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日ノ本未だ一統ならず-内政拡充技術革新と新たなる大戦への備え-
第596話 尾甲同盟と加賀紀伊討ち入りの策
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天正二年八月十九日(1573/9/15) 甲斐 躑躅ヶ崎館
信長は加賀・紀伊侵攻作戦の合議対策をするための策を練るとともに、必須条件である甲斐の武田家との通商・安保同盟を結ぶために光秀を武田家に送った。
「はじめて御意を得ます。織田兵部卿様が郎党、明智日向守にございます」
「おお、これは日向守殿、織田家中においてもその才覚、比類なきものと聞き及んでおります。どうかそう畏まらずに。して、こたびはいかなる用件であるかな?」
織田への反感は未だ武田家中には残っていた。
勝頼が親織田、親小佐々政策をすすめるにあたり、同盟の条件で織田と和睦した事に対してのわだかまりは残っていたのだ。
「然れば、先だって行われた、討ち入りは合議にて行うとの取り決めの儀にございます」
「ふむ」
勝頼は短く相づちをうち、光秀は続けた。
「大膳大夫様におかれましては、先の取り決め、如何なる御存念にございましょうや」
「と、言うと?」
勝頼も慎重である。
織田との和睦、事実上の同盟は、小佐々との同盟を結ぶために付随している条件である。ただそれだけなのだ。
小佐々と同盟を結べるのなら、軍事・経済両面で織田に依存する事はないし、結ぶ必要性もない。ここで不用意な発言をして、純正の心証を悪くするのは危険極まりない。
「先の取り決めにおいては、全ての題目(事柄・条件)において小佐々家が有利にございます。されば以後も、小佐々家の利得の権が多いという事に他なりませぬ。そのような形ですべての大名が日ノ本大同盟の下に集まったとて、はたして我らは今と同じく同等でしょうか? いずれは小佐々家の風下に立つことになりませぬか?」
光秀の言わんとしている事は勝頼には理解できた。
純正という人物が、日ノ本を一統した後も同じように我らに接するか? 支配体制を敷こうとしてくるのではないか?
仮に純正がそうでなくても、十年後二十年後、純正が没した後にそうなるのではないか? という危惧なのである。
自らが日本統一を行おうという野心はなくても、いわゆる天下人となった小佐々家が、宗主家の小佐々家を脅かしかねない織田や武田を、そのままにしておくのだろうかという疑問だ。
狡兎死して走狗烹らる、という故事成語にもあるように、家康は関ヶ原の戦いの後多くの外様を改易にした。
それと同じ事が起きないだろうか、という不安は当然の事である。
「ではなにゆえに、先の言問の場でそう発言なさらなかったのだ?」
勝頼が光秀に問う。
「我ら織田が発言したら、大膳大夫様は賛成をなされておりましたかな?」
勝頼はそれに対して可でもなく不可でもないような表情を見せ、何も返事をしない。
「それが答えなのです。我ら皆、同列とは言いながら、その実小佐々家の顔色を窺わねばならぬ有り様なのでございます」
光秀はそう言って少し間を置いた。勝頼の表情を見る。多くは語らない。勝頼は光秀の真意を探るように、次の発言を待つ。
「もし、もし大膳大夫様がそれがし、いえ、織田家と同じ境遇とお考えならば如何なる御存念かお伺いいたしとうございます」
光秀もまた、勝頼の答えを待つ。小細工を弄していない正面突破の会談である。
「あい分かった。即答はできぬので、しばらく時を要す。それゆえ日向守殿は、国許に帰るがよい。お役目ご苦労であった」
「ありがたき幸せに存じます。どうか、どうか賢明な判断を下されますよう。お願い申し上げます」
光秀は勝頼に礼を言い、躑躅ヶ崎館を後にした。
「さて、皆の衆。先ほどの日向守の言、いかに思う?」
事は小佐々を敵に回すかもしれない一大事である。はいそうですかと簡単に同調などできるはずがない。
「されば、申し上げまする。日向守殿の言に一理あれど、今この時に意を同じくするは極めて危うき事かと存じます」
「左様、それがしも同じ考えにございます。さりながら……」
曽根九郎左衛門尉虎盛が、武藤喜兵衛の発言に同意しつつも言葉を濁した。
「虎盛、いかがした?」
「は、憚りながら申し上げますれば、人間五十年と申します。仮に、権中納言様が我らを同列とみなし仇なす事がないとして、その次の代にはいかがあい成りましょうや? また、小佐々の御家中すべてが同じ思いでしょうか?」
「つまり、若様の代にも同じように遇してくれるかわからぬ、と?」
虎盛の言葉に喜兵衛が続いた。
「ふ……それは確かに言えておるな。わしはまだ二十七じゃが、権中納言様も御年二十五歳にあらせられる。三十年後に生きておる証はないの。加えて、二人の考えももっともじゃ」
「では、わしらはとうに冥土に旅立っておりますな」
わはははは、と笑って答えるのは馬場美濃守である。美濃守信春は59歳で還暦前であった。
「「美濃守様、何を仰せになりますか。まだまだ武田家を支えてもらわねばなりませぬ」」
「ははははは、その方ら、先ほどと言うておる事が違うではないか」
信春はかっかっかと高らかに笑い。他の古参の重臣からも笑いが漏れる。
「御屋形様、この儀につきましては、不肖この信春に一計がございます」
「祖父の代より武田に仕えし美濃守の言、どうしてないがしろにできようか。忌憚のない意見を教えてくだされ」
勝頼の求めに対する信春の意見は、考えてみれば十分可能性のあるもので、意表をつくものであった。
