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第263話 『列強の国際法』

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 文久元年八月十二日(1861/9/16) 横浜 某所

「度重なる警告にも耳を傾けず、自国民が射殺されるような、今回同様の事態になったら、どうなさいますか?」

 次郎のその鋭い質問に各国の代表者たちは言葉を失い、部屋は重い沈黙に包まれる。最初にその静寂を破ったのは、オランダ公使のデ・ウィットだった。

 慎重に言葉を選びながら「そのような状況下では、自衛の権利が認められるでしょう。ただし、武力行使は最後の手段であるべきです」と述べた。

 続いてオールコックが眉をゆがめて、落ち着いた声で意見を述べる。

「英国としても、自国民の生命が危険にさらされる事態は看過できません。しかし、外交手段を尽くした後の対応であるべきです」

 フランス公使のベルクールは椅子に深く腰掛け、熟考した末に口を開いた。

「フランスも同様の立場です。ただし、武力行使の結果として生じる国際関係の悪化も考慮に入れなければなりません」

「アメリカも自国民保護のために必要な措置を取るでしょう。ただし、その後の外交的な影響を最小限に抑える努力も必要です」

 最後に発言したのはアメリカ公使のハリスであったが、日本の行動に4か国の中で1番否定的だったのがアメリカである。




「なるほど、ご意見ありがとうございます。では要点を整理しましょう」

 次郎はそう言って各国の見解をまとめた。もちろん、横で大きな蓄音機が回っている事が全員の緊張感をさらに高めている。

 ・オランダは『そのような条件下』、つまり『自国民の命』には限定していない。主権侵害に対して自衛が認められるが、武力行使は最後の手段。

 ・イギリスは自国民の命の危険は看過できないが、武力行使は最後の手段。

 ・フランスもイギリス同様、武力行使後の外交関係の悪化に言及。

 ・アメリカもイギリスやフランスと同様だが、外交交渉に力を入れるべき。

 要するに、武力行使を否定するものではないが、最後の手段であり、その前後に最善の外交交渉を行うべきという、当たり障りのない発言である。

 しかし次郎はこれで確信を得た。

「では各国とも、今回のロシアの行動は許されざるべき行為であり、我が国の行動は正当化できると考えてよろしいですね?」

 次郎の言葉に各国代表は動きを止めた。誰もが慎重に次の発言内容を選んでいる様子である。

 デ・ウィットが最初に反応した。うなずきながら「原則としてはその通りです。ただし、具体的な状況によって判断が変わる可能性はあります」と慎重に答える。

「デ・ウィット公使、原則とは? そして武力行使が許される具体的な状況とは?」

 次郎は他の公使の発言の前に、オランダ公使の発言の言質を取りたかった。追い詰める訳ではないが、少なくとも味方にしておきたかったのだ。

 デ・ウィットは眉間にしわを寄せ、言葉を慎重に選びながら答えた。

「原則とは、国際法に基づく主権国家の権利のことです。具体的な状況については、例えば領土侵犯や自国民の生命の危機など、明白な脅威がある場合が考えられます」

 次郎はうなずき、さらに踏み込む。

「では、今回のロシアの行動は、その『明白な脅威』に該当すると考えてよろしいでしょうか」

「その解釈は可能でしょう。ただし、各国の立場や状況によって見解が異なる可能性はあります」

 この発言を聞いた他の公使たちは、互いに視線を交わし始めた。オールコックが発言の機会をうかがっている。

 次郎はデ・ウィットの発言を整理しながら、他の公使たちの反応を観察した。蓄音機の音だけが静寂を破っている。

「ありがとうございます、デ・ウィット公使」

 次郎は礼を述べた後、他の公使たちに向き直る。

「他の皆様は、この見解についてどうお考えでしょうか。それからまずは、こちらをご覧ください。もうご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、昨年我が国とロシアとで結んだ。日露領土主権条約です」

 そう言って条約文が書かれた文書を公開し、意見を聞いた。

 しばらくしてオールコックが最初に反応し、文書を手に取って丁寧に読み進める。

「この条約の存在は重要な事実ですね。日本の対応に一定の根拠があったことは認めざるを得ません」

 と述べた後、他の公使たちの反応をうかがうように視線を巡らせた。

 ベルクールは顎に手を当て、条約文を熟読している。

「確かに、この条約に基づけば日本の行動には正当性があります。ただ、国際関係の観点からは慎重な検討が必要でしょう」

 ハリスはしかめっ面で文書に目を通す。

「条約の存在は承知しました。しかし、武力行使に至る前に、より多くの外交的努力を尽くす余地はなかったのでしょうか」

 と、疑問を投げかけた。




「ではデ・ウィット公使にお伺いします。各国の立場や状況によって見解が異なる、とは? 同じ行為、状況でも、立場や状況でコロコロかわると?」

 デ・ウィットは次郎の鋭い質問にたじろぎはしたが、すぐに冷静さを取り戻した。

「コロコロ変わる、というのは正しい表現ではありません。これは国際関係の複雑さを表現したものです。例えば、ある国との同盟関係や経済的利害関係が、判断に影響を与える可能性があります」

 デ・ウィットは一呼吸置いてから続ける。

「しかし、この条約の存在は、そうした個別の事情を超えた明確な基準を提供しています。この点で、日本の対応には強い正当性があると言えるでしょう」

 この発言を聞いた他の公使たちは、互いに視線を交わした。

 オールコックは険しい表情を見せ、ベルクールは静かに同意を示すようにうなずいている。ハリスは腕を抱え込みながら、何か言いたそうな様子をしていた。

 次郎はデ・ウィットの言葉を注意深く聞きながら、他の公使たちの反応を観察した。

「ではオランダとしては、自国の主権はいかなる国であろうと侵してはならない。それを排除するために、最悪の場合は武力行使となるが、その前後に最善の外交交渉が必要である。しかし、各国の同盟関係や利害関係により……つまりは国力の多寡によって変わってくる場合が残念ながらある。それでも今回は条約があるため、それが優先される、と?」

 デ・ウィットは次郎の要約を聞き、軽くうなずいた。机に両手を置いて姿勢を正して答える。

「その通りです。国際関係の現実を踏まえつつ、法的な枠組みを尊重することが重要です。今回の場合、条約の存在が判断の基準となります」

 次郎はデ・ウィットの発言を聞き、満足げな表情を浮かべた。他の公使たちに視線を向けて議論を進めようとすると、オールコックが発言を求めた。

「確かに条約の重要性は理解しました。ただし、武力行使の是非については、より慎重な議論が必要ではないでしょうか」

 ベルクールは顎に手を当てたまま、ゆっくりと口を開く。

「フランスとしても、条約の存在は重要な要素だと考えます。しかし、国際社会全体への……」

「もうけっこうです」

 どうせフランスもアメリカものらりくらりと様子見だろうと思った次郎は、笑顔でそう言って発言を打ち切った。

「私が聞きたいのは、そんな一般論ではありません。皆様の国が同じ状況におかれ、自国民が殺されても、やれ国際世論だ国際法だ、もっと慎重に、武力は最後の手段だ云々うんぬんと、そんな悠長な事をするのか、という事なんです。のらりくらりと当たり障りのないことをいうのは止めていただきたい。要するに自国がされたら許さないが、我が国がされても仕方ないといいたいのですか?」

 次郎の言葉に、部屋の空気が一変した。各国代表は互いに視線を交わし、言葉を失った様子である。オールコックは眉をひそめ、机の上で指を組みながら慎重に発言した。
 
「英国も自国民の生命が脅かされる事態は看過できません。ただし、国際関係への影響を考慮しつつ、適切な対応を……」

「OK! I understand.適切な対応とはなんですか?」

「適切な対応とは、状況の緊急性と重大性に応じて段階的に行動することです。まず外交交渉を試み(やってる!)、それが失敗した場合は警告を発します(さんざんやった!)。さらに状況が悪化すれば、経済制裁や国際社会への訴えかけを行います(は?)。そして最終手段として、必要最小限の武力行使を検討します」

