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西国王小佐々純正と第三勢力-緊迫の極東と、より東へ-
上杉不識庵謙信という男の本性
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天正元年(元亀三年・1572年) 正月十八日 越後 春日山城
「……。せっかくおいでになったのだ。通すが良い」
上杉謙信と須田満親の前に、小佐々の狐、利三郎が相まみえる。
「はじめてご尊顔を拝しまする、小佐々権中納言様が家臣、太田和治部少輔と申しまする。こたびはご引見いただき、感謝の至りにございまする」
春日山城は182mの山全体が無数の曲輪で形成された巨大な要害である。山全体が城、という意味では岐阜城と同じであるが、壮麗で豪華という印象はない。
上杉謙信という軍神が、山全体を覆っているようにも思える。
「これはこれは。畿内に覇を唱える織田弾正忠、いや、今は参議兵部卿殿でしたかな。その織田殿とならんで西国を統べる太守、小佐々殿の御家中の方が、このような雪深き田舎に何の御用にござろうか」
まずは満親が牽制してきた。本心なのか嫌みなのか、わからない。
「お褒めに与り光栄にございます」
利三郎もさらりとかわす。謙信は少し笑みを含んだ表情で口を開いた。
「では利三郎とやら、一見(初対面)であろうから、あえて腹の探り合いはせずに本題といこうではないか。面倒だ」
「はは、然れば申し上げまする」
利三郎は一言そう言って、今回の訪問の目的、越中の一向一揆との和睦を謙信に伝えた。
実は利三郎は謙信との交渉に入る前から、入念に上杉家や謙信の事を調べていた。外務省という仕事柄、敵であれ味方であれ、他家の大名を相手取るのに必要なのは情報である。
そのため外務省の情報と情報省の情報は共有されていた。表の交渉を外務省が行い、裏の交渉や調略を情報省が担っていたのだ。
一般的に上杉謙信という男は義に篤い男として描かれる事が多く、私利私欲の戦いはしなかったと言われてきた。しかし、果たしてそうだろうか?
利三郎はそう疑問に思っていたのだ。積み上げられる情報を精査し、分析を重ねる事で、新たな事実が浮かび上がってきたのだ。
まずは謙信の関東出兵についてである。
いわゆる越山と呼ばれる越後から関東への数回の出兵は、北条氏康に追われて亡命してきた足利憲政を助けるために行われたのが発端であった。
今から二十年前の天文二十一年の事である。
これだけならまだ、関東を追われた関東管領の権威をとり戻すための『義の戦』とも言えるだろう。しかし、二回目以降の出兵は意味合いが違ってくる。
最初の出兵から七年後の永禄二年(1559年)に謙信が上洛した際に、接近してきた近衛前久との間で盟約が結ばれたのである。
その盟約過程で前久から提案があった。
それはすなわち京都(幕府)から与えられた権威と上杉の武力を使って、関東甲信越を支配下に置き、大動員権を使って改めて上洛するというものである。
前久のその提案は、幕政を刷新するためのものであったが、謙信の野心に火をつけたのだ。
時の将軍・足利義輝の後押しもあり、さらに『上杉七免許』と呼ばれる特権も与えられた。準備を整えた景虎は、越山を実行する。永禄三年(1560年)の八月のことであった。
その『七免許』によって謙信は、信玄や氏康をも上回る権威を得たのだ。
第一と第二において、関東管領職と上杉氏の名跡を継ぐ事が認められた。
第三と第四においては『屋形号』『五七桐紋』の使用が許可された。
屋形号はいわゆる許認可制で、特別に許された大名にのみ許可された。桐紋は、後醍醐天皇より菊紋と共に賜った足利将軍の家紋同然である。
第五と第六と第七は、『裏書御免』と『塗輿御免』、『白傘袋・毛氈鞍覆』の使用許可である。
『裏書御免』は封紙の署名を省略でき、三管領や相伴衆、足利一族だけが許された。関東管領以上の権威である。
『塗輿御免』は、網代輿に乗る資格で同等レベルの特権だ。
最後の『白傘袋・毛氈鞍覆』についてはすでに許可を得ていたが、国主待遇を約束された大名にのみ認められていた。
つまり将軍家が謙信ならびに上杉家を、足利将軍にとってなくてはならない特別な大名として公認するものである。
これは全国の大名や国人衆に対し、謙信を特別視して敬いなさい、と言っているようなものだ。
やっていること、信長と同じじゃないか?
