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第305話 『人事は尽くしたので、他にやるべき事をやる』
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文久二年十一月二十日(1863年1月9日) 肥前大村
生麦事件が歴史通りに発生し、その対応に忙しかった次郎ではあるが、大村藩内ではさらなる技術革新が行われていた。
パーシー・ホッグを救えなかった事実に苦悩する一之進ではあったが、愛弟子の長与俊之助の指導の下、2月に発生した麻疹と8月の生麦事件の最中に長崎で発生したコレラも、全国に広まることなく沈静化したのだ。
一之進は俊之助を育て、俊之助もまた、一之進に誇れる医療チームを育成していた。
「くはあ! 疲れる! 疲れるよ! まじで、まったく!」
例によって愚痴をもらすのはお里の膝の上である。
「大変だねえ。ジロちゃん。私はまだ日本人相手だし、商人さんとか職人さん、あー、あとはまだ『女だてらに』ってのがあるかなあ……でもジロちゃんほどじゃないよ」
そう言ってどんなに疲れていても膝枕をしてくれるお里は、次郎の癒やしであった。もちろん、正妻の静のところにも顔を出す。静との間に生まれた千代丸(武直)と竜王丸(明武)は成人し、怜姫は結婚していた。
武里丸と里子は12歳と11歳。少し前までは『父上~』と言って寄ってきていたのだが、最近は第2次成長期なのか、恥ずかしがって遠慮がちである。
■理化学研究所
「どうだ? やってるか?」
「当然! やってるぜ~」
信之介は当たり前の事を聞くな、とでも言いたそうな感じでテーブルの上の書類を指差した。次郎がそれを手に取ると、各部門の研究内容や進捗状況が書かれてあった。
・4ストロークエンジンの実用化
・焼玉エンジンの研究継続
・電話の研究開発
・4段圧延機の研究開発
・金属アーク溶接法
・衝動式蒸気タービン
・etc
「え? 電話って、もうか?」
「別に驚く事じゃない。電話発明したの誰か知ってるか?」
「アレクサンダーなんちゃらベルだろ?」
「だよな? オレ達世代ならみんなそう言うよな?」
信之介がグイグイくるな、と次郎は思ったが、実は信之介には根拠があった。科学的な知識をもとにした電話の研究はもちろんだが、歴史的な順序でいっても電信から電話、そして無線電信、無線電話となったのだ。
「でもさ、研究の過程でいろいろ調べたら、電話の原型は既にできているんだよね」
「まじで?」
「うん、イタリア人のアントニオ・メウォッチって人。1854年にほぼ電話の原型をつくってる。と、いう事はだよ、今オレたちが作っても、まったくオーパーツじゃないわけだ。オレは特許に関心はないけど、普及していないって事は、特許はまだだと思う。まあ、別にオレ(オレたち)が一から作ったんだから問題はないよね」
「そっか……相変わらずお前はすげえな。一之進もお里も、みんなすげえよ……」
「まあオレは、(お前が1番すげえと思うぞ)」
「え? なんて?」
「いや、なんでもない」
令和で再会していたら、こんな言葉は信之介から聞けただろうか。そう思う次郎であった。
■長崎 オランダ領事館
「これはデ・ウィット総領事、長崎に来ていたんですね」
突然の長崎への来訪に驚いた次郎であったが、オランダ総領事J・K・デ・ウィットの目的はある程度予測できた。
「ようこそ、再び長崎へ。デ・ウィット総領事。今回はどのようなご用件で?」
次郎はデ・ウィットの真意を測りかねない風を装いつつ、平静を保って尋ねた。
「ええ、ジロウ殿。まずは先日の生麦事件について、オランダ政府の見解を正式にお伝えするために参りました。我が国は、いかなる暴力行為も容認いたしません。今回の事件は誠に遺憾であり、一日も早い解決を望んでおります」
クルティウスもそうであったが、Mr.オオタワではない。ジロウ殿なのだ。デ・ウィットは公式文書を読み上げるでもなく、口語で同じ意味のことを言った。
そしてこの見解はそのままイギリス公使館へ伝わっているようだ。
「我が国は、日本との友好関係を非常に重視しています。今回の事件が両国の関係に悪影響を及ぼさないことを切に願っております」
