『転生した無名藩士、幕末の動乱を生き抜く~時代・技術考証や設定などは完全無視です!~』

姜維信繁

文字の大きさ
上 下
54 / 358

第52話 『根回しと高島秋帆逮捕の失敗』(1842/10/31)

しおりを挟む
 天保十三年九月二十八日(1842/10/31) <次郎左衛門>

 俺は今回の江戸参府に同行したが、その前に、やるべきことがあった。

『根回し』だ。

 史実では高島秋帆先生が今年の五月に告発され、十月には外国人との交友の罪で投獄された。それを防ぐのだ。
  
 まったく! えん罪もえん罪だ! 先生は日本の宝だぞ!

 懲役10年(結果的に)なんてあり得ない! (1853年のペリー来航を機に赦免)

 先生の容疑は『外国人との交友』だけど、長崎会所(貿易所)の調役(監督役・長)なら会話もするし、食事や酒を飲んだりもする。
  
 それが一般的な交友なんじゃないのか?

 否定するなら、会所の役割自体を否定することになるぞ。




 ■遡って天保十二年 幕府天領 長崎

「もし、茂兵次もへいじさん?」

 茂兵次は振り返らない。つぶれかけの客もまばらな居酒屋で、ひとり酒を飲んでいたのだ。

「茂兵次さん? ああ、やっぱり茂兵次さんだ」

 男は茂兵次の正面に回り込み、伏し目がちになる茂兵次を尻目に確信したように告げる。

「……」

「茂兵次さん……あんた、大丈夫なのかい? 追放の身で長崎に戻ってくるなんて、正気の沙汰じゃない。俺は江戸にいってたんだが、下谷の広徳寺前で町医者をやってたんじゃないのかい?」

「……」

「なんでまた戻ってきたんだ? 追放の罪で長崎にはいられないだろう? 禁を破ったのが見つかったら、今度は死罪は間違いないぞ。悪い事は言わない、早く逃げな」

 男はそう言うと勘定をして、そそくさと店を出て行った。

 


 ……誰だ? なぜ俺の事を知っている? 会った事があるのか? それに江戸での仕事も知っていた。何者だ?

 茂兵次の心の声は漏れそうなほどである。それほど穏やかではなかったのだ。

 本庄茂兵次。元唐商売のオランダ方であったが、素行の悪さと賄賂が発覚し、長崎奉行の権限で追放処分となっていたのだ。

 茂兵次は目付の鳥居耀蔵が長崎奉行になるという噂を聞き、出世の糸口と考えていた。しかしこの段階で捕縛されれば、出世どころではなく、命はない。

 年末までに秋帆の告発文書を出す予定が、遅れることは間違いなかった。




 ■長崎奉行所

「なにゆえに今、かような目録と書面を届け出るのじゃ?」

 長崎奉行の戸川安清(従五位下)は、目の前にいる高島秋帆の留守居役にたずねた。

「は。わが長崎会所はそのお役目上、清国や和蘭おらんだとの交易の窓口となってまいりました。その際の脇荷貿易は公に認められております。さりながらシーボルト事件の事もあり、わが高島家も備える要ありと考えましてございます」

 ※脇荷貿易……生糸(絹)・砂糖・皮革・薬品を輸入し、銅や樟脳しょうのうなどを輸出した公貿易が本方荷物もとかたにもつまたは本荷ほんにで、それに対して別の商館員や船長が個人的に許された貿易の事。
  
 銅や樟脳、禁制品の刀剣以外は許された。

 要するに、シーボルト事件は日本地図の海外持ち出しが発覚した事が原因だが、同様のえん罪を避けるための処置である。 

 ・西洋銃器の目録と訓練人員の名簿(謀反の意思はないとの主張)

 ・自宅見取り図とその詳細(住居が城郭であるという事への反論のため)

 ・長崎会所の金銭出納帳と個人の収支報告書(公私の資金と財産の詳細/公金流用の疑い防止)

 ・脇荷貿易により個人的に得た物品の目録(密貿易の告発防止)

 ・船舶目録(その用途と密貿易との関与否定のため)

