上 下
65 / 315

第63話 『斉昭の蟄居が解かれ、秀才、大村に集う』(1845/1/4)

しおりを挟む
 天保十五年十一月二十六日(1845/1/4) 玖島くしま城下

「次郎殿、いや、失礼いたしました御家老様。これはまた、勇ましい限りにございますな」

「先生、どうか、どうか以前のように次郎とお呼びください」

「ははは。そうは言っても難しゅうござるな。何と言ってもそれがしのえん罪を晴らしていただいた。では……そうですな、呼び方は御家老様として、心持ちは以前のままで」

「そうなさってください」

 次郎と高島秋帆・高野長英の三人は、久原の演習場で開催された昭三郎麾下きかの部隊の調練をみて感嘆する。

「この長英、齢四十を過ぎて、人とはいかにあるべきかを知りました。一度しか会っておらぬそれがしに対する行い、感謝の至りにございます」

 長英は、自分がなぜ恩赦で釈放されたのか、まったく理解ができなかった。

 親類縁者や知己もいない貧乏な生活ではなかった。かといって幕閣に賄賂を贈り、みずからの大罪(国家騒乱罪)を恩赦にさせるような伝手も金もない。

 偶然を装って仕官の誘いをしてきた次郎に、驚きはしたものの、まさか裏で手を引いていたとは思いも寄らなかったのだ。

 しかし、次郎本人は語らずとも、周りの人間からそういった情報は少しずつ漏れていくものである。
  
 大村藩につく頃には、次郎がいかにして自分の赦免活動を行ったか、理解できたのだ。

「長英どの、そう畏まらないください。それがしも、鳥居殿のやりようには我慢がならなかったのです。御二方ともこのご時世、日本になくてはならない人材ですので」

 次郎は高島秋帆を火術方として加え、昭三郎の上役とした。
  
 管打ち式のゲベール銃には驚いた様だが、調練自体は変わらない。これから二人で切磋琢磨せっさたくましてほしいと願ったのだ。

 高野長英はらん学者・医学者として一之進の下で医学を学びながら、信之介より化学を学び、また五教館と開明塾において蘭学教授となった。




 ■精煉せいれん

「こちらが精煉方にござる」

 次郎は大阪より招聘した田中久重と高野長英に、新設された精煉方の建物を紹介した。看板の下には『理化学・工学研究所』とも書かれている。

 史実の佐賀藩における精煉方は、当初は反射炉の建造を含めた大砲鋳造を主に担っていたが、その範囲は洋書の翻訳・薬剤や煙硝・雷粉の試験、蒸気機関や電信の研究など広範囲にわたっていた。

 この信之介の精煉方も同じである。まず総括として信之介がおり、技術部門(工学)に田中久重、理化学部門に隼人と廉之助、高野長英は全体を学び研究するという編制である。

 大砲の鋳造に関しては、高炉で銑鉄をつくり、反射炉で再溶解するという手順はできあがっている。あとは順次砂鉄を手配して、領内の鉄鉱石の産出量をみながら生産していくだけだ。

 価格で考えても、銅より鉄が安価である。

 天保十三年の一月に一号炉が完成して鋳造を行い、何度も試験運転を行い、ようやく投入した鉄と同量の溶解ができて、実鋳(実際の大砲の形に鋳造する)の段階まできていた。

 できあがった砲身をくりぬいて最終的に形を整え、最後に試射となる。

「これはなんと、素晴らしいとしか言いようがありませぬ」

 久重と長英は、精煉方の建物(研修室)から川棚へと移動し、厳重な身体検査の後に工場敷地へ入った。

 高炉と反射炉から立ち上る煙を見上げ、下に目をやっては赤々と焼けてドロドロになった鉄が流れ出てくるのを見てつぶやく。

「山中信之介にございます」

「太田和隼人にございます」

「松林廉之助にございます」

 信之介と弟子二人が挨拶をする。順に23歳、20歳、6歳である。

「「御家老様、この子供は……」」

 久重と長英が口をそろえて聞く。

「ああ、藩医の松林あん哲先生の嫡男で、本人の希望もあるが、許しをえて信之介の弟子にしています。おかげで責任重大です」

 次郎は明るく笑う(苦笑い)。

「開明塾に入れておりますが、漢学やその他、長英殿、よろしくお頼みいたす」

「は。非才なれど全力をつくします」

 長英がニコリと笑って廉之助を見ると、廉之助も理解したのかペコリと頭を下げた。

 後日、長英は開明塾の教授として教鞭きょうべんをふるうのだが、その長英が廉之助の非凡な才能に気付くのに、そう時間はかからなかった。




 ■医学方 <次郎左衛門>

「二宮敬作にございます」

「石井宗謙にございます」

 伊予と備前から呼び寄せた二人が挨拶をする。

「医学方頭取の、長与俊達にございます。そしてこちらが……」

「いや、俊達先生、このお二人は良いのです。一之進がお連れした、ああ……殿のお許しをえて招聘した医師二人になりますので」

 俺は慌てて補足した。

「さようでございましたか。医学方に新しく医師が入ると聞き、師匠の一番弟子である私がまず師匠を紹介せねばと、早合点しておりました。もうしわけございませぬ」

 ん? 師匠? どゆこと?

