53 / 315
第51話 『開明塾の授業と3度目の参勤交代』(1842/9/15)
しおりを挟む
天保十三年八月十一日(1842/9/15) 大村藩 開明塾
「いや、だいたいって言っても、みんな10代で元服するだろ? 寺子屋はざっくり12~3歳で卒業するから、その後は仕事をしながら勉強って形にならないか?」
次郎は当然そうだろうと考えていた。
現代は成人式を迎えたら、または迎える前でも(16歳~)、大学生以外は仕事をして社会人として生活する。
しかしこの時代では成人年齢が早く、いわゆる社会人になるのも早い。
そのために寺子屋(筆学所)で教える内容は、より生活に密着したものが多かった。そこで、寺子屋の授業風景を見学し、足りないものを補った教科書を作成したのだ。
ちなみに少数精鋭を考えていたが、藩校に引けを取らない学力や教養を身につけるためには、どうしても四書五経や剣術などの授業が必要になってくる。
次郎も信之介も武家の生まれであり、神童と呼ばれたような知識と素養を持っていたが、信之介の負担をこれ以上増やすわけにはいかない。
そこで助三郎に四書五経、角兵衛に剣術を教えてもらう事とした。
二人とも分相応ではないと固辞したが、実力はみんなが知っていたので、主命であれば逆らえない。
ちなみに学費は無料で昼には食事も出した。栄養価の高い食事メニューを一之進とお里で考えて出したのだ。
遠隔地の生徒用に寄宿舎も用意している。
「はい。じゃあみんな注目。この塾の塾長である次郎左衛門だ」
次郎は流れで校長になってしまった。
「これから俺、いや私、先生は社会を教えます」
全員が平伏して頭をあげない。
次郎の学校のイメージは、土足ではないが上履き(室内用シューズ)を履いて、並んだ机に勉強するものだが、当然違う。
畳敷きの部屋に座卓のような机がならんでいるのだ。
よくよく考えれば、藩の家老が教える私塾などあり得ない。
郷村給人とはいえまたたく間に出世して、藩の財政を立て直し、改革に取り組んでいるという噂は誰もが知っている。
実際、藩主である純顕には承諾をえたのだが、他の藩閣(藩の閣僚という造語)からは反対も多かったようだ。
身分制度というのは支配体制では必要だったのかもしれないが、窮屈な面もある。
「先生は大村藩の家老ではありますが、ここでは考える必要はありません。誰もが等しく学び、将来の藩のため、日本のために役に立つ人間になってほしいからです。平伏もしなくて結構。面を上げよ」
まだ、上げない。
「面を上げよ」
2回目でやっと顔をあげた。
正直面倒くせえ~と思った次郎であったが、それほど教えを請う態度というか、悪く言えば身分制度の弊害だが、上下関係に厳しい社会なのだろう。
今の社会(前世)にもある意味必要な事だ。何事もほどよい程度がいい。過ぎたるは及ばざるが如し、だ。
事前の試験と面接を経て、甲乙丙のクラス分けをした。
「みんなは城下はもとより、藩内の様々な地より集まっている。城下を含めた地方(大村湾東岸部)に向地(大村湾南岸)、内海(西彼杵半島東岸)に外海(西彼杵半島西岸)、これはわかるね?」
次郎は生徒の正面に大きな地図をかけ、大村藩内の様子を教えた(確認した)後、佐賀藩や島原藩などの肥前の国の話をした。
その後は日本、そして世界と続けたのだ。
大半の、というか全員の関心が世界に集まったのは言うまでもない。肥前どころか大村藩から出たことがある生徒など、一人もいなかったからだ。
大村藩の外の事など、本で読み、話で聞いた事があるのみだ。外国の話など前代未聞の授業なのである。
「では先生、その和蘭、という国はどこにあるのですか?」
「長崎の出島では、その和蘭との交易をやっていると聞きます。日ノ本はその和蘭とのみ交易をしているのですか?」
「父ちゃんから聞きました。父ちゃんがおいらより幼いころ、エゲレスという国の船が嘘をついて出島にやってきたと。そんなことが許されるのですか?」
好奇心旺盛というか、向上心というか、すさまじい。
「みんな待ちなさい。一つずつ答えよう。まずはオランダの場所だが……」
次郎は大きな地球儀をくるくる回し、指を差した。
「ここがまず日本。日ノ本だ。そしてオランダは、ここだ」
全員が地球儀に集まって凝視している。
「こんなにも日ノ本は小さいのですか?」
「そうだ。そしてこのオランダは、日本の九州くらいの大きさだ。それでもはるばる海を越え、遠くこの日本に来る技を持っている。そのオランダから進んだ技は学び、我々も強くならねばならないのだ」
打払い令にあるように、攘夷という思想はそもそもあった。
神国日本を夷狄から守るという思想なのだが、まったく現実的ではない。打ち払うにしても、相応の軍事力がいるのだから。
