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第163話 『次郎vs.ペリー 日本の事情とアメリカの事情』

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 嘉永六年五月二十日(1853年6月26日) 浦賀沖 サスケハナ号艦上

「これは心強い。よろしくお願いいたす」

 栄左衛門はそう言って、純顕と次郎の一行とともに改めてペリーに向き直る。日本側は純顕、次郎、香山栄左衛門の三名で、アメリカ側はペリー・コンティ・ブキャナンの三名である。

「ペリー提督。こちらは大村藩主、大村丹後守様、そしてこちらが家老の太田和次郎左衛門殿でございます。それがしと合わせ、この三名で交渉にあたらせて頂きたく存じます」

 栄左衛門の言葉を堀達之助がオランダ語で話すが、次郎はすぐに達之助と栄左衛門に言う。

「申し訳ない。それがし和蘭語は不得手にて、英語で直接話したいと存ずるが、よろしいでしょうか」

 次郎が純顕の顔をみると純顕は軽くうなずき、そして栄左衛門も同意した。

「Nice to meet you. I am Jirozaemon Otawa, the chief retainer of the Omura clan. I understand that you would like to submit a personal letter, but did you hear our salute earlier?(初めまして。私は大村藩筆頭家老、太田和次郎左衛門です。親書の提出をご希望との事ですが、先ほどの我らの礼砲を聞きましたか?)」

 次郎はゆっくり、はっきりと話した。
  
 傍らで達之助がわかる範囲で栄左衛門に通訳する。ペリーは次郎の英語に驚いたが、コンティとブキャナンの顔を見て、すぐにその表情を引き締めて冷静な声で対応した。

「確かに聞こえました。予想外ではありましたが、確認しました。空砲を一定間隔で発射する、礼砲と認識しています」

 ペリーのその応答を聞き、次郎は自分の質問と答えを純顕に伝える。純顕はうなずいて次郎に先に進めるよう促した。

「なるほど。ではお聞きしたい。礼砲と認識していながらも、今なお貴国の艦艇は何をなさっておいでか? 許しも無く他国の沿岸を測量するなど、それは万国公法で許されているのですかな?」

 ペリーは少し間を置いて答える。通訳を介しての会話なら相手に伝える文言を選べるが、次郎が直接英語で話してきたのだ。通訳しない内輪の話までも聞こえてしまう。

 下手な小細工は通用しないのだ。

「我々の行動は、艦隊の安全を確保する必要性に基づいている。貴国の主権を軽視する意図はないが、この水域の測量は安全な航行のために必要である」

「だとしても、許可も無く測量するのは言語道断である。われらがノーフォークの沿岸を無断で測量しても、同じ理由で許されるのかな? いかがか?」

 ペリーは次郎の指摘に対して、冷静さを失わずにその正論に対応する必要があった。慎重に言葉を選び、答える。

「ご指摘はごもっとも。測量活動は直ちに中止し、貴国の主権を尊重する方法で進めよう」

 次郎はその答えを聞いて一瞬考え込み、その後、毅然きぜんとした態度で一言返答した。

「That's all right.(それでよし)」




「測量を止めさせました。ではあなたの国の湊で同じ事をされても、同じ様にあなたの理屈が通るのか? と質しましたら、非を認めまして御座います」

「おお! さすがで御座る。太田和殿は如何いかにして斯様かような交渉の術を学んだので御座いますか」

「ははははは。お世辞にしても嬉しゅう御座る。なにせ長崎では和蘭人相手の丁々発止も珍しくはない故」

 純顕は苦笑いをし、日本側にも笑顔がもれた。

 対してアメリカ側は苦虫をつぶしたような感じである。すべて思い通りにいっており、あと少しというところで邪魔が入ったのだ。そのせいで大恥をかいてしまった。




「提督! これで良かったのですか? これでは奴らの言いなりではありませんか」

 副官コンティがペリーに詰め寄るが、ペリーは冷静に答える。

「待ちたまえ大尉、状況は常に変わっておるのだ。私とて無念である。初めのカヤマ、と言ったか……彼のみであれば何の問題もなかった。しかしあのジロウという男、一体何なのだ。英語をしゃべり万国公法を持ち出し、あまつさえノーフォークを引き合いにだして言質をとるとは……」

 当時の万国公法というのは現在の国際法の前身というべきものだが、正確に言うと、その本質は大いに乖離かいりしていた。

 万国公法はアジアにおける中国皇帝を頂点とした華夷かい秩序のように、国家間の序列はない。

 主権国家はその国力や領土の大小に関係なく平等であるが、それはあくまでキリスト教国を中心とした欧米においてである。キリスト教国を文明国とし、イスラムや中国・日本などは半文明国に区分されていた。