 次郎はオールコックの言葉を遮った。

「そんな事はさんざんやっています。やりましたが話し合いが通じないのです。……つまり、自国民が殺されても、まずは話し合いですか?」

 オールコックは顔をしかめ、取捨選択された言葉で答えた。

「もちろん、自国民の生命が直接の危険にさらされている場合は、即座に保護措置を取ります。ただし、その後の対応については慎重に判断する必要があります」

 ベルクールが割って入った。

「フランスも同様の立場です。自国民保護は最優先事項ですが……」

「I'm sorry.今はオールコック殿と話しているのです。皆様の国では、自国民が殺されても、こんなにゆっくりと対応するのですね。それとも、やはり我が国だから特別なのでしょうか?」

 オールコックは次郎の言葉に顔をしかめ、深呼吸をして緊張した面持ちで答える。

「ご指摘の通り、私の説明に矛盾があったことを認めます。確かに、イギリスも同様の状況下では迅速な行動を取るでしょう。日本の対応を一概に批判することはできません」

 次郎はオールコックの言葉を吟味した。

「では、イギリスが同じ立場だったら、どのように対応したでしょうか? 具体的に教えてください」

「軍艦を派遣し、領海からの即時退去を要求します。応じない場合は警告射撃を行い、最終的には武力行使も辞さない姿勢を示すでしょう」

 次郎は冷静な目でオールコックを見据えた。

「それは我が国が行ったことと同じではありませんか? しかもそれは、自国民が殺されるという最悪の状況が生まれる前の事ですよね? なぜ我が国の対応を批判するのですか?」

 部屋の空気が張り詰め、他の公使たちは身動きせずにいた。デ・ウィットは額に手を当て、ベルクールは床に目を落とした。ハリスは背筋を伸ばし、無言で状況を見守っている。

 オールコックは言葉に詰まり、ネクタイを緩めた。困惑は明らかだった。

「皆様の国では、自国民が殺されても外交努力を優先し、武力行使は最後の手段だと言います。しかし、実際にそのような状況に直面したら、即座に武力で対応するのではありませんか?」

 次郎はさらに追及した。

「国交とはすなわち、信頼をもって結ぶべきものかと考えます。正直、今の皆様方の発言を聞いて、我が国にとって本当に通商が必要なのか疑問に思います。思い起こせば八年前、ペリー提督が無理矢理開国をせまり、そのままなし崩し的に五か国と通商条約を結びましたが、これは……破棄も視野に入れなければなりませんね。西洋の文物はオランダからのもので十分事足ります」

 次郎の言葉に周囲は凍りついたかのように静まり返った。

 オールコックの顔から血の気が引き、ベルクールは椅子から滑り落ちそうになった。ハリスは前のめりになって発言しようとしたが、言葉が出てこない様子だ。

 デ・ウィットだけは冷静さを保ち、ゆっくりと口を開いた。

「次郎殿、落ち着いてください。事を急いてはなりません」

 オールコックとベルクール、ハリスはデ・ウィットの顔をみて、そうだそうだと言わんばかりの態度である。

「デ・ウィット殿、私は落ち着いています。英国は世界に冠たる大英帝国。今さら我が国と結ばなくても、世界の覇権は握っているでしょう? も恐れる事ではありません。フランスも同様です。我が国と交易して、 生糸や茶もオランダ経由で買えば良いのです。アメリカは……そうですね、清国との航路上で補給地点になればそれでいいのでは?」




 それに、と次郎は続けた。

「貴国は今それどころではないのでは? 我が国でがあればいいのですがね」

 アメリカは南北戦争の真っ最中である。




 蓄音機がクルクルと回って音をたてている。




 次回 第264話 (仮)『列強第一位のイギリスと第二位のフランス、そして未来の世界覇権国アメリカ』
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