そう利三郎は思ったのだ。巧妙に隠されてはいるが、戦争の名目としてではなく、名目のある戦争をした、という違いだけだ。
越中への出兵もそうである。
信心深い事で有名だが、各地で寺社を焼き討ちしている。本当に信心深いのならあり得ない。結局のところ、謙信が掲げる『義』も単なるスローガンなのである。
「越中へ馬を出し(略)、越中存じのまま、一篇に謙信手に入れ候わば明年の一年は必ず日々看経(かんきん)申すべく候なり」
(越中へ攻め込んで、予定通りすべてを手に入れることができたなら、来年一年間は毎日お経を読みます)
昨年の越中攻めの前に、一昨年書かれた神仏への奏じ文である。
出兵の際、能登畠山氏に宛てた手紙にはこう書かれてあった。
「長職(ながもと)色々と歎(なげ)かれ候間、図らずも出馬」
(神保長職に助けてくれと言われたので、仕方なく出兵した)
神仏に手を合わせて越中出兵を明かして念じ、緻密に準備を行って『人助け』や『義』を名目にして、侵略する。
他の戦国大名となんら変わらず、当主としての重責と家と民を守るために考え悩む。人間くさく、義理人情もあれば打算もある普通の男で、『義を重んじるふりを演じている武将』なのだ。
そう利三郎は結論づけた。
そうなれば、話は早い。『大義名分』を笠に着て、己の欲望のままに動く(もちろん一切そうは見せない)男か、または条件次第で和睦ができるのか。
前者であれば、純正に戦の可能性もあり、と報告しなければならない。遅かれ早かれ織田は北上、上杉は西に向かい南へ進むのだ。
「近ごろ続いておりまする、越中の一揆勢との諍い、取りやめて和睦される事は能いませぬか」
「ははははは、これは異な事を承る。われらは越中の神保より助けを求められ、そのために一揆勢と戦っておる。私利私欲のために戦うのではない」
あらかじめ決められた台本のようなやり取りである。
「なるほど、然ればお訊きいたします。そもそも越中の神保家と一揆勢の諍いは跡目争いにございます。宗右衛門尉殿(神保長職)は嫡男である長住殿の一党を抑えつけ、誼のあった一向一揆を攻めたてました。そのため家中を分けた争いとなったのです」
「……。なれど、いずれが所以としても助けを請われて何もせず、は義にもとる。越中守護代からの願いにござる」
「なるほど、承知いたしました。それでは、義のための戦ならば、見返りは求めぬ、という事にござりましょうや」
「無論にござる」
謙信は即答した。あまりの早さにすがすがしささえ覚える。
「では今ひとつお聞きします。これまで宗右衛門尉殿(神保長職)と謙信様は刃向かいおうた間柄。松倉城の椎名右衛門大夫殿(椎名康胤)と共に神保と戦い、その後には右衛門大夫殿を組み入れて、新川郡を領国とされているのは、これいかに」
謙信は笑っている。これも想定内の質問なのだろうか。
「なるほど……なるほど。小佐々の御使者殿の言、ごもっともにござる。然りながら、見返りは求めずとも、庇護を求める者は拒めませぬ。強き者が弱き者を守るは世の当然にござりましょう」
「つまりは見返りは求めぬが、請われれば、拒めぬ、と?」
「ご随意に考えられよ」
……どうやら、前者だったようだ。
「……。せっかくおいでになったのだ。通すが良い」
上杉謙信と須田満親の前に、小佐々の狐、利三郎が相まみえる。
「はじめてご尊顔を拝しまする、小佐々権中納言様が家臣、太田和治部少輔と申しまする。こたびはご引見いただき、感謝の至りにございまする」
春日山城は182mの山全体が無数の曲輪で形成された巨大な要害である。山全体が城、という意味では岐阜城と同じであるが、壮麗で豪華という印象はない。
上杉謙信という軍神が、山全体を覆っているようにも思える。
「これはこれは。畿内に覇を唱える織田弾正忠、いや、今は参議兵部卿殿でしたかな。その織田殿とならんで西国を統べる太守、小佐々殿の御家中の方が、このような雪深き田舎に何の御用にござろうか」
まずは満親が牽制してきた。本心なのか嫌みなのか、わからない。
「お褒めに与り光栄にございます」
利三郎もさらりとかわす。謙信は少し笑みを含んだ表情で口を開いた。
「では利三郎とやら、一見(初対面)であろうから、あえて腹の探り合いはせずに本題といこうではないか。面倒だ」
「はは、然れば申し上げまする」
利三郎は一言そう言って、今回の訪問の目的、越中の一向一揆との和睦を謙信に伝えた。
実は利三郎は謙信との交渉に入る前から、入念に上杉家や謙信の事を調べていた。外務省という仕事柄、敵であれ味方であれ、他家の大名を相手取るのに必要なのは情報である。
そのため外務省の情報と情報省の情報は共有されていた。表の交渉を外務省が行い、裏の交渉や調略を情報省が担っていたのだ。
一般的に上杉謙信という男は義に篤い男として描かれる事が多く、私利私欲の戦いはしなかったと言われてきた。しかし、果たしてそうだろうか?