 さらにアフリカは未開で野蛮な土地であり、無主の土地とされて先占せんせんの原則が適用されたのだ。

 半文明国に認定されてしまうと、主権は認められるものの著しく制限され、不平等な条約を結ばれて搾取されるという現実があった。しかし次郎は機先を制して、その芽をんだ事になる。

 見た目は違っても蒸気船を操り、英語を話して万国公法に則って交渉を行う。少なくとも安易に半文明国と判断されないように振る舞ったのだ。




 測量の中止とペースを狂わされたペリー一行はざわついていたが、やがて冷静さを取り戻し、交渉を再開しようとした。

「さて、我らは測量を止めた。約束通り三日待つので、しかるべき役職の者に親書を渡すべく、上陸の段取りを進めていただきたい」 

 すでにここまでの交渉は終わっている。
  
 途中面倒臭いヤツが現れたが、粛々と進めて親書を渡して目的を達成したい、というのが本音だ。調子が狂ってしまったが、誤解も解けたようだ。

 ……と、ペリーは思っていた。




「香山殿、三日と言っていますが、三日で宜しいのですか? 約束したと申していますが」

 次郎は確認のために栄左衛門に聞くと、そうではないと言う。

「とんでもない。国家の一大事ゆえ十分に吟味をしなければならないと伝え、はじめは最低七日要ると伝えたのです。公儀へも子細を知らせねばならぬ故、そう簡単な事ではないと」

「うべな(なるほど)。して、向こうはなんと?」

「そんなには待てぬ、と。それ故こちらも譲って四日と申したところ、それでも受け入れられずに三日と、認めさせられたのです」

「委細承知いたしました」

 次郎は事の経緯を純顕に伝え、こちらの最初の条件を飲ませるように交渉をする、と純顕に進言した後、再び交渉の席についたのである。

「お待たせしました。それでは交渉を再開しましょう」

 次郎は平然とペリーに向かっていった。

「交渉、ですと? 交渉はすでに終わっているではないか。三日待つので親書を渡せるように段取りをくんでいただきたい」

 ペリーは測量の非礼をびたにもかかわらず、既に決まったはずなのに、一体何を交渉するというのか? そう思ったのだ。

「なぜ三日なのですか? こちらにはこちらの事情があるのです。事前の通達もなしに突然現れて、待つのが嫌だから早くしろとは、まるで子供の言い分ではありませんか」

 次郎は理路整然と話しているが、ペリーをはじめコンティもブキャナンも、ポカンとしている。

「提督、あなた方はアポもなしにやってきた見ず知らずの人間に、待たせると悪いからといって急いで会おうとしますか? 準備が出来るまで待たせるでしょう? あなた方は今、それをやっているのですよ」

 さらに次郎は続ける。
  
「長崎に行くのは嫌だ、待つのは嫌だとは、あまりにわがままでしょう。それでも我らは急いで準備をしようと言うのです。なるべく急ぎはいたします。七日待っていただきたい」

 武をもって脅せば、態度が軟化するだろうと考えていたペリー一行であったが、次郎が言うことはいちいちもっともであり、反論の余地がないものであった。

「……分かった。待ちましょう。しかしそれ以上は待てぬ。速やかに相応の者との会談と、上陸の段取りをお願いする」

 ここで突っぱねても良かったのだろうが、万が一戦闘にでもなれば親書どころの話しではなくなってしまう。圧倒的に武力では勝っていたが、何が起こるか分からない。

 予想外の損失を被るかもしれないのだ。

「ありがとうございます。つかぬ事を伺いますが、『相応の身分の役人でなければ、江戸湾を北上して、兵を率いて上陸し、将軍に直接手渡しすることになる』と仰ったのは本当ですか?」

「Oh!  ……Just kidding.冗談だ。本気でそんな事をするはずがない」

「それを聞いて安心しました。しかし冗談で済む事と済まない事があるので、もし本気なら、お好きになされよ。……海の藻屑もくずとなっても責任は持てません。よもや琉球での一件を忘れた訳ではないでしょう?」

「「「!」」」




「さあ! 交渉は終わりました。みんなで記念写真といきましょう! ささ、殿。シェイクハンドをしてくだされ。こうやって互いに手を握るのが友好の証なのです」

 次郎はそう言って随行させていた写真係に準備をさせ、通訳も含めた8人で記念撮影をしたのであった。ペリー一行が渋い顔になったのは言うまでもない。




「蒸気軍艦に、写真だと……? なんだこの国は。情報と全く違うではないか。それのあの時の琉球での戦闘。まさか……あの者が指示したのか?」



 
 次回 第164話 (仮)『親書の受領とスクリューの改善。至善丸への艤装ぎそう
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