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第235話 『薩摩、佐賀、長州』

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 安政六年七月五日(1859/8/3) 

 ここで1度、現時点における思想的な事を整理しなければならないので述べておく。

 1. 尊王論:天皇を国家の中心と位置づけ、その権威を重んじる思想……次郎たち。ほとんどの勢力。

 2. 攘夷じょうい論:外国の影響を排除し、日本の独立を守ろうとする考え方……水戸藩の他の一部勢力。(広義では国力を高めてからの大攘夷も含まれるが、それを加えたら朝廷やその他の他の勢力も該当する)
 
 3. 佐幕論:徳川幕府の統治を支持し、その体制下で国難を乗り越えようとする立場……井伊直弼らが近いが、そもそも倒幕という思想が表面化・大勢力化していない。⇔倒幕論。……広義で言えば次郎や雄藩も含まれる(倒幕という概念がないため)

 4. 開国論:鎖国政策を終わらせ、諸外国との交流を通じて国力を高めようとする考え……水戸藩他一部勢力を除くほとんど。

 5. 尊王攘夷論:天皇の権威を尊重しつつ、外国勢力を排除しようとする複合的な思想……後の水戸藩他の一部勢力。

 6. 公武合体論:朝廷と幕府の協力によって国家の危機に対応しようとする考え方……現状はない。後の幕府(井伊直弼)。

 7. 公議政体論:幅広い意見を取り入れた合議制による政治体制を目指す思想……島津斉彬をはじめとした雄藩+次郎。

 8. 倒幕論:徳川幕府を打倒し、新たな政治体制を確立しようとする主張……現状はない⇔佐幕


 ■鹿児島城 

「四郎よ、只今ただいまの我が家中の事様ことざま如何いかがじゃ?」

「はっ。造船、造砲、ガラス製造、紡績、写真、電信といった諸事業、広範に渡り進めておりまするが、概ね子細なしと相成っております。然りながら……」

「大村家中には、届かぬ、か」

「は。然れど皆日々邁進まいしんしておりますれば、必ずや」

「うむ、その意気やよし。佐賀の肥前守殿とも便りを通わし、さらに大村に人を遣わし学ばせよ。よいな?」

「はは」

 鹿児島城の一室。畳の香りが漂う静かな和室で、島津斉彬は市来四郎と向き合っていた。障子越しに差し込む夏の陽光が、二人の間を柔らかく照らす。

「陸軍、海軍は如何か?」

 四郎は一瞬考えるような表情を浮かべ、丁重に答えた。

「は。陸軍におきましては、大村家中より伝授されましたミニエー銃の製造がつつがなく進んでおります。また、砲兵隊の調練も日々熱心に行われております。いつでも、上洛能いまする」

「うむ、よきかな。海軍の方はどうじゃ?」

 斉彬は満足げにうなずいた。

「海軍に関しましては」

 四郎は慎重に言葉を選びながら続けた。

「雲行丸の蒸気機関を改良し、規定出力まで出せるようになりましてございます。これをもとに、さらに大型の船の建造を試みておりますが、こちらは今しばらく時をいただきとうございます」

 現時点での薩摩海軍は帆船の昇平丸と汽帆船の雲行丸のみであった。

「うむ。進んでいるようで何よりじゃ。ちなみに……同じような大きさの船を買うとなれば、如何いかほどかかるのか?」

「然れば長崎の商人に聞きましたところ、相場は千石あまりの船(川棚型の2倍強)で、二万二千両ほどかと」

「二万二千両か……時はかかっても造る方が安いが、船を買って学ぶ方が、長い目で見ると早いのかもしれぬな……」

 四郎はそれには答えない。

「あいわかった。では京にいる西郷に遣いをやり、江戸へ赴き公儀の動きを逐一報せよと伝えよ」

「はは」




 ■佐賀城

「兄上、只今の精煉方せいれんかたの具合は如何であろうか」

 佐賀藩主鍋島直正は、兄であり須古鍋島家13代当主である、佐賀藩執政の鍋島直茂に尋ねた。

「然れば、精煉方の製鉄、製砲、翻訳、化学、蒸気機関、電信等、着々と進んでおりまする。特に製鉄に関しては大村家中の供する技を持って高炉と反射炉を併せて使う事で、質の良い鉄を生み出しております」

「うむ。良きかな良きかな」

「然れど」

「なんじゃ?」

 機嫌が良かった直正の顔が曇る。

「大村家中においては……これは、いまだ噂の域を出ぬ話なのですが、どうやら彼の家中においては、鉄砲の弾と火薬を一つにした、しかも、銃の先からではなく、手元から弾を込める銃を使っているようなのです。このため、これまでよりも三倍の速さで撃てるそうにございます」

「なんじゃと?」

 直正は崩れ落ちた。しかし、すぐに立ち直り、深呼吸して茂真に伝える。

「それは仕方ない。彼の家中はもはや格下でもなんでもなく、日本一の先進の家中であることは疑いがない。追いつき追い越せの気概をもって進もうではないか」

 開き直ってわはははは! と大笑いする直正である。

 現在の軍艦数は電流丸、晨風丸しんぷうまるの2隻。

 


 ■長州

 長州藩では椋梨藤太や中川宇右衛門らの保守佐幕派と、周布政之助や桂小五郎などの改革派の主導権争いが続いていた。
 
 毛利敬親は静かに目を細め、遠くを見るような眼差しで言う。

「近ごろの世の中を如何みておる? 御公儀は開国の条約を五箇国と結び、港や市を開く支度をしておるが」

 藤太は口元を引き締め、慎重に言葉を選びながら答える。

「殿、確かに開国の流れは避けられぬものでございますが、御公儀の定めし事を尊び、家中の秩序を守ることが肝要かと存じます。急なる変化は家中の動きなし事様を、脅かす恐れがございます」

 敬親は藤太の言葉を理解するために黙って考え、やがて周布政之助に視線を向けた。

「政之助、若い衆の間では如何なる議論がなされておる?」

 周布政之助は姿勢を正し、恭しく頭を下げながら控えめに答える。

「はっ。若い衆の間では、西洋の知識を学びつつ、国の独立を守る方策について議論が交わされております。海防の強化と産業の発展についても関心が寄せられているようでございます」 

「政之助、西洋の知識を学ぶことは結構だが、我が国の伝統や御公儀と各家中との秩序の仕組みの重きを忘れてはならぬ。若い衆の過激な考えに惑わされてはいかんぞ」

 藤太は眉間にしわを寄せ、やや厳しい口調で言葉を政之助に返したが、政之助は藤太の言葉に一旦目を伏せ、慎重に言葉を選びながら答える。

「心得ております。椋梨様のお言葉、肝に銘じておりますところではございますが、佐賀や大村へ赴き学んできた者達の力で、家中の高炉や反射炉ができたのもまた事実にございます。然りとて若い者たちにも、伝統の重みをしっかりと伝えて参ります」

 藩主の敬親は両者の意見を聞き、深くため息をつく。

 その表情には、藩の将来を案じる複雑な思いが浮かんでいた。

「二人の考えはよく分かった。家中の安定と発展、そして時代の変化への対応、この両立を図らねばならん。さて、我が家中の軍備の状況はどうなっておる?」

 中川宇右衛門が一歩前に進み、恭しく答える。

「殿、現在の我が家中の軍艦は丙辰へいしん丸と庚申こうしん丸(史実より1年早い)の二隻のみ、しかも帆船でございます。然れど順に蒸気缶の製法を習得し、造り能うよう精進しております」

「うむ。他の家中に後れを取るわけにはいかん。軍備の強化は急務じゃ。然れど勝手向き(財政)も考えねばならん。政之助、藤太、宇右衛門、お主らの知恵を借りて釣り合いのとれた政を進めていこうではないか」

「 「 「はっ!」 」 」




「周布様、いかがでございましたか?」

「うむ。我が殿は英明ではあるが、調和を重んずるばかり、自らのお考えをお持ちではない。これでは、改革などむずかしかろう」

「……では、如何なさいますか?」

「! ……早まるでないぞ。我らはまだ少数。下手に動けば潰される。ここはじっくりと機が熟すのを待つほかあるまい」

「はは」




 ■京都 鷹司邸

「太閤様、麻呂はかねてより、考えていた事がありましゃる」

 岩倉具視が鷹司政通に問いかける。

「ほほほ、珍しいのう。岩倉からは様々なる改革案を聞かされておるが、然様に改まって、如何なる事にありましゃるか」

「はい、大村丹後守殿ならびに太田和次郎左衛門の事にありましゃる」

「ふむ」

「次郎殿は二十年前より、都の窮している公家に対する支援に朝廷への献金、幸経様の治療や病院の設立と民の安寧。外国との交渉により日本が不利にならぬようにとの獅子奮迅ししふんじんの働き。これは正に叙任に値する働きかと思いましゃる」

「うむ。それは麻呂も同感でありましゃる」

 岩倉の提案に政通も乗り気である。幕府がふがいなく、これまでの朝廷を軽視した振る舞いにたいして、次郎や大村藩がしてきた事は、まさに尊王の志そのものであった。

「ではつぶさには、如何なる官位と官職が適しているであろうか」

「然れば次郎殿には従五位下にて昇殿を許し、丹後守殿には従四位下にて適当な官職を与えるがよろしいかと」

「ふむ、然れど公儀が何か言ってくるのではあるまいか」

「武家の官位の事で公儀が云々うんぬん言うならば、公家の官位として賜るよう上奏していただければ、子細無きことでありましゃる」

「なるほど、それもそうよの。それにここまでの働きをした者に、公儀としては何もしておらぬゆえ、勅によって賜る事を通知すればよいであろうの」

「然様にありましゃる」




 次回 第236話 (仮)『越前、土佐、宇和島、幕府、そして次郎』 
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