「一之進、師匠って?」

「いや……ナントナク。いつの間にか師匠になってた。俺が伊予に行く間にペニシリン以外全部触っていいよって(蔵書読んでいいよ)言ったら、さらに輪をかけて」

 いつのまにか師匠になるって、そんな事あんのか? あんだけ毛嫌いしてたのに。
  
 殿の『のど切開手術』の後、あまりの手技に驚きつつも、一之進の知識や技術、存在すら否定していたのだ。

 学者というか医師というか、そういう人種の人は、ある意味変わっている人が多いのかもしれない。

 極端に言えば昨日の敵でさえ、自分より優れた知識や技術を持っているとわかると、素直に師事できるんだな、とも思う。

「失礼、先生の一番弟子は私、この二宮敬作にございます。先生は弟子をとらないと仰っておいででした。にもかかわらず、弟子がいるのはおかしな話」

 ? なんじゃこりゃ。俊達先生と敬作先生が早くもバチバチしている……うーん。まあ、良い方向に向かえば良いけどさ。

「まあまあお二人とも、三人が三人とも、先生の教えを受けると考えれば良いではありませぬか。誰が一番で二番などと、今は重要ではありませぬ」

 ! 石井宗謙! 先生……。ていうか、産婦人科だから仕方ないよね。史実が事実ならとんでもないけど、魔が差した、という事なのだろうか。

「お、おイネと申します」

「ん? お師匠、いや、御家老様。女子がここにいるというのは、いかがしたのですかな?」

 言うだろうと思っていた人が、やっぱり言った。

「先生、おイネちゃんはあの、シーボルト先生の娘なんですよ」

「なんと!」

 俺がそう説明すると、俊達先生も、不思議と納得したようだ。日本初の女医がシーボルトの娘。なにか運命的なものを感じたのかもしれない。
 
「さよう。この日本に産婆は多くおりますが、女医がおらぬ。これもおかしな話にござる。女性の体は女性が一番よく知っているでしょうし、みだりに体を男に触れさせるなど、それこそあまりよろしくないこと」

 お里の事もあったが、やはり歴史を知る身としては、医師免許をとってほしいのだ。

 あれ? いつの間にか、一之進とおイネちゃん、隠れて後ろ手に手をつないでいる。

 ……なーんだ。そういう事か。頼むぞ、一之進。




 江戸では徳川斉昭の蟄居ちっきょが許され、自由の身になったものの、藩政に関わる事は許されていなかった。

 次回 第64話『アルコール⇒エタノール⇒エーテル⇒麻酔と冷蔵庫!』
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

朝敵、まかり通る

伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖! 時は幕末。 薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。 江戸が焦土と化すまであと十日。 江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。 守るは、清水次郎長の子分たち。 迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。 ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

日本が日露戦争後大陸利権を売却していたら? ~ノートが繋ぐ歴史改変~

うみ
SF
ロシアと戦争がはじまる。 突如、現代日本の少年のノートにこのような落書きが成された。少年はいたずらと思いつつ、ノートに冗談で返信を書き込むと、また相手から書き込みが成される。 なんとノートに書き込んだ人物は日露戦争中だということだったのだ! ずっと冗談と思っている少年は、日露戦争の経緯を書き込んだ結果、相手から今後の日本について助言を求められる。こうして少年による思わぬ歴史改変がはじまったのだった。 ※地名、話し方など全て現代基準で記載しています。違和感があることと思いますが、なるべく分かりやすくをテーマとしているため、ご了承ください。 ※この小説はなろうとカクヨムへも投稿しております。

お坊ちゃまはシャウトしたい ~歌声に魔力を乗せて無双する~

なつのさんち
ファンタジー
「俺のぉぉぉ~~~ 前にぃぃぃ~~~ ひれ伏せぇぇぇ~~~↑↑↑」 その男、絶叫すると最強。 ★★★★★★★★★ カラオケが唯一の楽しみである十九歳浪人生だった俺。無理を重ねた受験勉強の過労が祟って死んでしまった。試験前最後のカラオケが最期のカラオケになってしまったのだ。 前世の記憶を持ったまま生まれ変わったはいいけど、ここはまさかの女性優位社会!? しかも侍女は俺を男の娘にしようとしてくるし! 僕は男だ~~~↑↑↑ ★★★★★★★★★ 主人公アルティスラは現代日本においては至って普通の男の子ですが、この世界は男女逆転世界なのでかなり過保護に守られています。 本人は拒否していますが、お付きの侍女がアルティスラを立派な男の娘にしようと日々努力しています。 羽の生えた猫や空を飛ぶデカい猫や猫の獣人などが出て来ます。 中世ヨーロッパよりも文明度の低い、科学的な文明がほとんど発展していない世界をイメージしています。

夜に咲く花

増黒 豊
歴史・時代
2017年に書いたものの改稿版を掲載します。 幕末を駆け抜けた新撰組。 その十一番目の隊長、綾瀬久二郎の凄絶な人生を描く。 よく知られる新撰組の物語の中に、架空の設定を織り込み、彼らの生きた跡をより強く浮かび上がらせたい。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

処理中です...