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第311話 『イギリスの分析』

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 文久三年五月十一日(1863年6月26日) 

「ふむ……」

 イギリス東インド・清国艦隊司令官のオーガスタス・レオポルド・キューパー少将は、本国から指令のあった調査報告書を読んで目頭を押さえている。


 

 1.江戸で消費される米その他の食料品の9割は海上輸送に頼っており、米の供給停止、あるいは一時的な供給量の抑制でさえ、疑いなく江戸に直接かつ甚大な影響を生じさせる。
 
 ・そのためには蒸気船を含む軍艦8隻が必要で、東岸と西岸から離れて配置すれば、容易に封鎖は可能である。
 
 ・品川より深川須崎にかけて江戸防備のための砲台はあるが、接近しないため封鎖の障害にはならない。
 
 ・神奈川台場も上記同様封鎖の障害にはならない。
 
 ・さらに南の三浦半島の観音崎・鶴崎・平根山・安房崎、対岸の房総半島の富津に砲台があるが、射程外に艦艇を配置すれば封鎖は可能である。
 
 ・目的は攻撃ではなく封鎖のため、日本側の射程内に近づく必要なし。
 
 ・ただし陸上の砲台からの攻撃を避けて広い海域で待機するため、一度に大量の船舶が通れば封鎖が破れる可能性はある。
 
 ・幕府海軍の戦力はいずれもスループ艦に属する小型汽帆軍艦4隻。

 ・艦載砲の砲種、射程は不明。

 2.大阪湾は西日本の物資の集積港であり、江戸の消費量の7割が集積される。そのため江戸湾封鎖には劣るが、重大な影響を生じさせる。
 
 ・米の供給ならびに昆布やニシン、ニシンかす干鰯ほしか、サケ、マス、タラなどの海産物の流通が遮断されるため、江戸のみならず大坂や京都の生活に重大な被害をもたらす。
 
 ・大阪湾の防備は堺浦の北に8門、南に18門の砲台があるが、いずれも旧式のモルティール砲で脅威ではない。淀川の上流に建造中の砲台があるが、上陸が目的ではないため、こちらも全く脅威ではない。
 
 ・淡路島の北端に13門と、その対岸に建造中の砲台があるが、これも江戸湾と同様距離をとって軍艦を配置すれば問題はない。淡路島の東端にも海峡があるが、両岸ともに砲台はない。

 ・海上戦力なし。

 3.馬関海峡は江戸の米の約6割、ならびに昆布やニシン、ニシン粕、干鰯ほしか、サケ、マス、タラなどの海産物を輸送するため、江戸のみならず大坂や京都の生活に重大な被害をもたらす。

 ・陸上砲台は下関前田にあるが、射程が短く通航する艦艇を攻撃するためのものである、射程外より砲撃し、無力化した上に航行すれば問題なし。また、封鎖を作戦目的とすれば、それも必要なし。

 ・海上戦力は長州藩の小型スループ3隻。建造中の1隻。艦の要目、兵装は不明。

 ・封鎖のみであれば、江戸、大坂よりも少ない戦力で可能。

 4.事件の当事者である薩摩の軍事力

 ・砲台は天保山に11門、祇園之洲のすに6門、新波止に11門、松崎に3門。順次増設中。

 ・海上戦力は同じく小型スループ4隻。艦の要目、兵装は不明。

 5.佐賀藩の軍事力(艦艇のみ)

 ・大型スループ1隻、小型スループ4隻。艦の要目、兵装は不明。

 6.大村藩

 ・沿岸ならびに島嶼とうしょ部の砲台多数。その数は判明しているだけでも半島の沿岸部に六か所で120門以上。

 ・海上戦力はフリゲート5隻、スループ6隻、艦の要目、兵装は不明。造船設備が内海に一か所、外海に2か所あり。




「ふう……ご苦労であった。引き続き調査を頼む」

「はっ」

「ときに副官、この情報をみてどう分析する? 優先順位はどうだ? 費用対効果は? まずは封鎖による経済制裁を考えるが、場合によっては艦隊戦や陸上砲撃、上陸戦も考えねばならないが……君の意見を聞かせたまえ」