「なるほどの。されどそのような行いが過ぎれば、逆に怪しまれるぞ」

「怪しまれるような事はしておりません。されど、念には念を入れておいてもよろしかろうかと」

「ふむ。あいわかった」




「お奉行様、大村藩家老、太田和次郎左衛門様がお見えです」

「なに? 次郎殿が?」

「それでは、私はこれにて」

「うむ」

 安清は会所役人を下がらせ、次郎と面会した。

 長崎聞役の西国14藩をはじめとした近隣大名が長崎に来た際は、長崎奉行に挨拶を行うのが定例だったが、大村氏(大村藩)のみは親戚格の扱いであった。

 そのため簡単な挨拶だけで中座敷へ通しては酒肴しゅこうを振舞う、という特別待遇だったのだ。

 次郎はこれを利用した。

 もともとこの時代において海外の情報を集めるなら、出島と長崎奉行は切っても切れない。
  
 大浦お慶や小曽根六左衛門と知り合えたのは幸運であった。

 その後高島秋帆と知己を得、3年前の天保十年五月二日(1839/06/12)の家老就任にともなって、長崎奉行とも昵懇じっこんとなったのだ。

「これはこれは次郎殿、ようお越し下さった。丹後守殿(純顕すみあき・従五位下)は息災にござるか」

「はい。おかげ様で。雄三郎様(安清の通称)もおかわりなく」

「ささ、どうぞこちらへ」

 雄三郎と純顕は同じ従五位下である。純顕自身は同等だが、次郎はその臣下である。年下という事もあり、雄三郎と呼んでいる。




「それで、こたびはいかがしたので?」

 安清も、大村藩の家老であり昵懇の次郎に対しては丁寧な言葉づかいだ。

「はい、実はよからぬ噂を耳にしたのです。すでに会所の方とお話しになっていました故、ご存じかもしれませぬが、雄三郎様は本庄茂兵次という男を覚えていらっしゃいますか?」

「本庄……茂兵次……」

 安清は少し考えて、思い出した。

「ああ、そういえば、それがしが赴任した六年前の天保七年、確か……身持ち悪く素行不良。ついに賄賂を行い、追放にしていた男がいたな。その、茂兵次がどうしたので?」

 次郎はいいにくそうな素振りをした。もちろん演技である。

「その茂兵次とやらを、長崎市中で見かけた者がいるというのです」

「なんと!」

「聞けば六年も前の事ゆえ、まさかとは思ったのですが、長崎恋しさに戻ってきたのやもしれませぬ。それが誠なら、雄三郎様の沙汰を蔑ろにする行いにて、無礼千万にございます。罪人一人裁けぬと、よからぬ噂が立つやもしれませぬぞ」

「ううむ……」

 長崎奉行は遠国奉行の首座であり、エリートコースである。ここで傷がつけば、出世が遠のくのは間違いない。数日後、本庄茂兵次が再手配され、捕縛された。




 ■戻って 天保十三年九月二十八日(1842/10/31) 江戸城

「ええい、まだか? まだなのか?」

 焦りを禁じ得ない鳥居耀蔵は部下に八つ当たりをしている。本来であれば、この年の正月に茂兵次からの高島秋帆に対する謀叛むほん・公金横領・密貿易を裏付ける証拠が提出されるはずであった。

「助三郎殿からの文もないのか?」

 助三郎とは戸川安清の後任の長崎奉行である伊沢政義である。今年の3月に長崎奉行に就任したが、茂兵衛からの報告がない耀蔵は業を煮やして秋帆の調査を依頼していたのだ。

 そしてその伊沢助三郎政義は、長男が鳥居耀蔵の娘と結婚して姻戚関係となっていたのだ。

 しかし、当の本庄茂兵次は捕らえられ、助三郎政義は放免できずにいた。さらに前任の安清からの申し継ぎで、秋帆の潔白を証明する書類を渡されている。

 明らかにえん罪なのである。いかに息子の義父であっても、確たる証拠もなしにでっち上げることは無理だ。




 かくして、史実においてえん罪で告発され、10月に投獄されるはずの高島秋帆は、事なきをえたのであった。

 次回 第53話 『高野長英と徳川斉昭』(1842/12/12)
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

日本が日露戦争後大陸利権を売却していたら? ~ノートが繋ぐ歴史改変~

うみ
SF
ロシアと戦争がはじまる。 突如、現代日本の少年のノートにこのような落書きが成された。少年はいたずらと思いつつ、ノートに冗談で返信を書き込むと、また相手から書き込みが成される。 なんとノートに書き込んだ人物は日露戦争中だということだったのだ! ずっと冗談と思っている少年は、日露戦争の経緯を書き込んだ結果、相手から今後の日本について助言を求められる。こうして少年による思わぬ歴史改変がはじまったのだった。 ※地名、話し方など全て現代基準で記載しています。違和感があることと思いますが、なるべく分かりやすくをテーマとしているため、ご了承ください。 ※この小説はなろうとカクヨムへも投稿しております。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

知識スキルで異世界らいふ

チョッキリ
ファンタジー
他の異世界の神様のやらかしで死んだ俺は、その神様の紹介で別の異世界に転生する事になった。地球の神様からもらった知識スキルを駆使して、異世界ライフ

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

職種がら目立つの自重してた幕末の人斬りが、異世界行ったらとんでもない事となりました

飼猫タマ
ファンタジー
幕末最強の人斬りが、異世界転移。 令和日本人なら、誰しも知ってる異世界お約束を何も知らなくて、毎度、悪戦苦闘。 しかし、並々ならぬ人斬りスキルで、逆境を力技で捩じ伏せちゃう物語。 『骨から始まる異世界転生』の続き。

処理中です...