デ・ウィットの言葉には、イギリスへの牽制、そして日本との良好な関係を維持したいという思惑が込められていた。 次郎はその言葉の裏にある真意を読み取ろうと努めながら、慎重に言葉を選んで応答する。
「総領事のお言葉、しかと承りました。今回の事件は日本にとっても大変遺憾な出来事であり、早期の解決を望んでおります。貴国が公正な立場からこの問題を見守ってくださることを、期待しております」
次郎はデ・ウィットの発言がイギリスへの明確な非難を含まない、一種の外交辞令であることを理解していた。しかしそれでも、オランダが公の場でこの声明を出したことは、イギリスにとっては少なからずプレッシャーとなるだろう。
■大村藩庁
「殿、此度は重き上書をいたしたく、参上仕りました」
「如何したのだ次郎よ、ついこの間まで横浜で一緒にいたではないか。改まって、ということは相当に重き事のようだな」
例の如く上座に純顕、向かって右手に弟の純熈が座っている。
「は、此度の生麦の一件にございますが、それがしにはイギリスがこのまま条件を呑んで謝罪し、賠償金を支払うとは到底思えませぬ」
「うむ、それはわしもそう思う」
純顕は静かにうなずいた。純熈が2人の顔を見ながら聞く。
「次郎よ、生麦の事は聞いておるが、そのように難し有り様(難しい状況)なのか」
「はい」
次郎はそう言って事件の経緯と証言にもとづいた結論、イギリスの反応を話した。
「何だそれは! ……最も悪しき場合は……戦に、なろうか?」
しばらく沈黙が流れたが、次郎が答えを言った。
「そうなりましょう。残念ながら、今の日本の力では勝てませぬ。それゆえ武器弾薬、特に軍艦を早急に増やさねばなりませぬ」
「如何ほどか」
純顕も純熈も、次郎を凝視する。
「船の数だけで考えれば何とかなるでしょうが、今の最新鋭艦である大成よりも1,000トンは大きい艦を、最低でも2隻、欲を言えば4~5隻欲しいところにございます。しかも完成まで2年はかかります故、いま建造中の知行も進水次第艦隊に組み込み、訓練を、これは陸軍も同じでございますが、行いとうございます」
「 「……」 」
「あい分かった、戦は避けねばならぬが、恐らくイギリスが狙うならば公儀ではなく薩摩かわが家中であろう。……良きに計らえ」
「ははっ」
軍備拡大と『月月火水木金金』が始まった。
次回予告 第306話 『幕府・薩摩・朝廷・長州……エトセトラ』
生麦事件が歴史通りに発生し、その対応に忙しかった次郎ではあるが、大村藩内ではさらなる技術革新が行われていた。
パーシー・ホッグを救えなかった事実に苦悩する一之進ではあったが、愛弟子の長与俊之助の指導の下、2月に発生した麻疹と8月の生麦事件の最中に長崎で発生したコレラも、全国に広まることなく沈静化したのだ。
一之進は俊之助を育て、俊之助もまた、一之進に誇れる医療チームを育成していた。
「くはあ! 疲れる! 疲れるよ! まじで、まったく!」
例によって愚痴をもらすのはお里の膝の上である。
「大変だねえ。ジロちゃん。私はまだ日本人相手だし、商人さんとか職人さん、あー、あとはまだ『女だてらに』ってのがあるかなあ……でもジロちゃんほどじゃないよ」
そう言ってどんなに疲れていても膝枕をしてくれるお里は、次郎の癒やしであった。もちろん、正妻の静のところにも顔を出す。静との間に生まれた千代丸(武直)と竜王丸(明武)は成人し、怜姫は結婚していた。
武里丸と里子は12歳と11歳。少し前までは『父上~』と言って寄ってきていたのだが、最近は第2次成長期なのか、恥ずかしがって遠慮がちである。
■理化学研究所
「どうだ? やってるか?」
「当然! やってるぜ~」
信之介は当たり前の事を聞くな、とでも言いたそうな感じでテーブルの上の書類を指差した。次郎がそれを手に取ると、各部門の研究内容や進捗状況が書かれてあった。
・4ストロークエンジンの実用化
・焼玉エンジンの研究継続
・電話の研究開発
・4段圧延機の研究開発
・金属アーク溶接法
・衝動式蒸気タービン
・etc
「え? 電話って、もうか?」
「別に驚く事じゃない。電話発明したの誰か知ってるか?」
「アレクサンダーなんちゃらベルだろ?」
「だよな? オレ達世代ならみんなそう言うよな?」
信之介がグイグイくるな、と次郎は思ったが、実は信之介には根拠があった。科学的な知識をもとにした電話の研究はもちろんだが、歴史的な順序でいっても電信から電話、そして無線電信、無線電話となったのだ。
「でもさ、研究の過程でいろいろ調べたら、電話の原型は既にできているんだよね」
「まじで?」
「うん、イタリア人のアントニオ・メウォッチって人。1854年にほぼ電話の原型をつくってる。と、いう事はだよ、今オレたちが作っても、まったくオーパーツじゃないわけだ。オレは特許に関心はないけど、普及していないって事は、特許はまだだと思う。まあ、別にオレ(オレたち)が一から作ったんだから問題はないよね」
「そっか……相変わらずお前はすげえな。一之進もお里も、みんなすげえよ……」
「まあオレは、(お前が1番すげえと思うぞ)」
「え? なんて?」
「いや、なんでもない」
令和で再会していたら、こんな言葉は信之介から聞けただろうか。そう思う次郎であった。
■長崎 オランダ領事館
「これはデ・ウィット総領事、長崎に来ていたんですね」
突然の長崎への来訪に驚いた次郎であったが、オランダ総領事J・K・デ・ウィットの目的はある程度予測できた。
「ようこそ、再び長崎へ。デ・ウィット総領事。今回はどのようなご用件で?」
次郎はデ・ウィットの真意を測りかねない風を装いつつ、平静を保って尋ねた。
「ええ、ジロウ殿。まずは先日の生麦事件について、オランダ政府の見解を正式にお伝えするために参りました。我が国は、いかなる暴力行為も容認いたしません。今回の事件は誠に遺憾であり、一日も早い解決を望んでおります」
クルティウスもそうであったが、Mr.オオタワではない。ジロウ殿なのだ。デ・ウィットは公式文書を読み上げるでもなく、口語で同じ意味のことを言った。
そしてこの見解はそのままイギリス公使館へ伝わっているようだ。
「我が国は、日本との友好関係を非常に重視しています。今回の事件が両国の関係に悪影響を及ぼさないことを切に願っております」
デ・ウィットの言葉には、イギリスへの牽制、そして日本との良好な関係を維持したいという思惑が込められていた。 次郎はその言葉の裏にある真意を読み取ろうと努めながら、慎重に言葉を選んで応答する。
「総領事のお言葉、しかと承りました。今回の事件は日本にとっても大変遺憾な出来事であり、早期の解決を望んでおります。貴国が公正な立場からこの問題を見守ってくださることを、期待しております」
次郎はデ・ウィットの発言がイギリスへの明確な非難を含まない、一種の外交辞令であることを理解していた。しかしそれでも、オランダが公の場でこの声明を出したことは、イギリスにとっては少なからずプレッシャーとなるだろう。
■大村藩庁
「殿、此度は重き上書をいたしたく、参上仕りました」
「如何したのだ次郎よ、ついこの間まで横浜で一緒にいたではないか。改まって、ということは相当に重き事のようだな」
例の如く上座に純顕、向かって右手に弟の純熈が座っている。
「は、此度の生麦の一件にございますが、それがしにはイギリスがこのまま条件を呑んで謝罪し、賠償金を支払うとは到底思えませぬ」
「うむ、それはわしもそう思う」
純顕は静かにうなずいた。純熈が2人の顔を見ながら聞く。
「次郎よ、生麦の事は聞いておるが、そのように難し有り様(難しい状況)なのか」
「はい」
次郎はそう言って事件の経緯と証言にもとづいた結論、イギリスの反応を話した。
「何だそれは! ……最も悪しき場合は……戦に、なろうか?」
しばらく沈黙が流れたが、次郎が答えを言った。
「そうなりましょう。残念ながら、今の日本の力では勝てませぬ。それゆえ武器弾薬、特に軍艦を早急に増やさねばなりませぬ」
「如何ほどか」
純顕も純熈も、次郎を凝視する。
「船の数だけで考えれば何とかなるでしょうが、今の最新鋭艦である大成よりも1,000トンは大きい艦を、最低でも2隻、欲を言えば4~5隻欲しいところにございます。しかも完成まで2年はかかります故、いま建造中の知行も進水次第艦隊に組み込み、訓練を、これは陸軍も同じでございますが、行いとうございます」
「 「……」 」
「あい分かった、戦は避けねばならぬが、恐らくイギリスが狙うならば公儀ではなく薩摩かわが家中であろう。……良きに計らえ」
「ははっ」
軍備拡大と『月月火水木金金』が始まった。
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