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天下一統して大日本国となる。-天下百年の計?-
第721話 『ヌエバエスパーニャ出兵論と新しい薬の話』
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天正十三年十月十二日(1584/11/14) 海軍省内
「イスパニアの勢を、ふつと(完全に)消し去るべきではございませぬか?」
こういう議論が海軍内の若手将校の間で公然とされるようになったのは、第二次対イスパニア戦争勝利後の事である。一度ならばまぐれという事もあり得るが、二度の勝利で沸き立っていたのは事実だろう。
勝利後間もなく、アカプルコへの帰路にあたる小笠原が小佐々の手に落ちた。北条が新政府への加入を決める前、スペインの敗報を知って確認の為に小笠原へ使者を寄越した後である。
「ふつと、とは如何なる事か? 既に呂宋からはイスパニアの勢は消え、小笠原から南、新幾内亜周辺の島々、濠太剌利大陸にいたっても、やつらの姿は見えぬ。何処へ勢を差し向けるのだ?」
肥前国海軍大学校で、『これからの肥前国海軍』と題して講演を行っていた籠手田安経に対しての問いかけの答えである。
「それはもちろん、あの阿弗利加大陸のさらに西、葡萄牙王国が支配している更に西、新西班牙まで攻め入り、二度とこの肥前国に仇なす事の無いようにございます」
大日本国という呼び名は事実上浸透していない。若い海軍士官は、壁に張り出された世界地図を指差して言った。
その地図はアラスカからアフリカ、ポルトガルまでは正確に描いていたが、いわゆるアメリカ大陸はポルトガルから提供されていた位置情報により作成されたもので、正確とは言い難かった。
「新西班牙……。諸君等はそれが何を意味しているのかは、理解しているのかね?」
講堂全体がざわついた。遠征論への反対意見が、しかも歴戦の『海洋の覇者』と二つ名のある籠手田安経の口から出たからである。
「提督、それは……」
若い士官の一人が口を開きかけたが、安経が手を上げて制した。
「落ち着け。私は決して臆病風に吹かれたわけではない。我々が新西班牙へ侵攻することの意味を理解しているか、それを問うているのだ」
静まり返った講堂に、安経の声が響いた。
「例えば君、新西班牙までどのくらいの航程だね? その間の食料や水の補給は? 風や潮流はどうか」
安経の質問に対して、若い士官たちは互いに顔を見合わせていた。隣や前後の士官と話し合い、答え合わせをする様な声がそこらじゅうから聞こえてくる。
その中の一人が、勇気を振り絞って答えた。
「提督、新西班牙までの航程は約六か月と見積もっております。その間の食料と水の補給は、阿弗利加大陸の沿岸で一時的に行う計画です。風や潮流については、現時点で詳細な情報が不足しておりますが、これから調査を進めていけば良いかと存じます」
ニヤリと安経は笑う。若いというのはいいな、とでも言いたげである。
「阿弗利加大陸? 君は諫早を出港して印度を通り、阿弗利加大陸の沿岸を通って新西班牙へ向かう、というのかね?」
講堂の静寂が一瞬崩れ、士官たちは再びざわついた。安経の問いに対して、その士官は再び持論を展開する。
「はい、提督。そのように考えております。印度洋を経由し、阿弗利加大陸沿岸を航行することで、補給を確保しながら新西班牙へ向かう計画です」
安経は士官の言葉がそれで終わりかどうかを確認した後に、ゆっくり反論する。
「なるほど、では聞くが、岌朴敦を通って阿弗利加大陸の西岸を北上するとしよう。そうするといくつもの湊を経て、葡萄牙の首都である里斯本に到着する。半年はかかるだろう。するとどうだ、葡萄牙の隣は西班牙である。本国があるのに、なぜまた危険を冒して未開の海を渡って新西班牙へ向かうのだ?」
安経の言葉に、講堂は再び静まり返った。若い士官の顔が赤らみ、言葉に詰まる。周囲の視線が彼に集中する中、別の士官が声を上げた。
「提督、では我々は如何にすべきなのでしょうか?」
安経は穏やかに微笑み、壁に掛けられた地図へと歩み寄った。指先で太平洋を横切るように動かしながら、彼は語り始めた。
「諸君、新西班牙への道は東にある。この広大な太平洋を横断する、それが最短の道筋だ」
士官たちの目が、地図と安経の間を行き来する。彼らの表情に驚きと興奮が混じる。
「然れど」
安経は続けた。
「その前に、だ。新西班牙にしろ西班牙本国にしろ、攻めて駆逐するのに如何ほどの粮料が要り、如何ほどの兵と武器弾薬が要るのだ? 数千里も先の土地に攻め込む事に、それだけの意義があるのか?」
