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第145話 『その頃の幕府と各藩』(1852/1/31)

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 嘉永五年一月十一日(1852/1/31) 江戸城

 この頃の幕府と言えば江戸湾の台場構築と、大村藩へ盛んに幕臣を派遣して、技術の吸収に邁進まいしんしているところであった。しかし肝心の財政再建は遅々として進まず、第七台場まで造成予定の台場は、第三台場までしか出来ていない。

 台場築造工事は、入札によって請負人が決められた。
  
 第一~第三・第六・第八台場を大工棟梁平内大隅へいのうちおおすみが、第四・第五・第七・第九台場を勘定所御用達・岡田治助が、それぞれ落札している。

 これは必要性を考えて第九台場まで予算を組んだわけであるが、その予算は100万両を超えていた。落札はしたものの、80万両の予算でも厳しいのだ。絵に描いた餅になるのは予想できた。

「只今、第三台場まで完成し、順次第四、第五と着手しております」 

もありなん。金の調達にときがかかったゆえな。その他はつつがないか?」

「は」

 普請奉行からの報告に眉をひそめる正弘であるが、あい分かったと答えて下がらせた。




「方々、ようやく台場は完成の目処がたちましたが、和蘭オランダに対する蒸気缶の注文や造船所造成、その他の職人の招聘しょうへいはいかがいたそうか」

「伊勢守様……それは、まだ先でようございましょう。確かに要るものかと存じますが、金がありませぬ。大村に送った伝習生の報せを受けてからでもよろしいかと存じます」

 阿部正弘の発言に対して口々に反論がでる。仕方のないことだが、気持ちばかりが先行して実現しない。毎度毎度滅入る正弘であった。




 拝啓

 時下益々ご健勝の事とお慶び申し上げ候。

 件の大村家中の勝手向きについてお知らせ致したく候。

 かの家中にいてもっとも銭を生むは商いに候。

 家中をあげて殖産を行い、その品を売りて利を得りけり候。

 そのなか(中心)は御家老太田和次郎左衛門様の差配に拠るところ大にて候。

 その品とは石けん、鯨、茶を始め多種多様に候間、総じて大き(大きい)家中の如くと存じ候。

 恐惶きょうこう謹言。

 十二月廿にじゅう四日

 永井尚志なおゆき

 伊勢守様




 ■鹿児島城

「家中の者を多く大村へやったが、蒸気船のその後はいかがじゃ?」

 島津斉彬は、大村藩への藩士遊学とは別に、以前より江戸と鹿児島で造らせていた蒸気機関の進捗を聞いたのだ。

「は、未だ試行錯誤の中空(途中)にて、彼らのもたらす報せをもとに何度も作り直しております」

「それで良い。一度の失敗で諦めるのではなく、繰り返すのだ」

 斉彬の声には決意がこもっていた。彼は技術の発展が日本の未来を切り開くと確信している。藩士たちが困難に立ち向かう姿を見て、彼自身もまた奮起せずにはいられなかった。

「ところで殿、殿が注文されておりました技術書が、このごろ長崎に寄港した和蘭船から届いております」

 側近の一人がそう言いながら一冊の技術書を差し出した。斉彬はそれを受け取り、表紙を見て眉をひそめた。




『H.Huijgens “Handleiding tot de Kennis van het Scheeps-Stoomwerktuig” Amsterdam, 1847. 』




「ははは、何と書いておるのか分からんの」

「以前箕作みつくり殿に頼んで訳したものより、新しい技が載っているようにございます」

「うべな(なるほど)。されど、通詞は鹿児島にはおらん。翻訳させるよりも、大村家中に詳しく聞いた方が早かろう」

「かしこまりました。早速、大村に使者を送り、子細を確かめさせまする」

「うむ。そうせよ」




 ■佐賀城

「兄上、反射炉の事の様は如何いかがにござろう」

 佐賀藩主鍋島直正は広々とした書院の中で、兄であり執政の鍋島茂真しげまさに問いかけた。

「は、ようやく全ての鉄が溶けるようになり、鋳造もできましてございます」

 茂真は姿勢を正し、緊張した面持ちで答えた。

「おお! それではようやく、長崎の台場の砲台に備えられるのですな?」

 直正の顔が明るくなり、期待の色が浮かんだ。彼の視線は遠く、未来の防衛力を思い描いている。

「恐れながら砲はできたものの、試射にて爆ぜ、けが人も出る始末。只今何ゆえ爆ぜたかを調べておりますが、どうやら鉄の中の炭素なるものも仕業にて、それを整えるための術を試みているようにございます」

 茂真は重い口調で続け、問題の深刻さを訴えた。幾分か疲れているように見えたが、覇気は衰えていない。

「なるほど、炭……素とな。それが障りとなっておると?」

様にございます。職人どもがその量を整え、如何いかにして鉄の強さを上げ、保つのかを探しているところにございます」

 茂真の声は落ち着いており、確信に満ちていた。

「幾度か試みているうちに有り様も良くなってまいりました。加えて、どうやら元の鉄の質にても良し悪しが変わるようで、しばし刻をかければ出来上がるかと存じます」

「うむ。頼みましたよ」




 ■長州藩 萩城下

「聞いたか?」

 高杉晋作が久坂玄瑞に問いかけた。

「何をだね?」

 玄瑞は本を読みながら、顔も向けずに答える。二人の近くには吉田稔麿(栄太郎)、伊藤利助(俊輔・博文)もいた。

「栄太郎(吉田稔麿)に聞いたんだが、寅次郎(吉田松陰)さんから手紙が来たらしい。なあ、そうだろう栄太郎」

 晋作が吉田稔麿に確認すると、稔麿はうなずいて話し始めた。

「はい、その通りです。寅次郎さんが大村家中で遊学しているんですが、蒸気船を何隻も持っていて、また新しく造ったそうです」

「蒸気船? 大村家中は随分とらん学が盛んで、それを学ぶために寅次郎さんは行っているんだろう? そんなに何隻も持っているのか?」

 玄瑞は驚きの色を浮かべ、晋作に向き直った。

「そうらしい。しかも、蒸気船は障りも(問題も)なく用いているそうな」

「然様か。そこまで進んでおるなら、私も是非学んでみたいものだ」

「どうだろう? 殿に頼んではみないか?」

「何をだ?」

「遊学をだ。寅次郎さんばかりいい目を見て、われらも大いに学び、大いに家中の役に立とうではないか」

 晋作の提案に、玄瑞は一瞬考え込み、やがて慎重な口調で答えた。

「ううむ、良い考えだとは思うが、そう簡単に許していただけるだろうか?」

「それはわからんが、試してみる価値はある。殿が許してくださるかどうかは、やってみなければわからんさ」

 晋作は力強く言った。その言葉に背中を押されるように、玄瑞も決意を固めた。

「よし、試してみよう。まずは周布様へ願いでてみよう」



 
 その夜、まだ良いも悪いも決まらないうちに四人は計画を練り上げ、遊学のための準備を始めたのだった。




 次回 第146話 (仮)『箱館・横浜・新潟・神戸・長崎』
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