120 / 315
第118話 『そのころの幕府と薩長土肥と他の藩、次郎左衛門の川越来訪』(1849/11/11)
しおりを挟む
嘉永二年九月二十七日(1849/11/11) 江戸城 <阿部正弘>
さてさて、いかがしたものか。かくも多くの障り(問題)があれば、なにを初めにやれば良いのかすら、わからぬようになってくるぞ。三月には長崎にメリケン船が来おったし、四月にはエゲレス船じゃ。
これは打払い令を再びやらねばならぬのか、と問えば反対の上書が溢れかえりおった。誠に能うかと問われれば、能わぬとなるであろう。
されどこうも頻繁にこられては、如何ともし難い。
「これ、江川と下曽根に命じておった件はいかがあいなった?」
「は、まずは江戸表の備としては品川沖に台場を備えるが肝要と、つぶさに調べ、その見積もりが出ましてございます」
「おおそうか! して、いかほどか?」
具体的な金額がわからねば話にならぬゆえな。
「は、まず上書された物すべてを挙げますれば、品川沖に第一、二、三、五、六の台場を設け、砲を備え、大船を停泊させまする。その入目は、まず台場の入目として金七十六万三千八百七十一両、大筒並びに砲弾に加えて台座に五万八千九百六十三両、大船その他御船製造に六万三千六百五十七両、しめて八十八万六千四百九十一両となりまする」
な、な、なんだと……。
か、勘定奉行……これは能うのか? 先の上様の御代の豪奢な暮らしぶりに、天保七年の飢饉。弘化元年の江戸城本丸の炎上の都度都度、大名に献金を命じては幕臣にも高割上納金を課したのだ。
この上でさらなる献金など、無理ではないか。
「恐れながら御老中様、この上は……銀貨の改鋳より他ないかと存じます」
「改鋳とな?」
「は、これまで諸大名に献金をお命じになっておりましたが、此度も、と言うわけにもまいりませぬ。加えて公儀の蔵入地へ献金を命じれば、なんとか捻出能うかと存じます」
「さようか……う、うむ。その儀については皆と協議するゆえ、江川・下曽根両名には沙汰を待てと伝えておくのだ」
「はは」
……これは、なんと。何をするにも銭がかかるが、そうだ佐賀の……いやいや、先だって長崎の備えを断ったばかりじゃ。それに西国の諸大名にこれ以上の負担はかけられぬ。
ん? 西国……。……そうだ、丹後守殿とは見知らぬが、長崎奉行を通じて内々に聞いてみようかの……。井戸対馬守の手腕ならば丹後守殿の胸襟を開けるやもしれぬ。
■長州藩
「殿、家督を継がれてより早十年。ご慧眼によりこの毛利の家中の勝手向きも、随分と良くなり申した」
「うむ。清風。すべてそちのおかげぞ」
天保八年に毛利家の家督を継いだ毛利敬親に対し、敬親まで5代の藩主に仕え、敬親の代に藩政改革をリードした村田清風である。
「何を仰せになりますか。殿の御下知なくば改革など能いませぬ。されど未だ改革は道半ばにございます」
「うむ。今後はいかなる事を為さねばならぬ?」
「第一に教育にございます。此度の藩校改革においては、武士に限らず町民や農民にまで門戸を開きました故、この先我が家中を担う人材が多く育つ事にございましょう。加えて殿、寅次郎の遊学の件にございますが」
「いかがした」
吉田寅次郎(後の吉田松陰)は九年前の天保十一年(1840)に藩主である敬親の前で御前講義を行い、敬親のお眼鏡に適っていたのだ。
「平戸藩への遊学にて葉山左内に学ばせるとの事でございましたが、この際異国の事情を明らかにするためにも、長崎を含め西国諸藩を巡らせるのはいかがにございましょうか」
「……では、そうせい」
「はは」
■佐賀藩
「して、筑前公はなんと仰せだったのじゃ」
直正は長崎防衛の見解の相違で、使者を遣わしては筑前福岡藩主の黒田長溥と協議を重ねていた。
「は、筑前様は、元々伊王島に堡塁を築くは本意にあらず、然れども御公儀の差配するところにより、長者岩と高峰の模様替えを行うのが穏当だと仰せにございました」
ふう、と直正はため息交じりに憮然とした表情で聞いている。