「そして交易の事だが、つぶさに言えば、オランダだけではない。清国に琉球や蝦夷地、そして朝鮮と交易を行っている。朝鮮とはここ三十年ほど行われていないが、なくなった訳ではない」
国としての交易は清・朝鮮・琉球・オランダの四ヶ国のみである。
「そして今から三十四年前の文化五年に起こった事だ。結論から言えば、決して許されるべき事ではない。されどその事件に対してわが国が毅然とした態度を取れなかったのも事実である。その結果異国船打払い令が発布されたのだが、これも現状にはそぐわない」
次郎は段階を経て、日本をとりまく社会情勢について教えていく。一方的に教えるというよりも、必然的に質疑応答、ディスカッション形式に近い形になっていった。
アヘン戦争やオランダの世界的な立場、そしてイギリスをはじめとしたアメリカやフランス、ロシアの動向である。
歴史の知識と現在の知識をあわせたものだ。現代版は出島の商館と唐人屋敷からもたらされる。
こうして開明塾による藩士教育は行われていったのだが、よくよく考えると国語は読み書きと読解力や文章力になるので、特別な授業はいらなかったのだ。
もちろん、その都度不足と考えられる項目は科目に関係なく追加、改善された。
翌月、藩主純顕にとっての3回目の参勤交代が始まったのだが、これには次郎も同行する事となった。
次回 第52話 『根回しと高島秋帆逮捕の失敗』
「いや、だいたいって言っても、みんな10代で元服するだろ? 寺子屋はざっくり12~3歳で卒業するから、その後は仕事をしながら勉強って形にならないか?」
次郎は当然そうだろうと考えていた。
現代は成人式を迎えたら、または迎える前でも(16歳~)、大学生以外は仕事をして社会人として生活する。
しかしこの時代では成人年齢が早く、いわゆる社会人になるのも早い。
そのために寺子屋(筆学所)で教える内容は、より生活に密着したものが多かった。そこで、寺子屋の授業風景を見学し、足りないものを補った教科書を作成したのだ。
ちなみに少数精鋭を考えていたが、藩校に引けを取らない学力や教養を身につけるためには、どうしても四書五経や剣術などの授業が必要になってくる。
次郎も信之介も武家の生まれであり、神童と呼ばれたような知識と素養を持っていたが、信之介の負担をこれ以上増やすわけにはいかない。
そこで助三郎に四書五経、角兵衛に剣術を教えてもらう事とした。
二人とも分相応ではないと固辞したが、実力はみんなが知っていたので、主命であれば逆らえない。
ちなみに学費は無料で昼には食事も出した。栄養価の高い食事メニューを一之進とお里で考えて出したのだ。
遠隔地の生徒用に寄宿舎も用意している。
「はい。じゃあみんな注目。この塾の塾長である次郎左衛門だ」
次郎は流れで校長になってしまった。
「これから俺、いや私、先生は社会を教えます」
全員が平伏して頭をあげない。
次郎の学校のイメージは、土足ではないが上履き(室内用シューズ)を履いて、並んだ机に勉強するものだが、当然違う。
畳敷きの部屋に座卓のような机がならんでいるのだ。
よくよく考えれば、藩の家老が教える私塾などあり得ない。
郷村給人とはいえまたたく間に出世して、藩の財政を立て直し、改革に取り組んでいるという噂は誰もが知っている。
実際、藩主である純顕には承諾をえたのだが、他の藩閣(藩の閣僚という造語)からは反対も多かったようだ。
身分制度というのは支配体制では必要だったのかもしれないが、窮屈な面もある。
「先生は大村藩の家老ではありますが、ここでは考える必要はありません。誰もが等しく学び、将来の藩のため、日本のために役に立つ人間になってほしいからです。平伏もしなくて結構。面を上げよ」
まだ、上げない。
「面を上げよ」
2回目でやっと顔をあげた。
正直面倒くせえ~と思った次郎であったが、それほど教えを請う態度というか、悪く言えば身分制度の弊害だが、上下関係に厳しい社会なのだろう。
今の社会(前世)にもある意味必要な事だ。何事もほどよい程度がいい。過ぎたるは及ばざるが如し、だ。
事前の試験と面接を経て、甲乙丙のクラス分けをした。
「みんなは城下はもとより、藩内の様々な地より集まっている。城下を含めた地方(大村湾東岸部)に向地(大村湾南岸)、内海(西彼杵半島東岸)に外海(西彼杵半島西岸)、これはわかるね?」
次郎は生徒の正面に大きな地図をかけ、大村藩内の様子を教えた(確認した)後、佐賀藩や島原藩などの肥前の国の話をした。
その後は日本、そして世界と続けたのだ。
大半の、というか全員の関心が世界に集まったのは言うまでもない。肥前どころか大村藩から出たことがある生徒など、一人もいなかったからだ。
大村藩の外の事など、本で読み、話で聞いた事があるのみだ。外国の話など前代未聞の授業なのである。