利三郎はそう疑問に思っていたのだ。積み上げられる情報を精査し、分析を重ねる事で、新たな事実が浮かび上がってきたのだ。
まずは謙信の関東出兵についてである。
いわゆる越山と呼ばれる越後から関東への数回の出兵は、北条氏康に追われて亡命してきた足利憲政を助けるために行われたのが発端であった。
今から二十年前の天文二十一年の事である。
これだけならまだ、関東を追われた関東管領の権威をとり戻すための『義の戦』とも言えるだろう。しかし、二回目以降の出兵は意味合いが違ってくる。
最初の出兵から七年後の永禄二年(1559年)に謙信が上洛した際に、接近してきた近衛前久との間で盟約が結ばれたのである。
その盟約過程で前久から提案があった。
それはすなわち京都(幕府)から与えられた権威と上杉の武力を使って、関東甲信越を支配下に置き、大動員権を使って改めて上洛するというものである。
前久のその提案は、幕政を刷新するためのものであったが、謙信の野心に火をつけたのだ。
時の将軍・足利義輝の後押しもあり、さらに『上杉七免許』と呼ばれる特権も与えられた。準備を整えた景虎は、越山を実行する。永禄三年(1560年)の八月のことであった。
その『七免許』によって謙信は、信玄や氏康をも上回る権威を得たのだ。
第一と第二において、関東管領職と上杉氏の名跡を継ぐ事が認められた。
第三と第四においては『屋形号』『五七桐紋』の使用が許可された。
屋形号はいわゆる許認可制で、特別に許された大名にのみ許可された。桐紋は、後醍醐天皇より菊紋と共に賜った足利将軍の家紋同然である。
第五と第六と第七は、『裏書御免』と『塗輿御免』、『白傘袋・毛氈鞍覆』の使用許可である。
『裏書御免』は封紙の署名を省略でき、三管領や相伴衆、足利一族だけが許された。関東管領以上の権威である。
『塗輿御免』は、網代輿に乗る資格で同等レベルの特権だ。
最後の『白傘袋・毛氈鞍覆』についてはすでに許可を得ていたが、国主待遇を約束された大名にのみ認められていた。
つまり将軍家が謙信ならびに上杉家を、足利将軍にとってなくてはならない特別な大名として公認するものである。
これは全国の大名や国人衆に対し、謙信を特別視して敬いなさい、と言っているようなものだ。
やっていること、信長と同じじゃないか?
そう利三郎は思ったのだ。巧妙に隠されてはいるが、戦争の名目としてではなく、名目のある戦争をした、という違いだけだ。
越中への出兵もそうである。
信心深い事で有名だが、各地で寺社を焼き討ちしている。本当に信心深いのならあり得ない。結局のところ、謙信が掲げる『義』も単なるスローガンなのである。
「越中へ馬を出し(略)、越中存じのまま、一篇に謙信手に入れ候わば明年の一年は必ず日々看経(かんきん)申すべく候なり」
(越中へ攻め込んで、予定通りすべてを手に入れることができたなら、来年一年間は毎日お経を読みます)
昨年の越中攻めの前に、一昨年書かれた神仏への奏じ文である。
出兵の際、能登畠山氏に宛てた手紙にはこう書かれてあった。
「長職(ながもと)色々と歎(なげ)かれ候間、図らずも出馬」
(神保長職に助けてくれと言われたので、仕方なく出兵した)
神仏に手を合わせて越中出兵を明かして念じ、緻密に準備を行って『人助け』や『義』を名目にして、侵略する。
他の戦国大名となんら変わらず、当主としての重責と家と民を守るために考え悩む。人間くさく、義理人情もあれば打算もある普通の男で、『義を重んじるふりを演じている武将』なのだ。
そう利三郎は結論づけた。
そうなれば、話は早い。『大義名分』を笠に着て、己の欲望のままに動く(もちろん一切そうは見せない)男か、または条件次第で和睦ができるのか。
前者であれば、純正に戦の可能性もあり、と報告しなければならない。遅かれ早かれ織田は北上、上杉は西に向かい南へ進むのだ。
「近ごろ続いておりまする、越中の一揆勢との諍い、取りやめて和睦される事は能いませぬか」
「ははははは、これは異な事を承る。われらは越中の神保より助けを求められ、そのために一揆勢と戦っておる。私利私欲のために戦うのではない」
あらかじめ決められた台本のようなやり取りである。
「なるほど、然ればお訊きいたします。そもそも越中の神保家と一揆勢の諍いは跡目争いにございます。宗右衛門尉殿(神保長職)は嫡男である長住殿の一党を抑えつけ、誼のあった一向一揆を攻めたてました。そのため家中を分けた争いとなったのです」
「……。なれど、いずれが所以としても助けを請われて何もせず、は義にもとる。越中守護代からの願いにござる」
「なるほど、承知いたしました。それでは、義のための戦ならば、見返りは求めぬ、という事にござりましょうや」
「無論にござる」
謙信は即答した。あまりの早さにすがすがしささえ覚える。
「では今ひとつお聞きします。これまで宗右衛門尉殿(神保長職)と謙信様は刃向かいおうた間柄。松倉城の椎名右衛門大夫殿(椎名康胤)と共に神保と戦い、その後には右衛門大夫殿を組み入れて、新川郡を領国とされているのは、これいかに」
謙信は笑っている。これも想定内の質問なのだろうか。
「なるほど……なるほど。小佐々の御使者殿の言、ごもっともにござる。然りながら、見返りは求めずとも、庇護を求める者は拒めませぬ。強き者が弱き者を守るは世の当然にござりましょう」
「つまりは見返りは求めぬが、請われれば、拒めぬ、と?」
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