 報告書を熟読し終えた副官は整然と答える。

「司令官、報告書を拝見しました。現状を分析し、いくつかの戦略を提示いたします」

「うむ」

「まず、封鎖による経済制裁の優先順位ですが、江戸湾が最優先です。食料供給の9割を海上輸送に依存している江戸を封鎖すれば、幕府に最大限の圧力をかけられます。次に大阪湾ですが、西日本の物流拠点であるため、江戸への影響に加え、西日本経済にも打撃を与えられます。馬関海峡は日本海側からの物資の供給ルートを断つ効果がありますが、江戸湾と大阪湾に比べれば効果は限定的です」

「なるほど、では君は江戸湾一択で戦力を集中して封鎖した方が良いというのかね?」

 最も早く、最も効果的に日本を締め上げるには、という意味である。

「必ずしもそうとは言い切れません」

 副官は首を横に振った。

「江戸湾封鎖は効果的ですが、戦力不足では逆に艦隊が危険にさらされます」

「ほう? ではどの程度の戦力が必要かね?」

 キューパーは眉をひそめた。

「正確なところは断言できませんが、江戸湾を完全に封鎖するには最低でもフリゲート艦6隻、スループ艦8隻、そしてそれらを支援する小型艦艇が必要だと考えます。さらに、補給艦や病院船なども考慮すると、かなりの規模の艦隊が必要となるでしょう」

「そんなに必要なのか? 報告書には8隻で十分と書いてあったが……」

 キューパーは報告書をもう一度手に取った。

「報告書の数字は、あくまで理想的な状況下でのものです。天候の悪化や敵の抵抗、補給と予期せぬ事態なども考慮に入れる必要があります。特に大村藩の海軍力は未知数ですが、間違いなく参戦してくるでしょう。そのための十分な戦力を確保しておくべきです」

「うむ……大村藩か。確かに気になるな」

 キューパーは腕を組んで考え込み、副官に尋ねる。

「彼らの海軍力については、何か情報はあるか?」

「残念ながらその報告書以上の事は判明しておりません。ただ、造船能力も高く、長期戦になれば脅威となる可能性があるかと」

 ! キューパーは『脅威』という言葉に敏感に反応したが、そこは歴戦の提督である。

「……我が、ロイヤルネイビーを脅かすと?」

「いえ……ただ清国のことわざに『獅子搏兎ししはくと』というものがあると聞いた事があります。偉大なライオンはウサギを倒すにも全力を尽くす、という意味のようです」

 ふふふふふ、とキューパーは笑いながら答える。

「なるほどな。では引き続き情報収集を続けるとして、江戸湾以外に、大阪湾や馬関海峡の封鎖はどうだ? 江戸湾ほどは効果がないだろうが、費用対効果で考えれば、どうだ?」

「はい、大阪湾と馬関海峡の封鎖ですが……」

 副官は地図を広げて説明した。

「大阪湾封鎖は費用対効果が高く、物資供給の6~7割を遮断できます。防衛は旧式砲が中心ですから脅威は少ないでしょう。馬関海峡も米供給路の6割を担い日本海側からの生活必需品を遮断できます。少数艦艇で封鎖可能で、大阪湾同様、江戸や関西圏に大きな影響を与えられます」

「なるほど。では次善の策は大阪の封鎖であろうか。あの港はエンペラーのいる京都に近いので、心理的動揺も大きいのではないか?」

 キューパーは思いついたように京都御所を引き合いに出した。

「仰るとおりエンペラーへの心理的影響は確かに大きいかもしれません。それはつまり幕府にも影響します。しかし江戸湾と違って、大阪湾の封鎖だけでは幕府を屈服させるには時間がかかります。大阪より東の太平洋側からの輸送があるからです」

「ふむ、では封鎖効果があり、かつ補給も容易で費用対効果が高いのは、やはり馬関海峡か?」

 副官は考えていたが、結論にいたったようでキューパーの問いに答えた。

「本国から……東インド・清国艦隊の支援を十分に得られるなら、江戸が最も良い方法でしょう。そうでないならば、まずは補給の容易な馬関海峡の封鎖からはじめ、状況により交渉を続けながら同規模の艦隊と交代しつつ、馬関を封鎖し続けるのが、現段階では最も現実的かと思われます」

「うむ……そうであるな」

 キューパーは副官の考えに同意しながら続ける。

「よしわかった。本国にはそのように伝えよう。どのような判断になるかわからんが、現場は情報を収集し、それを本国に送って判断を仰ごうではないか」

「ははっ」




 次回予告 第312話 『岩倉具視と次郎左衛門』
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