「では先生、その和蘭、という国はどこにあるのですか?」
「長崎の出島では、その和蘭との交易をやっていると聞きます。日ノ本はその和蘭とのみ交易をしているのですか?」
「父ちゃんから聞きました。父ちゃんがおいらより幼いころ、エゲレスという国の船が嘘をついて出島にやってきたと。そんなことが許されるのですか?」
好奇心旺盛というか、向上心というか、すさまじい。
「みんな待ちなさい。一つずつ答えよう。まずはオランダの場所だが……」
次郎は大きな地球儀をくるくる回し、指を差した。
「ここがまず日本。日ノ本だ。そしてオランダは、ここだ」
全員が地球儀に集まって凝視している。
「こんなにも日ノ本は小さいのですか?」
「そうだ。そしてこのオランダは、日本の九州くらいの大きさだ。それでもはるばる海を越え、遠くこの日本に来る技を持っている。そのオランダから進んだ技は学び、我々も強くならねばならないのだ」
打払い令にあるように、攘夷という思想はそもそもあった。
神国日本を夷狄から守るという思想なのだが、まったく現実的ではない。打ち払うにしても、相応の軍事力がいるのだから。
「そして交易の事だが、つぶさに言えば、オランダだけではない。清国に琉球や蝦夷地、そして朝鮮と交易を行っている。朝鮮とはここ三十年ほど行われていないが、なくなった訳ではない」
国としての交易は清・朝鮮・琉球・オランダの四ヶ国のみである。
「そして今から三十四年前の文化五年に起こった事だ。結論から言えば、決して許されるべき事ではない。されどその事件に対してわが国が毅然とした態度を取れなかったのも事実である。その結果異国船打払い令が発布されたのだが、これも現状にはそぐわない」
次郎は段階を経て、日本をとりまく社会情勢について教えていく。一方的に教えるというよりも、必然的に質疑応答、ディスカッション形式に近い形になっていった。
アヘン戦争やオランダの世界的な立場、そしてイギリスをはじめとしたアメリカやフランス、ロシアの動向である。
歴史の知識と現在の知識をあわせたものだ。現代版は出島の商館と唐人屋敷からもたらされる。
こうして開明塾による藩士教育は行われていったのだが、よくよく考えると国語は読み書きと読解力や文章力になるので、特別な授業はいらなかったのだ。
もちろん、その都度不足と考えられる項目は科目に関係なく追加、改善された。
翌月、藩主純顕にとっての3回目の参勤交代が始まったのだが、これには次郎も同行する事となった。
次回 第52話 『根回しと高島秋帆逮捕の失敗』
0
お気に入りに追加
26
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
朝敵、まかり通る
伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖!
時は幕末。
薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。
江戸が焦土と化すまであと十日。
江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。
守るは、清水次郎長の子分たち。
迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。
ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
日本が日露戦争後大陸利権を売却していたら? ~ノートが繋ぐ歴史改変~
うみ
SF
ロシアと戦争がはじまる。
突如、現代日本の少年のノートにこのような落書きが成された。少年はいたずらと思いつつ、ノートに冗談で返信を書き込むと、また相手から書き込みが成される。
なんとノートに書き込んだ人物は日露戦争中だということだったのだ!
ずっと冗談と思っている少年は、日露戦争の経緯を書き込んだ結果、相手から今後の日本について助言を求められる。こうして少年による思わぬ歴史改変がはじまったのだった。
※地名、話し方など全て現代基準で記載しています。違和感があることと思いますが、なるべく分かりやすくをテーマとしているため、ご了承ください。
※この小説はなろうとカクヨムへも投稿しております。
夜に咲く花
増黒 豊
歴史・時代
2017年に書いたものの改稿版を掲載します。
幕末を駆け抜けた新撰組。
その十一番目の隊長、綾瀬久二郎の凄絶な人生を描く。
よく知られる新撰組の物語の中に、架空の設定を織り込み、彼らの生きた跡をより強く浮かび上がらせたい。
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる