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中国分割と世界戦略始動-東アジアの風雲-

第770話 『揺らぐ朝鮮』

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 天正二十年四月五日(1591/5/27) 肥前諫早

「陛下、今この時をもって明より離れ、肥前国の冊封を受けるべく動く事が、朝鮮を未来永劫栄えさせる唯一の方策かと存じます」

 領議政の柳成龍は、宣祖をはじめ文武の官僚がそろった朝議において声を大にした。

 明の状況は刻一刻と朝鮮にも入ってきていたのだ。寧夏鎮で哱拝ぼはいが反乱を起こし、明に対して独立運動を仕掛けていること。それにともない哱拝が明に圧力をかけるために遼東のヌルハチと同盟を結んだ事などである。

 さらに明軍が哱拝に敗れ、播州では楊成龍の乱が起きている。宦官かんがんの腐敗や万暦帝の堕落、内憂外患の明国の未来に明るい要素など見いだせなかった。




 柳成龍の言葉に、西人派の重鎮である鄭澈ていてつが反論する。

「大恩ある明国への忠義を忘れるとは何事か! たとえ一時的に苦境だとしても、天朝を見捨てるべきではない。蛮夷ばんいである日本にびへつらうなど、言語道断!」

「右議政(鄭澈ていてつ)殿、では伺おう。明国への大恩とはなんですか? また肥前国が蛮夷とは、なんの根拠があってそう仰るのだ」

 右議政である鄭澈が大声をあげて反論したのに対し、柳成龍は眉一つ動かさない。

 鄭澈は手をぐっと握り、深く息を吸い、吐いた。毅然きぜんとした目で柳成龍を見据える。

「明は我らが宗主国であり、文化を授けてくれた大恩ある国である。それに対して肥前国は、過去に幾度も我らが国土を侵略しようとした野蛮な国ではないか!」

 倭寇わこうの事である。

「倭寇の事を仰せですか? まったく、いつの話をされているのですか。倭寇によって確かにわが朝鮮は多くを失いました。しかし、肥前国の関白殿下が政権を握ってからは一度たりともそのような事はありません。むしろ肥前国との交易で、どれだけ朝鮮の国庫が潤ったかご存じか?」

 理路整然と、淡々と柳成龍は続ける。

「四年前に漢陽にきた肥前国の使節をご覧になりましたか? 煙をはいて帆もなく走る船。これが明国にありますか? その他にも肥前国は、明にないものを多く数多く我が国にもたらしてくれています。これでもまだ蛮夷だと?」

 鄭澈は一瞬言葉に詰まったが、すぐに反論の声を上げた。

「確かに肥前国の技術は目を見張るものがある。だが、それは単なる技巧に過ぎぬ。我らが千年の文化に比べれば取るに足らぬものだ」

「右議政殿」

 柳成龍は静かに、しかし芯の通った声で語り始めた。

「文化とは生き物のように進化し、発展するものです。かつての高麗も新羅も、外の文化を取り入れることで栄えました。今、我らの目の前には新たな道が開かれているのです」

 宣祖は黙って両者の議論に耳を傾けていた。その表情からは何を考えているのか読み取れない。

「さらに申しあげましょう」

 柳成龍は続ける。

「現在の明は、我らの役に立てる状況にはありません。哱拝の反乱にヌルハチの台頭、さらには播州の楊成龍の乱。これらはまさに片時も予断を許さない状況です。このような時に明にしがみつけば、共に沈むことになりかねません」

「それでも……明との君臣関係を捨て去るとは、我らの魂を売り渡すようなものではありませんか」

 鄭澈は声を荒らげず、努めて冷静に反論した。

「魂を売り渡す?」

 柳成龍は小さく首を振る。

「我らの魂とは何でしょう。ただ明に従うことが魂なのでしょうか。私は、民を守り、国を安寧にする事こそが我らの魂だと考えます」




「申し上げます! 明国よりの使者がお越しになっております!」

 その報告に万座に緊張が走った。




「天朝より詔を伝える」
 
 使者の沈惟敬しんいけいの声は威厳に満ちていた。疲れた様子を微塵みじんも見せず、その眼差しには天朝の使者としての誇りが宿っている。

「寧夏の逆賊哱拝、討伐の時が来た。朝鮮国は天朝の藩屏はんぺいとして、五万の精兵と軍糧三ヶ月分をもって、征伐に参ずべし」

 朝議が重く静まりかえる。

「遼東のヌルハチも逆賊と通じている。この逆賊どもを討たねば、遼東の安寧も危うい。朝鮮国もその禍を免れまい」

 柳成龍は静かに目を閉じた。一方で鄭澈は真っ直ぐに使者を見つめている。

「御使者殿、余は……朝鮮はこの件について慎重に検討する必要がある。すぐに返答はできぬので、冊封使の館にて数日待たれたい」

 宣祖は沈惟敬を見、敬意を表しつつも、低い声で言った。

「ご検討とは……もはや時間はありませんぞ。朝鮮は明の属国。天朝からの命令に従うのは当然の義務です」

 沈惟敬はそう言って高官達を見渡し、謁見の間を出て行った。




「陛下」
 
 柳成龍が声を上げる。
 
「まさにこれが現状です。我らに五万もの兵を差しだす余力がありましょうか。派遣すれば、その将兵たちの命運やいかに」

 宣祖の表情が僅かに歪む。

 詔を拒めば、明との関係は決定的に悪化する。だが従えば、五万の将兵を死地へ送ることになる。

「陛下」
 
 今度は鄭澈が進言する。
 
「これこそが大明への忠誠を示す時ではございませんか。長年の恩に報いる時が参りました」

 宣祖は深いため息をつく。

「余りに横暴ではないか! もはや、明は朝鮮を属国とも思っていない!」

 若手の官僚が憤慨の声をあげると、他の者達も同意するようにうなずいた。

 沈惟敬が去った後も、重苦しい空気が朝廷を覆っている。明の要求はあまりにも理不尽であり、誰もが対応に苦慮していた。宣祖は腕を組み、考え込んだまま沈黙している。




「申し上げます! 肥前国の使者、宗義智よしとし様、柚谷ゆずや智広様、お見えになりました!」

 数日後、変わらず紛糾している朝議の場に現れた伝令がそう告げた。

「なに? 肥前国の?」

 柳成龍の顔に生気が宿り、鄭澈が顔をゆがめる。

「お通しせよ」




「肥前国外務省、アジア・太平洋渉外局、朝鮮課長の宗義智にございます。このたびはご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」

 宗義智に続いて補佐の柚谷智広も挨拶した。

「そう硬くなるでない。殿下とはよしみを通じておるのだ。冊封の件もわが朝鮮の要望を聞き、お待ちいただいて感謝しておる。今回もその件で参ったのではないのか?」

 宣祖は二人に対してねぎらいの言葉をかけ、昨今朝廷の議題に上っている肥前国からの冊封の話をした。




「うべなるかな(なるほど)。然ればその儀は、やはり、今が時期かと存じます」

 義智が真剣な顔をして返し、智広も同意するかのようにうなずいた。




 次回予告 第771話 『明からの冊封と肥前国からの冊封。肥前国、朝鮮出兵となるか』
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