「このわしが好きでやっていると思うのか。我らは長崎の警固を仰せつかり、先のフェートン号の砌は世に恥をさらした。それ故にではないが、このように異国船が跋扈し、いついかなる時に攻めてくるやも知れぬかような時に、悠長な事は言っておられぬではないか」
「左様にございます」
「よし!」
直正は意を決した。
「この上はこのわし自ら阿部殿と談判し、促さねばならぬ。第一に大砲の鋳造と、第二に銃火器の練兵ぞ」
大砲の鋳造、性能の改善、銃火器を使う兵の練兵等々である。
「兄上、反射炉はいかがですか?」
兄であり佐賀藩家老の鍋島茂真に聞く。
「いま試行錯誤してやっておりますが、なかなか上手いこといきませぬ。鉄が全て溶けぬのです。色々と試しておりますれば、今しばらくの猶予を願いたい」
「もとよりすぐに出来るとは思うてはおりませぬ。されど」
「されど?」
「心にかかる(気になる)は、大村の家中よ」
「密偵でも放ちますか? それとも使者を遣って誼を通わしまするか?」
茂真は具体的な策を考えようとしている。
「いや、かえって目立つでしょう。別段不仲な訳でもないが、わが家中が頭を下げる事は……最果ての(最終的な)手立てでありたいのです。聞役(長崎聞役)を通じてそれなりの知らせは互いにあるであろうから、それとなく密に聞き、知らせるようにすればよいでしょう」
「承知しました」
直正にしてみれば、大村藩の情報は喉から手が出るほど欲しかった。しかし、反射炉の製造にしても2~3年の遅れであり、十分に西洋化の面では挽回できると考えたのだ。
もちろん、西国35万石の藩としてのメンツがなかった訳ではない。しかしこの場合は、間に合うだろうとの考えが強かったのだ。
■薩摩藩江戸藩邸
「なに? 周防(島津久光)が上座だと?」
昨年の琉球密輸事件にからむ調所広郷の自害によって、藩主島津斉興と斉彬の間柄は険悪の一途を辿っていた。
斉彬が数え四十を超えても家督を譲られなかったのは、蘭癖大名とされた島津重豪に似た斉彬による藩財政の悪化を、調所や斉興が懸念していたからだ。
それが、調所の死によって加速した。
斉興は斉彬の異母弟である久光を後継者と考えていたのだ。そのため藩政に携わらせるべく、城代家老の島津豊後の上座に据えたのであった。
「殿、これはもはや、疑いようもございませぬ。昨年の寛之助様、せんだってお亡くなりになった篤之助様の死は、呪詛に間違いございませぬぞ」
まだ家督を継いでいないので正式には殿ではないが、若殿と言うには歳をとりすぎており、斉彬派にとっては『殿』であった。
「……」
「混迷を極めるこの時勢に、大殿様は無論の事、周防様では島津の家中はこのさき、立ちゆきませぬ」
「めったな事を言うでない。自重せよ。よいか、自重するのだぞ」
「は……」
斉彬は島津の家中はもとより、混迷する日本の海外情勢と、薩摩藩が抱える琉球や外国船の来航など、やらなければならない事があっても、何もできないふがいなさに悶々としていた。
「聞役からの知らせはまだか? 和蘭との貿易は黒田・鍋島・大村の三家中に限られたとは言え、奉行所と会所を通じての商いはこれまで通りであろう? その件も踏まえて探りを入れておったが、まだ大村家の事はつぶさにはわからぬか」
「申し訳ございませぬ。未だ……」
「わかった。よいか、くれぐれも軽挙妄動は慎むのだぞ」
「は……」
■土佐藩
「殿、またお酒を召し上がっておられるのですか?」
「ふふふ……藩主とは名ばかりよのう。なりとうてなった訳でもないが、いざなってみても、何もできぬではないか。馬鹿馬鹿しい。くだらぬな。自らがやりたいのであれば、隠居などせねばよいものを。くだらぬ、くだらぬぞ」
「……」
■水戸藩
「なに? また諸生党と天狗党が争っていると? 益体もない。今に始まった事ではなかろう」
斉昭は武田耕雲斎にうんざりしたように言う。
「大殿様、そうは仰せでも、この幕府寄りの諸生党と天狗党の諍いは今に始まった事ではございませぬ。お若い殿では収拾がつかぬかと存じます。なにとぞ御出座を願います」
この年藩政に復帰した斉昭であったが、藩論を二分する党派の争いには辟易していたのだ。幕政への意欲もあり、海防と攘夷を建白してはいたものの、斉昭もまた、もどかしい想いにかられていた。
「あいわかった」
■宇和島藩
「功山はいかがしておるだろうの」
「は、されば文を寄越しておりますぞ」
「おお、見せよ」
伊予宇和島藩主伊達宗城は、前原功山からの手紙を、時には笑い、時には疑問に顔をしかめながら読んでいく。
「息災に、つつがなくやっておりますか?」
「うむ。多くを学び、持ち帰ってもらいたいものだ」
史実では村田蔵六とともに蒸気船を完成させる功山であったが、今世ではどうなるのだろうか……。
■次郎左衛門
今ごろ隼人は加賀かな? 俺も出先だから状況がわからんけど、今はお茶の増産が大事なんだよね……あ! あああ! 思い出した! 製茶機発明した人いたやん!
……高林謙三さん。確か……川越藩! いや、ついでじゃないよ! 川越藩にいこう!
次回 第119話 (仮)『次郎左衛門、川越藩にて高林謙三に会い、隼人は加賀にて大野弁吉を口説く』
さてさて、いかがしたものか。かくも多くの障り(問題)があれば、なにを初めにやれば良いのかすら、わからぬようになってくるぞ。三月には長崎にメリケン船が来おったし、四月にはエゲレス船じゃ。
これは打払い令を再びやらねばならぬのか、と問えば反対の上書が溢れかえりおった。誠に能うかと問われれば、能わぬとなるであろう。
されどこうも頻繁にこられては、如何ともし難い。
「これ、江川と下曽根に命じておった件はいかがあいなった?」
「は、まずは江戸表の備としては品川沖に台場を備えるが肝要と、つぶさに調べ、その見積もりが出ましてございます」
「おおそうか! して、いかほどか?」
具体的な金額がわからねば話にならぬゆえな。
「は、まず上書された物すべてを挙げますれば、品川沖に第一、二、三、五、六の台場を設け、砲を備え、大船を停泊させまする。その入目は、まず台場の入目として金七十六万三千八百七十一両、大筒並びに砲弾に加えて台座に五万八千九百六十三両、大船その他御船製造に六万三千六百五十七両、しめて八十八万六千四百九十一両となりまする」
な、な、なんだと……。
か、勘定奉行……これは能うのか? 先の上様の御代の豪奢な暮らしぶりに、天保七年の飢饉。弘化元年の江戸城本丸の炎上の都度都度、大名に献金を命じては幕臣にも高割上納金を課したのだ。
この上でさらなる献金など、無理ではないか。
「恐れながら御老中様、この上は……銀貨の改鋳より他ないかと存じます」
「改鋳とな?」
「は、これまで諸大名に献金をお命じになっておりましたが、此度も、と言うわけにもまいりませぬ。加えて公儀の蔵入地へ献金を命じれば、なんとか捻出能うかと存じます」
「さようか……う、うむ。その儀については皆と協議するゆえ、江川・下曽根両名には沙汰を待てと伝えておくのだ」
「はは」
……これは、なんと。何をするにも銭がかかるが、そうだ佐賀の……いやいや、先だって長崎の備えを断ったばかりじゃ。それに西国の諸大名にこれ以上の負担はかけられぬ。
ん? 西国……。……そうだ、丹後守殿とは見知らぬが、長崎奉行を通じて内々に聞いてみようかの……。井戸対馬守の手腕ならば丹後守殿の胸襟を開けるやもしれぬ。
■長州藩
「殿、家督を継がれてより早十年。ご慧眼によりこの毛利の家中の勝手向きも、随分と良くなり申した」
「うむ。清風。すべてそちのおかげぞ」
天保八年に毛利家の家督を継いだ毛利敬親に対し、敬親まで5代の藩主に仕え、敬親の代に藩政改革をリードした村田清風である。
「何を仰せになりますか。殿の御下知なくば改革など能いませぬ。されど未だ改革は道半ばにございます」
「うむ。今後はいかなる事を為さねばならぬ?」
「第一に教育にございます。此度の藩校改革においては、武士に限らず町民や農民にまで門戸を開きました故、この先我が家中を担う人材が多く育つ事にございましょう。加えて殿、寅次郎の遊学の件にございますが」
「いかがした」
吉田寅次郎(後の吉田松陰)は九年前の天保十一年(1840)に藩主である敬親の前で御前講義を行い、敬親のお眼鏡に適っていたのだ。