「要は誰もが得心でき、かつ小佐々家を敵に回さぬ策であればよいのだ」
次回 第597話 馬場信春の秘策と三十年後、五十年後を見据えて
信長は加賀・紀伊侵攻作戦の合議対策をするための策を練るとともに、必須条件である甲斐の武田家との通商・安保同盟を結ぶために光秀を武田家に送った。
「はじめて御意を得ます。織田兵部卿様が郎党、明智日向守にございます」
「おお、これは日向守殿、織田家中においてもその才覚、比類なきものと聞き及んでおります。どうかそう畏まらずに。して、こたびはいかなる用件であるかな?」
織田への反感は未だ武田家中には残っていた。
勝頼が親織田、親小佐々政策をすすめるにあたり、同盟の条件で織田と和睦した事に対してのわだかまりは残っていたのだ。
「然れば、先だって行われた、討ち入りは合議にて行うとの取り決めの儀にございます」
「ふむ」
勝頼は短く相づちをうち、光秀は続けた。
「大膳大夫様におかれましては、先の取り決め、如何なる御存念にございましょうや」
「と、言うと?」
勝頼も慎重である。
織田との和睦、事実上の同盟は、小佐々との同盟を結ぶために付随している条件である。ただそれだけなのだ。
小佐々と同盟を結べるのなら、軍事・経済両面で織田に依存する事はないし、結ぶ必要性もない。ここで不用意な発言をして、純正の心証を悪くするのは危険極まりない。
「先の取り決めにおいては、全ての題目(事柄・条件)において小佐々家が有利にございます。されば以後も、小佐々家の利得の権が多いという事に他なりませぬ。そのような形ですべての大名が日ノ本大同盟の下に集まったとて、はたして我らは今と同じく同等でしょうか? いずれは小佐々家の風下に立つことになりませぬか?」
光秀の言わんとしている事は勝頼には理解できた。
純正という人物が、日ノ本を一統した後も同じように我らに接するか? 支配体制を敷こうとしてくるのではないか?
仮に純正がそうでなくても、十年後二十年後、純正が没した後にそうなるのではないか? という危惧なのである。
自らが日本統一を行おうという野心はなくても、いわゆる天下人となった小佐々家が、宗主家の小佐々家を脅かしかねない織田や武田を、そのままにしておくのだろうかという疑問だ。
狡兎死して走狗烹らる、という故事成語にもあるように、家康は関ヶ原の戦いの後多くの外様を改易にした。
それと同じ事が起きないだろうか、という不安は当然の事である。
「ではなにゆえに、先の言問の場でそう発言なさらなかったのだ?」
勝頼が光秀に問う。
「我ら織田が発言したら、大膳大夫様は賛成をなされておりましたかな?」
勝頼はそれに対して可でもなく不可でもないような表情を見せ、何も返事をしない。
「それが答えなのです。我ら皆、同列とは言いながら、その実小佐々家の顔色を窺わねばならぬ有り様なのでございます」
光秀はそう言って少し間を置いた。勝頼の表情を見る。多くは語らない。勝頼は光秀の真意を探るように、次の発言を待つ。
「もし、もし大膳大夫様がそれがし、いえ、織田家と同じ境遇とお考えならば如何なる御存念かお伺いいたしとうございます」
光秀もまた、勝頼の答えを待つ。小細工を弄していない正面突破の会談である。
「あい分かった。即答はできぬので、しばらく時を要す。それゆえ日向守殿は、国許に帰るがよい。お役目ご苦労であった」
「ありがたき幸せに存じます。どうか、どうか賢明な判断を下されますよう。お願い申し上げます」
光秀は勝頼に礼を言い、躑躅ヶ崎館を後にした。
「さて、皆の衆。先ほどの日向守の言、いかに思う?」
事は小佐々を敵に回すかもしれない一大事である。はいそうですかと簡単に同調などできるはずがない。
「されば、申し上げまする。日向守殿の言に一理あれど、今この時に意を同じくするは極めて危うき事かと存じます」
「左様、それがしも同じ考えにございます。さりながら……」
曽根九郎左衛門尉虎盛が、武藤喜兵衛の発言に同意しつつも言葉を濁した。
「虎盛、いかがした?」
「は、憚りながら申し上げますれば、人間五十年と申します。仮に、権中納言様が我らを同列とみなし仇なす事がないとして、その次の代にはいかがあい成りましょうや? また、小佐々の御家中すべてが同じ思いでしょうか?」
「つまり、若様の代にも同じように遇してくれるかわからぬ、と?」
虎盛の言葉に喜兵衛が続いた。
「ふ……それは確かに言えておるな。わしはまだ二十七じゃが、権中納言様も御年二十五歳にあらせられる。三十年後に生きておる証はないの。加えて、二人の考えももっともじゃ」
「では、わしらはとうに冥土に旅立っておりますな」
わはははは、と笑って答えるのは馬場美濃守である。美濃守信春は59歳で還暦前であった。
「「美濃守様、何を仰せになりますか。まだまだ武田家を支えてもらわねばなりませぬ」」
「ははははは、その方ら、先ほどと言うておる事が違うではないか」
信春はかっかっかと高らかに笑い。他の古参の重臣からも笑いが漏れる。
「御屋形様、この儀につきましては、不肖この信春に一計がございます」
「祖父の代より武田に仕えし美濃守の言、どうしてないがしろにできようか。忌憚のない意見を教えてくだされ」
勝頼の求めに対する信春の意見は、考えてみれば十分可能性のあるもので、意表をつくものであった。
「要は誰もが得心でき、かつ小佐々家を敵に回さぬ策であればよいのだ」
次回 第597話 馬場信春の秘策と三十年後、五十年後を見据えて
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