したこの弱々しいスキルのため、カナリアは家族に見限られていた。
家族達は、彼女とは比べものにならないほどの優秀なスキルを持っていた。
「いや、すごいじゃないですかお嬢様! 火と水がだせるんですよ?! めっちゃ生活に便利じゃないですか!しかも風って!髪を乾かすのにすごく使える!」
「え?」
カナリアの予想に反して、アナは大興奮している。
すごい、すごいと目を輝かせているアナに、カナリアはくすぐったい気持ちになった。
今まで――前世では一度だってすごいと言われたことがなかったのだ。
スキルのことは恥になると、父親から口外するなと言いつけられていたため、アナにも話していなかったことを思い出した。
こんなことなら、話しておけば良かった。
前世のアナも、きっと今みたいにすごいと言ってくれたと思う。
「・・・生活には便利でも、魔獣は倒せないわ。・・・出来ることなら、いっそここから抜け出して、どこか遠くまで旅に出たいのに・・・」
すごいと言ってくれたアナには悪いが、カナリアのスキルでは、現状を打破する手段が思いつかなかった。
この屋敷から抜け出して旅に出たいが、魔獣と戦うための力を持っていなかった。
人里に魔獣は出てこないが、町から離れすぎると奴らは姿を現す。
「旅・・・ですか」
「えぇ。出来ることならこの家から出て、誰も知らない土地で静かに暮らしたいわ」
それを聞いたアナは、あることを思いつく。
「そうだ、お嬢様キャンプしましょう!」
「――は?」
アナの突然の申し出に、カナリアは面食らう。
キャンプとは何かと尋ねると、野営のことだという。
なぜ、野営なのか。
「お嬢様、そんな『何言ってんだコイツ』って顔やめてくださいよ。いいですか、実際に旅をする場合、街道を進んだとしても町から町まではそれなりに距離があります。半日でたどり着く距離の町もあれば、一週間以上かかる場合もあります。進む道も街道だけではなく、険しい山を越え無ければならないこともあるでしょう。旅に出たら今までのように食事をしたり、お布団で眠ることは出来なくなります。ここまでは想像できますよね?」
「・・・まあ、そうでしょうね」
日没までに次の町にたどり着かなければ、野宿になることは明らかだ。
何も知らない貴族の箱入り娘であった頃には何もわからなかっただろうが、人生二度目となるカナリアにはそれは想像に難くない。
「ここから一番近い町に行くとしても、それなりに距離はあるし。・・・あら、馬車で半日だと、歩くとどのくらいになるのかしら」
「馬や歩く人の速度によりますが、人の方が多少遅いくらいで、概ね同じくらいですね。徒歩でも半日かかります。ですが、旅慣れていないお嬢様ですと、休憩をこまめにとる必要がありますから、日の出とともに出発したとしても、日暮れまでに間に合うかどうか・・・」
「そう・・・この町から出たら、もう野宿になる可能性があるのね」
「だから練習するんですよ。この辺りの森でキャンプ――野営をするんです!」
「え・・・えぇ・・・?」
アナの思いつきから始まった野営作戦。
いきなり野営をするのではカナリアの体力がついていかないだろうし、屋敷から抜け出していることがカナリアの父にばれては不味いと思い、まずは家の近くの丘でピクニックをして様子を見ることにした。
アナが侍女長や執事の様子をうかがう限りでは、カナリアたちが屋敷を抜け出していることに気づいていないようで、お咎めなしだった。
こうして味を占めた彼女達は、たびたび屋敷を抜け出すようになり、ついに1泊2日で野営を行うようになった。
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