安経の問いかけに、士官たちは答えを見出そうと必死に考えを巡らせていた。
「ない。加えてそれは、敵も同じなのだ。我らは小笠原から南、南洋群島を経て濠太剌利をも領有しており、そこに西班牙の勢はない。西班牙も、莫大な兵力と粮料弾薬を費やして、二度負けた相手に戦いを挑むとは思えない。よしんばあったとして、我らは悠然と構え、来た敵を討ち滅ぼせば良いのだ」
それに、と安経は言った。
「広がり過ぎた戦線というのは、いずれほころびが生まれるのだ」
■純アルメイダ大学医学部 東玄甫研究室
ジエチルエーテルをはじめ雷酸水銀や種痘、キニーネの単離やサリシンの抽出など、派手ではないが、着実に人々の生活を豊かにしていた。
雷酸水銀は薬用ではないが、マラリア薬、痛み止めのサリシン、種痘などは明らかに人の寿命を延ばしたのである。
「先生、これは一体何の実験をしているんですか?」
助手の質問に、玄甫は答える。
「ジエチルエーテルを鶏にかがせて、如何ほどの量で如何ほどの時間眠り、痛みを感じずに目を覚ますかを実験しているのだ」
「ええ! ? 先生、そんな馬鹿な。痛みを感じないようになんて、本当にできるのですか?」
助手は信じられないような声をあげて、少し驚いたような顔をしている。
「君、いや私もそうだが、肥前国の医療はこの世界随一だと自負しておる。明とは国の交わりが途絶えておるゆえないが、それでも医者は密航してでもわが国に学びにくる。遠く欧州の葡萄牙やその他の国々にいたってもだ」
玄甫は学生の方は見ずに、鶏の経過観察に余念がない。
「これを見たまえ」
玄甫の指で示されたテーブルの上には一冊の論文があった。
『Observations on sensory deprivation in chickens by inhalation of ether” (Observações sobre a privação sensorial em frangos por inalação de éter). 』
「先生、これは?」
「パラケルススの、まあ訳すとすれば『エーテルの吸入による鶏の感覚遮断に関する観察』というところだろうが、そこでエーテルを吸わせた鶏は眠りに落ちるばかりか、痛みを感じないことを指摘している。我々はもっと、さらに精進しなければならない」
エーテル麻酔の研究が始まった。
次回 第722話 (仮)『フェリペ二世の焦りと欧州情勢』
「イスパニアの勢を、ふつと(完全に)消し去るべきではございませぬか?」
こういう議論が海軍内の若手将校の間で公然とされるようになったのは、第二次対イスパニア戦争勝利後の事である。一度ならばまぐれという事もあり得るが、二度の勝利で沸き立っていたのは事実だろう。
勝利後間もなく、アカプルコへの帰路にあたる小笠原が小佐々の手に落ちた。北条が新政府への加入を決める前、スペインの敗報を知って確認の為に小笠原へ使者を寄越した後である。
「ふつと、とは如何なる事か? 既に呂宋からはイスパニアの勢は消え、小笠原から南、新幾内亜周辺の島々、濠太剌利大陸にいたっても、やつらの姿は見えぬ。何処へ勢を差し向けるのだ?」
肥前国海軍大学校で、『これからの肥前国海軍』と題して講演を行っていた籠手田安経に対しての問いかけの答えである。
「それはもちろん、あの阿弗利加大陸のさらに西、葡萄牙王国が支配している更に西、新西班牙まで攻め入り、二度とこの肥前国に仇なす事の無いようにございます」
大日本国という呼び名は事実上浸透していない。若い海軍士官は、壁に張り出された世界地図を指差して言った。
その地図はアラスカからアフリカ、ポルトガルまでは正確に描いていたが、いわゆるアメリカ大陸はポルトガルから提供されていた位置情報により作成されたもので、正確とは言い難かった。
「新西班牙……。諸君等はそれが何を意味しているのかは、理解しているのかね?」
講堂全体がざわついた。遠征論への反対意見が、しかも歴戦の『海洋の覇者』と二つ名のある籠手田安経の口から出たからである。
「提督、それは……」
若い士官の一人が口を開きかけたが、安経が手を上げて制した。
「落ち着け。私は決して臆病風に吹かれたわけではない。我々が新西班牙へ侵攻することの意味を理解しているか、それを問うているのだ」
静まり返った講堂に、安経の声が響いた。
「例えば君、新西班牙までどのくらいの航程だね? その間の食料や水の補給は? 風や潮流はどうか」
安経の質問に対して、若い士官たちは互いに顔を見合わせていた。隣や前後の士官と話し合い、答え合わせをする様な声がそこらじゅうから聞こえてくる。
その中の一人が、勇気を振り絞って答えた。
「提督、新西班牙までの航程は約六か月と見積もっております。その間の食料と水の補給は、阿弗利加大陸の沿岸で一時的に行う計画です。風や潮流については、現時点で詳細な情報が不足しておりますが、これから調査を進めていけば良いかと存じます」
ニヤリと安経は笑う。若いというのはいいな、とでも言いたげである。
「阿弗利加大陸? 君は諫早を出港して印度を通り、阿弗利加大陸の沿岸を通って新西班牙へ向かう、というのかね?」
講堂の静寂が一瞬崩れ、士官たちは再びざわついた。安経の問いに対して、その士官は再び持論を展開する。
「はい、提督。そのように考えております。印度洋を経由し、阿弗利加大陸沿岸を航行することで、補給を確保しながら新西班牙へ向かう計画です」
安経は士官の言葉がそれで終わりかどうかを確認した後に、ゆっくり反論する。
「なるほど、では聞くが、岌朴敦を通って阿弗利加大陸の西岸を北上するとしよう。そうするといくつもの湊を経て、葡萄牙の首都である里斯本に到着する。半年はかかるだろう。するとどうだ、葡萄牙の隣は西班牙である。本国があるのに、なぜまた危険を冒して未開の海を渡って新西班牙へ向かうのだ?」
安経の言葉に、講堂は再び静まり返った。若い士官の顔が赤らみ、言葉に詰まる。周囲の視線が彼に集中する中、別の士官が声を上げた。
「提督、では我々は如何にすべきなのでしょうか?」
安経は穏やかに微笑み、壁に掛けられた地図へと歩み寄った。指先で太平洋を横切るように動かしながら、彼は語り始めた。
「諸君、新西班牙への道は東にある。この広大な太平洋を横断する、それが最短の道筋だ」
士官たちの目が、地図と安経の間を行き来する。彼らの表情に驚きと興奮が混じる。
「然れど」
安経は続けた。
「その前に、だ。新西班牙にしろ西班牙本国にしろ、攻めて駆逐するのに如何ほどの粮料が要り、如何ほどの兵と武器弾薬が要るのだ? 数千里も先の土地に攻め込む事に、それだけの意義があるのか?」
安経の問いかけに、士官たちは答えを見出そうと必死に考えを巡らせていた。
「ない。加えてそれは、敵も同じなのだ。我らは小笠原から南、南洋群島を経て濠太剌利をも領有しており、そこに西班牙の勢はない。西班牙も、莫大な兵力と粮料弾薬を費やして、二度負けた相手に戦いを挑むとは思えない。よしんばあったとして、我らは悠然と構え、来た敵を討ち滅ぼせば良いのだ」
それに、と安経は言った。
「広がり過ぎた戦線というのは、いずれほころびが生まれるのだ」
■純アルメイダ大学医学部 東玄甫研究室
ジエチルエーテルをはじめ雷酸水銀や種痘、キニーネの単離やサリシンの抽出など、派手ではないが、着実に人々の生活を豊かにしていた。
雷酸水銀は薬用ではないが、マラリア薬、痛み止めのサリシン、種痘などは明らかに人の寿命を延ばしたのである。
「先生、これは一体何の実験をしているんですか?」
助手の質問に、玄甫は答える。
「ジエチルエーテルを鶏にかがせて、如何ほどの量で如何ほどの時間眠り、痛みを感じずに目を覚ますかを実験しているのだ」
「ええ! ? 先生、そんな馬鹿な。痛みを感じないようになんて、本当にできるのですか?」
助手は信じられないような声をあげて、少し驚いたような顔をしている。
「君、いや私もそうだが、肥前国の医療はこの世界随一だと自負しておる。明とは国の交わりが途絶えておるゆえないが、それでも医者は密航してでもわが国に学びにくる。遠く欧州の葡萄牙やその他の国々にいたってもだ」
玄甫は学生の方は見ずに、鶏の経過観察に余念がない。
「これを見たまえ」
玄甫の指で示されたテーブルの上には一冊の論文があった。
『Observations on sensory deprivation in chickens by inhalation of ether” (Observações sobre a privação sensorial em frangos por inalação de éter). 』
「先生、これは?」
「パラケルススの、まあ訳すとすれば『エーテルの吸入による鶏の感覚遮断に関する観察』というところだろうが、そこでエーテルを吸わせた鶏は眠りに落ちるばかりか、痛みを感じないことを指摘している。我々はもっと、さらに精進しなければならない」
エーテル麻酔の研究が始まった。
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