「平戸藩への遊学にて葉山左内に学ばせるとの事でございましたが、この際異国の事情を明らかにするためにも、長崎を含め西国諸藩を巡らせるのはいかがにございましょうか」
「……では、そうせい」
「はは」
■佐賀藩
「して、筑前公はなんと仰せだったのじゃ」
直正は長崎防衛の見解の相違で、使者を遣わしては筑前福岡藩主の黒田長溥と協議を重ねていた。
「は、筑前様は、元々伊王島に堡塁を築くは本意にあらず、然れども御公儀の差配するところにより、長者岩と高峰の模様替えを行うのが穏当だと仰せにございました」
ふう、と直正はため息交じりに憮然とした表情で聞いている。
「このわしが好きでやっていると思うのか。我らは長崎の警固を仰せつかり、先のフェートン号の砌は世に恥をさらした。それ故にではないが、このように異国船が跋扈し、いついかなる時に攻めてくるやも知れぬかような時に、悠長な事は言っておられぬではないか」
「左様にございます」
「よし!」
直正は意を決した。
「この上はこのわし自ら阿部殿と談判し、促さねばならぬ。第一に大砲の鋳造と、第二に銃火器の練兵ぞ」
大砲の鋳造、性能の改善、銃火器を使う兵の練兵等々である。
「兄上、反射炉はいかがですか?」
兄であり佐賀藩家老の鍋島茂真に聞く。
「いま試行錯誤してやっておりますが、なかなか上手いこといきませぬ。鉄が全て溶けぬのです。色々と試しておりますれば、今しばらくの猶予を願いたい」
「もとよりすぐに出来るとは思うてはおりませぬ。されど」
「されど?」
「心にかかる(気になる)は、大村の家中よ」
「密偵でも放ちますか? それとも使者を遣って誼を通わしまするか?」
茂真は具体的な策を考えようとしている。
「いや、かえって目立つでしょう。別段不仲な訳でもないが、わが家中が頭を下げる事は……最果ての(最終的な)手立てでありたいのです。聞役(長崎聞役)を通じてそれなりの知らせは互いにあるであろうから、それとなく密に聞き、知らせるようにすればよいでしょう」
「承知しました」
直正にしてみれば、大村藩の情報は喉から手が出るほど欲しかった。しかし、反射炉の製造にしても2~3年の遅れであり、十分に西洋化の面では挽回できると考えたのだ。
もちろん、西国35万石の藩としてのメンツがなかった訳ではない。しかしこの場合は、間に合うだろうとの考えが強かったのだ。
■薩摩藩江戸藩邸
「なに? 周防(島津久光)が上座だと?」
昨年の琉球密輸事件にからむ調所広郷の自害によって、藩主島津斉興と斉彬の間柄は険悪の一途を辿っていた。
斉彬が数え四十を超えても家督を譲られなかったのは、蘭癖大名とされた島津重豪に似た斉彬による藩財政の悪化を、調所や斉興が懸念していたからだ。
それが、調所の死によって加速した。
斉興は斉彬の異母弟である久光を後継者と考えていたのだ。そのため藩政に携わらせるべく、城代家老の島津豊後の上座に据えたのであった。
「殿、これはもはや、疑いようもございませぬ。昨年の寛之助様、せんだってお亡くなりになった篤之助様の死は、呪詛に間違いございませぬぞ」
まだ家督を継いでいないので正式には殿ではないが、若殿と言うには歳をとりすぎており、斉彬派にとっては『殿』であった。
「……」
「混迷を極めるこの時勢に、大殿様は無論の事、周防様では島津の家中はこのさき、立ちゆきませぬ」
「めったな事を言うでない。自重せよ。よいか、自重するのだぞ」
「は……」
斉彬は島津の家中はもとより、混迷する日本の海外情勢と、薩摩藩が抱える琉球や外国船の来航など、やらなければならない事があっても、何もできないふがいなさに悶々としていた。
「聞役からの知らせはまだか? 和蘭との貿易は黒田・鍋島・大村の三家中に限られたとは言え、奉行所と会所を通じての商いはこれまで通りであろう? その件も踏まえて探りを入れておったが、まだ大村家の事はつぶさにはわからぬか」
「申し訳ございませぬ。未だ……」
「わかった。よいか、くれぐれも軽挙妄動は慎むのだぞ」
「は……」
■土佐藩
「殿、またお酒を召し上がっておられるのですか?」
「ふふふ……藩主とは名ばかりよのう。なりとうてなった訳でもないが、いざなってみても、何もできぬではないか。馬鹿馬鹿しい。くだらぬな。自らがやりたいのであれば、隠居などせねばよいものを。くだらぬ、くだらぬぞ」
「……」
■水戸藩
「なに? また諸生党と天狗党が争っていると? 益体もない。今に始まった事ではなかろう」
斉昭は武田耕雲斎にうんざりしたように言う。
「大殿様、そうは仰せでも、この幕府寄りの諸生党と天狗党の諍いは今に始まった事ではございませぬ。お若い殿では収拾がつかぬかと存じます。なにとぞ御出座を願います」
この年藩政に復帰した斉昭であったが、藩論を二分する党派の争いには辟易していたのだ。幕政への意欲もあり、海防と攘夷を建白してはいたものの、斉昭もまた、もどかしい想いにかられていた。
「あいわかった」
■宇和島藩
「功山はいかがしておるだろうの」
「は、されば文を寄越しておりますぞ」
「おお、見せよ」
伊予宇和島藩主伊達宗城は、前原功山からの手紙を、時には笑い、時には疑問に顔をしかめながら読んでいく。
「息災に、つつがなくやっておりますか?」
「うむ。多くを学び、持ち帰ってもらいたいものだ」
史実では村田蔵六とともに蒸気船を完成させる功山であったが、今世ではどうなるのだろうか……。
■次郎左衛門
今ごろ隼人は加賀かな? 俺も出先だから状況がわからんけど、今はお茶の増産が大事なんだよね……あ! あああ! 思い出した! 製茶機発明した人いたやん!
……高林謙三さん。確か……川越藩! いや、ついでじゃないよ! 川越藩にいこう!
次回 第119話 (仮)『次郎左衛門、川越藩にて高林謙三に会い、隼人は加賀にて大野弁吉を口説く』
1
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
朝敵、まかり通る
伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖!
時は幕末。
薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。
江戸が焦土と化すまであと十日。
江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。
守るは、清水次郎長の子分たち。
迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。
ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
日本が日露戦争後大陸利権を売却していたら? ~ノートが繋ぐ歴史改変~
うみ
SF
ロシアと戦争がはじまる。
突如、現代日本の少年のノートにこのような落書きが成された。少年はいたずらと思いつつ、ノートに冗談で返信を書き込むと、また相手から書き込みが成される。
なんとノートに書き込んだ人物は日露戦争中だということだったのだ!
ずっと冗談と思っている少年は、日露戦争の経緯を書き込んだ結果、相手から今後の日本について助言を求められる。こうして少年による思わぬ歴史改変がはじまったのだった。
※地名、話し方など全て現代基準で記載しています。違和感があることと思いますが、なるべく分かりやすくをテーマとしているため、ご了承ください。
※この小説はなろうとカクヨムへも投稿しております。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。
夜に咲く花
増黒 豊
歴史・時代
2017年に書いたものの改稿版を掲載します。
幕末を駆け抜けた新撰組。
その十一番目の隊長、綾瀬久二郎の凄絶な人生を描く。
よく知られる新撰組の物語の中に、架空の設定を織り込み、彼らの生きた跡をより強く浮かび上がらせたい。
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる