上 下
96 / 315

第94話 『鷹司政通の歌道と遊学生続々大村へ』(1848/2/9)

しおりを挟む
 弘化五年(嘉永元年)一月五日(1848/2/9) 京都 関白・鷹司政通邸

『春を待ち 朝廷の縁に 新しき 歳の始めの 冬麗らかな』

 岩倉具視は関白・鷹司政通の前で丁寧に一礼をし、声を落ち着かせて歌を詠み上げた。

「ほほほ。よきかなよきかな。そもじ(あなた)は確か……」

「岩倉具視におじゃります」

「おお。そうでおじゃったな。昨年の十月に、麻呂の歌道に入門したいと申し出てきたのでおじゃったの。……して岩倉よ。そもじ(おぬし)はこれより先、いかなる歌を詠んでいきたいのでおじゃるか?」

 政通は岩倉の歌の才能に興味を惹かれながら、その公家らしからぬ風貌に珍奇の念を禁じ得なかった。

「はい。麻呂は関白様の下において、さらなる高みを目指したく考えておりましゃる。どうかご教示いただきたいとお願いいたしましゃる」

 政通は岩倉の真摯な眼差しを見ながら微笑みを浮かべる。

「うべなるかな(なるほど)。とかくこのごろは回りくどい口つき(言い方)をいたす者が多い中、そもじ(あなた)のような者は珍しい。いかなる歌を愛でるのでおじゃるか?」

「はい。麻呂は特に古今和歌集が好きでおじゃる。その洗練された美しさと、情緒ある表現には心打たれましゃる」

 と岩倉具視は答え、さらに自ら考えた一首を披露した。

「山里は 冬ぞ寂しさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば」

 ……。

 ……。

 ……。

「もとい。あだこと(冗談)におじゃる」

『初春や 寒さ厳しき 年始め 暖けき日に 幸多からん』

 鷹司政通はその歌を聞き、しばし黙考した後に顔を綻ばせて言った。

「……あだこととは。されど良い歌でおじゃるな。心情が繊細に表現されておりましゃる。そもじは歌道の才があるようでおじゃる」

 岩倉は謙虚に頭を下げた。

「関白様、お褒めに与り光栄にございましゃる。今後ともご指導のほどをお願い申し上げましゃる」

なり(そうだね)。この日ノ本においても世情穏やかならぬこのごろにて、御所内でもさまざまな噂を聞いておりましゃる。幕府の有り様も気になるところでおじゃるが、せめてこの日ノ本がけがれる事のなきよう、御上の宸襟しんきん(お心)を悩まし奉る事のなきよう、粛々と政を行ってほしいものでおじゃるな」

 普段、このような席では政治の事など口にしない政通であったが、つい口を滑らしたようだ。

「関白様、その儀につきましては、麻呂にひとつ考えがおじゃりまする」

「考えとな?」

「はい。これまで政は幕府が朝廷より仰せつかり、任されてきましゃった。されば命じるという訳ではあらはりませんが、あくまで願うという意味で幕府に物申す事も、大事かと思いましゃる」

「ふむ。物申す朝廷……そもじは面白い事を考えるの。ふふふ……面白い。では岩倉よ、明日よりこれにおじゃ。いろいろと聞きたい事もありましゃるゆえな」




 岩倉具視の政界進出の第一歩である。




 ■大村藩 玖島くしま

「盛岡藩士、大島高任にございます」

「周防の手塚律蔵にございます」

「長崎の上野俊之丞にございます」

「同じく長崎の杉亨二こうじにございます」

 長崎からやってきた遊学希望者の四人である。俊之丞は息子である彦馬も連れてきていたが、まだ9歳で元服前のため、城内ではひときわ小さく見えた。

「太田和次郎左衛門である、面をあげよ」

 次郎は最初の挨拶こそ堅かったが、さっそく面をあげさせて緊張をほぐすように話しかけた。

「楽になされよ。いかがかな? 藩の建物にはまだ入れておらぬであろうが、町並みは見てきたであろう。遊学というよりも、それがしが皆さんの力を借りたいというのが、実のところの本音なのじゃ。忙しくて人が足らぬでの」

 次郎は威厳を保ちつつ、藩として優秀な人材を召し抱えている事、そのためにはどんどん勉強してもらいたい旨を飾らずに話した。

(なんと……。小藩とはいえ、藩の家老がこうも腰が低いとは。これは話が早いかもしれぬ)

 全員がそう思った。

 さすがに家老の次郎は忙しく、一行が大村についてすぐに会うことはできなかったが、それでも着いて二日目には面会が叶ったのだ。そしてすでに、大村藩の異常な様子を感じとっていた。

 夜だ。

 村田蔵六(大村益次郎)が城のガス灯に驚いた様に、二ヶ月経った今では、城下の武家屋敷がある五つの通りと久原の調練場までの道に、ガス灯が点っていたのだ。

 ・城から南東の外浦小路までの1.4km。
 ・城の東の本小路と小姓小路の2km。
 ・城の北東の上小路まで1km。
 ・上小路の隣の草場小路まで400m
 ・久原調練場の周りの重要箇所数ヶ所

 約4kmにわたってガス灯が敷設され、現在の街灯とは比べるまでもなく暗いが、それでも夜道を安全に照らしていた。

「大島殿。江戸では箕作みつくり殿や坪井殿に師事しておったそうですな。こたびは弟、隼人の申し出に応えてくださり感謝いたす。さて、まずは何を学びたいのですかな? もちろんタダでという訳にはいきませぬ。我が藩の精錬方(もしくは医学方・殖産方)で働いていただく事が条件となります」

 信之介を助けて技術革新を加速させるためであったが、本人が他を学びたいなら仕方がない。

「ヒュゲーニンの『ロイク王立鉄製大砲鋳造所における鋳造法』の訳本がここにあると聞き及んでおります。まずはそれを読み、学びたく存じます」

(ふーん。やっぱり大島高任、そうきたか。ただなあ……この人今藩命で来てるんだよなあ。ガチガチの藩士だからな……)

「あいわかった。それならば精錬せいれん方の書庫にあるであろう。惣奉行の信之介に言えば、何事もなく読ませてくれよう」

「ありがたき幸せに存じます。今ひとつ、お伺いしたい事がございます」

「なんじゃ」

 次郎はにこやかに返す。

「和蘭語は難解にて、そう簡単に和訳能うとは思わぬのですが、すでに五年も前に翻訳しているとは、一体誰が翻訳したのでございますか?」

「ああ、それか……まあオランダ語に詳しい知己がいてね。それから今、藩ではオランダ語の翻訳ができる人間が二十人ほどはいるぞ」

 なんと! 全員が驚きを隠せない。




 その後様々な質疑応答がなされたが、五人はまず、精煉方へ向かうのであった。




 ■大村藩 藩境(藩内)

「本当に宗謙どのは肥前大村へ向かったのだろうか」

 また、一人の男が大村藩に入った。




 次回 第95話 (仮)『佐久間象山大村に着き、隼人肥後にて人を探す』
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

朝敵、まかり通る

伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖! 時は幕末。 薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。 江戸が焦土と化すまであと十日。 江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。 守るは、清水次郎長の子分たち。 迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。 ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

日本が日露戦争後大陸利権を売却していたら? ~ノートが繋ぐ歴史改変~

うみ
SF
ロシアと戦争がはじまる。 突如、現代日本の少年のノートにこのような落書きが成された。少年はいたずらと思いつつ、ノートに冗談で返信を書き込むと、また相手から書き込みが成される。 なんとノートに書き込んだ人物は日露戦争中だということだったのだ! ずっと冗談と思っている少年は、日露戦争の経緯を書き込んだ結果、相手から今後の日本について助言を求められる。こうして少年による思わぬ歴史改変がはじまったのだった。 ※地名、話し方など全て現代基準で記載しています。違和感があることと思いますが、なるべく分かりやすくをテーマとしているため、ご了承ください。 ※この小説はなろうとカクヨムへも投稿しております。

夜に咲く花

増黒 豊
歴史・時代
2017年に書いたものの改稿版を掲載します。 幕末を駆け抜けた新撰組。 その十一番目の隊長、綾瀬久二郎の凄絶な人生を描く。 よく知られる新撰組の物語の中に、架空の設定を織り込み、彼らの生きた跡をより強く浮かび上がらせたい。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

処理中です...